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41.扉が叩かれ
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扉が叩かれ、エリザは姿勢を正して声を返す。
「入りなさい」
「失礼します」
静かに執事が現れた。
「セス殿下が御見えです」
「殿下が? すぐに行きます」
執事が去ると、鑑に向かい手早く身だしなみを整える。呼吸をゆっくりと吐き出し心を落ち着かせると、部屋を出た。
用件は想像が付く。
ゼノの心を落とすどころか、ゼノを寮から追い出してしまったエリザへの、叱責だろう。
どのような処罰を下されるかは想像もつかないが、覚悟は決めている。
「殿下、わざわざ御足をお運び頂き、恐縮でございます」
エリザは裾を持ち上げ、優雅に礼をとった。
「ゼノがいたときは、美味しかったんだけどな」
セスはエリザの挨拶には視線も向けず、卓上の菓子を一口かじり飲み込むと、舌を出す。
「最悪。犬の餌と間違えてない?」
「申し訳ありません。以前の菓子職人は留守にしておりまして」
すぐさまエリザは謝罪の言葉を述べる。まるでこの邸の女主人のように。
「ふうん。まあ、ゼノは甘い物は食べないし、今はここにいないから、しかたないね」
一瞬だけ向けられた冷たい視線に、エリザは震えた。
「ねえ、どういうつもり? ゼノを追い出して、お前が将軍にでもなるつもり?」
ようやくエリザに向けられた顔には、天使と称される、柔らかな面影は無い。感情の読めぬ、冷酷な表情が張り付いていた。それでも彼の美貌を損なうことはなかった。
背筋に冷や汗を流しながら、エリザはひたすら頭を深く下げる。
「滅相もございません」
「ゼノに嫌われてたなら、最初に言ってよね。僕まで嫌われたら、どう責任を取る気?」
容赦なく、セスは蔑むような声を投げつける。
「そ、それは」
言い淀むエリザの耳に、セスの笑い声が響いた。
「冗談だよ。ゼノが僕を嫌いになるわけないだろ?」
「殿下の仰せの通りでございます」
「でも」
と、セスは声を落とす。
震え始めた体を、エリザは必死に抑えつける。
「お前のせいで、無駄な時間を使っちゃった。お陰で緋凰が動き出したじゃないか。どうしてくれるのさ?」
「そ、それは」
答えに窮したエリザに、セスは困ったように眉尻を下げ、溜め息を吐く。
「もう一度だけ、機会を与えてあげる。それでゼノの心を動かせないなら、親子揃ってセントーンを出て行ってよ」
反射的に、エリザは顔を上げた。
「それだけは御許しください。父母に罪はございません。私はどのような償いでもいたしますので」
「そう。もうゼノが振り向かないと分かっているんだ」
はっと、エリザは自分の失言に気付き、息を飲む。すぐさま否定の言葉を口に上げた。
「いいえ、必ずや」
「じゃあ、今度緋龍の小娘達が来るから、ゼノを取られないように追い返してよ」
「緋龍の姫君ですか?」
予想していなかった成り行きに、エリザは恐怖を驚きで塗り替えた。
セントーンの令嬢の中では、エリザは大きく抜きん出ていた。
どの令嬢にもお座成りの対応しかしないゼノが、エリザにだけはきちんと応対し、笑みを向けてくれる。
必ずゼノに愛されるはずだという、自惚れを生じるほどに、エリザと他の令嬢たちの間には差があった。
しかし緋龍の皇女が相手となると、話は別だ。
大国の皇族が相手では、エリザの家の威光など無意味だ。そして何より、ゼノが緋龍の皇族と親しくしていることは、彼女も耳に挟んでいた。
エリザは自分の足元が崩れていく気配を感じた。しかしここで怯めば、そのまま奈落の底まで落ちてしまうだろう。
歯を食いしばり、エリザはしがみ付かなければならない。
「僕の予想では、うっとうしい玉緋だろうね。あんな礼儀知らずがゼノの側にいるなんて、想像するだけでぞっとするよ」
エリザが凍えるような恐怖に身を置いている間にも、セスの話は進んでいった。
「必ずや御期待に応えてみせます」
恐怖をひた隠し、エリザはその身に染み付いている、淑女の礼を取って答える。
セスはエリザを一瞥することもなく、将軍寮を去っていった。
緋龍の城内にある、普段は人気のない庭で、シャルは沈黙していた。
すでに思考は停止している。身体は脳からの命令を待っていたが、脳は次なる命令を出せずにいた。
「拷問だな」
「そんな事は」
ライの言葉を否定しようとしたが、それ以上は続かなかった。目の前に置かれた赤黒い物体を、シャルはこれから食べなければならない。
「もっとましな物はなかったのか?」
「蠢くモノよりかは、良いかと思いまして」
ハンスの答えに、ライは苦い顔になる。シャルも顔が引きつっていた。
先日、ライはハンスに頼まれ、二つの料理を風の民に託した。
一つは玉緋の創り出した、料理という名の蟲らしき物体。今一つは、それにハンスが手を加えたもの。
その得体のしれなさに、大概の食物にも生物にも免疫のある風の民さえもが、動揺し、口にする事を躊躇した。
しかし風の民を束ねるジルから、ライには協力するようにとの指示が出ていたため、彼らは拒否を許されない。
一人が意を決して、ハンスが手を加えた料理を食べた。
「意外といけますよ」
と、器の料理を完食したが、事前に付けていた傷に変化はなかった。
見た目は蟲だが、味はまともらしいと、玉緋の創ったままの蟲――否、料理に、二人目が手を出す。その直後、彼は白目を剥いて卒倒した。
念のために、もう一人にも食べさせてみたが、やはり卒倒した。
後日の報告によると、倒れた二人は翌日の昼に目覚めたそうだ。気が付いてもしばらく呆然としていたらしいが、傷は癒えていたという。
しかし傷が癒えたのは、当日に食べた二人だけで、翌日はただ不気味で不味いだけの物体になっていたそうだ。
「い、いきます」
息を飲み込むと、シャルは意を決して玉緋の料理を口に入れた。何とか咀嚼して、胃へと流し込む。
予想通り倒れたシャルをハンスは支えるが、すぐに樹と化した。
「本っ当に、すげえな。お前の新生物」
「うるさいわよ」
ライに反論はするが、玉緋は耳まで赤く染めていた。
「これでどこまで治るか、だな」
近くの木にもたれて、腕を組んでいた緋凰が呟く。
「入りなさい」
「失礼します」
静かに執事が現れた。
「セス殿下が御見えです」
「殿下が? すぐに行きます」
執事が去ると、鑑に向かい手早く身だしなみを整える。呼吸をゆっくりと吐き出し心を落ち着かせると、部屋を出た。
用件は想像が付く。
ゼノの心を落とすどころか、ゼノを寮から追い出してしまったエリザへの、叱責だろう。
どのような処罰を下されるかは想像もつかないが、覚悟は決めている。
「殿下、わざわざ御足をお運び頂き、恐縮でございます」
エリザは裾を持ち上げ、優雅に礼をとった。
「ゼノがいたときは、美味しかったんだけどな」
セスはエリザの挨拶には視線も向けず、卓上の菓子を一口かじり飲み込むと、舌を出す。
「最悪。犬の餌と間違えてない?」
「申し訳ありません。以前の菓子職人は留守にしておりまして」
すぐさまエリザは謝罪の言葉を述べる。まるでこの邸の女主人のように。
「ふうん。まあ、ゼノは甘い物は食べないし、今はここにいないから、しかたないね」
一瞬だけ向けられた冷たい視線に、エリザは震えた。
「ねえ、どういうつもり? ゼノを追い出して、お前が将軍にでもなるつもり?」
ようやくエリザに向けられた顔には、天使と称される、柔らかな面影は無い。感情の読めぬ、冷酷な表情が張り付いていた。それでも彼の美貌を損なうことはなかった。
背筋に冷や汗を流しながら、エリザはひたすら頭を深く下げる。
「滅相もございません」
「ゼノに嫌われてたなら、最初に言ってよね。僕まで嫌われたら、どう責任を取る気?」
容赦なく、セスは蔑むような声を投げつける。
「そ、それは」
言い淀むエリザの耳に、セスの笑い声が響いた。
「冗談だよ。ゼノが僕を嫌いになるわけないだろ?」
「殿下の仰せの通りでございます」
「でも」
と、セスは声を落とす。
震え始めた体を、エリザは必死に抑えつける。
「お前のせいで、無駄な時間を使っちゃった。お陰で緋凰が動き出したじゃないか。どうしてくれるのさ?」
「そ、それは」
答えに窮したエリザに、セスは困ったように眉尻を下げ、溜め息を吐く。
「もう一度だけ、機会を与えてあげる。それでゼノの心を動かせないなら、親子揃ってセントーンを出て行ってよ」
反射的に、エリザは顔を上げた。
「それだけは御許しください。父母に罪はございません。私はどのような償いでもいたしますので」
「そう。もうゼノが振り向かないと分かっているんだ」
はっと、エリザは自分の失言に気付き、息を飲む。すぐさま否定の言葉を口に上げた。
「いいえ、必ずや」
「じゃあ、今度緋龍の小娘達が来るから、ゼノを取られないように追い返してよ」
「緋龍の姫君ですか?」
予想していなかった成り行きに、エリザは恐怖を驚きで塗り替えた。
セントーンの令嬢の中では、エリザは大きく抜きん出ていた。
どの令嬢にもお座成りの対応しかしないゼノが、エリザにだけはきちんと応対し、笑みを向けてくれる。
必ずゼノに愛されるはずだという、自惚れを生じるほどに、エリザと他の令嬢たちの間には差があった。
しかし緋龍の皇女が相手となると、話は別だ。
大国の皇族が相手では、エリザの家の威光など無意味だ。そして何より、ゼノが緋龍の皇族と親しくしていることは、彼女も耳に挟んでいた。
エリザは自分の足元が崩れていく気配を感じた。しかしここで怯めば、そのまま奈落の底まで落ちてしまうだろう。
歯を食いしばり、エリザはしがみ付かなければならない。
「僕の予想では、うっとうしい玉緋だろうね。あんな礼儀知らずがゼノの側にいるなんて、想像するだけでぞっとするよ」
エリザが凍えるような恐怖に身を置いている間にも、セスの話は進んでいった。
「必ずや御期待に応えてみせます」
恐怖をひた隠し、エリザはその身に染み付いている、淑女の礼を取って答える。
セスはエリザを一瞥することもなく、将軍寮を去っていった。
緋龍の城内にある、普段は人気のない庭で、シャルは沈黙していた。
すでに思考は停止している。身体は脳からの命令を待っていたが、脳は次なる命令を出せずにいた。
「拷問だな」
「そんな事は」
ライの言葉を否定しようとしたが、それ以上は続かなかった。目の前に置かれた赤黒い物体を、シャルはこれから食べなければならない。
「もっとましな物はなかったのか?」
「蠢くモノよりかは、良いかと思いまして」
ハンスの答えに、ライは苦い顔になる。シャルも顔が引きつっていた。
先日、ライはハンスに頼まれ、二つの料理を風の民に託した。
一つは玉緋の創り出した、料理という名の蟲らしき物体。今一つは、それにハンスが手を加えたもの。
その得体のしれなさに、大概の食物にも生物にも免疫のある風の民さえもが、動揺し、口にする事を躊躇した。
しかし風の民を束ねるジルから、ライには協力するようにとの指示が出ていたため、彼らは拒否を許されない。
一人が意を決して、ハンスが手を加えた料理を食べた。
「意外といけますよ」
と、器の料理を完食したが、事前に付けていた傷に変化はなかった。
見た目は蟲だが、味はまともらしいと、玉緋の創ったままの蟲――否、料理に、二人目が手を出す。その直後、彼は白目を剥いて卒倒した。
念のために、もう一人にも食べさせてみたが、やはり卒倒した。
後日の報告によると、倒れた二人は翌日の昼に目覚めたそうだ。気が付いてもしばらく呆然としていたらしいが、傷は癒えていたという。
しかし傷が癒えたのは、当日に食べた二人だけで、翌日はただ不気味で不味いだけの物体になっていたそうだ。
「い、いきます」
息を飲み込むと、シャルは意を決して玉緋の料理を口に入れた。何とか咀嚼して、胃へと流し込む。
予想通り倒れたシャルをハンスは支えるが、すぐに樹と化した。
「本っ当に、すげえな。お前の新生物」
「うるさいわよ」
ライに反論はするが、玉緋は耳まで赤く染めていた。
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