続・聖玉を継ぐ者

しろ卯

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32.口をぱくぱくさせて

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「どういう意味? ゼノに嫁げって事?」

 口をぱくぱくさせていた玉緋だが、ためらいながらも確かめるように聞いた。
 しかしハンスは軽く笑って、これを否定する。

「御冗談を。ゼノ殿下に嫁がせる気などありません。俺が玉緋様を必要としているのです」

 口を開けたまま、瞬きも忘れて見つめる料理人達の前で、玉緋は顔を真っ赤にしてうつむいた。緋嶄も顔を赤く染めて肩を震わせている。
 どちらも赤いが、その心情は異なるのだろう。

「死ぬ覚悟は出来ているのだろうな?」

 怒鳴りつけると共に、緋嶄は剣を引き付け、足裏に力を込める。
 武門に力を入れる緋龍帝国の将軍が、本気になったようだ。誰もが息を飲み、ハンスの死を確信して身をすくめた。
 けれど獲物であるはずの男は、柔和な笑みを崩さない。

「ここではちょっと。せめて貴国の伝統に則り、万が一の勝負を願いたいのですが」
「やるだけ無駄だ」

 ハンスに向かって踏み込んだ緋嶄は、剣を薙ぐ。しかしその切っ先は、ハンスを傷つけることなく制止していた。
 男達の間に、玉緋が割って入ったのだ。

「決闘は神聖なる儀式よ? 挑まれた者は、権力を持って拒否する事は許されないわ。皇族の誇りに傷を付ける気?」
「玉緋」

 妹に強い眼差しを向けられた緋嶄は後退り、しぶしぶ剣を鞘に収めた。

「勘違いしないでよ? 料理を教えて貰ったお礼と、あんたが死んだらアリスが悲しむと思ったからなんだから」

 背を向けたままの玉緋に、ハンスは微笑む。
 短い髪から覗く彼女の耳が、赤くなっていた。

「ありがとうございます。妹とも仲良くしてくださっているようで」

 緋嶄の怒りは収まっていないようだが、玉緋に押し出されるようにして、厨房から去っていった。

「死ぬぞ」

 皇族の兄妹が去ったことを確認してから近寄ってきた巌袁は、呟くよう言った。

「緋凰陛下には劣るが、緋嶄様も化け物だ。万が一なんて無いと思え。今ならまだ御許し頂けるかもしれん」

 その声は低く、真剣だった。
 しかしハンスは口角を上げてそれを流す。

「御忠告、感謝します」

 不敵に笑むハンスに、巌袁は身震いした。
 気の優しい青年の目は、冷たく獲物を見据えていた。


 汚れた厨房を片付けてから、夕げの支度をする間、いつもは活気溢れる厨房は、静まり返っていた。
 シャルとライとの三人分の食事を用意し膳に乗せると、ハンスは部屋に戻っていく。

「やるとは思ってたが、やり過ぎだろ?」

 食事を持って戻ったハンスに、ライは開口一番、毒を吐いた。

「酷いですね。そして耳が早いですね」

 苦笑を浮かべながらも、ハンスは食卓に料理を並べていく。手伝っていたシャルも、耳にしたのだろう。不安と興奮で頬を紅潮させて尋ねた。

「兄さんは、玉緋様の事が好きなの?」

 ハンスは微笑む。

「さて、どうでしょう?」
「お前な」

 羊肉の甘酢炒めを頬張りつつ、ライは睨む。

「勝算はあるんだろうな?」
「俺が負け戦を仕掛けると?」

 なんでもないことのように眉を上げるハンスに、ライは息を吐く。

「お前だけは敵に回したくないな」

 手に付いた甘酢餡を舐めながら、苦々しく言った。

「おや? 愛の告白ですか?」
「阿呆。性質が悪すぎなんだよ、お前は」

 からかう口調のハンスに、ライは叱りつけるように言葉を投げる。
 緋嶄の力はライも知っている。戦闘力としてはもちろん、緋龍の皇族という身分まである。
 遊び半分に手を出して良い相手ではない。 

「兄さん」
「何ですか?」
「お願いだから、無茶はしないで」

 涙のにじむ瞳で見つめるシャルに、ハンスは微笑む。

「大丈夫ですよ。安心して見ていてください」

 のん気に振舞うハンスやライと違い、シャルは不安を隠しきれず、ハンスの衣を両手で握った。

「心配するな。そいつのあざとさは世界一だ」
「それ、誉めてませんよね?」
「まあな」

 笑う二人にシャルも笑顔を作ろうとしたが、上手く笑う事はできなかった。



 翌日、緋凰立ち会いの元、ハンスと緋嶄の決闘が執り行われた。
 周囲には軍人や使用人達が見物に駆け付けている。
 玉緋は青ざめた顔で緋凰の傍らに座っていて、シャルは話し掛ける事もできなかった。

「まるで祭だな。酒はあるか?」

 呑気に問うライに、ハンスは風を嗅ぐ。

「あちらで配っているみたいですよ? 肴の担ぎ売りも出てるみたいです。小鳥ちゃんも何か食べますか?」

 シャルは首を横に振った。とてもではないが、何かを食べる気にはなれない。
 しかし姿を消したライは、酒とマオウイカの足を干して焼いた物をくわえて戻って来た。
 それを見たハンスは眉をひそめる。

「それは辛子より山葵の方がお薦めですよ」
「いんだよ、俺はこっちで」

 料理人のこだわりなのだろう。ライは顔を顰めながら、マオウイカの足を噛み千切った。

 刻限となり、ハンスと緋嶄は闘技場の中央へと進みでる。

「伝統に基づき、双方に武器の使用と介添人一人を許す」

 緋凰の説明に、ハンスは頷いた。

「ライを出しても構わんぞ?」

 武器も介添人もいないハンスに、緋凰は今一度、念を押す。

「それでは俺では無く、ライ大将と緋嶄様の決闘になってしまいますから」

 ハンスはへらりと笑って答える。
 緋嶄の額に、青筋が浮かんだ。

「ゼノの部下と聞いたが、挑んできたのはそっちだ。命を落としても文句は言うなよ?」
「死んだら文句は言えないでしょう?」

 おどけるように目を丸くして、ハンスは応じる。
 忌々しそうに、緋嶄は顔をゆがめた。

「ふざけた男だ。せめてもの情けだ。兄の屍に妹が泣かずに済むよう、跡形も無く消し去ってやろう」
「それはご親切に」

 怒気を発する緋嶄とは対称的に、ハンスには余裕が見て取れる。
 その様子に、緋凰と緋嶄は違和感を覚えるが、どちらが勝つかは確信していた。

「始めよ」

 緋凰の合図で、緋嶄は剣を抜き打った。
 ハンスは無駄のない動きで緋嶄の剣をかわす。鋭い羽音が連続するが、ハンスを捉える事はできずにいた。

「やっぱり、ただ者ではないわね」
「ほう、それが解る程に成長していたか」

 玉緋の呟きに、緋凰が反応する。
 先を促がすように片方の眉を上げられ、玉緋は恥じるようにうつむいた。
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