続・聖玉を継ぐ者

しろ卯

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21.緋龍に着いたハンスは

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 緋龍に着いたハンスは、宿に荷を預けると、さっそく城へと向かった。
 セントーンからの使者はシャルとライを残して、すでに緋龍を発っていた。
 しょせん献上品と、国軍大将とは名ばかりの平民以下だ。緋龍の皇帝がどのように扱おうとも、使者である貴族や神官には興味がない。

 城壁の周囲を観光するような足取りで歩いていたハンスの姿は、いつの間にか消えていた。
 皇帝からの招待であるのだから、客人として正面から入城も可能だろう。
 だが緋龍から送られた使者が、ようやくセントーンに辿り着いた頃だと考えると、今アリスの兄として現れれば、いらぬ疑いを招きかねない。
 城中に張り巡らされた呪具や呪符と、至る所に配備された警備兵を避け、ハンスはライの元へと進んでいく。

「ライ大将、ハンスです」

 ハンスは風を鳴らして言葉を紡いだ。風の民独自の言語であり、常人には風鳴りにしか聴こえない言葉を、ハンスは風の民の友人、ジルから教えられていた。
 父親が風の民であるライもまた、幼い頃から身に付けている。
 周囲に警戒はしているが、いくら警戒してもし足りないこの状況で、二人がこの手段を選んだのは当然であろう。

「助かった。状況は?」
「大まかに」
「ゼノ様は?」
「戸惑っておられました。怒ってはいませんよ」
「そうか」

 姿は見えずとも、目に見えて安堵している様子のライに、ハンスは苦笑する。

「ともかくここではあれなので、外に出れますか?」

 元盗賊のハンスにとって、忍び込むことは容易い。しかし警備の厳しい緋龍の城中に長く滞在する危険を冒すほど、傲慢ではなかった。

「日中なら何とか」
「では、緑亀という宿に居ますので」
「了解」

 待ち合わせ場所を伝えると、即座にハンスはその場から去った。
 物影に身を潜めながら、ハンスは外へと向かう。城壁が見えた所で、わずかな匂いに飛び退った。
 空中に突然、焔が上がる。
 何の呪具や呪符にも接触してはいない。焔は能力者の力と判断し、相手を探すが、感知できる位置にはいないようだ。
 焔はハンスと城壁の間に壁を作った。

 異変に気付いた警備の兵達が、集まって来る。
 ハンスはとっさに身を翻らせると、建造物の中に駆け込み、そのまま駆け続けた。焔は次々と現れてはハンスを襲う。

「しつこいな」

 愚痴を溢すが追撃の手は緩まない。
 至る所で上がる火の手に、兵達も走り惑い、侍女達の悲鳴が上がった。

 ハンスは人目を避けて道を選ぶが、全ての視線を避ける余裕はなくなっている。わずかに影を目撃されつつも、その顔だけは誰の目にも触れさせなかった。
 中庭の通路を突っ切り、槍を向けてきた兵を蹴倒すと、龍の彫刻が施された扉に肩をぶつけて転がり込んだ。

「ずいぶんと熱烈な歓迎をどうも」

 素早く起き上がったハンスは、正面の椅子に泰然と座る緋龍皇帝緋凰に笑みを向ける。
 緋龍の皇族の証である、緋色に燃える髪と瞳。武を尊ぶ国の皇族らしく、引き締まった体躯に隙は無い。
 整った顔立ちだが、その表情は無愛想で冷たい印象を与える。

「良い度胸と判断力だ。それとも初めから狙いは俺か?」

 緋凰は椅子に座ったまま、動揺する素振りも見せない。
 ハンスは服の埃を払いつつ、世間話をするような軽い口調で答える。

「まさか。皇帝の命など、俺には興味ありませんよ」

 飛び込んできた扉の向こうは、駆け付けて来た兵が囲んでいた。どうやら逃げ道は塞がれてしまったようだ。

「では何が目的で忍び込んだ? 見付けた鼠を生かして帰す程、緋龍は甘く無い」

 言うや否や、再び焔が上がった。
 ハンスを取り囲むように円形に燃える焔をちらりと一瞥すると、ハンスは口角を上げる。

「そうですね。以前お会いした時に酌み交わせなかった酒を、御一緒できないかと思いまして」

 この状況にあって、にこりと微笑むハンスに、緋凰はついに眉をひそめる。しばらくハンスを凝視した緋凰は、目の前に立つ人物に思い至り、瞠目した。

「お前は、あの時の」

 前緋龍皇帝が崩御する直前、シャルの石能を求めた皇帝とセントーンとの間に、不和が生じた。
 責任を取らされたゼノは緋龍に赴き、処刑されることが決まる。刑の執行は、セントーンへの警告も兼ねて、セントーンの国境近くで行われることとなった。
 しかしその場所へ、ゼノを救うためにシャルが赴いてしまう。
 シャルを緋凰の焔で焼かれたと思い込んだゼノは暴走し、緋龍の軍を壊滅状態にまで追い込んだ。
 そんな凄惨な状況下で、ゼノを肴に酒盛をしていた男がいたのだった。それが、今ここに立つ、ハンスだった。

「くく、あはははは」

 上向けた顔を左手で覆い、笑い声を上げる緋凰に、兵達は顔を見合わせる。

「良い。皆下がれ」

 焔を消すと、緋凰は集まっていた兵達に解散を命じた。

「なるほど。只者ではないとは思ったが、まさか我が城に侵入を許すとはな」
「いえいえ、まさか見つかってしまうとは。畏れ入りました」

 互いに腹の底の分からない笑みを浮かべる。
 緋凰は酒の用意と共に、部屋に誰も近付けないように命じた。

「それで何の用だ? まさか本当に、酒を飲みに来ただけではあるまい?」

 酒を手に問う緋凰に、ハンスはわざとらしく片眉を上げた。

「おや? 皇帝陛下からのお呼びがあったと聞いて伺ったのですが?」
「俺がか?」

 眉根を寄せて問いながら、緋凰は心当たりに気付いた。

「なるほど。セントーンの大将はお前の弟か?」

 ゼノの処刑の場で、ハンスとライが親しく話していた姿を思い出したようだ。
 しかしハンスは否定する。

「惜しいですね。俺はアリス神官の兄です」
「ほう。あの女はただの神官だと思っていたが?」
「俺もただの菓子職人ですよ」

 ハンスの返しに、緋凰は不服そうに顔をしかめた。

「とぼけるな。第一お前は、ゼノに仕えているのだろう? ゼノは菓子を食わぬ」
「ええ、それには難儀しています」

 肩を竦めるハンスに、緋凰は怪訝な表情をした。
 ゼノと緋凰の母は仲の良い姉妹で、ゼノの母が亡くなっても、甥に会いに緋凰を連れてセントーンに何度も訪れた。
 幼い頃から親しくしている緋凰は、ゼノの嗜好も記憶していた。

「お疑いならば、今宵の食後に作らせて頂きますよ? 絶品の菓子をね」
「それは楽しみだ。後で調理場に案内させよう。それで」

 と、ハンスに軽く返した緋凰だったが、眼光を鋭くする。

「お前の妹の式は、どうする気だ?」
「緋龍国に負担を掛けさせる程、厚顔ではありませんよ」

 鋭く射る様な眼光も、ハンスはさらりと笑顔でかわす。

「どの面提げて言うか? まあ良い。あの二人は許嫁ではないのだろう?」
「おや、お気付きでしたか」

 しかめっ面をしてネタ晴らしを始めた緋凰を、ハンスは驚いたように目を丸くして見る。
 そのわざとらしい所作に、緋凰の眉間の皺が深まる。

「俺を謀ろうとするからな。音を上げるまで付き合ってやろうと思ったが、案外しぶとい」
「ライ大将は真面目ですからね」

 ハンスは白い歯を見せて、音もなく笑う。
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