続・聖玉を継ぐ者

しろ卯

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18.ライの感情の変化に

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 ライの感情の変化に気付いた緋凰は、鋭い眼差しをライに向けた。その意味することに気付いたライは、大きく息を吐き出す。

「俺はセントーンでは、平民以下の、最下層の出自なんですよ。だからセス王子は俺を人とすら思っちゃいない。文字通りゼノ様の飼い犬に見えてるんでしょう」

 ライは風の民と呼ばれる、伝説上の存在であり、実在していないはずの民族の出身だ。風の民の中には、どこかの国に潜伏した親から生まれたために、戸籍を持つ者もいる。
 しかし『外』で暮らしていた生粋の風の民を父とするライは、この世に存在する証明を持たなかった。
 風の民から抜けたライたち家族が、セントーンに移り住み得ることが出来たのは、犯罪者や訳ありの流れ者が辿り着く、辺境の地キルグスの出自という経歴だけだった。

「あの男らしいな」

 ライの説明に納得したらしい緋凰は、長椅子に腰をおろした。それから、

「茶を淹れてくれ」

 と、棚の上の手炙りを鷹揚に顎で示した。
 ためらいがちに、シャルは手炙りの上に掛けられていた鉄瓶から、湯を急須に注ぐ。少し間を置いて湯を器に移し、空いた急須に茶葉を入れて、再び器の湯を戻した。

「ずいぶんと面倒な事をするな」

 シャルの様子を窺っていた緋凰は、訝しげに眉をひそめる。

「ハンス兄さんが、茶器は先に温めておいた方が雑味が少なく、湯は冷ました方が苦味が出ないと教えてくれました」
「お前の兄か?」
「はい」

 返事をしたシャルの頬が紅潮した。慣れたつもりだったが、改めて問われると、どこかくすぐったい。

「どうした?」

 心の動揺を、緋凰は見逃してはくれない。

「いえ、ずっと離れて暮らしていたので」

 慌てて答えてから、シャルは急須のお茶を温めておいた器に移した。
 受け取った器に口を付け、緋凰は頷く。

「たしかに、何時もより澄んだ味だ。仄かに甘味もある」

 シャルは安堵して微笑みを浮かべた。

「しかし、温い」
「も、申し訳ありません」

 頭を垂れるシャルを眺めていた緋凰の口許が緩んだ。その左端が、わずかに高く上がっている。

「良かろう。お前達の婚礼は、緋龍国で執り行ってやる」

 緋凰が何を言ったのか、シャルとライはすぐには理解できなかった。一拍の間の後、ライは間の抜けた声を上げ、シャルは慌てふためいた。

「私が決めたことだ。セスも口は挟むまい。お前達はこのまま緋龍国に留まっても構わぬ。相応の地位を用意させよう」

 戸惑うシャルは、ライと緋凰の顔を交互に見る。ライは緋凰を目に映したまま、頬が痙攣していた。

「お、お心遣いは感謝いたしますが、お気持ちだけで充分でございます」

 ライとは思えぬ丁寧な言葉が、口から紡ぎ出される。その口調は、ぎくしゃくと固かった。

「遠慮はするな。セスはこちらで抑えてやると言っている。それとも他に問題があるのか?」

 何とか絞り出したライの言葉をあっさり拒否すると同時に、釘を刺してくる。
 一国を治める皇帝だ。そう易々と丸め込めるわけがなかったと、ライは内心で舌打ちした。
 くつがえせるほどに、ライは口が達者ではない。元々こういう腹の探り合いは苦手なのだ。これ以上は言葉を述べるごとに不利な立場に追い込まれかねないだろう。

「いえ」

 不承不承に受け入れかけたライの脳裏に、ゼノとジルの顔が浮かぶ。シャルを溺愛する二人だ。ここで頷いたら後でどんな目に遭わされるか、想像するのも恐ろしい。
 一瞬にして、全身から血の気が引いた。

「いえ、家の決めた相手ですから、俺達二人で勝手に婚儀を行う訳には」

 苦し紛れの言葉だったが、緋凰は頷いた。皇族だけに、家の煩わしさは承知しているようだ。

「良かろう。ではお前達の親族を呼ぶが良い。揃い次第、婚礼の儀を執り行う」

 とりあえず時間は稼げたようだ。それでもライの胃はひどく痛んだ。
 緋凰は使用人を呼ぶと、青ざめた顔のライとシャルに部屋を用意させた。同室はまだ早いと拒否するライを一睨みで承服させると、二人は一室で夜を過ごすことになった。

「お前は寝てろ」

 言われてシャルは戸惑う。

「ライさんは?」
「一走りしてくる」

 窓を開け飛び出そうとしたライはしかし、部屋の中へと弾き飛ばされていた。

「大丈夫ですか?」

 心配してシャルは駆け寄った。
 ライは視線も向けず、窓辺に近付く。窓の外に手を伸ばすが、すぐに引っ込めた。

「結界が張ってあるな」

 緋龍国側の許可が無い限り、二人が外へ出ることはできないようだ。実質の監禁である。

「すみません」

 心底から申し訳なさそうに、シャルは肩をすくめて謝った。

「ああ?」
「巻き込んでしまって」

 そう言うと、ライは不機嫌そうに顔をゆがめる。

「俺から巻き込まれたんだ。あのままお前を皇帝に渡したら、ゼノ様かジルに殺されるからな」

 このまま一夜を共にしても命の保証は無いがと、ライは心の中で付け加えた。

「まあ、出れないもんはしょうがない。俺は寝るぞ」

 言って椅子に座って眠ろうとするライに、シャルは一台だけ置かれた寝台を勧める。

「慣れてる。気にするな」

 素っ気なく答えるライに、シャルは重ねて寝台を勧めた。

「私は使いませんから」
「ああ、そうか」

 ようやくライは気付く。
 シャルは木の中で眠る。いつからそうして眠っていたのか、シャル自身も知らない。彼女はゼノに指摘されるまで、他の人と同じように、寝台で寝ていると思っていたのだ。

「じゃあ、遠慮無く」
「ええ、おやすみなさい」
「ああ」

 頷きはしたが、ライはシャルが眠るまでは起きていた。
 シャルは部屋の隅に置かれた大きな植木鉢に近付く。植えられていた植物に手を当て、小さくすると、代わりにそこに立った。目を閉じたシャルの体を樹皮が覆っていく。
 部屋の中に育った一本の柘榴。窓からは月明かりが溢れていた。
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