続・聖玉を継ぐ者

しろ卯

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17.緋凰の体が自由を

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 緋凰の体が自由を取り戻した時、シャルの瞳は光を失っていた。人形のように横たわり、動かなくなった。

「初めから素直に抱かれれば良いのだ」

 緋凰の手がシャルの胸元に近付いていく。だがその手がシャルに触れる事はなく、緋凰はシャルの体から離れた。

「無礼な鼠だな」

 シャルは虚ろな目で緋凰の視線の先を追う。光の消えた翡翠の瞳に、見慣れた姿が映った。
 徐々に光を取り戻していくシャルの瞳から、涙が更に溢れた。

「どうも」

 窓から緋凰の寝室に侵入したライは、ふてぶてしく応える。視線の端でシャルの無事を確認すると、安堵の息を吐いた。

「セントーンの大将か。兵を救ってもらった恩がある。今すぐ立ち去れば、公にしないでやろう」

 大国の皇帝の寝所に押し入るなど、斬首は免れないだろう。場合によっては国を巻き込んだ戦に発展しかねない。
 それを緋凰は見逃すと言ったのだ。
 しかしライは苦く顔をしかめると、頭をぼりぼりと掻いた。

「そいつを返してくださるのなら、すぐに消えますよ」

 丁寧な言葉遣いをなんとか保ってはいるが、その口調も態度も、敬う様子は一欠片も見えない。ただひたすらに、面倒という思いが前面に出ていた。
 ライの態度に憤ることなく、緋凰は下から上まで一瞥する。

「なるほど。この女の想い人は、貴様か」
「は?」

 得心がいったとばかりに発せられた緋凰の言葉に、ライの口から呆けた声がこぼれた。

「隠さずとも良い。この女に操を立てた男がいる事は、見れば分かる。だからといって献上品を易々逃しては、私の沽券に関わる」

 ライは呆れつつも、状況を整理することにした。
 シャルが緋凰に献上品として貢がれたことは、ここまで来れば明らかだ。だからと言って、

「はい、そうですか」

 と渡す訳にはいかない。
 なにせシャルは彼の主であるゼノの想い人である。さらには彼の根幹である風の民が、長きに渡って護り続けてきた主なのだから。
 だがどちらの事実も、それを知らぬ者に知られる訳にはいかない。

「それで、どうしたら返してくれるんですか?」

 ここは緋凰の勘違いに便乗するのが得策と結論付けたライは、シャルの想い人に成りきる事にした。

「そうだな。私のものを奪うのだ。それなりの代償は払ってもらおう」
「あまり手持ちは無いんですけどね」

 深いため息混じりに、ライは肩をすくめる。

「案ずるな。貴様の命で足りる」

 一瞬にして、緋凰の目に炎が宿る。

「だめ!」

 悲鳴を上げたシャルが緋凰にしがみついた。石能を発動させ緋凰の動きを封じるが間に合わず、ライはシャルの目の前で焔に包まれた。

「ライさん」

 駆け寄ろうとしたシャルの腕を、緋凰がつかみ引き寄せる。

「命と引き換えにお前の自由を買ったのだ。感謝してやれ」
「放してください!」

 シャルは緋凰の手を振り払うと、黒く焦げたライの傍らに膝をついた。
 全身を焼かれたライは、ぴくりとも動かない。けれど心臓はまだ動いている。
 迷わず添えたシャルの手に熱が伝わり、手の平を焦がす。まだライの表皮は燻っていた。

「すぐに治します」

 焼ける痛みに動じることなく、シャルは意識を集中する。全身が黒く焼け炭化しかけていたライの姿が、色を取り戻し、元の姿となって目を開けた。

「悪い」

 黒く煤けたシャルの手を見てうつむくライに、シャルは涙に濡れる笑顔を横に振る。

「驚いたな」

 緋龍の声にライは急ぎ立ち上がり、シャルを後ろにかばう。

「それだけの傷を治す治癒者など、緋龍国にもおらぬ。手に入れたなら手放さぬだろう。セントーンの国王は何を企んでいる?」

 緋色の瞳に怒りは見えず、言葉のままに疑問だけが浮かんでいた。

「何も考えてないんだろうよ。こいつをあんたに献上するよう指示したヤツがいるとしたら、セス王子じゃないか?」

 あの国の王族は、シャルの価値など考えてはいない。彼女の気持ちにいたっては、気にもしていないのだろう。
 ただゼノの近くから引き離したいと、それだけの理由で、シャルは異国に献上されたのだ。

 セスの名が出た瞬間に、緋凰の目の色が変わった。もちろんライは見逃さなかった。
 確証などなく口にした仮説だったが、それを事実として進めたほうが緋凰を揺さぶれると、瞬時に見極めた。

「国王からの献上品ではなかったわけか」
「たぶんな。少なくとも俺は聞いていないし、神官長も知らなかっただろうよ」
「そうか」

 緋凰の目に憤怒が宿るが、それはライ達に向けられてはいない。ここにはいない者に対する、深い憤りであった。
 警戒するライとシャルの視線の先で、緋凰の表情がふっと和らぐ。先ほどまでとは打って変わって、上機嫌に口角を上げてライに視線を向ける。

「しかし良い度胸と判断力だ。以前会った時も中々の男だと思ったが、ゼノも見る目があったようだ」
「どうも」

 皇帝に褒められたとあれば、普通は少しは浮かれるものだ。しかしライにはそんな楽観的な感情は持ち合わせがなかった。
 跪いて礼を述べるほどの愛想もない。
 そんなライの姿を、緋凰はますます楽しそうに見ている。

 焔が上がった瞬間に、ライは呼吸を止め、気道が焼かれることを防いだ。焔が全身を覆う前に、避けることもできたのだが、それでは緋凰からシャルを取り戻せない。
 そう判断したライは、自ら焼かれるに任せた。
 無論、シャルを信じていたからこそ取れた行動だったが、一歩間違えれば命を落としていただろう、危険な賭けだった。

「分からぬな。何故そこまでその女を想う? 治癒者が軍に同行することは珍しくはないが、命を懸ける程に親しくなるとは思えぬ」

 緋凰に睨まれ身をすくますシャルに目をやり、ライは緋凰を見返す。

「軍人と神官ならそうでしょうよ。けどあいにく俺達は、生まれる前からの仲なんで」
「親同士が決めた許嫁か。同郷か?」

 皇族にとっては生まれる前からの許婚も珍しくは無い。緋凰は疑う素振りも見せず、素直に聞き入れた。

「いえ、もっと前です。同じ主に仕えていたみたいですね」

 嘘は吐いていない。風の民の始まりとなった始祖と柘榴は、同じ王に仕えていたのだから。

「なるほど。では何故、その女はお前のことを隠そうとした?」
「それは」

 ちらりとシャルを見やったライは、嘘の吐けないシャルに代わり答える。
 緋凰がセスに悪感情を抱いていることは、先ほどのやり取りで確信していた。そこを突けば、多少の矛盾も誤魔化せるかもしれない。

「俺を巻き込まないようにと思ったんでしょう。こいつはセス王子に嫌われている。繋がりが露見すれば、俺の立場も危うくなる」

 言いながら、ライは自分でも驚くことに落ち込んでしまった。
 ゼノの近くにいる者は皆、セスから警戒されている。ゼノを幼い頃から鍛えた師であり忠臣である、クラムでさえだ。
 それなのにセスの目には、ライの姿は映っていない。シャルに関わることまで許されるほどに、ゼノから信頼を得ていると自負しているというのに。
 セスの目が光っていない事は助かっている。しかし改めて考えてみれば、複雑な思いが心で淀んでいた。
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