続・聖玉を継ぐ者

しろ卯

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05.ゼノは王子であることに

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 ゼノは王子であることに、苦しんでいた。側にいるハンスもライも、それを理解している。
 てっきりライと同じ立ち位置にいるエリザも、ゼノの気持ちを理解しているとシャルは思っていたのだ。

「無礼者」

 腰から抜いた鞭を、エリザはシャルに振り下ろす。ただの令嬢ではない。軍に所属する女の振るう鞭だ。
 シャルは地面に倒れた。

「神官とはいえ平民のお前が、私の顔を凝視するなど許されると思っているの?」
「申し訳ありません」

 土を握りめたシャルの手に気付いたエリザは、もう一度鞭を振り落とした。ぴしりと音が鳴り、シャルは目を瞑ったが、痛みは無かった。

「申し訳ありません。妹は幼少の頃から療養所に入っていたために、社会常識に疎いのです。代わりに兄である私が鞭を受けますので、許して頂けませんか?」
「ハンス兄さん」

 顔を上げたシャルとエリザの間には、膝を折ったハンスが頭を垂れていた。

「あなたがこの女の兄? ちゃんと躾ておきなさい。ゼノ様への身分を弁えぬ態度、次に目にしたら、陛下に御報告して処罰して頂きます」
「寛大なる御猶予を、ありがとうございます」

 更に頭を深く下げたハンスと、彼に習い頭を垂れたシャルの姿を確認すると、エリザは去っていった。

「ごめんなさい」

 涙を溢すシャルの頭を、ハンスの大きな手が撫でる。

「なに、大した事はないさ。何年王族に仕えていると思っているんだい?」

 微笑むハンスの手を、シャルは両手で握り締めた。ハンスの頬に浮かんだ赤い線は、跡もなく消えていく。

「私、分かっているつもりだった。でも、解ってなかった。ゼノとハンス兄さんと、ライさん、皆優しくて、幸せで、浮かれてた。身分の事なんて、頭から消えてたの」
「うん。良いんだ、それで」

 ハンスは慰めるが、シャルは頭を振った。

「良くない! 皆に迷惑掛けてる」
「良いんだよ。俺も殿下も、迷惑なんて思っていない。小鳥ちゃんと一緒にいれて、本当に嬉しいんだよ」

 ハンスはシャルを抱きしめる。腕の中で、シャルは泣き続けていた。
 ようやく泣き止んだシャルを、ハンスは以前、共に暮らした小屋に連れて行く。

「少し埃を被ってるけど、問題は無さそうだ」
「兄さん?」

 戸惑うシャルの頭に手を置くと、ハンスは膝を曲げて目線を合わせた。

「俺の部屋でも良いけど、他の厨房仲間もいるからね。ここの方が、気を使わなくて良いだろう?」

 首を傾げるシャルに、ハンスは笑う。

「また一緒に暮らそう? 殿下には俺から伝えておくから」
「でも」
「俺と暮らすのは嫌かい?」

 シャルは首を横に振る。

「じゃあ、このおんぼろ小屋に住むのが嫌かい?」
「そんなこと、ない。私が子供の頃に住んでいた家だって」
「じゃあ決まりだ」

 掃除を頼むよ、と言い残して、ハンスは厨房へ戻っていった。
 残されたシャルは、戸惑いつつも小屋の掃除を始める。
 夕食時に戻って来たハンスは、二人分の食事を手にしていた。机代わりの酒樽を囲み、久し振りに二人だけの食事を楽しむ。
 シャルが眠りに就くと、ハンスはこっそり抜け出して、ゼノの部屋へと向かった。
 窓を開けて待っていたゼノは、ハンスの気配を察すると風を呼び、自ら降りてきた。

「何があった? ハンス」

 ハンスの前に降り立つなり、急き込むように尋ねる。
 いつもは共に食事をしていたのに、シャルの食事は用意されなかった。神官の仕事が忙しいのかと、心配しつつも一人で食事を終え、お茶を飲みながらシャルの帰りを待つ。
 だが、いつになっても戻って来る気配がない。
 何かあったのかと執事に尋ねると、

「兄の方から、『今日は戻らない、ゼノ様の許可は頂いている』と伝えられたのですが」

 と、眉をひそめられた。
 否定すればハンスとシャルが咎められる事になるので、そうであったなと頷いたが、内心は不安に充ちていた。

「シャルは無事なのか?」

 つかみがからんばかりに詰め寄るゼノを、ハンスは宥める。

「落ち着いてください、殿下。小鳥ちゃんは無事ですし、もう寝ました」
「そうか、それで何があった?」

 淡々と答えてはいるが、ゼノの興奮は収まってはいない。
 事実を話せば、そのまま飛び出してエリザに危害を加えかねない勢いだ。

「何も。ただ、やはり殿下のお側に置いておくのは、問題が有ると判断しただけです」
「どういう意味だ?」

 常識の範囲で答えるが、ゼノは納得しない。
 ハンスは内心で溜め息を吐いた。ゼノの興奮に引っ張られないよう、気持ちを落ち着かせる。

「殿下、殿下は王族です。そして小鳥ちゃんは、神官宮に勤め出したとはいっても平民です」

 ゼノは眉をひそめた。
 今更、ハンスが身分を持ち出してくることは不自然だ。何かが起こったのだと、不安が胸を焦がす。

「ここに客が訪れることは滅多に有りませんが、皆無ではありません。殿下のように身分に囚われない方は、稀なのです。貴族や神官等が、殿下と小鳥ちゃんのやり取りを目にしたら、どう思うでしょうか? 将軍寮の使用人達の中にさえ、疑問視する者もいるのですよ」
「それは……」

 否定したくとも、ハンスの言っていることは正しい。
 知っていながら今まで見ぬふりをしてきたのだ。シャルと共にいたいがために。 

「殿下のお気持ちは理解しています。けれど、分不相応な待遇は控えるべきです。元々神官長は、兄である俺に小鳥ちゃんを預けました。俺の元に置いておくほうが、自然ではありませんか?」
「ふざけるな」

 膨れ上がった怒気は風を呼び、ハンスの頬を傷付けた。

「シャルを奪うつもりか? ならば、お前でも容赦はせぬ!」

 ハンスは深く息を吐いた。
 ゼノは本気でハンスを疑っているわけではない。冷静であれば、このような言葉は口にしなかっただろう。
 これは子供の癇癪のようなものだ。ゼノはシャルのことに関しては、気持ちの制御が乱れやすい。

「その様なつもりは、毛頭ありません。ただ、殿下の御側に置いておく訳にはいきませんし、かと言って、一人にするのも危険かと」
「シャルは私が守る」

 説明するハンスを遮り、斬りつけるように言葉を発する。
 それでも感情を揺らすことなく、ハンスはゼノと向かい合う。

「そう言って、何度しくじれば気が済むのですか? 気持ちだけで守りきれるほど、世界が甘く無いことは、充分にご存知のはずでは?」
「黙れ!」

 叫んだゼノの声に、ハンスは周囲を警戒した。
 王族であり将軍であるゼノと、一介の菓子職人に過ぎないハンスでは、身分の差が大きすぎる。このように会っている所を、他人に気取られる訳にはいかないのだ。

「その様な事は、言われずとも解っている。それでも私は……」
「殿下」

 ハンスに背を向けると、ゼノは宙に浮き部屋へと戻った。
 しばらくゼノの部屋を見つめていたハンスも、小屋へと帰っていく。
 ゼノは灯りも点けない暗い部屋の中から、ハンスの後ろ姿を見送っていた。
 ハンスが歩いて行く先は、厨房へ戻った彼に与えた使用人部屋の方角ではなく、以前に暮らしていた小屋の方角だった。
 あの小さな小屋に二人で暮らしていると考えると、胸を掻きむしりたい衝動に駆られる。せめて各々に部屋のある、小さな家をと思ったが、使用人のための家を建てるなど、それこそ聞いた事がない。

「何故、王族になど生まれた? 何故……」

 それが贅沢な願いだという自覚はあった。
 少し前迄は、声を聞くことさえできなかった。それより前は、生きているかどうかさえ定かでは無かったのだから。

「傍に居たい。私だけのものにしたい。誰にも触れさせたくなどない。シャル……」

 絶えることなく溢れ出て来る欲望は、自身の醜さを自覚させる。それは彼女を失うかもしれないという恐怖となり、ゼノの精神を蝕んだ。

「シャル」

 胸元に手を置くと、寝巻きの上から胸を掴む。
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