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第8話【デリートマンの葛藤②】

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西武新宿急行線に乗り、小平駅に着いたのが6時50分だった。送ってもらった位置情報だと、駅から徒歩10分程度だったので、7時ちょうどくらいに着きそうだ。
ここへ来る前に、木岡と京子の結婚式の写真があるかもしれないと思い、探してみた。二人が結婚したのなら自分は結婚式に呼ばれてるかもしれないと思ったのだ。
結婚してるなら8年くらい前の写真になるはずだ。スマートフォンにはなかったが、スマートフォンで撮った写真をパソコンに同期して保存するようにしていたので、パソコンの写真管理ソフトに作成されたアルバムを探してみると、あった。
アルバムには幸せそうな二人の写真、また、その二人と一緒に写っている自分、学生時代の先輩、仲間達の姿もあった。写真の日付は8年前になっていた。

(ほんとによかった)

心の中でそう呟いた。二人のこの笑顔が見たくて、自分は人を消したのだ。二人の笑顔をみていると、少しだけ堀越に対する罪悪感が和らいだ。
7時ちょうどに着いた。小さな玄関ポーチがある、立派な一軒家だった。インターホンを押して返事を待つ。

「はーい!」

と元気な声が聞こえてきたので名乗ろうとすると、「ガチャリ」とインターホンが切れた。少しして、玄関のドアが勢いよく開き、

「とものおっちゃーん!」

と叫びながら元気な女の子が玄関ポーチの段差を駆け下り抱きついてきた。この子が美菜ちゃんで間違いないだろう。そして、おれはとものおっちゃんと呼ばれているらしい。

「久しぶりだねぇ、みなちゃん」

「うん!」

「早く来ないかなぁって田坂くんのことずっと待ってたんだよ」

そう言いながら京子も出てきてくれた。

「京子さんお久しぶりです」
「そうだね、でも3ヵ月ぶりくらいだよ」

(昨日、会ってるんですけどね)

と思いながらおれは「はい」と返事をした。
玄関を入ると廊下が伸びており、すぐ左側のドアを開けるとリビングになっていた。リビングに入ると鍋が用意されている。

「今鍋の季節には少し早いけど、日水炊きにしたの。最近太ってきて、ダイエット始めたから今日はダイエットメニューに付き合ってね」

(どこに痩せる必要があるんだ?)

そう思うほど京子のスタイルは相変わらずよかった。あらためて京子を見る。やはりキレイだった。しかし、昨日とは雰囲気が違う。着ている服のせいかもしれないが、昨日は派手さがあった。しかし、今日はどことなく素朴な印象だ。

「10月に入って夜は冷え込むようになりましたもんね。ご飯の用意ありがとうございます。僕、水炊き大好きなんでかえってよかったです。あの、これ」

と言いながら来る前に勝ってきたワインを渡す。京子はワインが好きで、木岡も嫌いでなかった。

「田坂くん、どうしたの今日?いつもそんなの持ってこないのに。あ、初めて来てくれた時は持ってきてくれたか」

(今日が初めてなんですよ)

そう思ったが、言えるはずもない。

「いえ、突然連絡して、突然お邪魔させてもらって、ご飯まで用意してもらってるので」

「なんか、私たちが結婚したての頃の田坂くんみたい。ゆうくんに、お前は弟みたいなもんだから気を使うなっていってるだろ。って言われるよ。きっと。でも、ありがとう」

木岡や京子にそう言われて、ほんとに気をつかわなくなっていったんだ、自分は。今の時点ではちょっと想像できないが、8年も前に結婚してるのだ。8年のうちに慣れ慣れしくなってしまったのかもしれない。

「みなちゃんは今年いくつになるんでしたっけ?」

さきほどから自分にくっついて離れない美菜は、4、5歳くらいに見えた。しかし、よく懐いてくれている。

「今年で5歳。来年から小学生だよ。ほんとに早いよね」

今日が初対面なので、早いとかいう感覚はいっさいない。しかし、「そうですね」と合わせておいた。こういった場合、「もう小学生なのか」と早さに驚くケースが一般的で、「まだ小学生になってなかったのか」と遅さに驚くケースはない気がする。
今年で5歳ということは結婚3年目、京子が31歳のときの子供ということになるが、どう見ても目の前の女性が子供を産んでいるようには見えなかった。

「マーマー、おなかすいたー」

「はいはい。田坂くん、はじめようか。ゆうくんに田坂くん来ること伝えたら、できるだけ早く帰るって言ってたから、そんな遅くならないと思う」

「気を使わせたみたいで悪いです」

「また、らしくないこと言ってる」

そうだった。自分は馴れ馴れしいんだった。気を使わなくなるにはしばらく時間がかかりそうだが、木岡と京子の家庭に、自分が自然と溶け込めれていることが嬉しかった。

(やっぱり、これでよかった。こっちの現実の方が、自分も含め、みんな幸せだ)

「ゆうくんと田坂くん、飲むものが同じだから助かるわ」

京子がそう言ってウィスキーと炭酸水と氷を目の前においてくれる。「せっかくいただいたし」ということで京子もワインを開けていた。

飲みながら、これまでのことを聞いた。
京子からすればおれは知っているはずの内容なので

「なんでそんなこと聞くの?」

とういう反応はあったが、適当にごまかした。

木岡と京子の関係は順調に進み、お互いが28歳のときに結婚したということだった。これは写真の日付で確認できていた。この家だが、京子の妊娠が分かってから、建売り住宅を東京郊外で探し出して見つけたそうだ。
京子は都内がよかったみたいだが、木岡と話をしているうちに、木岡は東京郊外の静かなところを望んでいることがわかったらしい。京子が「都内が良い」というと木岡は必ず都内で家を決めてしまうので、京子も郊外がいいふりをして、今の家に決めたとのことだった。

「ゆうくんとならね、この家での落ち着いた生活がしっくりくると思ったの」

ポツリと言った。本音だろう。木岡との結婚を選んだ時点で、田舎から出てくるときに描いた夢はあきらめたのだ。
家を思っていたより早く決めれたが、京子がつわりなどで体調を崩すことが多かったので、実際に引っ越したのは妊娠が分かってから半年後だったらしい。引越しが終わりバタバタしている中でも京子は仕事を続けていたが、出産の1ヵ月前に仕事を辞めた。
会社からは産休を利用しての仕事復帰も提案されたが、子供と一緒にいたいという京子の思いは強く、産休を使わずに退職したとのことだった。

(そうだ。堀越さんの会社の取材だ)

このときそれを思い出し聞こうと思ったが、この話は詳細までしっかり聞きたかったので、美菜が寝てからにしようと思った。
結婚生活は順調で、木岡に対しては何の不満もなく、自分は幸せだと言っていた。ただ、「幸せだ」というその表情は、本当に満たされているようには見えなかった。

「美菜、眠たくなったね」

みると、美菜がうとうとしていた。

「ねむくないー」

「ちょっと寝かしてくるね。今日いっぱ遊んでもうお風呂も入れてるから、すぐに寝ると思う」

京子が美菜を連れてリビングを出た。
時間は9時を回ったところだった。そこそこ飲んだ気がするが、京子の話に夢中でそんなに酔っていなかった。二人は、自分が思っていた通りに進んでくれていたようだ。話の一つ一つを聞くたび、嬉しくなった。

しかし、京子の「幸せだ」と言ったときの表情が気がかりだった。

何か満たされていないような、何か物足りないような、そんな印象を受けた。そして、田坂にはその原因がわかっていた。
しばらくして京子が戻ってきた。

「早かったですね」

「うん。あの子寝付きよくて、特に疲れてるときはすぐ寝てくれるの」

そう言って向かいに座る。田坂がグラスにワインを注ぐ。

「このワイン美味しいね。飲みすぎちゃう」

「今日はよく飲みますね」

「そうかも。でも、田坂くんとゆっくり飲んだことないよね?こっちくるときは、いつもゆうくんと二人で飲んで、私は蚊帳の外だし。外で会うことなんてないし」

昨日の京子と比較してしまった。確かに、木岡と結婚している京子と飲む機会なんてないはずだ。

「なんとなくです」

「なんとなくか。じゃあ、こっちもなんとなくなんだけど、田坂くん、今日雰少し囲気違うね」

それはそうだろう。同じ人物だが、今の京子が知っているおれとは別人のはずだ。
「どんなふうに違います?」

「なんか、キリっとしてるというか、厳しい感じ。いつもダルダルのゆるゆるだもん」

ひどい言われようだが、そうかもしれない。昨日(正確に言うと今日だが)、人を消してきたのだ。京子の知っている自分と表情が違って当たり前だ。京子の知っている自分は、大した悩みも持たず、毎日お気楽に過ごしていたはずだ。

(でも、京子さんだってそうだ)

昨日と口調は同じでも、話し方が柔らかい。

(やっぱり、木岡さんといる京子さんが、自分の好きな京子さんだ)

ここまで話し、田坂はそう確信した。

「今日はね、ちょっと特別なんです。だから、キリっとしてるのかもしれません」

「よくわからないけど、まあいいや。楽しいし」

それから、京子は木岡が自分に対してどれほど優しいか説明してくれた。けっこう酔っているのか、こちらが聞かなくてもいろいろと話してくれた。

「木岡さん、本当に優しいですね。京子さんも幸せですね」

話を聞いていて、そう思った。京子は幸せなはずだ。

「うん。幸せだよ」

また、あの顔だ。何か満たされていないような顔。

「京子さん、木岡さんに不満はなさそうですけど、何かあるんじゃないですか?何か足りないような、そんな顔してます」

答えはわかっているが、聞いてみる。しばらく京子は考えこんでいたが、少し笑ってこちらを見た。

「田坂くん、やっぱり今日変だね。どうしてかわからないけど、私の考えてることとかわかってるみたいに感じる」

実際にわかっているのだ。

「言わない?」

「はい。絶対に」

「田舎からこっちに出てくるときね、私、絶対に都会で成功してやるって決めて出てきたんだよ。ただ田舎暮らしが嫌で、何となく都会に出ようという人たちとは違って、絶対に都会の人間からも羨まれるような存在になるって決めて出てきた。都会で最高レベルの暮らしをするんだってね。だから、将来の自分をイメージするとき、いつも都会で成功してるエリートの妻になってた。そのためには、それに見合う存在にならないといけい。だから、必死に勉強もしたし、容姿も少しはよくなったと思う」

昨日の京子が頭に浮かんだ。

「でもね、私に男を見る目がなかったのかもしれないけど、理想とするような人に中々出会えなかった。何かを持ってても何かが足りない。そんなことを繰り返してるうちに、私の目指しているものは、とてつもなく難しいことなんじゃないかと思いだしてね。相手に完璧を求めるなら、自分も、もっと完璧じゃないといけないと思うようにもなって。そう思うと、どんどんしんどくなってきてね。そんなときに、ゆうくんと東京で再会したんだよ」

木岡の笑顔が浮かぶ。

「もうね。ほっとしちゃった。安心する感じっていうのかな。東京に出てきて、ゴールに向かってずっと走り続けて、もうすぐだって信じてたゴールが実はまだまだ先で、走る自信がなくなりそうになったとき、もう走らなくていいよ。って言ってくれた気がした。もういいんだ。と思って自然に寄り添っちゃったんだよ」

「そこが京子さんのゴールだったんですよ」

「そう思ってる。いや、思うようにしてるのかな。今幸せっていうのは嘘じゃないよ。でもあのとき、走るのやめないで走り続けていたら、最初に目指したゴールにたどり着けてたら。って考えちゃうことがある」

「エリートの妻になり、都心を見降ろす高層マンションで、何不自由ない生活が送れていたら。と考えてしまう?」

「うん。きっと、あのときこうしてれば。なんて思うことなかったと思う。今が幸せじゃない訳じゃないけど、やっぱりそう思う」

「そうでしょうか?」

「どういうこと?」

「エリートの妻になり、都心を見降ろす高層マンションで、何不自由ない生活が送れていたとしても、それはそれで不満があって、あのときこうしてれば。と思うことはあるんではないでしょうか?」

「そうかな?だって、自分がなりたかった理想だよ。努力して、努力して、理想の自分になれたのに、そんなこと思わないよ」

「僕にはそうは思えません」

「どうしてそう思うの?」

(昨日、今言っている理想を手に入れたあなたが後悔してたからですよ)

そう言えたら楽だが、説明のしようがない。

「結局は、ないものねだりだと思うんですよ。今幸せな生活を送れてるけど、高層マンションで都心を見降ろす景色は見えないから、きっとそう思うんです。だからといって、都心を見降ろしている人たちになんの不満もないかと言えば、そういうわけではないと思います。その人たちの中には、今の京子さんのような平凡な幸せに憧れる人もいると思いますよ」

「そんな人を知ってるみたいな言い方だね」

「はい。知ってます」

「どんな人なの?」

「京子さんに似てますよ。その人はエリートの妻になったんですけどね。夫が自分を愛してくれなかった。別れたいけど、いろんな事情で別れることができない。それでね、その人こんなふうに言ってました。
『私は、バカだな。東京でなりたかった自分になれて、大切なことに気づいたけど、もうどうしようもない』
って。その人が言う大切なことって、今の京子さんが感じてるような幸せだと思うんです」

「そうなんだ。やっぱり、その場所からでないと見えないこととか、感じれないことってあるのかもしれないね。機会があったら、その人に会ってみたいな」

「わかりました。伝えておきますね」

(本人が本人にどうやって会うんだよ)

適当なこと言ってるなと自分で思い、笑いそうになった。
ただ、エリートの妻になった京子には、これから違った未来があったかもしれない。堀越との電話の内容が気になったが、考えないようにした。今の京子の方が絶対幸せなんだと信じた。

「京子さん、今の幸せを選んだ選択は絶対に間違ってません」

「うん。私もそう信じてる」

「セレブな京子さんより、今の京子さんの方が素敵ですよ」

「え?どういうこと?」

「いや、きっとそうだろうと思っただけです」

「やっぱり、今日の田坂くん変だ」

そう言って京子が笑う。

「はい。僕もそう思います」

おれも笑った。そのとき、玄関の開く音がした。

「あ、ゆうくん帰ってきた!」

(木岡さん帰ってきた)

「木岡さん!!」

そう叫び玄関へ駆けだしていた。

(木岡さんに会える)

そう思うと、いてもたってもいられなかった。

「ちょっと田坂くん、待ってればすぐ…」

くるよ。と京子が言い終わらないうちに、おれはリビングのドアを開けていた。
慌てふためくおれの背中をみて、京子は笑っていた。
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