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第24話【デリートマンの決断①】

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「おつかれだったな。田坂。よくやってくれた。大阪の成瀬課長もお前に感謝してたぞ。感謝しすぎて、『田坂を大阪にください』とまで言われたが、それは丁重にお断りした。お前にはまだまだこっちでやってもらうことがたくさんあるからな」

国重がニヤッと笑う。

「国重部長、大変だったんですよ。大阪。少し、楽させてくださいよ」

ほんとに大変だったのだ。まあ、大変だったのは仕事以外の部分だが。

東京に戻ってきて初めての週末、国重が飲み会を開いてくれた。メンバーは上司の国重、先輩の新藤、後輩の小島と事務のゆきちゃん。よく飲みにいくお馴染みのメンバーで、会社近くの飲み屋にきていた。

「おいおい田坂。国重部長に楽させてとは何事だ!仮に国重部長が甘やかせても、オレは甘やかさんからな!」

新藤が声を荒げる。

「新藤さん、何怒ってるんですか?優しくしてくださいよ」

「ダメだ!こっちもお前がいない間、大変だったんだぞ!」

「そんなに大変だったんですか?」

「そうだ、お前がいない間、オレはなぁ…」

新藤が遠くを見る。

「オレはなぁ……」

(大変だったみたいだな…)

「新藤さん、迷惑かけたみたいですみませんでした」

「いや、迷惑っていうかなぁ、寂しかったんだよバカ野郎!田坂ぁ、おまえ帰ってくるの遅いよー」

それを聞いた小島が笑いながら言う。

「田坂さん、ほんと新藤さんね、飲みに行って酔っぱらうといつも『田坂はいつ帰ってくるんだ?いつだ?』って連呼してましたよ。今日は嬉しいのか、いつもより酔っぱらうの早いや。田坂さん、超愛されてますね」

一瞬でも迷惑かけて申し訳ないという気持ちになったことを後悔したが、正直なところ、好きな先輩にそう言ってもらえて悪い気はしなかった。

「遅くなってすみませんでした」

「ほんとだよ!国重部長、もう田坂出したらダメですよ!次何かあっても、違う人選でお願いしますよ!」

新藤はかなり出来上がっているようだ。

「新藤、わかったよ。でも、お前の田坂愛は凄いな」

「ほんと、ちょっと気持ち悪いですよね」

新藤のとなりに座っていたゆきちゃんが、新藤との距離を開けるように少し移動する。

「別にいいんだよ!みんなに気持ち悪がられても!田坂が帰ってきて嬉しいもんは嬉しいんだよ!なぁ、田坂、おまえも久しぶりにオレと飲めて嬉しいだろ!」

「いえ、気持ち悪いです」

新藤以外のメンバーが爆笑する。

大阪支店の空気も悪くなかったが、このメンバーが作り出す空気も好きだ。しかし、上司がグッチーこと藤木だったときは、飲み会の席でもこんな和やかになることはなかった。とにかく負の空気に覆われていたのだ。それを思うと、改めて国重の凄さを実感する。上司が素晴らしい人間なら、仕事の業績でなく、飲み会の空気までもが前向きに変わるのだ。

「国重部長は、やっぱり凄いですね」

そんなことを考えていたら、自然と口から言葉が出ていた。

「どうした田坂?唐突に」

「いやだって、前の藤木さんの時は、今の状況とはすべてが変わっ…」

しまった…藤木は存在しないのだった。この人たち、いや、おれ以外のすべての人にとっては藤木という人間は元々この世に存在しない。藤木がいた世界といない世界を比較できるのは、おれだけだった。

「いえ、すみません…なんでもないです」

いや…違う……、おれだけじゃない。

あいつらがいる。というより、あいつらの方がしっかりと比較して評価しているはずだ。あの、デリートサイトを作ったやつらの方が。

「田坂さん、今もそうですけど、こっち戻ってきてから何かこう、変ですよね。いや、変というか、どこか雰囲気が変ったというか…どことなく上の空でいることもあれば、集中してるとき凄く険しい顔するときもあるし…私、ドキっとすることありますもん」

「出た!ゆきちゃんの愛の告白。新藤さんVSゆきちゃんや」

小島は笑っていたが、ゆきちゃんは真顔だった。

「小島くん、ドキッとするって、そういう感じでなくて、なんていうか…」

そのとき、不意に声をかけられた。

「あ、国重部長、お疲れ様です。今日はこちらでしたか」

声をかけてきたのは開発部の飯塚課長だった。飯塚の後ろに開発部の人間が何人かいた。

「飯塚課長、お疲れ様です。ええ。今日は、田坂が大阪から戻ってきましたので、久しぶりに飲もかということになりまして」

「そうでしたか。うちの会社近くだと、この店が一番美味いですから、ここになりますよね。田坂の活躍は開発部にも聞こえてきてますよ」

飯塚がこっちを見てくる。

「田坂、大阪では大活躍だったみたいだな。部署は違うが同じ本社の人間として、僕も嬉しく思うよ」

その言い方がなぜか癇にさわった。

「はあ、ありがとうございます」

「開発部も負けないように頑張るよ。今、営業が力を入れて売ってくれている商品、開発の遅れを取り戻すために開発部も全力でやってるんだ」

(なんだと?開発が遅れてる?)

今、営業部は新しいシステム製品の販売に力を入れていて、お客さんの反応もまずまず。この感触だとそこそこの注文が取れそうだと思っていたが、「リリースが遅れます」では話にならない。感触の良いお客さんには具体的にリリースの日を告げているのだ。

「国重部長、開発が遅れるって?」

「ああ、開発部の方からそういう報告を受けていたが、お前達にはまだ言ってなかったんだ。遅れが決定した訳ではなくて可能性が出てきた段階だからな。でも、おれは杞憂に終わると思ってるよ。きっと、飯塚課長が遅れを取り戻してくれる」

「田坂、僕らも力いっぱいやっている。そのために今日は美味い酒を飲んで英気を養おうと思ってるんだ」

その言葉で何かがはじけた。

「じゃあ」

と去っていこうとする飯塚の背中に

「待ってください!」

と投げつけた。

「田坂、どうした?」

国重が心配そうにするが、関係ない。どうしても理解できない。

「飯塚さん、あなた、遅れを取り戻すんでしょ?じゃあなぜ今ここで飲むんですか?そんな時間があるなら、すぐに会社に戻って仕事をするべきだ」

「田坂!」

「国重部長、僕は間違ってない。飯塚さんの言っていることには合理性のかけらもない。酒を飲んで仕事が進むなら是非そうしてほしいですが、そんなはずありませんよね。こんなところでお会いして、『すみません、やっぱり開発間に合いませんでいた』なんて、いよいよになって言われたら、納得なんてできませんよ」

「田坂、すまん。確かにお前の言う通りだが…」

「田坂!いい加減にしろ!飯塚課長、すみません。どうか、お気になさらないでください。開発部のみなさまの頑張りは、営業もよくわかっております。田坂も今日は悪酔いしているようで、本当に申し訳ない」

「飯塚課長、私からも謝ります」

「新藤…」

「飯塚課長が毎日遅くまで残業されていることも、休日に会社へ出てきて、会社からお子さんへ『遊びに行けずにごめん』という電話をしていることも、私は知っています。どうか、田坂の発言は気にせず、今日は楽しまれてください」

「国重部長、ありがとうございます。新藤もありがとう。田坂、確かにお前の言う通りだと思う。開発が遅れているのにほんとにすまない。でも、頑張っているメンバーにも息抜きが必要なんだ。みんな、僕が頑張っていると帰らずに一緒になって頑張るんだよ。だから、今日はみんなのために早く切り上げたんだ。わかってくれるとありがたい…」

飯塚が頭を下げ、その場を去っていった。


「田坂、どうした?お前らしくないじゃないか」

「新藤さん…」

「田坂、お前、間違ってるぞ。わかるな?」

「国重部長…」

「確かに、もし明日の朝締め切りの仕事があって、それが終わってないのに今日飲みに来ていたなら、おれもそれは間違っていると思う。でも、今回の新製品リリースはまだ半年先だ」

そうだ。まだリリースまでには時間がある。

「田坂、お前、半年間も走り続けられるか?ずっと全力でだぞ?そんなの、人間である限り無理だよ。最高のパフォーマンスを発揮するためには、休みや息抜きも重要だ。なにより田坂、それはお前がよく言っていたことじゃないか」

そうだ。その通りだ。

「田坂さん、僕が遅くまで残業してると怒るじゃないですか。こんな時間に仕事しても良い仕事なんかできないぞ。って。早く帰って美味い酒でも飲んで休め。って。田坂さん、いつも言ってくれたじゃないですか。どうしてあんなこと…」

小島…、そうだ。おれはいつもそう言っていた。そう思っていた。

(どうして…オレはあんなひどいことを…)

「私、わかりました」

ゆきちゃんがぽつりと言った。

「ドキッとしたっていうより、田坂さんを怖いと思ったんです。今、飯塚課長に話してるときの田坂さん、怖かった、さっきの顔です。私が言ってたの、さっきの田坂さんです」

(おれが…おれでなくなる)

人を消し、思い出を消していく度、そんな感じは漠然としていた。でも気のせいではない。やはり、おれはおれでなくなっていくようだ。

(おれは、いつまでまともなおれでいれるのかな…)

「国重部長、新藤さん、小島、ゆきちゃん、今日はほんとにすみませんでした」

みんなに頭を下げた。

「まあ、酔い方がちょっと悪かったんだろう。もういつもの田坂だ。ね、国重部長」

新藤さん、相変わらず優しい先輩だ。

「ああ。田坂、でもきちっと、さっきの発言に対しては…」

「わかっています」

国重の言葉を遮って言い、立ち上がる。そして、開発部が案内された個室へ向かった。



「飯塚課長、開発部のみなさま。さきほどは、本当に申し訳ございませんでした」

個室のドアを開け深々と頭を下げた。

「田坂、いいんだ。お前の言うことも間違いじゃない」

「いえ、間違っておりました。どうか、お許しください」

「田坂…もういいよ」

飯塚がほほ笑んでくれた。

「さっきも言ったが、大阪での活躍を聞いて、部署は違うが僕も嬉しくなったんだ。なんというか、お前のこと、気に入ってたんだよ。だから、正直さっきはこたえたよ」

この人は、おれの話でほんとに喜んでくれていたのに、なぜあのときは癇にさわったのだろう。今なら、その言葉を聞いてありがたいと思えるのに。

「申し訳ございませんでした」

「いや、いいんだよ。こうして頭を下げにきてくれた。今のお前を見てると僕の知ってる田坂なんだけど、さっきは別人かと思ってしまったよ。ごめんな、おかしなこと言って」

いや、おかしくない。飯塚の言うことはきっと間違いじゃない。

「今後、さきほどのようなことがないよう気をつけます。ほんとに申し訳ございませんでした」

「うん。わかった。もう顔をあげてくれ。お互い、力を合わせて新製品を成功させような」

「はい。今後ともよろしくお願い致します」

もう一度頭を下げ、自分の席へ戻った。

席へ戻ってからはみんな、さっきのことがなかったかのように接してくれた。そのおかげで、美味しいお酒が飲めた。

「じゃあ、今日はこのへんでお開きにしよう。今日は田坂が戻ってきた祝いだ。おれがもつよ」

「いや!それは悪いで…」

「国重部長!ごちそうさまです!」

断ろうとしたが、小島に邪魔をされた。この男、もともと払う気がなかったに違いな。結局、ここは国重が御馳走してくれることになった。

「ありがとうございます。結局、御馳走になってしまって申し訳ない」

「ん?礼には及ばんぞ。その分しっかり働いてもらうからな」

ポンポンと国重に肩をたたかれる。

「田坂、今日の分はいつもの業務に上乗せして働かないとな」

「はい。頑張りますけど、新藤さんもですよ。だって、新藤さんも部長に御馳走になってるんだから」

「あ!そうだった…もちろん、頑張りますとも!」

「みんな、しっかり頼むぞ」

各々に返事をした。ほんとに良い部署だと思った。この人達と一緒に働くために、もうこれ以上自分を壊したくないと思った。

でも、もう遅いのかもしれない。確実に消えた思い出の分は壊れているし、この先、思い出を消さなくても、おれは壊れていくのかもしれない。

(今のうちに、まだみんなが知っているおれのうちに、この温かい人たちを目に焼き付けておかないといけない)

そんな気がして、おれはみんなの顔を見つめた。



最寄りの駅を下りて家に向かっている途中、スマートフォンが着信を知らせた。ようこからだった。

「もしもし」

「ともくーん!飲み会終わったー?楽しかったー?」

いつもの調子だ。

「うん。さっき終わって帰ってるとこ。楽しかったよ」

「わたしも行きたかったなー。今度会社の飲み会にもいくー」

変わらないな。この子は。きっと、結婚してもずっとこの子のままで、ずっとオレのことを好きでいてくれるんだろう。もし、おれが変わらなければ…

「ようこ、おれのことが嫌いになったら、言うてな」

「は?なるわけないじゃん」

「たとえばの話。そうなるかもしれへんやん」

「ならないよ。ともくんが豹変でもしないかぎり」

心にチクっとささった。

「それを教えてほしい。おれが、もしおれでなくなったら、教えてほしい」

「なに?どういうこと?言ってることがよくわかりませーん!」

「はい、じゃあ今のは気にしなくていいです」

「そうしまーす」

よく考えたら、聞くまでもない。

この子の心が離れたとき。それはすなわち、おれがおれでなくなったときだ。

できれば、もう人は消したくない。でも、消さないといけない状況が出てくるかもしれない。そのとき、おれは、自分が壊れるほうを選ぶ気がする。思い出を消して、人を消す気がする。

しかしそれを続ければ、おれはどうなるのだろう。周りの世界はどうなっているんだろう。おれは、何人を消しているんだろう。おれは…

「ともくん!人の話ちゃんときいてる?」

おれは…きっと完全に壊れてしまっているんだろう。

「ともくん!」

「ようこ、おれ、お前のことが大好き」

「え?」

言えるうちに、言っておかないと。明日、今と同じおれでいれる保証はどこにもない。

「だから、お前のことが大好きやねん」

「どうしたの?普段、絶対言わないじゃん。そんなこと」

「これからは、言おうと思って」

「嬉しい!!じゃあ、毎日言って!!」

「ええよ」

この気持ちがある限り、言ってあげよう。壊れるのが運命かもしれない。だったら、おれが壊れるその日まで、毎日でも言ってあげよう

「じゃあ、もう一回言って」

「は?」

「1日1回ってルール、どこにもないでしょ?だから、もう一回」

好きだと言ったすぐ後なのでとても申し訳ない気がしたが、おれはすぐに『1日1回』というルールを付け加えさせてもらった。
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