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第一章

ぼくがであうふたりめのひと

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 少女は不躾にも、名乗りもしなかった。
 いや、少女かどうかは正直に言ってわからない。背恰好が低く、声が少女特有のそれを残すものだったので、ユウキが勝手に判断したに過ぎない。そもそもユウキにとって、少女の声質はそもそも同年代のそれに感じた。
 少女は自己紹介も、それどころか状況説明もせず、ただ「助けて下さい」とだけ言って、頭を下げた。ユウキが戸惑っていると、地べたに座って土下座でもしかねない勢いで、サラリーマンも真っ青な頭の下げ方をして見せた。

「何でもします!」
「おちつ――」
「私の命でも体でも!何もかもを差し出します!」
「だからおち――」
「お願いします!お願いします!お願い、助けて!!」

 早口に、ユウキに話す隙すら与えもせず、少女はひたすらに懇願だけを繰り返す。
 声が毅然としたそれから、涙声に変わるのを聞いた。

「落ち着いて、落ち着いて助けるから!」

 言ってしまってから、ユウキは少女の肩を掴む。
 ユウキに助ける力があるかどうかなどわからない。というかほとんど助ける力などないだろう。
 安請け合いなのはわかっているが、状況を見ないことにはどうにもならない――いや、きっと見たところでどうにかなるものでもないのだろうが。



 少女の案内で――とは言ってもほとんど一直線に走っただけだが――ようやく辿り着くと、すでにことは終わっているかに見えた。
「ごしゅ……様」
 少女が、そこに横たわる男を呼んだ。名前は聞こえなかったが、少女が男の横に膝を付くと、かすかに、だが確かに呻く声が聞こえた。生きている。
 ユウキもそちらに近付くと、少女が男から身を離す。
 足元で何かを踏んだ音が聞こえ、嫌な感触が足に伝わったので、思わずスマホのライトを向け、瞬間ユウキは後悔した。
 血に似た、青い液体。それが足元に転がる「それ」の体液であることに気付き顔を顰めるが、すぐに顔を背けた。

「……大丈夫ですか」
「くく、済まないな。どうやら手遅れのようだ」

 冗談が言えるようなら大丈夫なのだろう、と判断する。
「いくつかの頼みがある。……聞いてくれるか、ホビットの少年」
 ホビット、と言われて「ん?」と思わず声を上げる。
 ドワーフなんだけどな、などと考えているとステータス画面詳細がひとつ開いた。

【ホビット/特殊氏族】
 ドワーフの中でも平和を望む小さき者。
 指先は数あるドワーフの中でも特に器用。
 通常のドワーフとは違い、ヒゲが足の裏に生える。

 あぁなるほど、道理で何か足りないと思った、とユウキは納得した。
 ヒゲだ。ドワーフなのに、ユウキにはヒゲが見当たらないのだ。

「……俺はもうすぐ死ぬだろう。この死に際の男の最期の願いを聞いてもらえないか」

 ユウキの「ん?」を違う意味に捉えたのか、男は言葉を変えて繰り返すのを聞いて、ユウキは思わず苦笑する。
「死に際なんて縁起でもない。僕が肩を貸すから――」
「……いいや、済まないな。……この通り、俺はもうダメだ」
 言いつつ捲られた男の左半身をライトで照らし、――ユウキは思わず絶句した。

 腕が、ない。
 さらに、脇腹に大きな傷がある。獣にでも齧られたのか、はっきりと歯形だとわかる形の。

 応急処置を、と考えてライトを向けつつ傷を抑える。
 少し男が呻くが、死ぬよりはマシだろうし我慢してほしい。手早く男の服の裾を、傷より上に縛り付ける。傷よりも縛ったところが心臓に近ければ、血液が流れるのを少しは防げるだろう。
 あとは、あとは。あぁこんなことなら、もっと真剣に保健の授業を聞いておくべきだった。

「無駄だよ、ホビット。俺はもう、血を流し過ぎた」
「諦めないで。僕は人が死ぬところなんか見たくない」

 何かないのか。彼を助けられる何か……と考えていると、少女が男の傍らに座り、両手を傷口に掲げた。

光よ応えよLight,respond.大気よ応えよAir,respond.ニーナが命じるNeener order.彼に治癒の祝福をblessings of healing for him.

 少女の手が光を発するのを見て、ユウキは少しだけ驚いた顔を見せた。
 当たり前と言えば当たり前か。ラノベなどで知識として知ってはいても、魔法なんて初めて目にするものなのだから。

「死なせません」
「無駄だと言った」
「いいえ、……いいえ、それでも死なせません」
「――ッチ」

 舌打ちするなり、男は上半身に力を込めた。男の腕の傷から、尋常ではない量の血が噴き出すのを見て、ユウキは慌ててその体を押し戻す。
「動かないで!」
「うるせぇよ、この馬鹿野郎どもが」
 しかし男はそれをやめようとしない。すでに男は死を悟っているのだから。
「わかった、わかりました!話を聞きます!だから動かないで!」
 ユウキの言葉に折れてくれたのか、最初からそのつもりだったのか。男はニヤリと笑い、ようやく力を抜いた。

「頼みは、3つある」

 男が、少しだけ吸い込んだ息を飲み込んで、ユウキの腕を取った。
「1つ目は、俺の妹だ。……俺の死を、伝えてくれ」
 妹。
 その人物を知らないが、伝えるだけなら大丈夫だろう。ユーキはこくりと頷いて見せる。
「2つ目は、そいつだ。……俺の死後、お前に譲ろう」
「ご主人様!」
「……譲、る?」
 あまりと言えばあまりな言葉に、少女を見やる。ひどく辛そうな顔で、ひどく泣きそうな顔で、少女は治癒魔法の光を当てながら、その傷口を睨む。

「――あぁスマン。ホビットにはなかったんだったか、奴隷制度は」

 奴隷制度。その言葉ひとつで理解するユウキ。
「解放はできないのですか」
「放逐はできるが、……本人に自由を与えてしまうからな」
「……自由ではいけませんか」
 奴隷と聞くと、どうしても抵抗があるのは、ユウキが現代日本人だからか。この世界で奴隷制度がどのようなものかもわからないのに、簡単に受け取ってしまえるものでもない。

「お前は、そいつに『自由に死ぬ権利』を与えたいか」
「――ッ」

 驚いて少女を見ると、少女の目の端に光るものが見えた。
 治癒魔法の光で揺れる光に、ユウキは気付く。
 きっと、少女にとってこの男は、とてもいい主人であったのだろう、と。

「――わかり、ました」
「ッッ!」

 射殺さんばかりの視線で少女に睨まれるが、ユウキは苦笑でその視線を流す。
 その様子に、男も同じく苦笑を向けて、最後にもう一度ユウキに真剣な顔を向ける。
「3つ目の願いだ。俺の腰に短刀がある」
 男はそこで、ひと呼吸を置いた。
 まるでその頼みごとが、男の肉親にユウキが死を伝えることよりも、奴隷に恨まれながらもユウキが奴隷を引き継ぐことよりも、頼みにくいことであるかのように。

「俺を、殺せ」

 ユウキも少女も、ふたりともが息を飲んだ。
 まるで何を言われたのかを理解できないかのように、その言葉を頭の中で反芻させる。
「な、にを……」
「殺してくれ。この俺を」
「何を言っているんです」
 男は、ユウキの反応を知っていたかのように苦笑しつつ、息を吸い込んで僅かに呻く。
「……いいか、ホビット。お前が殺せないと言うのなら」
 少しだけ躊躇うように、男は言葉を止める。
 言葉を選ぼうとしたのだろうか。それともただ言いにくかっただけなのだろうか。

「――お前の代わりに、その役をそこの奴隷がやることになるぞ」
「――ッ!?」

 思わず再び少女に視線を向けると、少女は目を見開いて男を見ていた。
「ふざけ、自分が何を言っているのかわかっているんですか!?」
「あぁ、至極本気で、真っ当に理解しつつ、最期の願いとしてお前に頼んでいる」
「――だとしたら狂ってる!狂ってるよアンタ!」
 ユウキは思わず立ち上がった。それを男は冷めた目で追う。

「いいや違う。理由はちゃんとある」

 そこまでを言い切ってから、男の口から何かが流れた。
 それと同時に男が咳込み、さっき流れた以上の何かが鉄の匂いを振り撒いた。
 男が言った通り、理由はある。理由はあるが、男がそれを話すことはできない。話すことができない理由もまた、男の中には存在するからだ。別の言い訳を考える暇も、もはや男には存在しない。

「頼む。そこの奴隷には、出来ればやらせたくはない」
「……でも」
「時間がないのだ。男として頼んでいるのだ。男としてお前を見込んでいるのだ」

 言葉に詰まる。
 ユウキにはすでに何となくわかっている。
 この男は本気なのだ。どこまでもどこまでも本気なのだ。

「頼む。俺を殺してくれ」

 男の声が僅かに揺れた。
 たったそれだけで、ユウキは悟る。
 男の腰にある剣を抜き、念のためそれを調べる。

<黒裂>
[ステータス]
 系列:短刀
 攻撃:40
 属性:地
 武器レベル:3
 質:良
 耐久:21/80
 特殊能力:最大MP+100

[説明]
 黒オウゴルで作られた、黒い刃を持つ短刀。
 とあるダークエルフの谷にて採掘された鉱石が利用されており、魔力を含んでいる。

「さぁ、やれ」
「――ッ」
 一瞬逃避しかけた心を、男の声が現実に引き戻した。

「待って下さい、……待って!」
「ニーナ。我儘を言うな。……今まで世話になったな」

 たったそれだけの言葉で、少女の表情はあっという間に崩壊した。
 堪えていた涙が頬を伝い、それでも男から顔を背けまいと、溜まる涙をまばたきで押し流す。
 治癒の光は不安定に明滅し、今にも消えそうだ。

「――名も知らぬ、俺のために泣いてくれると言うのか、お前は」

 気付けば、ユウキの目からも涙が流れていた。
 違う。男は誤解している。ユウキの目から流れる涙は利己的な何かだ。
 だが、それを伝えることはユウキにはできなかった。
「最期の時に出会えたのがお前で良かった」
 男の顔が幸せそうだったから。
 男の顔が、ユウキをじっと見つめていたから。
「俺を殺すのが、俺のために泣いてくれるお前で良かった」
 男の声が再び震える。
 その目の左右から、幾筋もの涙が流れる。

「さらばだ、最期の友よ。我が生に終止符を」

 ユウキは、男に抱き縋るように、心臓に<黒裂>を突き立てた。
 嫌な手応え。嫌な感触。
 男が望んだとはいえ、できればもう二度と、こんな感触を味わいたくは、ない。
 この世界で、そんな都合のいいユウキの願いが叶えられることなど、ありはしないのだが。

「あぁ、……あぁ俺は幸せ者だ。神に感謝を。世界に感謝を。俺はこの生を、忘れ、ない……」

 その言葉を言い終えるとともに、男の手は力を失い、地面に落ちて草を鳴らした。
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