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25・痛み

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 お披露目を兼ねた婚姻式が近づくと、周囲がにわかに慌ただしくなっていく。
 それが仕方のないことなのは理解していたし、何を思う所もない。
 子供が成ったこともあって、可能な限り、リア様が側にいてくれるというのもあった。
 きっと、だからというのもあっただろう。
 時折、ほんの短時間ではあるけれど、僕のそばに、女官や侍女、侍従、あるいは護衛役の兵士なども含めて、人が一人、ないし二人しかいないなどと言うことが起き始めたのである。
 僕が、現状ほとんど動けないこともそれに拍車をかけていた。
 それまで僅かなり、熟せていた仕事が出来なくなったのはもちろんのこと、婚姻式の準備さえ、碌に関わることが出来ず、必然的に周囲の慌ただしさは増していくばかり。
 リア様がそれまで以上、僕に寄り添ってくれているとは言っても、リア様にだってお仕事がある。
 本当に正しく離れずにいられるわけではなくて。
 僕はリア様がいらっしゃらない時には出来るだけ体を休めるようにはしていたのだけれど、起き上がれそうであれば、常に熱を帯びたように重怠い体を動かして、せめてと、居間のようにして使っている部屋まで移動することがあった。
 とは言っても、ソファに身を預けることぐらいしか出来ず、寝台よりはと、そこで食事を摂るぐらいではあったのだけれど。
 あれ? と思ったのはすぐだった。
 否、流石に気付かないわけがなかったと言った方がいいだろうか。

「随分と億劫そうでおられますわね。甘えがお有りになるのかしら」

 ちくり、小さな声で。否、僕にだけ届くように、そっとそんなことを囁かれたのだ。
 ちらと確かめた相手は思い出せば一番初め、僕を執務室まで案内してくれた、冷たい印象を受けた女官で、いつも、一番僕の側にいてくれることの多いケーシャではなく、表情だってにこやかとは程遠い。
 真面目そうと言えばいいのか、不愛想と言えば良いのか。ただ、その女官がにこやかであったことなどこれまで一度としてなく、だから彼女の様子自体が不自然であったわけでもなく、だけど。

(今、嫌味を言われた、のかな、僕……)

 と、思わざるを得ない程度に、その声音には棘が含まれているように感じられた。
 一度だけならば、僕も気のせいだろうかと流しただろう、だけどそんなことが幾度もあり、しかもその女官は、

「呼ばれているわよ。ここはいいから、貴女、行ってきなさい」

 などと、他の侍女や侍従を遠ざけては、僕の側に残りたがったのである。
 ケーシャはその女官のことを、

「少しばかり愛想はありませんけど、仕事ぶりの真面目な方です」

 と称していたし、僕もそう思っていた。
 少なくともこれまでは、そんな印象から逸脱することはなかったのだ。なのに。

「お生まれが卑しいから、怠惰でいらっしゃいますのね」

 だとか、

「閨以外に取り柄をお持ちでいらっしゃらないのだわ……」

 だとかまで、呟かれる、それらは決まって、女官以外に誰も傍にいない時で。
 そう言えば、と僕は気付いた。
 王妃となってから、僕の周りにこれほどまでに人がいなくなることはなかったな、と。
 そもそも、彼女はあくまでも女官で、女官とはつまり、実際に僕の身の回りの世話を担うのが役目ではない。それらは主に侍女、あるいは侍従の仕事であり、女官となればどちらかというと彼らを統括したり、指示したりする立場にあった。
 勿論、状況にもよるので必ずしもではないのだけれど。
 また、王宮の女官ともなると、爵位のある家の出身であることが多く、場合によっては伯爵家か、侯爵家出身であることさえあった。
 件の女官も伯爵家の出であったはずで、だから本来であれば、いくら人手が足りないからと言って、彼女1人が僕の側に残ることそのものが不自然と言えば不自然で、かと言って皆が忙しくしているのは確かであるが故、あり得ないという程でもなく、特に侍女や侍従などは、彼女にそう指示されたならば従わざるを得ず。加えて、そんな風に彼女以外がいないような状況もごく短い時間だからか、誰かに見咎められるようなことさえ、ないようなのだった。
 リア様に、あるいはケーシャにでも相談しようかとは思った。
 だけど、彼女の言うことは、言い方はともかく間違っているというほどではなく。

(確かに、僕の状況が状況とは言え、怠惰だと言えば怠惰だし、甘えてるつもりはないけれど、そういう所があって、見透かされているのかもしれない。僕が元は子爵家の生まれで、そうなると伯爵家出身の彼女からすると、身分が下となるのも事実だ)

 元々、身分が下であった僕に仕えることそのものを、面白く思っていなかったのかもしれないとも思い至る。
 それでもこれまでは、仕事をしたりだとかしていてそこまでは思わなかったけれど、今は臥せるか、リア様と共に過ごすかばかりで何も出来ていない。だからこそ不満を感じているのか。
 そう考えると、彼女の愚痴めいた呟きぐらいは、甘んじて受け入れてもいいような気がして。だから僕は、敢えて聞こえないふりで、彼女に何も返さないことにした。
 ちくちくと彼女の呟きを耳にする度、痛む胸には気づかないふりで。

(煩わせるべきじゃない。今は皆、忙しいから……)

 僕はただ、必死に自分で自分に、そう言い聞かせたのだった。
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