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00-2・初恋

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 僕は、本当は昔からリア様に憧れていた。
 僕がリア様に初めて会ったのは、ティネ殿下の婚約者に決まる前。5つとか6つとかの、ほんの幼い時のことだ。
 だけど別にその時から憧れていたわけではない。
 否、もしかしたら惹かれていたかもしれないけれど、明確に自分の気持ちを自覚したのはもっと後。
 だって小さかったから。どきどきと胸が高鳴ったけれど、あまりに小さすぎて。
 だから、明確な自覚は、陛下が、すでに陛下となってからのことだった。
 ティネ殿下は、婚約者となった10年以上前、まだ幼い頃――……僕が幼年学校に入るか入らないかの年の頃からだから、7つだとか8つだとかそれぐらいの頃からだっただろうか。そんな頃から、僕と近しく過ごして下さることなど全くなかった。
 子供であったティネ殿下は、

「なんだお前、俺の前に立つな、ナマイキだな」

 だとか、よくわからないことを言ってきたり、

「お前、オレの『婚約者』なんだそうだな? だったらオレの言うことは全部きけよ」

 と言い放ち、無理難題を押し付けてきたりなどした。
 ちなみにその際の云いつけは、ティネ殿下の与えられていた課題を代わりに熟せなどと言うようなもので、僕はそれはティネ殿下のものだからと当たり前に断って、機嫌を損ねたりするような有り様だったのを覚えている。他にも色々とあったとは思うのだが、細かくは覚えていないけれど。
 僕は僕で、身分だとかそういう色々なことをまだよく理解しきれてはおらず、婚約者で王太子殿下だからと言って、何でも言う通りにしていればいいというように教えられていたわけでもなく、加えてそれまで育ってきた両親や兄弟のいる子爵家からユナフィア侯爵家の養子となって、馴染みきれていなかったのもあり、余裕がなくて。今思うと確かに、殿下からすると随分と生意気な態度を取っていたのではないかと思う。
 そんな風であったからか、月に一度は顔を合わせるようにしていたにもかかわらず、僕と殿下は全く仲良くなんてなくて。それよりも優先しなければならないと課せられていた王太子妃教育に忙しく、そもそも仲良くならなければいけないとすら思わず。
 ティネ殿下のご両親が亡くなられて、リア様が陛下となられてからも、僕とティネ殿下の中は、大きく変わるようなことがなかった。
 同じ王宮内でそれぞれ教育を施されているはずなのに、時間など全く共有したりしない。
 そこにいったい誰の思惑・・・・が働いていたのかまでは全くわからないけれど、そうして数年間を過ごし、あれはいつの頃のことだっただろうか。
 今からだときっと6、7年前。12か13ぐらいの時のことだ。
 その頃には僕はとっくに、ティネ殿下と関わろうなどと思わなくなっていた。
 否、元から仲良くならなければなどと考えていた覚えもないのだけれど。
 それで、月に一度の顔合わせを何度目か、すっぽかされたんだったように思う。
 おまけに、代わりのよう、ティネ殿下の『お友達』だとかいう見たことがあるようなないような人たちが来て、頭から紅茶をかけられたのだ。
 4、5人ほどだろうか、皆、僕より下の子供ばかり。

「はは! 殿下に取り入ろうとする浅ましい下級貴族にはそういう姿がお似合いだな!」

 などと囃し立てられても、僕はわけがわからなくてきょとんと眼を瞬かせることしか出来なかった。
 だって初めて会う子供たちに、突然、だったのだ。
 その後もいろいろ言っていたけれど、よく覚えていないし、周りにいた侍女とか侍従とか女官、あるいは兵士も誰も誰にも何かを言うようなことがなかった。
 見て見ぬふりとでも言えばいいのか、子供達を咎めることもなければ、僕にハンカチ一枚寄越す様子もない。
 でも、そもそも王宮の人達はいつも淡々としていて、事務的とでも言えばいいのか、親切にされた覚えがなく、だから特にそれに何かを思うこともなく、ただ、どう対処すればいいのかがわからず、戸惑うばかりだった。
 こういう時は、どういう態度を取ればいいのだったか。確かマナーの授業だとかの時に習ったような気がする。などと思考を巡らしながらも、彼らに囃し立てられるまま、何も返せずにいた僕に、声をかけてくれたのが陛下だった。

「何をしている」

 一言だ。
 たった一言。近づいてきて、そう告げただけ。
 だけど、その一言で、

「あっ……! やべっ……」

 などと口々に言いながら、子供たちは走り去っていってしまって。

「おい、待て!」

 という、陛下の制止にも立ち止まる様子がない後ろ姿を、僕は呆れながら見送った。
 だって国王陛下からの制止なのだ。
 それでなくとも、待て、だとか止まれ、だとか言われていて、全く無視をして走り去っていくのはどうなのか、などとも思った。

「……まったく。なんだ、あいつらは」

 陛下のお声は呆れを含んでいた。
 次いで陛下は僕へと向き直り、

「今日は、ティネとの茶会の日ではなかったのか」

 そう、おたずねになられたので、

「殿下はお出でになられていません」

 僕は素直に事実を口にした。
 陛下は、ただ静かに、

「そうか……」

 と、頷いて。静かに跪き、僕の、紅茶の滴る髪を、取り出したハンカチでそっと拭って下さったのである。

「いつもすまない」

 そんな風に謝罪までなされながら。
 その時の労わるような紫色の瞳の美しさと言ったら。
 僕の髪を拭う手つきは、まるで大切な、すぐに壊れそうな繊細なものに触れているかのように慈しみに満ちていた。
 僕は驚いてじっと、陛下の瞳を見つめ、為されるがまま陛下の手を受け入れ続けるだけ。
 養子先のユナフィア侯爵家の人達は、僕に充分よくしてくれていた。
 ただ、あくまでも王妃となるために養子に迎えたのであって、その為の教育が最優先。家族らしい関りなど、元より想定されていなかったようで、こんな風に、労りを持って触れられることなど、僕にとっては久しぶりのことだったのだ。
 だからなのだろうか。
 胸が締め付けられるように痛んで、なんだか泣きたいような気持ちとなったことをよく覚えている。
 続けて、とくとくと、高鳴り始めた心臓の鼓動も。知らず、熱を持ったのだろう、頬のあつさも。
 僕はすぐに自覚した。
 ああ、この感情は。ティネ殿下には終ぞ覚えたことのないこの感情は。
 それからも、頻繁ではないにしても同じようなことが数度。
 陛下にとっては、見るに見かねて、ということだったのではないかと思う。
 おそらくは些細な出来事だったことだろう。陛下は、お優しくて誠実でいらっしゃるから。
 ほんの些細な、『当たり前』のこと。それでも、その時の僕の周りにはない『当たり前』だった。だから。
 僕がつい、陛下を見かける度、そのお姿を目で追うようになってしまったのも、密かに憧れを抱くようになったのも。……――きっと仕方のない、ことだった。
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