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21・不注意①
しおりを挟む僕を悩ませるのは、アレリディア嬢だけではなかった。
否、そう称するには語弊があるだろうか。僕にはよくわからない。
「婚約者、か……」
こぼれ出た呟きは小さく、とは言え、傍に控えてくれている護衛を担う兵士や侍女、侍従の耳には届いたことだろう。だが、彼らは誰一人として指摘してきたりなどしなかった。
これが例えばケーシャや、それでなくともデオやヨーヌであれば違ったのだろうけれども、彼らは今、それぞれ別の場所で業務に励んでいる。
代わりのように近くにいる人達だって皆、僕付きとなってはいるのでこの二ヶ月ほどの間に、すっかり見慣れてきている人達なのに違いはないのだけれど、そこまで近しく接しているわけではなくて。ただ、自分たちの役割は不足なく熟してくれているので、問題ないと言えば問題はない。
何より、些細な呟きをわざわざ拾ったりしないのも、僕への気遣いではあるのだろう。
(なんとなく寂しく思うのは、きっと、僕の我儘だ……)
元々これまで王太子教育の為に通ってきていた時に接していた王宮の人達とだって、打ち解けたやり取りなどしたことはなかった。
だから今ここにいる彼らの態度は当たり前と言えば当たり前。より、親し気に接してくれるケーシャたちの方が特殊。でもそちらを僕は嬉しく思っていて、だから寂しく感じるだけで。もっともこれらも先ほど呟いてしまったことに比べれば些細なこと。
今、僕の頭を占めているのはここ最近のアレリディア嬢との『お茶会』と、2週間ほど前に知った、リア様の婚約者についてだった。
基本的に僕は、僕に与えられた執務室で、デオやヨーヌが用意してくれた書類仕事を処理して過ごしている。
だけど勿論、そう多くはないとは言え、婚姻式及びお披露目の準備の為、他の場所へ赴くこともあるし、資料庫や図書室などへ足を運ぶこともあった。
その中でも一番多い移動は、アレリディア嬢との『お茶会』の為のものと言えることだろう。
今もそう。胃がキリキリしそうないつもの『お茶会』を終わらせて、執務室へ戻ろうとしている。
『お茶会』の会場は主に中庭のガゼボで、場合によってはその近くにあるサンルームで、などと言う時もあった。
しかしいずれも王宮でも奥まった場所にある執務室からは距離があり、どうしても移動には少しばかり時間がかかる。
そしてそんな移動中に、僕はつい、とりとめもないことを考えてしまうのだ。
先程終わった『お茶会』について、より具体的に言うならアレリディア嬢のいつまで経っても変化が見られない態度。参加してくれた令嬢たちの、アレリディア嬢を見る冷ややかな眼差しや、それに気付いた様子のないアレリディア嬢。
だけど、そんなことばかり考えていたら気が滅入るし、他のこと、なんて思って、決まって出てくるのは次に気にかかっているリア様の婚約者についてだった。
なにせ、アレリディア嬢の叔父に当たる人物なのだという。
聞く所によると、アレリディア嬢と同じ濃い金色の髪をして、鮮やかな緑色の瞳の、非常に華やかで美しい青年であったのだとか。
事情があって婚約は解消となったのだが、原因となった問題は王家側にあり、だからこそ、コーデリニス侯爵家には強く出られないらしい。
アレリディア嬢の行動を咎めきれない理由だとも聞いていた。
なお、王家側に問題があったとは言っても、それはリア様に関係するものではなかったらしいのだが、では一体何があったのかまでは教えられていなくて。リア様だけではなく、ケーシャやヨーヌにも聞いてみたのだけれど、答えを濁されるばかり。
「さぁ、そこまでは私も……」
だとか、
「僕が知っているのは噂程度で……」
だとか、挙句の果てにリア様には、
「詳しい事情はいずれ君にも伝えなければならないのだけど、少し待って欲しいんだ」
なんて言われてしまって、それ以上しつこく食い下がれるわけもない。
いつかは教えてもらえるのなら、待つしかないのだろうと納得している。
それはそれとして、どうしても気になって、考えずにはいられないだけで。
例えば、その婚約者という人は、どのような人物だったのか。ちなみに、見目ではなく、為人だとかいう部分についてなどのことだ。
あるいは、リア様とはどのように接してこられたのかだとか。
僕とティネ殿下とだと、婚約者とは言っても、名目だけのようなものだったし、少しも親しくした覚えもなければ、婚約者らしい扱い、のようなものだって受けたことがない。
だから、通常の婚約者同士というものがどのように過ごしているのかすら、僕にはわからず、余計に気になってしまっていた。
リア様は誠実な方だから、きっと婚約者のことだって大切にしておられたんだろうな、だとか想像すると、どうしても痛む胸を誤魔化すことが出来なかった。
多分、そんな風にぼんやりと考え事をしながら歩いていたからなのだろう。
『お茶会』の会場である中庭の近くは、執務室の辺りよりよほど人通りが多い。
それは侍女や侍従、女官や兵士、騎士などはもちろんのこと、下働きの者だろう人達だって通ることがあって、すれ違うことはしばしばだった。
当然、ある程度の人払いはされているのだけれど、それも完璧に、ではないし、そもそも『お茶会』自体、少しばかり強引に開き続けられている節がある。
僕の移動を理由に、人通りを妨げきれるものではない。
きっと多分だからすれ違っただけだったのだ。
初めにあれ、と思ったのは、目に入った髪色が黒に見えたからだった。
髪色や目の色はその人自身が持つ魔力量に影響される。
白に近い淡い色であるほど魔力量が多く、黒に近づくほど、つまり暗い色であるほど魔力量が少なかった。
そして例外こそあれど、王族や高位貴族など、地位の高い人の方が魔力が多い傾向があり、逆に庶民に近づくほど、保有魔力量は少なくなっていく。
単純に高位貴族であればあるほど明るい、鮮やかな髪や目の色をしていることが多く、逆に庶民であれば、いずれも暗い色味の髪や目をしているということだ。
とは言え、全く魔力がない状態では生きていけるはずがない。
だから真っ黒であるわけがなくて、その人物の髪だってよく見れば少しばかり黄みを帯びていると言えば良いのか、茶色がかっていて、だけどこれほど暗い色味は、庶民の間でもなかなか見かけないな、そう思った。
(下働きの人かな?)
来ている服も簡素で、王宮という場所から考えると少しばかり浮いている。だが不自然というほどではなく、今まで見かけたことがある下働きの人達と同じような格好と言えばそれまでだった。
だけどここは王宮。たとえ下働きの人達であっても、ある程度の優秀さのようなものは求められるはずで、だからか、ここまで暗い髪色の人が出入りしているなんて、と珍しく感じて。でもすぐに、そういうこともあるのだろうと深くは考えず、僕はその人とすれ違った。
否、すれ違いそうになった、まさにその瞬間。その人が足をもつれさせたようだったので、僕は咄嗟にその人のことを支えていたのである。
僕がその人に一番近かったからだった。ただそれだけ。
僕の前後には護衛の兵士や侍女、侍従たちが数人付いてくれていたのだけれど、その人達は少しだけ距離があったから。
王宮の中の移動、流石に僕を囲むように、とまで出来るような人数は伴っていないから、仕方がない話だ。
……王妃、という立場を考えると、本当は良くないのかもしれない。でも、目の前で人が転びそうになっていたら、咄嗟に助けてしまうのは普通のことだと思うし、そういった対応をせず無視をするだとかなんて、僕の頭には全くなくて。
「わっ、っと……あの、大丈夫ですか?」
僕に付いてくれている人達が慌てて駆け寄ってくるのを問題ないと制し、支えたその人に声をかけた。
僕に気付いて、ふと、伏せていた目を上げたその人は今まではよく見えていなかった、瞳の色までひどく暗くて。僅かに緑がかって見える程度。ここまで黒に近い瞳は初めて見るな、と僕は思いながら、同時に、その人の顔がとっても整っていることに驚いてしまっていた。
「ぁっ、その……申し訳ございません」
「いえ、大事ないようでしたら、それで」
途端、平身低頭と言った様子で謝りだすその人に、すぐに我に返った僕は、気にしないでいいと返し、体勢を立て直した、非常に申し訳なさそうにするその人とはすぐに分かれて歩き出す。
珍しい出来事だったな、なんて思いながら。
あまり考え事に没頭しながら歩くのも良くないな、なんて気を引き締めたりもした。
さて、まだ夕方までには少しあるけれど、執務室に戻って、どれぐらい仕事を進められるだろうか、なんてことも考える。
それにしても、下働きの人にしては珍しいぐらい、キレイな人だったな、と、そんな印象が残っただけ。
僕にとってはただ、それだけのことだった。
だって僕は知らなかったから。
歩き去った僕を見送ったその人が、ちらと僕を振り返って。
「なんだ。聞いてた通り、大したことないんだな」
なんて呟いたことなんて。
その人が、どれぐらい暗い瞳で、僕を見ていたのか、なんて。
その人が浮かべていた笑みの意味さえ。この時の僕には、わかるはずがなかったのだった。
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