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☆55・治癒

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 ロディスの向こう側に魔獣が見えた。ロディスの2倍はありそうな大きさ。
 あれが音もたてずに近づいていた?
 冗談だろ。
 思っても、そういったことが起こり得ることは知っていた。
 おそらく、随分と向こうから少し開けた、今進んでいる道のようになっている所を駆けてきていたのかもしれない。
 そうでもなければきっと、木々が揺れる音ぐらいは聞こえたはずだ。
 砂を蹴る足音などもしていなかったはずなのだが、そちらに関しては魔獣の移動ではままあることだった。
 彼らは半ば実体がなく、その中身はうつろと化していることも多いのである。ようは軽いのだ。
 つまりそれは同時に魔獣化して時間が経っているのだろうことも意味していた。
 彼らは魔獣化し、時間を経るごとに実体を失くし、膨張していく傾向にあるのだから。
 あの大きさもおそらくはその所為なのだろう。
 だが、狂暴性が失われることはない。
 存在が霧散するその瞬間まで、攻撃の手を緩めることも、怯むことさえ、ない。
 感情や知能などを無くし、凶暴性だけが残った魔力のこごったもの。それが魔獣。

「くそっ!」

 咄嗟に駆け出した。
 近くにいた二人の隊員も同じように走り始めているのがわかる。だが、俺の方が早い。
 魔力を練る。
 そのまま指向性も何もないまま魔獣へと向けた。
 放ったのはただの魔力の塊だ。
 だが、その衝撃に魔獣が吹き飛んでいった。
 ぐらり、ロディスの体が崩れ落ちる。
 その様子が、いやにゆっくりと感じられた。
 辺りには血。

「リティ隊長! 魔獣はこのまま俺達がっ!リティ隊長はロディス隊長をっ!」
「任せた!」

 おそらく彼ら二人は攻撃魔術の方が得意なのだろう、あるいはついには気を失ってしまったらしいアンリセア嬢では全く何の役にも立たないと判断したのか。
 ロディスの治癒を任されたのだろうことを理解していながら、彼らの申し出を受け入れた。
 的確な状況判断と言えるだろう。
 俺がロディスの治癒を担った方が確実だ。
 ロディスを超えて、更に魔獣へと向かう二人の背を見送ることもなく、ロディスの元へと駆け寄り跪くと、左腕が見当たらない、のみならず、先程の魔力の衝撃は彼にも届いてしまったのだろう、仰向けに倒れ込んだロディスの腹部は大きく抉れ、中の臓器や骨までもが露出していた。
 だが、頭と胴体は繋がっているし、心臓は無事。
 どくどくと夥しい量の血液は流れ出ているが、見る限り、まだ、息はある。
 それもきっとおそらくは持って数秒という所だろう、だけど。
 生きている。
 ならば。

「ロディスっ……!」

 どうしてこんなことになったのだろう、俺にはわからなかった。
 魔の森の見回り任務では、こういうことも起こりうる。わかっている。
 危険を伴う任務なのだ。
 いったい何が悪かったのか。
 彼らが最後尾となったから?
 もし元のまま進んでいたとしたら、この魔獣と一番初めに遭遇したのはきっと……――俺だった。
 そうであった方がよかった、そうであるならば、もしかしたら。
 自分の力におごっているわけじゃない。
 自分だったら大丈夫だったんじゃないか、だとかそういう話でもない。
 ロディスもきっと一人ならば、回避できたのではないか、そうも思う。
 だけどやはりきっと違う。
 ならば彼女が悪いのだろうか。
 彼らの取っていた体勢などからして、ロディスは彼女を庇ったように見えた。
 今思えばあれは、ロディスが彼女を突き飛ばしたがゆえに彼女は地面にへたり込んでいたのかもしれない。
 そもそもの話、彼女が同行を願い出なければ?
 だが、あの魔獣の出現と彼女は関係がない。
 彼女がいなくても、同じことは起こったかもしれない。
 思考が訳の分からない速さで巡っていく。
 わからない、わからなかった。
 ただ、今、わかることは。
 どくどくと止まることなく流れ続ける血。
 どんどんと失われていくそれはロディスの生命の欠片だ。
 ああ、ロディス。
 どうして? なんで? わからない、わからない、だけど!
 手を伸ばす。魔力を練る。
 治癒の為の魔力。
 ありったけの魔力。
 ロディスの生命を繋ぎとめる為のそれ。
 ロディスに触れると同時、魔術を行使した。
 まだあたたかい、それにどこかほっとする。
 まだ、生きている。なら、なんとかなるはずだ。
 損傷した腹部の修復と、亡くなった腕の再構築。失った血液も、自身の魔力を変換して補間した。
 どんどんと自分から魔力がなくなっていくのがわかる。
 頭が痛み始める。
 魔力が足りていない。

「ぅっ、ぐっ……」

 歯を食いしばって、それでも魔術を行使し続けた。
 俺は決して治癒魔術が得意なわけではない。
 だが、苦手というわけでもなく、腐っても隊長などと言う立場にある。それは勿論、それに見合った実力が認められたが故のこと。
 つきり、お腹が痛む気がした。
 そんなはずはない、流石にそれは思い込みだ、でも。
 ああ、子供。
 自分のお腹の中には今、子供がいる。
 思い出す、だけどかまえない。
 子供を胎内で育てる為には、普段よりもより多くの魔力が必要だった。
 なにせ自分一人では賄えず、他者から注いでもらわなければならないほどだ。
 そんな風に、より多くの魔力が必要な状態で、なのに今俺はそんな魔力をありったけ、使用し続けている。
 これが危険な行為であることはわかっていた、それでも。
 ロディスの腹部が修復され、傷が塞がり、腕が再生されていく。
 すっかり血の気の引いていた頬にも赤みがさした。
 ああ、きっともう、大丈夫だろう。
 ほっと、体から力が抜けていく。
 地面がぐらぐらと揺れていた。
 頭が痛い。
 割れるようだ。
 子供は、いったいどうなるのだろう。そして俺は。
 ロディスの、閉じられていた目蓋が震えた。

「? ……リ、ティ……?」

 かすれた声が俺を呼ぶ。
 それとほとんど同時、遠くから。

「リティ隊長っ!」

 叫ぶように近づいてきたのはサーラの声。
 それらを認識できたのか出来なかったのか。
 そこで俺の意識は途絶えた。

「リティっ!!」

 泣き出しそうな、叫ぶような。ロディスの声を耳にしながら、俺は。
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