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39・譲歩
しおりを挟むその瞬間、一瞬、ロディスの腕に力がこもる。
これまで以上の強さだ。
「いたっ」
次いでばっと体を離された。両手で肩を掴まれる。
やはり力が強く痛い。
「おい、ロディス、やめ、」
「違う! 違うんだ、リティっ!! 話すのが嫌なわけがない! そんなわけないだろっ?! リティ!」
俺の言葉を遮って、目の前で必死の形相をして俺を睨みつけて来ているくせに、だが荒げた声音はどこか縋るよう。
腕が痛い。やめて欲しい。
せめて力を緩められないのだろうか、この男。
「じゃあなんだって言うんだ? それ以外何がある? おい、やめろ痛い。放せ」
俺も睨み付けながら言葉を返した。そして改めて掴まれたままの肩の痛みを訴える。
ようやく気付いたらしいロディスが、はっと、ようやく我に返りでもしたかようにずさっ、怯えるように手を放したかと思うと、ゆるく首を横に振りながら嫌にゆっくりと両手を下ろした。
なんとなくそれを目で追いながら、俺はぎゅっと顔をしかめる。
本当に全くなんだというのか。
「違う、違うんだ、リティ……」
まだ更に繰り返された小さく縋るような声に、俺は大きく溜め息を吐いた。
「じゃあ、いったい何だというんだ」
俺と話すのが嫌なわけじゃない。ならなぜ。
「そっ、れは……リティが……」
「俺が?」
そこでまた口を閉ざす。
まったく本当に何なのだろう、この男。
わけがわからないし、何一つ理解できない。
そこからまたしばらく待ってはみたけれど、ロディスは項垂れたまま、口を開こうとはせず、俺は疲れたように頭を横に振った。
「もういい。もう充分だ」
「リティ……」
吐き出した俺の言葉に、どうしてそんなにも怯えるような眼差しを寄越すのだろう。
初めて見るロディスの顔。
らしくないな、内心で呟きながら、俺は自分の中の考えを整理する。
もういい。
きっと、この男と会話しよう、つまり少しでもわかり合おう、思ったことこそ間違いだったんだ。
そんなことを思った俺が悪い。
だからもう聞かない。
ロディスの考えを、確かめようとなんてしない。だけど。
勿論、今のまま、ここへ閉じ込められ続けることなんて、受け入れられるはずがないのだ、だから。
「俺はしばらく……そうだな、子供が生まれて最低一年はここにいてやる。仕方がないからな」
「リティ?」
こいつは俺の名を呟くことしか出来な魔導具か何かなのだろうか。
苦々しく思いながら言葉を続けていく。
そんなに言うなら仕方がない。縋るこいつをだって俺は無碍に出来ない。
腹立たしいばかりなのに。
それに子供を思うと、必要なことであることもまた分かっていた。
「だが、仕事は行くぞ」
「リティっ!」
今度呼ばれた俺の名は、咎めるような響き。看過できないとでも言いたいのだろう。そう言いたいのは俺の方だ。
「とは言え、そうだな……お前の心配もわからんでもない。仕事は当面、書類仕事のみにするよう調整する。現場へはお前、代わりに行け。その代わりに書類はいくらか請け負ってやるから。交換ってやつだな。ならそこまで負担にならないだろ、お互いに。団長にも、それで相談しておこう」
見回りや訓練など、他、現場仕事に関しては、俺も正直自信がなかった。
子供を成すのなんて、勿論俺にとって初めての経験で、具体的にどういうことになるのかが予測できない。
この間の体調不良だって、俺が想定していた以上だったのだから。
だが、隊長室に籠っての書類仕事程度ならおそらく、そう問題にはならないだろう。
ロディスはまたしても思いっきり顔をしかめているが、むっつりと口を閉ざして、これ以上食い下がってくるようなこともなかった。
多分俺が、これ以上は譲歩しないことを察しでもしたのだろう。
「これも期間は生まれてから一年。……いや、流石に産み月が近づいてきたら前後三ヶ月は休みを取るつもりだが、それも踏まえて今から調整していけば何とかなるだろ。今みたいに、急に何日も休むんでもなければなっ!」
当然最後に付け加えたのは完全なる当てこすり。
まったくもって現状は本意ではないのだと詰っておく。
これぐらいは甘んじて受け入れるべきだ。
それぐらいにこの男は、あまりに強引だったのだから。
そんな男の強引さを、振り払いきれなかった俺自身のことはひとまず置いておいて。
「それと、あとは何だ……俺とお前の婚姻か? それは保留だ」
「リティ! だが、子供がっ……!」
「別に婚姻なんぞしなくとも子供は育てられるだろ。少なくとも生まれて一年はここにいてやるって言ってるんだから、それで譲歩しろ。婚姻とそれは別の話だ」
子供のことを思うなら、ある程度は受け入れる。
ここに居を移すのも、仕事にさえ行けるなら構わない。
閉じ込められるのはごめんだけれど。
この男との毎夜の行為も……構わないのだ、仕方がない。
だけど。
俺と、話すことさえしようとしないこの男と婚姻?
これから先の人生を、この男と暮らしていく?
上手くいくとは思えなかった。
よしんばここで頷いても、この男との夫婦生活など、よく持って数年、それこそ子供が生まれて一年が限度なのではないだろうか。
それ以上は、俺も耐えきれる気がしない。
生まれる子供は俺が未婚の状態で生まれることにはなってしまうが、それはこの国では大きな問題とはならなかった。
と、言うより皇帝までもが何人も、薄くでも王族の血を引いてるからなんだとかと言って、容姿を受け入れているような国である。
家や爵位を継ぐことも、嫡出児やら私生児どころか、血のつながりさえ、あまり重要視されなかった。
双方が納得さえしていれば、あまり誰も何も言わない。
勿論、嫡出の長子が継ぐことが、割合としては多いのだけれども。
そもそも身分さえ、問題視されるのは双方の魔力量の差ぐらいのもので、それは子を成しにくいからに過ぎず、例えば平民が爵位を持つ者の伴侶に納まったりなどした場合、あくまでも本人への負担があまりにも多くなりすぎるのではないかと危惧されるだけの話。
そんな中で、婚姻前に子供が生まれたからと言って、いったい何だというのだろう。両親ははっきりしているし、何がどう転んでも、子供が不自由するようなことはおそらくない。
そこに俺とロディスの婚姻など、全く持って関係がなかった。
なら、今、どうしてわざわざ、籍を入れる必要があるというのか。
どうせ数年後に抜けてしまうようなものを、何故。
仕事に行く以外を、ここで過ごすことは受け入れる。
それがこの男の言う責任とやらだというのなら、とらせてやっても構わない。
「今の俺とお前の状態で、なんでそんな話になるというんだ。あり得ないだろ。俺はそれは受け入れられない。だから保留だ」
こうなった初めの日。俺は押しかけて来たロディスに、こいつの所になんて、絶対に嫁がない、そう言い切った。
だが、今ではそれは、流石に撤回してやってもいいかと思い始めている。
だからと言って、受け入れられるわけでもない。だからこその保留。
「それが気に食わないって言うんなら、お前がどうにかしろ。俺を説得してみるんだな」
会話さえしたくないのだろう俺に、言葉を尽くせ。
言外にそう言い放つ。
それ以上の譲歩なんて出来なかった。
ロディスは物凄く嫌そうに歪めた顔のまま口を閉ざし。その日、結局それ以上、何一つ言葉を尽くすようなことがなかった。
ちなみにその日もその後、何も言わない癖に、まるでその代わりだとでも言うかのように抱きしめ、圧し掛かり、寝台へと俺を沈めたロディスからの行為を俺は受け入れたが、それだけ。
せめて婚約という形は取れないかと提案してきたのはロディスではなく彼の両親で、このままロディスの実家に身を寄せるのなら仕方がないかと受け入れた。
ただの対外的に説明する為だけの婚約だ。
いずれは破棄、あるいは解消する前提のそれ。
ロディスは何も言わないまま、俺は翌日ようやく出勤することが出来たのだった。
なお、そういえば住んでいた家に対する対処だとか、実家への連絡もしなければならないな、と思い至ったのは、その更に後のことである。
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