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1・きっかけと要因
1-4・6年前の話。突然の異変
しおりを挟むわけが分からなかった。その変化は突然だったのだ。
数か月ぶりに帰ってきたミスティを見た。ただ、それだけだった。それだけだったのに。
心臓がバクバクして煩い。いまだかつてティアリィの胸が、これほど高鳴ったことがあっただろうか。否、ない。少なくとも、ティアリィの記憶にある限りはなかった。
なのに今は信じられないぐらいに大きく脈打って。
今までは平気だった。ミスティが外交に出向く前はいつも通りで、気を付けてと送り出した。
確かに、いつもいる相手の不在はどうしても少し寂しくは感じたけれど、それだけ。ミスティがいない分、仕事は増えたし子供たちの世話もある。
早々、寂しがるばかりでもいられず、慌ただしく過ごした数か月だった。
通信でも普通。互いの近況や仕事の進捗、ティアリィからは子供たちの様子を、ミスティからは他国の情勢をそれなりに話し合ったりもしてきたのだけれど、その時だって、自分自身に特に変わった様子は自覚できなかった。何処までもいつも通りだったのだ。なのに。
特に何があったわけではなかった。
長期で不在だった皇帝を出迎えるのに、別に変わったことをしたわけでもない。
帰国の予定時刻は事前に告げられていたから、時間に合わせて王宮の正面玄関まで、家族総出で待っていた。それだけ。
ミスティの帰国は予定通りだったし、ミスティ自身にも特に変わった様子は見られず、ほっと、安堵したほどで。
ティアリィはごくごく普通に出迎えようと思っていたのだ。移動で疲れてもいるだろうし、今日は労って、そうだ、たまには甘やかしてやろうか、なんて、そんなことまで考えていて。なのに。
本当に何か、変わったことがあったわけではない。ただ、数か月ぶりに元気な様子のミスティを見た。それだけ。たったそれだけで、ティアリィは急に高鳴り始めた鼓動を持て余し、顔が火照るのにも構えず、今、自分の視界の中にミスティがいて、同じよう、ミスティの目には自分が映っている。そう、認識しただけでなんだか居ても立ってもいられない様な心地になって、そして。
気が付くと逃げるよう、走り出していたのだった。
ああ、ほんと、わけがわからない。
どうしてこんな。
そもそも自分はなぜ、走っているのか。
24にもなって、しかも子供たちの前で。自分の行動がおかしいことなんてわかっていた。でもどうしてか。そうせずにはいられなかったのだから、仕方がないと思うのだ。
ミスティは……なんと言えばいいのか。かっこよかった。
元々、見目がいいことぐらい理解していた。整った容貌は美形以外の形容などないぐらいだったし、少し青みがかってくすんではいるが、充分に薄い灰色の髪も艶やかで、紫の瞳は、本当に宝石のように煌めいている。ティアリィとは比べ物にならない逞しい体躯と、高い背丈。まだ24という過ぎるほど若い年齢にもかかわらず、皇帝という位に相応しい、風格ある堂々たる佇まい。
まるでミスティ自身が光り輝いているように見えた。眩しいぐらいに美しく。
その、ミスティが、帰国の挨拶をするためにティアリィの方を見て。嬉しいと、言葉にせずとも伝わってくるような顔をして微笑んだのである。
途端、ティアリィはいきなり高鳴りだした心臓に驚いて、わけが分からないまま固まって、焦って、そして。逃げて、逃げて、逃げて、今である。
王宮中を走り回った。何故、走っているのかもわからないままに走り続け、そうして辿り着いたのがこの塔だったことにもきっと意味はない。なんとなく、足が向かっただけ。
だってティアリィは本当にただわけもわからず走っていただけだから、どうしてこの場所だったのかなんて、何かを考えられていたはずがない。
でも、きっと。何かの、導きでもあったのではないかとは思ってしまう。
あたたかい、慣れていたはずのミスティの腕の中で。
ティアリィは、これまで以上の、破れてしまいそうな心臓の鼓動を聞いていた。
恥ずかしかった。どうしてだろう。恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。なのにどうして。ぎゅっと、抱きしめてきてくれるミスティのその温もりが、離れがたくも心地よく。
ティアリィは、ただ、ぎこちなく。ぎゅっと、動かずにいることしか出来ないのだった。
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