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しおりを挟む今まで俺はどうしていたのだったか。
いつも通りベッドに入り、まぶたを閉じ、眠りについた、そのはずなのだ。
だが、そもそも、いつも通りとは何だろう。ベッドに入る前には何をしていたのか。
風呂? 食事? 思い出せなかった。
何もわからない。
今世での俺の名前なのだという、リンディファシア・ランゲフィスなる響きには、全く聞き覚えなどなかった。だから、俺には他に名前があったはずだ。だけどそれはいったい何だっただろうか。
俺の、名前。名前は……。
さきほどまで……――あの広間で、気が付くまで。当たり前にわかっていたはずの、自分の名前が思い出せない。自分が住んでいた場所、どころか地域も、同居人、あるいは家族の有無、就いていただろう職まで、何も。
働いていた、と思う。成人はしていたはず。
だが、なら、何の仕事をしていたというのだろう。
全く思い出せず愕然とする。同時にひどく心細くなった。
自分の寄る辺が全くなくなってしまったかのような心細さだ。
「どうして……」
小さく呟いた俺の言葉に、ピクと反応したのは目の前の男。
「どうして、だと……?」
やはり大きくなどない声で呟いた男の声音は、しかし明確なトゲと苛立ちを孕んでいる。
俺は誘われるように男を見た。と、そこにあったのは、俺を睨みつけてでもいるかのようなきつい眼差しで。明確な怒りさえ感じられるそれに、俺はむっと気を悪くした。
なぜ、俺がこんな風に睨み付けられないとならないのか。
「どうして、と言いたいのは私の方だっ」
男が吐き捨てる。
怒鳴っていないことの方が、いっそ不思議なほどの口調だった。
「なんだって?」
聞き返す俺の声音も、自然、荒いものへとなっていく。しかし、更に返された男の剣幕は到底それどころではないほどに激しさをましていた。
「そうだろう? 今頃、予定ではあの女に尻尾を出させて、糾弾しているはずだったんだっ、それで俺は解放されたっ! ここ数ヶ月の、気が狂いそうな日々からだっ! 何が王孫だっ、たとえそれが本当だとしても、生家自体は子爵家だというじゃないかっ! 気にする必要などないという俺を、お前がっ! ディファっ! お前が諫めたんだっ! たとえ実情がどうあれ、国際問題へと発展するかもしれない懸念は取り去った方がいいとっ! 何かを成すとして、あの女の自滅を待つべきだと、そう! だから俺はこの数ヶ月、耐えてきたんだぞっ! お前に触れることを、どれほど我慢してきたと思っているんだっ! それらが全て、今日! 終わるはずだったんだっ! あそこで! あの場面で! あの女の自白を引き出せれば、それで! なのにっ……!」
段々と怒鳴りつけるように声を荒げて、興奮ゆえにか立ち上がり、俺を睨みつけながら言い募ってくる。同時に男の様子からは悲哀と、やるせなさも感じられた。
俺を、しばし睨み続けた男は、ややあってぐっと目を伏せ、力なく、また、ソファへと身を投げ出した。
「なのに……どうして、だって……? そんなこと、そんなこと、私の方こそ知りたいっ……ああ、ディファ……どうして……」
男の声は揺れていて、俺には一瞬、泣いているようにも思え、ぐっと胸が引き絞られる。
駆け寄って、抱きしめたい。そう思った衝動が、やはり今世で生きてきたが故のものなのだろうと、俺はどこかで、自覚せざるを得なかった。
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