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87・提案、そして。⑧
しおりを挟む次代天子、玉翔。
それは翔兄の、この国の皇太子の名前だ。
何を、言っているのか。涼が、翔兄? 髪の色が、違うのに?
なんて、どこかでわかっていながらも、まるで最後の悪足掻きかのよう、混乱する小美に構わず、蒼貴妃は更に話し続ける。
「貴方も上手くやったものねぇ。まさかこれほど予定を前倒しするとは思わなかったわ。それが叶うとも。貴方が、半年と少し前。小美の元へと通っていることが知れて、後宮を遠ざけられて。私はてっきり、数年は予定が延びるかと思っていたのよ? なのに、まさか別人として堂々と戻ってくるだなんてね。よくそんなことを両陛下方もお許しになったこと」
ほほほとおかしそうに笑う蒼貴妃の話は、どこまでも小美の知らないことばかり。
ただ、つまり結局涼は翔兄だったということなのだろう、それだけを知る。
初めから小美は、間違えてなんていなかったのだということを。
「もっとも、一番の予想外は貴女かしら……小美」
そこで、これまで涼へと向けられていた視線が、改めて小美へと向けられた。
相変わらず、穏やかに、にこやかに、微笑むばかりの蒼貴妃のいつも通りの表情が、なんだか恐ろしく思えるのは何故なのだろう。
小美は知らず、一つ息を呑む。
それでいて何も、言葉など返せない。
「私、貴方が幼いままだったなら、ずっとあなたを愛しくだけ思っていられたのよ? その髪色にも目の色にも、目を瞑っていられた。だって貴女は小澄の子。ただ一人正式にそうと認められた者。白家の正統なる後継者。いいえ、光家の、なのかしら」
光家は、つまり皇家を指す。
小美は思い出さずにはいられなかった。
いつか。ほんの少し前。あの、紅嬪に詰め寄られた時のことを。
慈悲を、そう願う彼女は、同じようなことを言っていたのではなかったかと。
あの時、小美はどう思ったのだったか。そして彼女にどう答えたのか。
自分は光家の者ではない。
ただ、そう否定した。
けれど、どうしてだろう、今、蒼貴妃に同じことを言えるとは、小美は到底、思うことが出来なかった。
ただ、蒼貴妃を見る。
いつもと何も変わらないように見える蒼貴妃を。
……――涼は。否、翔兄は。少しも口を開かない。否定も、しない。
「ねぇ、小美。貴女も本当は知っているわよね? 知らないふりをしているの? 貴方や殿下の持つ琥珀色の瞳は、皇帝やその子供しか持ち得ないのよ。それも何人子供がいたとしても、たった二人にだけしか出ない。殿下も、いくら髪の色を変えたって駄目ねぇ。瞳の色の変更までは叶わなかったのかしら? それに、なにやら認識をずらす術をかけていらっしゃったようだけれども……魔力の少ない宮人や妃妾ならともかく、私や、それこそ小美の目は誤魔化せませんわ」
そこまでを聞いて、小美はようやく得心がいったような気もした。
そうなのだ、初めから小美には涼は、翔兄とは何も違うようには見えなかったのだから。
なのに皆が違うと言う。だから、そうなのだろうと思うより他になかっただけで。
そして瞳の色について。思い出す。
今、蒼貴妃が告げたことを、習ったことがあったことを。
ほんの幼い頃、翔兄と、まだ共に講師について学ぶこともあったような頃のことだ。
どうしてかこれまで、それらが全く結びついていなかった。まるで思考に靄がかかっていたかのように、はっきりとしなかった部分。けれど。でも。
たとえそれが結びついたとして、なぜなのかはやはりわからないまま。
「ふふ。不思議そうな顔をしているわね、小美。本当にわかっていないのねぇ……おかしなものだわ。けれど、だからこそ貴女は次代たり得る。いいえ、そう、そうね、だから後宮の閉鎖など叶うのよ。貴女だから。殿下がお求めになられたのが貴女だからこそ」
そしてそれを、貴女だけが知らないの。
また、繰り返される。
ただ、小美が知らないという事実。
要領を得ない蒼貴妃の言葉。
わからない、だけど、きっと自分はもうわかっているのだ。
わかりたくないと、思っているだけで。
だって自分は白家の、西王の娘で、そのはずで。
けれどもちろん、西王は光家の者ではない。ましてや、皇帝でなど。なら、自分の本当の父は。
どくり、胸が嫌な音を立てた。
と、同時に思い至る。
いや、違う、琥珀色の瞳を持つのは皇帝の子供のうち二人だけ。
翔兄と、そして律兄もまた、琥珀色の瞳だった。
だから、今の陛下ではないことだけは確かで。
ならば、他にいったい誰だというのか。
「ねぇ、知っていて? 私、幼い頃から夢見ていたことがあるの。恋焦がれていた方がいた。それは決して、先代の陛下や……ましてや今代の陛下ではなかったわ」
自分の根幹がぐらぐらと揺れるような心地で、知らず唇を噛んでいた小美の視線の先、蒼貴妃がふっと、何かを思い出すように、あるいは懐かしむように視線を遠くへと移していた。
辺りに広がる園林の端、後宮を囲う壁があるだろう方。
けれどただ、そこに見えるのは、見事な枝ぶりの梅の花と絶妙に配置された、いくつもの岩だけ。
いったい蒼貴妃の目には何が映っているというのか。
小美は次第に、わからなくなっていくように思えたのだった。
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