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50・いつかの日々③
しおりを挟む髪の毛を梳る手を、小美は心地よく感じていた。
ふんふんと鼻歌交じりで地面につかない足をぶらぶらと揺する様子に、くすくすと後ろから笑い声が聞こえてくる。
小美はそれがなんだか恥ずかしいような気持ちになって、だけど今更だと結局は気にすることなんて辞めておく。
何故なら別に、そんな風に笑われたって、馬鹿にされているわけではないことを知っていたからだ。
その証拠に、
「明妃様は本当に、殿下がお好きでいらっしゃいますのねぇ」
そんな風、かけられる声は温かいばかりで。
小美の幼い頃から、特に一番小美の面倒を見てくれていた、乳母とも言うべき宮人の言葉に、小美はツンと口を尖らせる。
「あら、そんなの当たり前だわ。私が翔兄のことを好きじゃないだなんてあり得ない」
貴女だってわかっているでしょうに。
幼く頑是ない、子供らしく明け透けな好意だった。
そんな様子も微笑ましく映るのだろう、宮人の軽やかな笑い声は止まず、小美の髪を触る手は柔らかいまま。
小美だって、本当に機嫌を悪くしているわけではない。
ただの戯れ、柔らかな気配。ごくありふれた朝の景色。
宮人が仕上げとばかり、小美の髪に簪を挿す。
そもそも、この宮人が小美に、先程から微笑ましく声をかけてきた理由とも言える簪だった。
豪華なものではない。
だけど幼い小美に似合いの、小さな花が沢山折り重なったような簪。
しゃらと垂らすようにあしらわれたしずく型の石は琥珀だ。
小美の、あるいは翔兄の目と同じ色。
翔兄が小美にと送り、小美が一等気に入って、今日もこれを付けるのだと、宮人に指定した簪だった。
何のことはない、宮人はそれを指摘しただけに過ぎず、だけどそんなものはただただ微笑ましいばかりで。
ぱたぱたと外から軽やかな足音が聞こえてくる。
小美がそれにピクリと反応して、そわそわと振り返るのに、宮人はまぁと、また小さく笑みをこぼした。
「もう御髪は整え終わりましたから、構いませんよ」
そう促すと、宮人を振り返った小美はぱぁっと明るく顔を綻ばせて。
「ありがとう」
そう、愛らしく礼を口にし、椅子から飛び降りたかと思うと足音の方へと駆けていく。
ひらり、いつも通り整えられた服の裾が翻るその先、小美より少しばかり年嵩の少年が、自分の腕の中、飛び込んできた小美を、危なげもなく抱き留めていた。
「小美!」
「翔兄!」
お互いの名を呼びながら、いつものことと繰り広げられる戯れ。
ひとしきり触れ合って、ふいに気付いた小美が指摘した。
翔兄の手に握られた花。
たった今手折ってきたと言わんばかりの、瑞々しい、だけど素朴で愛らしい黄色い花。
「あら、翔兄。それはいったいどうなさったの?」
翔兄が笑う。
「これ? さっきそこでね。小美に似合うと思って」
言いながら翔兄はその花を小美の髪、簪の脇に挿す。
「ああ、キレイだ」
自分の仕事に満足気に頷く翔兄に、小美は微笑んだ。
「ありがとう、翔兄、嬉しいわ」
きらきらと舞う朝の光は、翔兄にも小美にも同じように降り注ぐ。
小美の髪を飾る可愛らしい花は、そのまま、翔兄の心をあらわしてでもいるかのよう。
柔らかな日々。
翔兄の真心で飾られた小美は、まるで光り輝いているかのようだった。
ああ、あの花はいったい何の花だっただろう。
あれは確か。
『キレイだ、小美』
愛しさを煮詰めたような甘い翔兄の声が耳の奥でこだまする。
『……――小美』
それを重なるように耳に届いた声に、小美はぼんやりと目を開けた。
嗚呼。
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