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4・これからの為の覚悟
4-17・尽くす、だから
しおりを挟む数日前を思い出す。心を尽くす。彼と話す。僕が、そう思えたのは。
「アツコに叱られたんだ。なぜ、応えを求めなかったのかって。その所為で君を追い詰めたんじゃないかって」
彼女の、話を聞いたから。彼女の言葉は、苦かった。
「アツコ?」
ティアリィが不思議そうに首を傾げる。ああ、そうだった。あの時のティアリィの意識は、混濁していたから。
「何処から聞いてきたのか……、アツコもお見舞いに来てくれてたんだけど。……その様子だと、わからなかったみたいだね」
そうだろうと思う。
アツコは魔力を流したりなどもしていなかったし、余計にだろう。
彼女は気づかわしげに、ティアリィを見ていた。随分と長く、彼を見つめて。そうして、あの話をしてくれた。ティアリィが悩んでいたというそれだ。
彼女が僕に寄越したのは、いつも通りもの言いたげな眼差しだったが、実際言いたいことはたくさんあったのだろう。だが、アツコは性格上、誰かを声高に糾弾するなんてことはしないから、ああいう苦言に終始した。それでも充分、僕には耳に痛い話だったけど。
「その時にね。ものすごく叱られて。聞いたよ。僕とのこと、アツコに相談していたんだってね。それも含めて詰られた」
僕は心のまま、苦く笑った。今も胸にある無力感。ティアリィがそっと指を伸ばしてくる。
頬に、彼のそれが触れて。仄かな温もりは、今は僕と全く同じ温度。
「君が不安に思っていたのを僕は知っていた。君に初めて触れた時から、君は今もずっと、戸惑ったままで。僕はそれも解っていたのに」
胸が痛い。どうしようもなく、苦しい。そうして、ティアリィを苦しめた。
僕が悪い。僕が、悪かったのだ。僕が、間違った。
僕の頬に触れるティアリィの手を取った。滑らかでほっそりしている。だが、女性らしい柔さなどない、男の手だ。何より愛しい。
言葉を尽くす。そう、心の中で唱えなければ、僕はこんな話さえティアリィに出来ない。なんて臆病な。情けない。自分がひどく、情けなかった。
「僕は怖かった。君の気持ちが、僕にないことを、僕は知っていた。僕だけじゃなく、アルフェスやもしくは他の誰にもなかったのは僕にとって幸いだったけど、僕にはそれだけじゃ足りなくて」
僕は確かにティアリィを、手に入れたのに。その肌に触れて、体を暴いて、剰え子供まで作って。自分の伴侶として、立場ごと据え置いた。拒絶されないのをいいことに、受け入れてくれているのを利用して、ティアリィの意思など無視して。なのに足りなかった。
目の奥が熱くなる。眦が濡れていく。ティアリィの指がそっと伸ばされ、彼の指先が、微かに湿った。
「ティアリィ。君は僕を拒まなかった。受け入れてくれた。でもそれは、僕を求めてくれたわけじゃない。君はひどく残酷で……――なのに優しい」
僕に優しい。
僕を、拒まない。それはティアリィの優しさだ。僕の強引な振る舞いに戸惑い、ついていけていないながら、全て許容した。それはなんて残酷な優しさだったことだろう。心は少しも明け渡されずに、だけど体と存在ごと差し出された。
彼に焦がれていた僕は、それに手を伸ばさずにはいられなくて。溺れるようにティアリィを求めて、求めて。
「僕はそれで満足するつもりだった。君が拒まず受け入れてくれた、それでいいと、本当に思っていたんだ。君の心は求めない。僕の側にとどまってくれるのなら、それで」
何処までも近い距離で触れて、手を伸ばして暴きつくした。どれほど強引な行為だっただろうか。子供まで誘導して成して。なのに。
僕の声が揺れている。情けなく、頬を涙が伝う。泣くつもりなんてなかったのに、堪えられない。
そんな僕を憐れに思ったのだろうか。ティアリィが僕に両手を伸ばして。縋るように、僕の裸の背に触れて。ぎゅっと、力を籠めて抱きしめられたので、僕も彼を抱き返した。きつく。もう、離れずにすむように、きつく。
「僕は欲張りになったんだ。君に、求めてほしくなった。だから怖かった。君の応えを聞いてしまったら、僕は君に求められていない事実を突きつけられてしまう。それがどうしても怖くて」
怖くて。
そう、僕は怖かった。ティアリィを、人形のように思っていたわけじゃない、彼の意思が、要らなかった、なんてそんなこと。あるわけがなかったのだ。ただ、僕が臆病だっただけ。彼の応えが怖くて、聞けなくて。
僕を求めてはいないティアリィを、知っていたから。
ティアリィが僕を、縋るようにして抱きしめてくれている。僕は涙を止められないまま、僕こそが彼に縋りついた。
「そんな僕の逡巡が、君を追い詰めた。僕を、受け入れられなくなるぐらいまで、君を」
今、僕に満ちているのは後悔だった。僕は自らのこれまでの強引な行動をこれ以上なく悔いている。
だけど。
きっと僕は、例えば時間が戻せるとしても、同じことを繰り返すのだろう。ティアリィに。伸ばす、自分の手を止められず。彼を強引に絡めとるのだ。
ティアリィの腕は今、柔く、僕を包んでくれている。
「君に、人形じゃないと言われた時。僕は何も言い返せなかった」
今も耳に残っている、ティアリィの声。僕を打ちのめした言葉。
「何が、間違っているというんだろう。君を、傍において、手放さずにいるままで、なのに君からの応えを求めない。まるで君の意思なんて、初めから僕には要らないみたいだ。それが人形扱いじゃなくて、なんだと。君はアクセサリーでも何でもない、しっかりとした一人の人間なのに」
僕が好きなのは、そんな君なのに。
涙があふれた。止められなかった。
ティアリィ。ティアリィ。
「ねぇ、ティアリィ」
少しだけ彼から体を離す。彼と、目を合わせた。星が散った水色の、透明な瞳。キレイだ。この世の何よりも美しい、彼の存在。その瞳に今映っているのは、ひどく情けなく臆病な僕。
「今なら僕は、恐れないよ。否、本当はやっぱり怖いけど。ありったけの勇気を振り絞って君に希う。ねぇ、ティアリィ」
涙と共に、心を吐き出した。祈るような気持ちで、そっと。
「僕と、一緒に生きて。ずっと、僕の側にいてほしい。好きなんだ。だから……――僕を求めて」
本当は。ずっと、もっと早く、こう、聞かなければならなかった。彼からの応えを、求めなければならなかった。それがたとえ僕にとって、どんなに痛みを伴うものだとしても。それが彼自身と、向き合うということなのだから。
こんなにも遅くなって、だから、ティアリィを追い詰めて。
ティアリィの眼差しがやるせなく歪んだ。
ああ、応えなど。僕はもう、知っているのだ。
僕を見るティアリィの瞳には、今この時でさえ、恋情の熱などない。
「俺は……わからないんです。殿下のことは、好きです。でも、俺の好きは、殿下と同じじゃない」
わかっている、知っている。だからこそ、怖かったのだから。
僕を臆病たらしめるその事実。欲張りな僕の満たされない願い。
ティアリィは今、僕に、心を返してくれていた。それがたとえどんなに、僕の望んだものと違っていても。確かに、僕にくれる彼の心なのだ。
ティアリィが静かに微笑む。慈愛の笑みを僕へと向けて。
「一緒には、生きたいと思う。ずっと、殿下の側で。離れません。……それじゃ、駄目ですか?」
そんな風に、少し、困ったように訊ねてくれた。
ティアリィにはない恋の熱。でも、それ以外でならと、彼は彼なりに僕と向き合ってくれている。ああ。僕はどうしてこんなにも欲張りで。でも、今は。
僕は笑った。頬を伝う涙もそのまま、ふわりと。
「今は……それでいいよ。充分だ……」
今は、いい。それでいい。ティアリィがこれからも僕の側にいてくれる。もう、それだけで。
だけどやっぱり僕は欲張りだから。
「だけどいつか、君に求められるようになってみせるよ」
少し、力強さを取り戻した僕の言葉の端から、周囲に瞬く星が薄くなっていっていた。
魔術がゆっくりと溶けていく。
ああ。
「夜が明けるね」
陽が昇る。
この部屋の魔術は、夜だけのものだから。
今まで一つだった僕とティアリィの存在が、また再び分かたれていく。本来あるべき姿へと。個と個として、別の存在へと。
ティアリィと僕の境界が明確になる。夢の時間の終わりだ。
そっと、ティアリィから体を離した。今まで彼の腹の奥深くまで埋め込んでいた僕自身をぬちと、湿った音とともに抜き出して。ティアリィがその刺激に小さく呻いた。
僕は改めてティアリィに手を伸ばす。いつも通り、指先に魔力を乗せて。そうして彼へと触れた僕の魔力は。彼の中へと、しっかり馴染んでいった。
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