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市井育ちであること
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「皇太子殿下、リコリス王女。申し訳ありません。私は髪飾りを壊したつもりはございません。手に取ったときには壊れていました。置いてあったものを手に取ったのではなく、壊れたものを修繕するようにと手渡されたものと記憶しております」
留学して初めてヴィオラだけの友人ができた。
リコリスではなくヴィオラだけの友人。
リリアーヌはリコリス王女ではなくヴィオラを心配して動いてくれる友人。
あまりに嬉しくて、だから少し気が緩んでしまった。
姉が扇で口元を隠す。
「壊れたものをあなたに手渡したことはなくてよ」
エリオーラ侯爵令嬢が焦ったようにヴィオラに体を向ける。
「ヴィオラ様、いいかげんになさいませ。テーブルの上に置いてあった髪飾りを取ったのはヴィオラ様ではございませんか。その言いようですとリコリス王女が壊されたかのようではありませんか」
ヴィオラはどうこたえるべきか逡巡する。
「誰が壊したとかは分かりません。私がお店にもっていくように言われたときはすでに壊れておりました」
それまでの会話を全く表情を変えないまま聞いていた皇太子殿下はリコリス王女に視線を向けた。
「……それはもうよい。誰が壊したということは今現在の私は問題にしていない。
それより…この髪飾りは私からの贈り物だがリコリス王女が受け取られたということだろうか」
「そうですわ。いただいた後テーブルに置きましたの。
学園に通うときにつけたら可愛いかと思いまして」
「…なるほど」
リコリスに仕えている一番年配の侍女が口をはさむことをお許しくださいと皇太子殿下に許しを求める。
「私が殿下の侍従より受け取りました。我が国の姫君でなおかつ婚約者候補の方へという言伝がありましたので、リコリス王女様への贈り物として受け取らせていただきました」
「申し訳ありません。髪飾りが壊れましたこと、ヴィオラに代わりまして私からも謝罪の言葉を」
侍女の言葉を遮るようにして、リコリス王女がほんのりと笑う。
「……私が壊したのであれば申し訳ありません」
ヴィオラも頭を下げる。
しょうがないことだった。たとえ壊していなくとも謝る必要があった。バンゲイ国とバンパー国。戦争が終わり友好国として遇されるようになった今、国同士の仲を乱すことはできない。市井のお店の髪飾りくらいでほんの少しでも国同士の間に溝は作るべきではない。頭を下げることで済むのであればヴィオラはいくらでも頭を下げる。多少の苛立ちややるせなさを感じていても。
「エリオーラ嬢はヴィオラ王女が蝶の飾りを壊した場面を見たのだな。その言葉に間違いはないだろうな。分かっているだろうが、隣国の王女に対して虚偽は許されることではない」
エリオーラが目に分かるように狼狽える。
「……見ていたわけでは……最初は壊れていなかった、いえ壊れていた、ちょっとはっきりしないのですわ…… ヴィオラ様が触られた時には壊れていたので……」
「先ほど聞いた話と違うな」
皇太子は「まあ、現時点ではこれで納得しよう。仕事があるのでこれで失礼するが、この件については後日また」とだけ言い、侍従に促され部屋を出て行った。
ヴィオラは皇太子殿下へ礼をして見送り、キラキラした後姿が見えなくなるまで見送った後リコリス王女を振り向いた。
「リコリス王女、わたくしは髪飾りを壊していませんわ」
「あなたが壊したのよ、ヴィオラ」
無垢にすら見える華やかなほほえみを浮かべてリコリス王女は笑った。
「どうかしたの? 今までは何が起こったとしてもなんにでも謝っていたでしょう。口答えしたことすらなかったじゃないの、ヴィオラは。そこがヴィオラの可愛いところなのに。
わたくしが悪いなんてことになったらよくないでしょう、立場的にも。第1王女なのよ。しかも婚約者候補よ。
だからといってバンパーの伯爵令嬢や公爵令嬢が壊したとなれば皇太子殿下の贈り物を壊したということになり、何らかの処罰があるでしょう。一番誰もが納得できるのはヴィオラしかいないではありませんか。まあヴィオラにはわたくしからドレスでもなんでもあげているではありませんか。
それとも、こんなに反抗するなんて皇太子殿下に好かれたいのかしら。皇太子殿下はわたくしの婚約者よ。ヴィオラだって承知していたかと思っていたわ」
ヴィオラが壊したことにすれば誰もが納得する。そう言いたいのだろう。
「皇太子殿下に好かれたいからではありません。そんなことはこれっぽっちも……これまでリコリス王女からいただいたドレスはお返しします。今までにいただいたものもすべてお返しします」
「おもしろいことを言うのね。ならこれからどうするの。これからパーティはたくさんあるのよ。ドレスがなくて何を着ていくつもり」
「今までもこれからも私が出る必要性のあるパーティーはないでしょう。お姉さまが出ていれば良かっただけでしょう。私に必要なものは制服とワンピースが数枚あればそれだけで結構です」
「あなたは第2王女なのよ。そんな我儘通るわけないでしょう」
リコリス王女の口調がきつくなる。
「体調が悪いとでも言います。第2王女とはいえ私がどうしても出なければならない催し事は少ないはずです。
……できるだけリコリス王女にご迷惑をかけないよう、お目にかかることのないよう頑張ります。学園にいれば成績さえ良ければ食費も無料ですし寮費も無償です。自分の国の税金で賄われたものではないのでこの国の方々には申し訳ないですが、パーティーに出ないからと言って退学になることはないでしょう。そのためにも成績だけは上位にいられるように頑張ります」
リコリス王女は扇をパチンと鳴らして閉じる。
「わがままがすぎるのではなくて。よくそんなことが言えるものだわ。一言謝りなさい。それですべて許してあげてよ。あなたがバンパー国に来れたのも私の口添えがあったでしょう」
リコリス王女の言葉が終る前に姉の取り巻きたちが口をはさんだ。
「よくもリコリス様にそのような口をきけるものですわ。ドレスだってなんだってリコリス様の善意で譲り渡されていたのではありませんか」
「それどころかリコリス王女も言われましたが、リコリス王女の口添えがなければバンパーへの留学もなかったはず。リコリス王女に対してそのようなことをよく言えたものですわ」
ボソリと横から侍女も呟く。
「母親が母親なら子も子とはよく言ったものです」
「リコリス様のお母様である王妃様のご実家は侯爵家。お祖母さまは王女様が降嫁された方。それに対してヴィオラ様のお母様はどこの誰ともわからないような方。だから市井にいらっしゃったのでしょう。平民出身だから このようにリコリス王女にもわけのわからぬ言葉を投げかけることができるのでしょう」
ヴィオラにとって自分のことは我慢ができる。
だがお母様のことだけは我慢ならなかった。
ヴィオラだけを大切にしてくれた人。ヴィオラのことだけを考えてくれた人。
ヴィオラだけをいつも見て微笑んでくれた人。
いつもヴィオラを励ましてくれた人。
病の床からヴィオラをいつも微笑んでみてくれた人。
ヴィオラだけを大切に大切に見守ってくれた人。
『ヴィオラは私の宝物よ』
何回も言ってくれた母。
「お母様のことを言わないでください。
もう二度とこちらへは来ません」
ヴィオラはリコリス王女の部屋から出て行った。
留学して初めてヴィオラだけの友人ができた。
リコリスではなくヴィオラだけの友人。
リリアーヌはリコリス王女ではなくヴィオラを心配して動いてくれる友人。
あまりに嬉しくて、だから少し気が緩んでしまった。
姉が扇で口元を隠す。
「壊れたものをあなたに手渡したことはなくてよ」
エリオーラ侯爵令嬢が焦ったようにヴィオラに体を向ける。
「ヴィオラ様、いいかげんになさいませ。テーブルの上に置いてあった髪飾りを取ったのはヴィオラ様ではございませんか。その言いようですとリコリス王女が壊されたかのようではありませんか」
ヴィオラはどうこたえるべきか逡巡する。
「誰が壊したとかは分かりません。私がお店にもっていくように言われたときはすでに壊れておりました」
それまでの会話を全く表情を変えないまま聞いていた皇太子殿下はリコリス王女に視線を向けた。
「……それはもうよい。誰が壊したということは今現在の私は問題にしていない。
それより…この髪飾りは私からの贈り物だがリコリス王女が受け取られたということだろうか」
「そうですわ。いただいた後テーブルに置きましたの。
学園に通うときにつけたら可愛いかと思いまして」
「…なるほど」
リコリスに仕えている一番年配の侍女が口をはさむことをお許しくださいと皇太子殿下に許しを求める。
「私が殿下の侍従より受け取りました。我が国の姫君でなおかつ婚約者候補の方へという言伝がありましたので、リコリス王女様への贈り物として受け取らせていただきました」
「申し訳ありません。髪飾りが壊れましたこと、ヴィオラに代わりまして私からも謝罪の言葉を」
侍女の言葉を遮るようにして、リコリス王女がほんのりと笑う。
「……私が壊したのであれば申し訳ありません」
ヴィオラも頭を下げる。
しょうがないことだった。たとえ壊していなくとも謝る必要があった。バンゲイ国とバンパー国。戦争が終わり友好国として遇されるようになった今、国同士の仲を乱すことはできない。市井のお店の髪飾りくらいでほんの少しでも国同士の間に溝は作るべきではない。頭を下げることで済むのであればヴィオラはいくらでも頭を下げる。多少の苛立ちややるせなさを感じていても。
「エリオーラ嬢はヴィオラ王女が蝶の飾りを壊した場面を見たのだな。その言葉に間違いはないだろうな。分かっているだろうが、隣国の王女に対して虚偽は許されることではない」
エリオーラが目に分かるように狼狽える。
「……見ていたわけでは……最初は壊れていなかった、いえ壊れていた、ちょっとはっきりしないのですわ…… ヴィオラ様が触られた時には壊れていたので……」
「先ほど聞いた話と違うな」
皇太子は「まあ、現時点ではこれで納得しよう。仕事があるのでこれで失礼するが、この件については後日また」とだけ言い、侍従に促され部屋を出て行った。
ヴィオラは皇太子殿下へ礼をして見送り、キラキラした後姿が見えなくなるまで見送った後リコリス王女を振り向いた。
「リコリス王女、わたくしは髪飾りを壊していませんわ」
「あなたが壊したのよ、ヴィオラ」
無垢にすら見える華やかなほほえみを浮かべてリコリス王女は笑った。
「どうかしたの? 今までは何が起こったとしてもなんにでも謝っていたでしょう。口答えしたことすらなかったじゃないの、ヴィオラは。そこがヴィオラの可愛いところなのに。
わたくしが悪いなんてことになったらよくないでしょう、立場的にも。第1王女なのよ。しかも婚約者候補よ。
だからといってバンパーの伯爵令嬢や公爵令嬢が壊したとなれば皇太子殿下の贈り物を壊したということになり、何らかの処罰があるでしょう。一番誰もが納得できるのはヴィオラしかいないではありませんか。まあヴィオラにはわたくしからドレスでもなんでもあげているではありませんか。
それとも、こんなに反抗するなんて皇太子殿下に好かれたいのかしら。皇太子殿下はわたくしの婚約者よ。ヴィオラだって承知していたかと思っていたわ」
ヴィオラが壊したことにすれば誰もが納得する。そう言いたいのだろう。
「皇太子殿下に好かれたいからではありません。そんなことはこれっぽっちも……これまでリコリス王女からいただいたドレスはお返しします。今までにいただいたものもすべてお返しします」
「おもしろいことを言うのね。ならこれからどうするの。これからパーティはたくさんあるのよ。ドレスがなくて何を着ていくつもり」
「今までもこれからも私が出る必要性のあるパーティーはないでしょう。お姉さまが出ていれば良かっただけでしょう。私に必要なものは制服とワンピースが数枚あればそれだけで結構です」
「あなたは第2王女なのよ。そんな我儘通るわけないでしょう」
リコリス王女の口調がきつくなる。
「体調が悪いとでも言います。第2王女とはいえ私がどうしても出なければならない催し事は少ないはずです。
……できるだけリコリス王女にご迷惑をかけないよう、お目にかかることのないよう頑張ります。学園にいれば成績さえ良ければ食費も無料ですし寮費も無償です。自分の国の税金で賄われたものではないのでこの国の方々には申し訳ないですが、パーティーに出ないからと言って退学になることはないでしょう。そのためにも成績だけは上位にいられるように頑張ります」
リコリス王女は扇をパチンと鳴らして閉じる。
「わがままがすぎるのではなくて。よくそんなことが言えるものだわ。一言謝りなさい。それですべて許してあげてよ。あなたがバンパー国に来れたのも私の口添えがあったでしょう」
リコリス王女の言葉が終る前に姉の取り巻きたちが口をはさんだ。
「よくもリコリス様にそのような口をきけるものですわ。ドレスだってなんだってリコリス様の善意で譲り渡されていたのではありませんか」
「それどころかリコリス王女も言われましたが、リコリス王女の口添えがなければバンパーへの留学もなかったはず。リコリス王女に対してそのようなことをよく言えたものですわ」
ボソリと横から侍女も呟く。
「母親が母親なら子も子とはよく言ったものです」
「リコリス様のお母様である王妃様のご実家は侯爵家。お祖母さまは王女様が降嫁された方。それに対してヴィオラ様のお母様はどこの誰ともわからないような方。だから市井にいらっしゃったのでしょう。平民出身だから このようにリコリス王女にもわけのわからぬ言葉を投げかけることができるのでしょう」
ヴィオラにとって自分のことは我慢ができる。
だがお母様のことだけは我慢ならなかった。
ヴィオラだけを大切にしてくれた人。ヴィオラのことだけを考えてくれた人。
ヴィオラだけをいつも見て微笑んでくれた人。
いつもヴィオラを励ましてくれた人。
病の床からヴィオラをいつも微笑んでみてくれた人。
ヴィオラだけを大切に大切に見守ってくれた人。
『ヴィオラは私の宝物よ』
何回も言ってくれた母。
「お母様のことを言わないでください。
もう二度とこちらへは来ません」
ヴィオラはリコリス王女の部屋から出て行った。
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