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4.苦手なもの
しおりを挟む勉強漬けの毎日、それが始まってから早くも二週間が経った。
つまり、桐島さんと知り合ってからちょうど二週間。
地獄だと思っていたけど、実際そこまで地獄ってわけでもない。
相変わらず桐島さんは二重人格だし、いちいちあたしのいらいらポイントを突いてくるから、彼のことを好きかと聞かれたら間違いなくイエスとは言い切れない。
でも、あたしたちは、意外といい関係を築けているんじゃないかなとは思う。
そして、やっぱり彼が天才的に頭がいいってのは嘘じゃなかったらしい。
こんなありえない点数をとっちゃうあたしにでもわかりやすいように勉強を教えてくれて、最近では『あれ、あたし結構いけるんじゃん?』なんて、自信がついてきたくらいだ。
恐るべし、桐島さん。
あたしは彼に頭が上がらない思いだ。
そう心の中で思いつつ、彼に対しての態度は生意気全開だけど。
一応真剣に教えてもらってる時はあたしだって自粛するし、オンオフは切り替えてるつもり。
桐島さんも大体そんな感じだし、そのタイミングが奇遇にもあたしと彼は同じだから、なんとか上手くやれているんだと思う。
あたしは桐島さんを少なくとも好意的には見てないし、それは彼も同じだろうから、ある意味では気が合うとも言える。
お互いにあまり印象が良くないからこそ、こういう関係が成り立っているんだとも感じる。
午前中の授業が終わって、お昼休み。
七月に入って本格的に暑くなりはじめたにも関わらず、クーラーのきいた教室じゃなく外にいるあたしとミヤコちゃん。
日陰になっているし時折吹く風が気持ち良くて、そこまで暑さは気にならない。
これから本格的な夏に近づけば、こんなふうに外にいられなくなるだろうけど。
そんな中庭のベンチでお弁当を食べていると、ミヤコちゃんは唐突に桐島さんとのことを聞いてきた。
「で、噂の家庭教師とはよろしくやってるの?」
「ミヤコちゃん……、なんかその言い方はちょっといやなんだけど」
ミヤコちゃんの言葉に思わず苦笑い。
彼女なりにあたしの心配をしてくれてるのはわかるんだけど、その言い方はいやらしい気がするって思うのはあたしだけ?
……まあ、いいや。
プチトマトを口に放り込んで、ろくに噛まずに飲み込む。
よろしくっていうか、普通に勉強教えてもらってるけどね。
きっと桐島さんは、給料以上の仕事をしてると思うよ。
こんなあたしにでもわかりやすく教えられるんだから、相当なもんだ。
お弁当の中に残っている卵焼きを箸でつまみながら、ひとりでうんうん頷いていると横からすごい視線が。
……なに、ミヤコちゃん。
なんで無言で見つめてくるんだ。
「み、ミヤコちゃん? 言いたいことあるならはっきり言おう?」
卵焼きを食べようとしていた手を止めて彼女を見る。
だけど、ミヤコちゃんはあたしをじっと見つめたまま動かない。
なんなんだろう。
……でも、実は、ミヤコちゃんがなにを言いたいのかはなんとなく察しがついていたりもする。
桐島さんとよろしくやってるのか、なんて遠回りな聞き方をしてくる理由も。
いつもは冷静でズバッとした物言いのミヤコちゃんがこんなふうに聞いてくるのは、少なからず彼女も動揺してるってことだ。
それもそのはず。
なぜかっていうと、あたしが信じられないミラクルを起こしてしまったから。
たぶん、ミヤコちゃんはそのことについてなにか言いたいんだと思う。
だけど、いくら待っても彼女は続きを話そうとしない。
あたしからなにか言えばいいんだろうけど、それはなんだかなあ。
そう思って、さっき食べようとした卵焼きを口に運ぼうとする。
「茉菜、なんでそんな普通なの。もっと喜ぶとかないの?」
……ミヤコちゃん、あたしが食べようとしたときに話しかけるのやめようか。
阻止二回目だよ。
しょうがないからまたお弁当箱の中に黄色い卵焼きを戻して、ミヤコちゃんの方を向いた。
「喜ぶって、なんのことかな~?」
なんて、白々しい態度で言ってみる。
ミヤコちゃんがなにを言いたいのかわかってはいるんだけど。
今のあたし、落ち着いてるように見えるかもしれないけど、内心では小躍りしたいくらいの気分なんだから。
だけどね、実際自分でも現実味がないっていうか、信じられないっていうか。
にやにやしちゃうわけだけど、実感わかないんだよね。
っていうのは……。
「テストのこと。茉菜、入学してから初めて平均以上だったじゃない」
興味なさそうな言い方をしながらも、ちらちらあたしの様子を見ながらミヤコちゃんが言ったのその一言に、自分でもびっくりするくらい素早く反応した。
「そうっ、そうなんだよ~! 初の快挙!」
みなさん、驚くことなかれ。
なんとあたし、高校入学してから初めてテストで平均以上とりました!
あたしの学校はレベルが高いゆえに、ほぼ毎週小テスト、月に一度授業の確認テストが行われる。
今回はその小テストで、初めて平均以上とれたんだ!
五十点満点中の三十九点。
平均は三十八点とかで、めっちゃギリギリだけど。
でも、小テストでさえも今までほとんど二十点もとったことなかったから、これはすごい進歩。
……いや、小テストでさえも点数とれないことは今は置いといて、なにが言いたいかというと。
「桐島さんマジ神! すごい、さすが! ていうか、あたしも天才か!」
「あーはいはい。おめでと」
「ミヤコちゃん冷たい!」
けど、嬉しいものは嬉しい!
テストを返された瞬間は自分の答案なのに信じられなくて実感わかなくて。
先生にも『お前が平均以上なんてありえない』みたいな顔で見られたから、これは夢なんじゃないかって思ってたんだけど。
ミヤコちゃんから一応だけどお祝いされて、やっと安心。
「ま、いろいろ愚痴は聞いてたけど。仲よさそうみたいだし、テストで点数もとれてきたみたいだし。よかったじゃない」
「いやいや、仲良くはないからね? あたしのことバカにしてくるし、教科書で頭叩いたりもするんだから!」
「……茉菜がバカなのが原因よね、たぶん」
「うっ、そうですね、たぶん」
なんて会話をしながら、お弁当に残ったおかずの最後、卵焼きを口に運んだ。
うん、おいしいっ。
「……浮かれすぎてにやけてると、家庭教師のなんとかさんにまたバカにされるわよ。あとその顔、気持ち悪いし」
「な……っ!」
これは、卵焼きがおいしいから笑っただけなのに。
そりゃ、テストの点数もちょっと、いやかなり嬉しいけど。
今なら飛べるんじゃないかってくらいに舞い上がってるけど!
というか、顔が気持ち悪いってただの悪口だよね。
でも、今はそんなミヤコちゃんの言葉も笑って流せちゃう。
桐島さんに会ったら、すぐにこの答案を見せてあげよう。
でもきっと、彼はこう言うんだろう。
『まだまだだな、おバカさん』って。
そんなことを予想しながら、残りの休み時間をミヤコちゃんとゆったり過ごした。
時は経ち、放課後。
桐島さんが来る十八時までは、まだ一時間と少しある。
そんなわけで、ミヤコちゃんと学校近くのクレープ屋さんに行くことになった。
ここのクレープは学生に人気があって、いつも並ばないと買えないんだ。
フルーツもクリームもたっぷり、しょっぱい系のクレープもあるし種類は本当にたくさん。
それに、どれも三百五十円で買えちゃう。
違うお店で買うとほとんど四百円以上だから、ここのは本当にお財布に優しい。
学生にもってこいのお店で、あたしのお気に入りだ。
お店に着くと、やっぱりもう何人かの人が並んでいた。
その人たちはみんな制服姿で、あたしたちと同じく学校帰りみたい。
「ミヤコちゃん、何食べる~?」
列の最後尾に並びながらメニューを見て、あたしと同じようにいろんなクレープの名前が書かれたボードを見るミヤコちゃんに聞く。
「うーん……、ツナサラダ」
ほうほう、ミヤコちゃんはしょっぱい系か。
あたしは断然甘い派だから、やっぱりクリームとかフルーツたっぷりがいいなあ。
そんなことを考えていると待ち時間はあっという間で、次はもうあたしたちの番だ。
「いらっしゃい! あら、茉菜ちゃんに都ちゃんじゃないの。今日はなににする?」
実はここのお店のおばちゃんには、もう顔を覚えられている。
何度も来てるからね。
おばちゃんが言うには、あたしとミヤコちゃんが一番のリピーターらしい。
にこにこ笑顔のおばちゃんに、あたしとミヤコちゃんも笑い返した。
「あたしがカスタード生ダブルのストロベリーチーズケーキで、ミヤコちゃんがツナサラダ!」
「はいよ~! ちょっと待ってね、すぐに作るから」
「はーいっ」
ひとりでお店を切り盛りしてるだけあって、手際よくクレープの薄い生地を器用に焼いていく。
それを見るのが、結構好き。
「ふふ、今日は学校でなにか面白いことはあった?」
じっとおばちゃんの手元を見つめていると、そんな声がかかった。
相変わらず手は動いているけど、目線はあたしたちに向けられている。
うーん、おばちゃんの手際の良さには完敗だ。
おばちゃんの手元を見ながら、今日一日のことを思い出す。
面白いことではないけど、今日はとっておきの話題がある!
「今日はね……」
「茉菜がテストで初の平均以上とりましたよ」
「ちょっとおおおお!?」
あたしが話そうとしたのを遮って、ミヤコちゃんが澄ました顔であたしの代わりに話してしまった。
あたしが言いたかったのに!
「あら~! よかったじゃないっ。じゃあ今日はそれを記念して、アイスとフルーツ足しとくわね!」
「えっ、いいよ! 平均以上って言ってもぎりぎり上くらいだったし、おまけつけてもらうのは……」
そうは言うけど、アイスに果物プラスってすごく食べたいかも。
いやいや、でもおばちゃんに悪いし。
「遠慮しないで? 茉菜ちゃんは常連さんだものね! ミヤコちゃんにはおまけでドリンク付けるわね? みんなには内緒よ?」
ふふ、と笑ったおばちゃんはあたしの心を読み取ったのか、断りの返事も聞かないでさっさと焼きあがった生地にどんどんと果物をのせていく。
わお、超豪華。
これでもかっていうほどのクリームにフルーツ、メインのチーズケーキ。
最後にベリーソースがかけられて、クレープが巻かれていく。
紙に包まれたあと、上にバニラアイスがのせられた。
今まで見たことのない、スペシャルなクレープが完成した。
「はい、茉菜ちゃん」
「おばちゃん、本当にありがとう!」
ここは素直に受け取っておくに限るよねっ。
ミヤコちゃんもツナサラダクレープと、おまけでもらったドリンクを申し訳なさそうにしながらも受け取った。
「うん、お礼はいいよ! だからまた来てね!」
あたしたちに気を使わせないように朗らかに笑うおばちゃんに、もう一度お礼を言った。
近々また食べに来よう。
あと、これからもっと勉強も頑張らなくちゃね!
おばちゃんのクレープがあれば頑張れる。
最後尾だったあたしたちの後ろにはいつの間にかまた列ができていて、おばちゃんに手を振って屋台から離れた。
「なんか、飲み物貰っちゃったけどよかったのかな……」
家に向かって歩きながらクレープを頬張るあたしたち。
ミヤコちゃんは、ジュースのおまけをまだ気にしているみたい。
あたしもこんなにおまけつけてもらった手前、なんとも言えないけど。
「おばちゃんもああ言ってたんだし、その分またクレープかってお店に貢献し……」
そう言ったところで、言葉が出なくなった。
数メートル先にいる人の姿が目に入って。
グレーのスーツをピシッと着こなして、ワイシャツの袖をまくっている後ろ姿。
ここ最近で見慣れた彼、桐島さんがそこにいた。
……女の人と、腕を絡ませて。
「桐島さんだ……」
「え、なに。どれ?」
「あれ」
そう言って、あたしたちの先を歩いていく桐島さんを指さした。
よそ行き顔で爽やかに笑う彼を見たミヤコちゃんは、「ふーん、茉菜が言ってた通りかっこいいけど。裏ありそうな顔してるよね」なんて彼を批判した。
彼の隣りにいる女の人は、腰まであるきれいにウェーブした茶色の髪を揺らしながら、桐島さんを見上げて楽しそうに笑っている。
見た感じ、美人っぽそうな人。
スタイルもいいし、正直言って絵になるほどふたりはお似合いに見える。
女の人に、桐島さんも優しく笑い返していて。
なんだ、なんだ。
あんなに口悪いし暴力的なのに、彼女いるんですね。
まあ、あれだよ、顔だけはかっこいいもんね?
彼女がいてもおかしくない。
あたしには全く関係ないし。
だけど、なんでだろう。
すごくもやもやするんだけど。
だってさ、表の顔でいるってことは、彼女さんはあの人の本性知らないで付き合ってるわけでしょ?
騙されてるってことだよ?
あたしといる時なんか、口は悪いし態度はでかいし、結構バイオレンス。
それとも、それを知ってても、彼女は桐島さんと付き合ってるのだろうか。
なんだか、そんな桐島さんの彼女を見つめる横顔が悠斗と重なって見えて、どうしようもなくいらいらした。
「茉菜? どうしたの、大丈夫?」
「え、あ、うん。大丈夫だよ」
ぼーっとしてたみたいで、ミヤコちゃんに心配されちゃった。
これから数十分後に桐島さんと会うわけだけど、なんだか気分が乗らない。
テストだって、桐島さんがそこの部分を重点的に教えてくれたから良い点数を出せたわけで。
早く結果を教えたいって、ついさっきまでそう思ってたのに、無性に会いたくない。
絶対に、今のを見たせいだ。
前を向いてさっき桐島さんと女の人がいた場所を見ると、ふたりはもうどこかに行ってしまったようで、そこにはいない。
さっきまですごくおいしく食べていたクレープも、なんだか急に味がしなくなってしまった。
家に帰ると、十七時四十五分だった。
桐島さんはいつも十八時ちょうどに家に来る。
部屋で桐島さんが来るのを待っているけど、もう十八時を過ぎた。
それなのに、桐島さんはまだ来ない。
「はあ……。あの女の人といるのかな」
いや、別に気になるとかそういうのじゃないけど。
彼女とかいることが気になってるわけじゃなくて、カテキョの時間は守ってほしいってことだよ。
……でも、そんなのは建前。
ほら、一応だけど、心配になるじゃん?
彼女といるならそれでいいけど、今までずっと決まった時間に来てた人が来ないんだよ?
事故にあったのかとか、なにかあったんじゃないかとか心配になる。
一応だけど。
結局、桐島さんはいつもと変わらない姿で、いつもより十分分遅い時間に家に着いた。
待った時間はたった数分のはずなのに、異様に長く感じた。
「……なんかおまえ、機嫌悪い?」
勉強開始早々、小首を傾げた桐島さん。
そういう可愛い仕草も違和感なくて、正直女のあたしより似合うかもっていうのがムカつく。
かっこいいとなんでも絵になるから、悔しい。
っていうか羨ましい。
……いや、そうじゃなくて。
なんでこの人は、小さい変化にいちいち気が付くのかな。
機嫌悪いわけではないけど、正直、胸のあたりがもやーっとして気持ち悪い。
なんでなのかはわかんないけど。
機嫌悪いというより、気分が良くないのかな。
「別に、なにもないですけど」
まあ、そういうしかないよね。
原因なんて自分でもわかんないし、機嫌は悪くないんだから。
だけど、そう言った直後、なぜかあたしをギロリと睨みつけてきた桐島さん。
ちょっと言い方が冷たかったからなのか、なにか気に障ることをあたしが言ったのかわからないけど、ものすごく機嫌悪そうにしてる。
というか怒ってる?
桐島さんの怒りスイッチがよくわからない。
「逆に桐島さんが機嫌悪いんじゃないですか。なんかありました?」
そう聞くと、更に眉間にしわを深く刻んだから、もう怖くてなにも聞けない。
というか無駄話はいいから、ちゃんと勉強教えてよ。
これ以上地雷踏みたくないから、なにも言わないけど。
「ちょっと待て。勉強ストップ。その手を止めろ」
「はい?」
桐島さんを無視してノートにペンを走らせていたら、そんなことを言われた。
あの、一週間後に期末あるからほんとにやばいんですけど。
ていうかあんた仮にも教師なんだから、勉強教えてよ。
ストップじゃないし。
内心で悪態をついているあたしなんて知らず、桐島さんは無理矢理勉強を中断した。
「おまえ、なんで今日そんなに静かなの。この間のテスト、悪かった? そろそろ返ってくる頃じゃねえの?」
「あ、ああ。忘れてた。はい、今日返ってきましたよ。これです」
スクールバッグに入った折りたたまれている用紙を取り出して、桐島さんに渡した。
なんだろ、あたし、なんでこんなに気分落ちてるんだろう。
この点数とった時はすごい喜んで、そんなハイテンションのまま桐島さんに見せるんだと思ってたんだけど。
キャラじゃないってわかってるけど、桐島さんにお礼も言うつもりだった。
それなのに、あたしは今なんでこんなに複雑な気分なんだろう。
「なに、マジで点数低かった?」
あたしが素っ気なく渡したからか、恐る恐る紙を開いていく桐島さん。
心配しなくても、悪い点数ではないよーだ。
桐島さんが教えてくれて勉強したとこ、ドンピシャで出たし。
「……おまえこれ、平均は?」
紙を開ききってあたしに聞いてきた桐島さん。
彼は驚いているような信じていないような表情で、あたしの顔と答案を交互に見ている。
「38点くらいだった、かな」
あたしがそう言うと、桐島さんは目を真ん丸に見開いた。
……かと思ったら。
「茉菜、すげーじゃん! よくやった!」
「っ!」
桐島さんはそう言うと、満面の笑みであたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。
彼からは怒りのオーラが消えて、キラキラした笑顔であたしを見ている。
えっと、なんかすごい喜んでる?
というか、こんなストレートに褒めてもらえるなんて思ってなかった。
桐島さんはまだ、「すげーすげー」なんて言いながらあたしの髪を乱している。
あたしは犬か!なんて思ったけど、嬉しいから許す。
それに、なんだかちょっぴり照れ臭い。
「へへ、嬉しいなっ!」
うん、頑張ってよかったよね!
桐島さんもこうして喜んでくれたし、褒めてくれたし。
さっきまでのもやもやした気持ちが晴れて、桐島さんを見上げて笑う。
すると、頭の上にのった桐島さんの手がぴたりと止まった。
あー、もうご褒美タイムは終わりかあ。
まあそうだよね。
桐島さんがこんなに優しいっていうのも、気持ち悪いし。
ぼさぼさになった髪を手ぐしでささっと整える。
……そういえば、さっきあたしのこと"茉菜"って、ちゃんと名前で呼んだよね?
うわあ、こういう時だけちゃっかり名前で呼んじゃうんだもん。
そういうのって、本当にずるい。
今更恥ずかしくなってきちゃったし。
上気した頬を手で仰ぐと、だんだん熱が冷めていく。
「なんだよ、おまえほんと意味わかんねーし。良い点とってんだから、早く見せりゃよかったのに。つーか、いつの間にか機嫌なおってるし」
そう言って、へにゃっと笑った桐島さん。
うん、その笑い方はちょっと好きかも。
「桐島さん、あたし別に機嫌なんて悪くなかったですよ? テストは、ほら。桐島さんのことだから『こんな点数しかとれないの、おバカさん』って言われるかもとか考えてたら、見せるの少しいやになっちゃって」
「アホか。おバカさんなおまえがこんだけ点数とれたのに、褒めないとか教師失格だろ。つーか、俺はそこまで性格悪くねーよ」
「ほら! 結局バカって言ってるじゃん!」
そう言うと、桐島さんは「まあな」なんて言って笑った。
桐島さんは正直、良い性格してるとは思う。
アメとムチの使い分け絶妙だし。
……本当は、桐島さんにさっき言ったことの半分は嘘だ。
だって、テストは早く見せたかったもん。
例え"バカ"って言われたとしても、あたしにとっては初めての高得点だったから。
だけど、そうできなかったのはなぜだろう?
それは、考えてもわからない。
ただ、今、確実にわかっていることがある。
それは、最初ほど桐島さんのことを、きらいだなんて思っていないってこと。
大きらいなはずの勉強が、少しは楽しいと思えるようになったこと。
たった二週間ぽっちでこう思えるんだから、これからもっと"きらい"が"すき"になっていくんじゃないかって予感がする。
やっぱりまだ、桐島さんのことも勉強も、好きだとは断言できない。
特に、桐島さんのことは。
どうしても、悠斗と重ねて見ちゃうから。
悠斗を、思い出しちゃうから。
最近勉強を教えてもらってる時、よくそれを感じる。
初めて桐島さんに会ったときは、裏表のある性格を知って、悠斗とダブって見えていただけなんだけど。
ふとした瞬間の横顔とか、あたしをバカにする時の声とか、どことなく悠斗に似てる気がして。
だから、なぜか距離があく。
距離をとっちゃう。
桐島さんの性格がそんなに良くないのはもう知ってるけど、あたしにこうやって直接思ってることを言ってくるから、悠斗とは本質的には違うんだろうなって思う。
第一、桐島さんと悠斗は別人、赤の他人だ。
桐島さんは悪い人じゃないと思いたいだけなのかもしれない。
だけど、やっぱり悠人とは違う気がする。
あたしがいくら二重人格の人が嫌いだって言っても、そんなことは桐島さんには関係ない。
それに、勉強を教えてもらってる間くらい、嫌いとかそういう感情をなくして、桐島さんと一緒に頑張りたいって思ってる。
……つまり、なにが言いたいかというと。
あたしは、少なくとも桐島さんを嫌いじゃなくなったってこと。
好きとは言えない。
だから、そうだな。
なんて言えばいいんだろう?
好きでもなく、嫌いでもなく、だからと言って普通って言うのもちょっと違う。
……そうだ、苦手。
そのくらいの表現がちょうどいいのかもしれない。
「おい、おまえ。さっきからなに見てんだよ」
桐島さんを見ながらそんなことを考えていたら睨まれちゃったけど。
こういうやりとりも悪くないなあなんて、そう思ったんだ。
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