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蝉声

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「久しぶりだね」

 少し首をかしげながら、俺の顔を見て少女が言った。

「えっ、あ、え?」

 色々なことが起こりすぎて頭の処理が追い付かない。

「なに慌ててるの?」 

 ふふっ、と笑う少女。その笑顔も懐かしいようで恋しく、つい見惚れてしまう。

 しかし今はそんな場合ではない。

 状況を整理する必要がある。

 俺はベンチに座ったまま両手で頭を抱え、そのまま目をつぶった。

(まず、俺はバスに乗ってそのまま寝てしまい、終点まで来てしまった。そしておそらく運転手さんか誰かが俺をここに降ろした? ということにしよう。じゃあ、目の前にいる少女は・・・)

 ふと、顔をあげると、目の前には少女の顔があった。

「うわあっっ!!」

「そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」

 そのまま後ろに倒れ、頭から転げ落ちた俺だったが、何もなかったかのように座り直し、少女に質問した。

「君は、この前の・・・?」

「そうだよ、おぼえててくれたんだ」

 クルっと振り返って少女が答える。

「どうしてこんなとこに?」

 俺に背中を向けている少女にそう聞くと、再び長い黒髪をなびかせながら振り返り、

「それはこっちのセリフだよ?」と、いたずらっぽく言った。

「俺は・・・ちょっと寝過ごしちゃって」

 後頭部をポリポリ掻きながら俺は答える。

「ふーん。そういうドジなところは、あの時から変わらないね~」

 少女は悪そうな表情で俺をからかうが、その表情に意識を奪われ、からかわれていることに気付かない自分は、本当に前と変わっていないんだなと思う。

「それで、一人で帰れるの?」

 俺の目の前で前かがみになり、顔を近づける少女。

 夏風と共にいい匂いが俺の嗅覚を刺激する。

 再び少女に持っていかれそうな意識を何とか現実に保ち、辺りを見回す。

「ほんとに、見たこともない場所だしな・・・」

 今になって、事の重大さに気が付いた。

 幸い明日から部活がなく休日が続くが、部活帰りの俺の体は限界に近かった。

 目の前にいた少女はすっと身体を元に戻し、俺の左隣に腰かけた。

 隣に座っているだけで、俺の鼓動は、例のダッシュ100本の練習の時よりも早くなる。

 急に照れ臭くなり、恥ずかしく、視線を左に向けることができなくなった。

「じゃあ、私が途中まで送って行ってあげようか?」

 突然少女から出された提案。

「え、いいの?」

「うん、いいよ」

 あっさりと俺を送ってくれると言ってくれた少女に対して、これまでに感じたことのない高揚感と興奮を覚えた。

「ほら、早くしないと暗くなっちゃうよ」

 バスに乗った時はまだ明るかった空は、今はもう薄暗くなり、少女の顔もはっきりとは見えない。

 俺は重いバッグを持ち、少女の後についていった。





 薄暗い一本の道路の両側に田んぼだけがあり、辺りを見渡しても木が生い茂る山か、田んぼしか目に入らない。

「家はどこら辺?」

 軽い足取りで俺の先を歩く少女。

「えっと、木見駅の近く」

「わお、5つも乗り過ごしちゃったんだね」

 以前あった時よりも、その口調がなんだか少し明るい気がした。

 時刻はすでに8時頃だろうか、こんな時間にも限らずゼミの鳴き声はうるさくなっている。

 しばらく沈黙が続いていたが、少女が口を開いた。

「ねえ、セミの寿命って知ってる?」

「セミ? たしか1週間から2週間じゃなかったっけ?」

 突然何を聞き出すのかと驚いたが、少女はいたって真剣に聞いているようだった。

「そうだね、前まではそう言われてたの。でも今は違うんだよ?」

「え、そうなの?」

「そうだよ~。まあ個体差はあるんだけど、大体一か月はああやって鳴き続けるんだよ」

「へー・・・」

 セミが好きなのか、そんな豆知識を披露した少女はふと、俺の方を振り返り、後ろ向きで歩きながら俺を見て微笑む。

 顔が熱くなる感覚がして、俺は視線を田んぼに移す。

「お、俺も聞きたいことがあるんだけど・・・」

「んー、なあに?」

 そう、前会った時から疑問ばかり残していくこの少女には、聞きたいことが山ほどあった。

 テニス部なのはほんとなのか。本当にあの学校の生徒なのか。この前ファミレスで見ていたのは君なのか。どうして今ここで出会っているのか。

 そんな疑問が頭の中をぐるぐると回っているが、一番最初に聞きたいことがあった。

「その、な、名前は?」

「え?」

「いや、だから、名前はなんていうんですか?」

 次第に小さくなる俺の声を聞いて、少女が笑いだす。

「ぷっ、あはははは! 何を言い出すのかと思えば、名前って」

 少女はこみあげてくる子供のような笑い声で、腹を抱えている。

 俺は恥ずかしくなって何も言えず、ただ道路を見つめていた。

「夏葉」

「え?」

「私の名前。夏の葉っぱって書いてなつは、だよ」

 まだ顔に笑みを残しながら、少女は言った。

「その、苗字は?」

「うーん、苗字は教えられないな~、まだ」

 再びいつものからかうような笑顔に戻る少女は、俺の隣まで来て並んで歩き始めた。

「普通、逆だと思うんだけど」

「呼び方に順番なんてないよー? 教えたんだから、次からは「君」じゃなくて名前でよんでね」

「うん、う、え?」

 相変わらずの独特な距離の詰め方に驚くが、少女の俺を見つめる瞳を見ると、否定の言葉なんて出なかった。

「わかったよ」

「ふふ、やったね」

 夏葉は後ろで手を組みながら、足音を一切立てずに隣を歩く。
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