雨とコーヒーと、酒と本

nagiyoooo

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第四章

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 村上くんは、次の週も現れなかった。次の週もその次の週も。
 このとき私は感じていた。
 おそらく私は、彼のことに少なからず好意を持っており、彼のことを求めている。しかし彼は現れなかった。
 彼のいない間も私はあの喫茶店に通った。そしてお爺さんと他愛もない会話を交わした。
 とある休日。私は大きめのショッピングモールに来ていた。珍しくバイトもなく、特にすることもなかったので、本屋に行き雑誌コーナーで適当なファッション雑誌を眺めていた。田舎にいた頃は外見を気にしていないことはなかったが、人目が少ないので簡素な服装のときが多かった。ましてや髪を染めたり、爪になにかを塗ったり貼ったりなんて考えもしなかった。しかし都会に出てきてからというものの、どこに行っても人がいる。誰かが見ている。そして、見られることに悦びを感じる人がいる。その事実に驚いたものだった。やけに短いスカートや派手な髪色、女子高生の格好をした男や路上で歌う人。十人十色とはよく言ったものだ。
 軽いため息とともに雑誌を棚に戻し、小説コーナーに移った。色とりどりで、派手に加工されたポップが人気の小説を際立たせている。昔から私はこういう類の小説を読まないようにしている。そもそも人の感性はそれぞれであって、それこそ十人十色だ。一般に面白いものはあるけれど、フラットな状態で作品を選びたい。
 ひねくれていると言われても別に構わない。私はそういう人間だった。そして私は数ある小説の中から、隅っこの方にある、名前も聞いたことのない作家の小説を手に取った。パラパラとめくり、作家の情報をみて、裏のあらすじを読んだ。別段面白そうでも、つまらなそうでもなかった。私はその小説を持ったままレジに向かった。
 ふと、見慣れた姿が目に入った。
 村上くんだった。
 レジを隔てて向かい側に、村上くんがいる。
 私の心拍数は、隣の人でもわかるほど高まった。
 私は声をかけようか迷ったが、やめた。彼は一人ではなかった。隣には見知らぬ女性がいた。高いヒールを履き、そこからスラッとした長い脚が伸びている。金髪の長い髪が胸のあたりまであり、きれいな顔を一層際立たせてる。女の私でも見とれてしまうほど美しかった。
 私とは真反対。
 心のなかでそう呟いた。
 様々な思考が頭の中を駆け回る。初めに会ったとき、たしか彼はああいうタイプは苦手だと言っていたはず。最近顔を出さなかったのは彼女と一緒だったからなのか。ふと、先日喫茶店でお爺さんが言っていた言葉を思い出した。
「彼、昨日来てましたよ」
 その時私は何も気にしていなかった。私が一人できているように、彼もまた一人でここに通っているのだろう。もともとあの喫茶店を紹介してくれたのは彼なのだから。
 しかし今、村上くんとその隣を歩く美女を見て、私の脈は上がる一方だった。一刻も早く、この場から離れたかった。そして私は走り出した。

 気づけば自室の床に座り込んでいた。
 カーテンから差し込む光から、今は夕方頃だとわかった。いつもは誰かが歩けば振動が伝わってくるほど不安定なアパートが、今は静かだった。きっとみんな誰かと過ごしているのだろう。誰が好き好んでボロアパートにいるものか。
 涙は出てこなかった。腹も立っていない。言葉では表せない感情がこみ上げてくる。
 私は思い上がっていただけかもしれない。別に付き合っていたわけでもなければ、親友だったわけでもない。彼とは一緒にコーヒーを飲んでいただけだ。一方的な彼の話を聞いては、たまに頷き、質問されればそれに答える。
 嫉妬が一番近い感情かもしれない。そう思った。今考えてみると、私以外に関係を持つ女性がいてもおかしくなかった。彼は見た目は派手ではないが、どこか不思議な感じがあり、多少の大人っぽさもある。服装もシンプルで、万人受けはしないが、それこそ経済学で言うニッチ戦略に従ったような男だ。
 彼はある日を堺に、私を誘わなくなった。そして私ではなく、あのきれいな彼女を選んだ。断定はできないがおそらくそうだろう。
 ときに何も持たない私にとって、誰かに求められることは初めてだったし、それが生きる意味でもあった。私には、ただいまを言う相手も、おかえりと言ってくれる人もいない。いつの日か見た親子の姿が目に浮かんだ。そして恨めしく思った。
 でもこれで、気持ちに整理がついた。
 私はもう彼を求めない。彼が求めなかったように。
 明日からはまた以前の私に戻る。いつものように講義を受けて、アルバイトに行き、家に帰る。それでいい。
 昼から何も食べていないが、お腹は空いていなかった。時刻は夜の八時を過ぎていた。
 何も食べないわけには行かないので、冷蔵庫から卵を取り出し、冷凍しておいたご飯を取り出して温めた。フライパンで卵を焼き、特に味付けもせずご飯と一緒に食べた。美味しくはなかった。
 食べ終わり、薄っぺらい布団を敷いて中に入った。
 ふと、枕元に一冊の小説があることに気がついた。そして私が会計を済まさず店を出てきたことを今になって思い出した。一瞬冷や汗のようなものが出てきたが、明日もう一度店に行って謝れば良いと思い、暗い部屋の中、小説を開いた。深夜一時を回ったところでまだ30ページほどしか進んでいないことに気が付き、今日はやめておこう、そう思いトイレに行って床についた。
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