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渡辺健斗

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 僕の名前は渡辺健斗。

 中学二年生だ。

 普通の中学校に在籍して、普通のサッカー部に入り、普通の成績をとり、普通の生活をしている。

 みんなは僕のことをたまに変な目で見るけど、あまり気にしていない。

 だって、周りの目を気にしてたら、楽しいことも楽しくなくなっちゃうからね。







 今日は課外授業で森の中に来てるんだ。

 まだ6月なのに、真夏みたいに暑くて、すぐにのどが渇く。

 僕は自然が大好きだから、生い茂る草も、飛び回わる虫も、そこら中に育つ木々もみんな好き。

 風で揺れてかさかさと鳴る音はまるで、僕に話しかけてるみたいに聞こえるんだよ。

 そんな雰囲気が好きで、思わず顔の筋肉がゆるんじゃう。

 少し離れたところで笑い声が聞こえたから見てみると、同じクラスの男子が3人いた。

 僕を見て手を振りながら笑ってる。

 僕が思うに、あの子たちも僕と同じで、自然が好きで何か感じるものがあるんだと思う。

 みんなが歩き始めたから、後に続く。

 すると前の方から、クラス委員長の黒瀬彩さんが僕のところに来た。

 そして小さな声で、「気にしなくていいのよ」と言った。

 正直何の話をしているのかわからなかったけど、うんと頷いておいた。





 五分歩いたところでスケッチの時間になった。

 それぞれが持っているレポート用紙に、自分が調べる動植物のスケッチをするらしい。

 僕は辺りを見回して、大きな木に蛾が止まっているのを発見した。

 よし、これにしよう。

 木の隣にあった少し大きめの石に座り込んで、用紙と鉛筆を取り出した。

 A4サイズの紙に、大きく書いた。

 羽根のスケッチに取り掛かろうとしたとき、黒瀬さんがやってきた。

「何かいてるの?」

 嘘をつく理由もないから、正直に答えた。

「これだよ」

「変わったものを書くのね」

 これには返事をしなかった。

 黒瀬さんは僕のスケッチをじっと見つめてから、隣に座った。

 黒瀬さんは普段からやたら僕に絡んでくるけど、もしかして僕のこと・・・

 いや、いまはスケッチに集中しよう。

 二人並んですらすらと紙の上に鉛筆を走らせていた。

 黒瀬さんはどうやらクワガタを書いてるみたいだ。

 でも、どこにクワガタがいるんだろう。

 ふと、小さな虫が黒瀬さんの服についているのに気が付いた。

 でも黒瀬さんは気づいていないみたい。

 僕はしばらく悩んだけど、女子は虫が嫌いだし、とってあげることにした。

 そっと手を伸ばし、服についた虫をつかんだ。

「キャア!」

 突然黒瀬さんが叫んだ。

 僕はびっくりして、つかんでいた虫を放してしまった。

 でも、虫は取れたから大丈夫。

 そう言って黒瀬さんの方を見たら、泣きながら先生の方に走っていった。 

 そんなに虫が嫌だったのかな。

 5メートルほど離れたところに、またさっきの男子たちが笑っているのが見えた。

 だから僕も微笑み返した。

 でも、怖がる女子を笑うのはよくないと思う。



 僕がまたスケッチにとりかかろうとしたときだった。

 先生が僕のところへやってきた。

 後ろには黒瀬さんもいる。

 僕、人の心を読み取るのは苦手だけど、先生が怒っているのは分かった。

「渡辺君、黒瀬さんに謝りなさい」

 でも、先生が言っていることは理解できなかった。

 どうして僕が謝らないといけないんだ?

「よくわかりません」

「何言ってるの! もう中学生なのよ、やって良いことと悪いことの区別はつくでしょ!」

 僕がよく大人に言われるセリフだ。

 でも、僕が黒瀬さんにしたことで思い当たるのは、良いことだ。

 だから謝る必要なんてない。

 僕は無視してスケッチを続けた。

 すると先生が怒った声で、「学校に戻ったら職員室に来なさい」と言った。

 全く、いつもこれなんだから。







 放課後、僕は職員室に来ていた。

 どうしてか、お母さんも学校にいた。

「本当にすみません」

 お母さんはさっきからずっと、先生と隣に座ってる女の人に謝っている。

「うちの子がどれだけいやな思いしたのかわかってるの!」

 女の人は大きな声で僕のお母さんに怒鳴りつけている。

「ほんとにすみません」

 お母さんはずっと頭を下げたまま、かすれた声で謝り続けている。

 大人は本当に理解できない。

「第一ね、その子には反省というものが全く感じられないわ」

 女の人はすごい顔で僕を睨みつけた。

「黒瀬さん、事情は先ほど申した通りでして」

 黒瀬さん?  この女の人は黒瀬さんのお母さんなのか。

 どうりで似ていると思ったよ。

 先生が何やら小さな声で黒瀬さんのお母さんに話している。

 黒瀬さんのお母さんは、はあとため息をついてニヤッと笑った。

「あなたも大変ね」

 最後にそういって、先生と一緒に出ていった。

 お母さんはもう誰もいない部屋でずっと、頭を下げていた。







 僕の家はみんなほど大きくなくて、隙間風がびゅうびゅうなるようなところだ。

 お母さんは家に着くとすぐに椅子に座り込んで、テーブルに突っ伏した。

 僕はお母さんの向かいに座って、じっと見つめていた。

 ふと思い出して、今日書いたレポートをテーブルに広げた。

 我ながらうまくかけている。

「お母さん、これみて」

 僕はレポート用紙を回転させて、お母さんに見せた。

 お母さんはゆっくり顔を上げた。

「これ、ミスジシロエダシャクっていうんだ。図鑑で確認したから合ってる」

 僕はレポートの絵を指さしながら説明した。

 すると、お母さんが突然泣き出した。

 そしてまた学校の時みたいに謝りだした。

 僕がどうしたのと聞いても、ごめんね、ごめんねというだけだ。

 だから僕はしばらく待つことにした。



 5分、いや10分ほど待っただろうか。

 お母さんはやっと泣き止んで、目を裾で拭きながら僕に言った。

「健斗、出かけようか」

「出かけるって、どこへ? もう外はこんなに暗いよ?」

 お母さんは、「大丈夫だから」と言って僕の手を力ずよく掴み、鞄も持たずに出かけた。

 それから車に乗り、ドライブを始めた。



 30分ほどたったかな。

 僕は途中で寝ちゃってたみたい。

 お母さんは寝ていなかったけど、車を止めてじっと座ってた。

 僕が起きると、「行こうか」と言って車を出た。

 車を降りるとそこは、今日行った森だった。

 なんだ、お母さんも蛾を見に来たのか。

 お母さんは僕に先に歩くように言い、僕の後ろを静かについてきた。

 カサカサカサ

 暗い森だけど、月明かりで足元くらいは見える。

 木と木の間から差し込んだ光の先に、僕が書いた蛾がいたのが見えた。

「お母さん、これだよ」

 きっとお母さんは僕が見せた蛾が見たかったんだ。

 僕は興奮してお母さんのいる後ろを振り返った。

 でも、僕が思ってたよりお母さんは近くにいた。

「おかあ、さん?」

 なんだか急におなかが痛くなった。

 暗くてよく見えないけど、お母さんの手は僕の体から離れたり遠ざかったりしてる。

 お腹の次は肩、次は太もも。

 僕、こんなに痛いの初めてだ。

 お母さんは腕を大きく振り下ろした。

 最後に居たかった場所は首だった。

 その後のことはよくわからない。

 でもお母さんが最後に「ごめんね」と言っているのは聞こえた。

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