1 / 4
第一話: 僕のこと
第一話【第一章】
しおりを挟む自分の車に千尋を乗せて和彦が向かったのは、繁華街の中にある、飲食店ばかりが入った雑居ビルだった。とにかく人目を避け、なおかつ人に紛れ込みたかったのだ。これだけ飲食店があれば、仮に尾行がついていたとしても、二人の姿を容易に見つけ出せないはずだ。
もっとも、千尋と二人きりになった時点でアウトな気もするが、肝心の千尋が和彦から離れないのだから仕方ない。
混み合うエレベーターを途中で降り、階段を使って上がる。入ったのは、個室が使える居酒屋だった。すでに盛り上がっているグループやカップルを横目に、二人は黙り込んだまま個室に案内してもらう。
和彦は車の運転があるためもちろんアルコールは飲めないが、千尋もそんな気分ではないらしく、ソフトドリンクといくつかの料理を頼んだ。
「それで、何があったんだよ」
飲み物が先に運ばれてくると、さっそく千尋が声をひそめて詰問してくる。和彦はグラスの縁を指先で撫でながら、まっすぐ見つめてくる千尋から目を逸らす。
「何もない……。ただ、終わらせたくなっただけだ」
「理由になってねーよ、それ」
「理由は必要ないだろ。もともとぼくとお前は、気が向いたときに寝るだけのわかりやすい関係だ」
「… …先生は、そう思ってたのか?」
千尋の目を見るつもりはなかったのに、切実な言葉の響きに、つい視線を向けてしまう。顔立ちとは裏腹に、強い輝きを放つ子供っぽさを宿した目が、今はきちんと大人の男の目をしていた。雄弁な想いを、目で語っていた。
ズキリと和彦の胸は痛む。その痛みで、遊びのつもりだと自分に言い聞かせながら、実は自分が、千尋との関係をいとおしんでいたことを痛感させられた。できるなら、最後まで気づきたくはなかったことだ。
「お前は、十も年の離れた男のぼく相手に、本気で恋人だとでも思っていたのか?」
「悪いかよ」
きっぱりと言い切られ、さすがに和彦もすぐには言葉が出なかった。知らず知らずのうちに頬が熱くなってきて、うろたえる。ちょうどいいタイミングで料理も運ばれてきて、テーブルに並べられる。
その間に和彦は落ち着こうとしたが、千尋はお構いなしだ。
「――俺が、普通の家に生まれて、普通の親に育てられたんだったら、先生にこうして振られても、悔しくても納得はしたと思う」
和彦はハッとして千尋を凝視する。テーブルの上で千尋は固く手を握り締めていた。
「千尋……」
「こういうことは、初めてじゃない。俺がどういう家の人間か知ると、みんな怖がって逃げていく。だけど、俺もバカなりに観察しているんだ。……オヤジは、俺がつき合う人間を選定している。厄介な人間を、力をちらつかせて俺から遠ざけているんだ。もしくは、直接脅しをかけている」
急に鋭い視線を向けられると同時に、千尋に手を掴まれた。
「組の人間に、何か言われたんだろ、先生」
「……なんのことだ」
「その答えは、いままで俺から離れていった人間と同じだ。誤魔化してるようで、全然誤魔化してないぜ」
和彦は唇を引き結び、答える気はないと態度で示したが、千尋はさすがに、あの父親の息子だった。
「――答えないなら、オヤジに直接聞くからな。先生に何をしたか、何を言ったか、全部聞いてやる。それに、俺が先生と別れる気がないことも言ってやる」
「やめろっ」
そう叫んだ和彦は、自分でも顔から血の気が引くのがわかった。あの男に、和彦が千尋を唆して行動を起こさせたと思われたら、そこで和彦のすべてが終わる。今度こそ、殺されるかもしれない。
千尋の父親からすれば、息子のおもちゃを取り上げるような感覚だろう。
恐怖で震える和彦の手を、痛いほど千尋は握り締めてくる。
「何、された……? こんなに怖がってる」
「何も……、何もされてない。ただ、お前とは会わないよう、言われただけだ。それよりもぼくは、お前の家がああいう感じだとは思ってもいなかったから、それが怖い」
まさか、辱められて、その光景をビデオカメラで録画されたなどと言ったら、千尋は怒り狂い、何をしでかすかわからない。和彦は千尋の父親も怖いが、千尋の暴走も恐れているのだ。
「……先生、隣に行っていい?」
目が据わった千尋に言われ、嫌とは言えない。和彦が頷くと、千尋は隣に移動してきて、すぐに肩を抱いてきた。さすがに個室とはいえ、両隣の客の声や、薄い障子に隔てられただけの通路で行き来する人の気配が気になる。離すよう言いたかったが、肩にかかった千尋の手は、頑是ない子供のように力強い。
「うちの組のことは聞いた?」
耳元に唇を寄せて千尋が尋ねてくる。足を崩して座布団の上に座り直した和彦は軽くため息をついた。
「少しだけ。… …すごいところらしいな」
「すごいと言っても、所詮はヤクザだ。嫌われて、怖がられるだけの存在だよ」
「でもお前、跡継ぎなんだろ。将来、跡を継ぐんじゃ……」
「継ぐよ」
あまりにあっさりと千尋が答えたため、和彦はひどく驚いた。千尋が家を出ていることや、父親に対する微妙な発言から、ヤクザというものを忌避しているのかと思い込んでいた。だが――。
「オヤジになんでも強いられるのが嫌なんだ。だけど、自分の道は自分で選ぶ。俺は、長嶺を継ぐ。嫌われようが、怖がられようが、長嶺の名前は魅力的だ。その名前が持つ力も。俺はガキの頃から、総和会の会長――俺のじいちゃんが、長嶺組の組長として組を引っ張っているのを見てきた。豪放なんだよ。だけどオヤジは……俺の憧れとは違う」
「嫌いなのか?」
「好きとか嫌いじゃない。オヤジは、俺の目指すものじゃない。だから、オヤジに組のことで命令されるとムカつくんだ。俺はまだ、組のことには関わらない。それに、どうせ関わるなら、総和会の本部で動きたい」
その辺りの組織の構成がどうなっているのか、和彦にはよくわからないし、知りたいとも思わない。
ただ、和彦が知らないことを熱のこもった口調で話す千尋を見ていると、強く実感できることがあった。やはり、あの男の息子だと。
暴力団組織を継ぐということに、一切のためらいがない、それどころか抗いがたい魅力を感じている節すらあり、和彦の理解を超えていた。千尋もまた、和彦が関わっていい相手ではないのだ。
「だけど今は自由でいたい。組とは関係なく、いろんなことをしたいし、好きな人と一緒にいたい……」
手が頬にかかり、千尋のほうを向かされる。
「俺のせいで先生が嫌な目に遭ったんなら、俺はオヤジを許さない。例え、俺のためだとしても」
1
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
One-sided
月ヶ瀬 杏
青春
高校一年生の 唯葉は、ひとつ上の先輩・梁井碧斗と付き合っている。
一ヶ月前、どんなに可愛い女の子に告白されても断ってしまうという噂の梁井に玉砕覚悟で告白し、何故か彼女にしてもらうことができたのだ。
告白にオッケーの返事をもらえたことで浮かれる唯葉だが、しばらくして、梁井が唯葉の告白を受け入れた本当の理由に気付いてしまう。
変わらない日常
すずねこ脚本リスト
青春
原作:ぽむ
脚色:すずねこ
"ぽむさん"という方が出来心で書いたものを
すずねこが許可を得て脚色した作品です。
物語の流れ、ぽむさんの想いなのであろうと思うところは残しつつすずねこの世界観を入れてみました。
原作の方はすずねこのTwitterの方から
ぽむさんを見つけて頂けると拝読出来ます。
世界観の違いを楽しむのもいいかと思います。
『変わらない日常がそこにある。
きっとそれは簡単には手放せないもので。
でも、お別れはいつもすぐ側にある』
--あなたの大切なものはなんですか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
斎藤先輩はSらしい
こみあ
青春
恋愛初心者マークの塔子(とうこ)が打算100%で始める、ぴゅあぴゅあ青春ラブコメディー。
友人二人には彼氏がいる。
季節は秋。
このまま行くと私はボッチだ。
そんな危機感に迫られて、打算100%で交際を申し込んだ『冴えない三年生』の斎藤先輩には、塔子の知らない「抜け駆け禁止」の協定があって……
恋愛初心者マークの市川塔子(とうこ)と、図書室の常連『斎藤先輩』の、打算から始まるお付き合いは果たしてどんな恋に進展するのか?
注:舞台は近未来、広域ウィルス感染症が収束したあとのどこかの日本です。
83話で完結しました!
一話が短めなので軽く読めると思います〜
登場人物はこちらにまとめました:
http://komiakomia.bloggeek.jp/archives/26325601.html
如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
〜響き合う声とシュート〜
古波蔵くう
青春
夏休み明け、歌が禁じられた地域で育った内気な美歌(みか)は、打ち上げのカラオケで転校生の球児(きゅうじ)とデュエットし、歌の才能を開花させる。球児は元バスケのエースで、学校では注目の的。文化祭のミュージカルで、二人は再び共演することになるが、歌見兄妹(うたみきょうだい)の陰謀により、オーディションとバスケの試合が重なってしまう。美歌の才能に嫉妬した歌見兄妹は、審査員の響矢(おとや)を誘惑し、オーディションの日程を変更。さらに、科学部の協力を得た琴夢(ことむ)が得点ジャックを仕掛け、試合は一時中断。球児は試合とオーディションの両立を迫られるが、仲間たちの応援を背に、それぞれの舞台で輝きを放つ。歌見兄妹の陰謀は失敗に終わり、二人はSNSで新たな目標を見つける。美歌と球児は互いの才能を認め合い、恋心を抱き始める。響き合う歌声と熱いシュート、二つの才能が交錯する青春ミュージカル! 「響き合う声とシュート」初のオマージュ作品!
〖完結〗インディアン・サマー -spring-
月波結
青春
大学生ハルの恋人は、一卵性双生児の母親同士から生まれた従兄弟のアキ、高校3年生。
ハルは悩み事があるけれど、大事な時期であり、年下でもあるアキに悩み事を相談できずにいる。
そんなある日、ハルは家を出て、街でカウンセラーのキョウジという男に助けられる。キョウジは神社の息子だが子供の頃の夢を叶えて今はカウンセラーをしている。
問題解決まで、彼の小さくて古いアパートにいてもいいというキョウジ。
信じてもいいのかな、と思いつつ、素直になれないハル。
放任主義を装うハルの母。
ハルの両親は離婚して、ハルは母親に引き取られた。なんだか馴染まない新しいマンションにいた日々。
心の中のもやもやが溜まる一方だったのだが、キョウジと過ごすうちに⋯⋯。
姉妹編に『インディアン・サマー -autumn-』があります。時系列的にはそちらが先ですが、spring単体でも楽しめると思います。よろしくお願いします。

隣にいてくれてありがとう
EAU
青春
とあるアマチュアバンドのライブ会場。
このバンドはもうすぐメジャーデビューすることが決まった。デビュー前最後のライブとなる会場には沢山のファンが駆けつけている。
このバンドを通して出会った人たちもいる。
親友になった女性たちや、会場には来られないが配信を見ている夫婦。
自分の進むべき道を見つけた人もいる。
夢を叶える事が出来ず挫折した青年や、何をしても満足できなかった男性。
中には喧嘩の絶えなかった親子の姿もある。
彼らはこのアマチュアバンドに大きな感謝を抱いていた。
彼らがいなかったら「隣にいる人」と出会うことも、こうして同じ話題で盛り上がる事もなかった。
ライブを開催してくれてありがとう。
「大切な人」と巡り会わせてくれてありがとう。
アマチュアバンドのメンバーもきっと同じ想いだろう。
「僕達と出会ってくれてありがとう」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる