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ぐえ。
僕はいきなり背後から首を締められた。
「だーれだ?」
「ユッカ姉!ユッカ姉!それ普通、目を隠すんだって。首は首はぐええ」
僕が床をドンドン叩くと、頚動脈を圧迫していた指が外れた。後ろから顔を出したのは、舌を出したユッカ姉だった。
「なーんか暇ねえ」
「暇なら働けよ。何しに来たんだよ」
「コウ君は何しに来たの」
「僕は……じいちゃんばあちゃん孝行をしに」
「してないじゃん」
確かに今の僕は縁側に腰掛けてぼーっとしていた。昨日電球を買いにいって交換した以外は、何の労働もしていない。させて貰えないのだ。「ゆっくりしてな」の一点張りだ。
「子供扱いも困ったものよね」
「もう子供でも若者でもないんだけどなあ」
「あ、ひどーい。私はまだまだ若いわよ?」
「ユッカ姉が若いんだったら、僕もまだ若いことになるね」
「そうよ、私たちはまだまだ若いの!青春なのよ」
人妻が何を言うのかね。しかも勝手に家でした放蕩人妻が。
「そうだ」
ユッカ姉がパンと手を打った。これは何か良いことを思いついた時のユッカ姉の癖で、その良いことってのは大抵周囲の人間にとっては迷惑なことだ。
「山に行きましょう」
「いってらっしゃい」
「コウ君も一緒よ」
「いやあそれほどでもないよ」
「意味の分からない誤魔化しかたはやめなさい。行くのよ」
はあ、そうですか。
こうなってしまったユッカ姉に逆らえるはずもなく、僕は着替えて山に行くことになった。半袖半ズボンに虫よけスプレーをたっぷりと振りかけて。
「じーちゃーん、コウ君と山に行って来るからねー」
「おう。気をつけてな」
僕たちは家を出た。真夏の日差しの真下にあって、流れる空気は肌に心地よい。
ユッカ姉は昨日と同じ水色のワンピースに、白の帽子の組み合わせだった。やっぱり綺麗だよなと思う。僕の視線に気がついたユッカ姉が言った。
「何?昨日と同じ服だと思ってんの?大丈夫よ。下着は換えているから。見る?ほれほれ」
「なっ。やめてよ、まったく」
「コウ君ったら純情ねー。昔はそんなことなかったのに」
「なんだよ、それ」
「覚えてないの?小学生の頃、みんなで雑魚寝したときに、私の胸を触って来たじゃない」
……覚えてる。僕の恥ずかしい過去の一つだ。膨らみ途中のユッカ姉の胸は柔らかくもあり、まだ堅さも残りって、うわ何思いだしてんだろう僕は。
黙っている僕に対して、ユッカ姉は面白そうに続けた。
「赤くなってるねー。やっぱ覚えているんだ。いやあ、小さい頃のコウ君はエッチだったねー。あの調子じゃ、相当遊んだんだろうねー。女泣かせだねー」
放っておいてよ。どうせ僕は魔法使いだよ。
ユッカ姉はにやにやしながら歩いていった。僕はこれ以上からかわれるのは堪らなかったので、話を変えようと思った。
「あ、ねえ、飲む物買っていこうよ。この暑さだと水分補給しなきゃ」
丁度通りがかった雑貨屋に、無理矢理ひきずりこんだ。
冷えたラムネにも惹かれたけれど、持ち歩きできないので、ペットボトルを選ぶことにした。僕はミネラルウォーターを探したけれど、見つからなかったので、
「おばちゃん、水ある?」
と聞いたら、おばちゃんは「水が欲しいのかい。ほれ」と水道の水をコップに注いで渡してくれた。まあ考えてみれば、ここでは水道から出てくるのが湧水だから、ミネラルウォーターであるとも言える。僕はとりあえずそれを有り難く飲み干して、緑茶のペットボトルを買った。ユッカ姉はウーロン茶。
「新婚さんかい?」
僕は驚いたけれど、ユッカ姉は「若く見える」と言われたものと理解したのか、ニコニコしていた。否定も肯定もしなかった。だから僕も何も言わず、ただへらへらと笑っていた。
店を出て、山の方に向かって歩く。舗装されていない土がむき出しの道を、一歩一歩踏みしめていく。ユッカ姉はサンダルのくせに、平気な顔をして歩いている。途中、落ちていた木の枝を拾って、ひゅんと振り回しながら進んでいった。
細いケモノ道を数メートル抜けると、視界が開け、川原に出た。大きな石がごろごろした川原だ。この石が何キロも川を流れていくうちに、砂粒になって海岸を埋めるのだろう。川の幅は五メートルくらい。それも海に近付けば数十メートルになるのかもしれない。
川にせり出した石の一つを見つけて、ユッカ姉は座り込んだ。僕もその隣に場所を見つけて腰を下ろす。
ユッカ姉はぼんやりと川の水が流れるのを眺めていた。綺麗な横顔だと、僕はやっぱり思った。でもどこか寂しげだとも思った。
「なあ、ユッカ姉」
「なあに?」
「本当は何か理由があるんだろ?旦那さんと喧嘩した理由が」
「別に」
「嘘つけよ。そういう顔しておいて、別にはないだろ」
「……コウ君さ、私が結婚した時の話って、知ってる?」
「あんまり。大変だったってのは聞いているけれど」
「彼ね、婚約者がいたのよ。結納も済ましていて、……そんでまあ色々あって、簡単に言うと私が奪っちゃったのよね。そんな訳で、当時は相手が告訴するとかしないとか、示談金を支払ったりとか、そんな騒ぎがあったの。だからうちの家族もあんまり賛成していなかったのよね」
「それでも一緒になったんだろ?それだけ相手のこと好きだったんだろ?だったら何故喧嘩なんか」
「浮気よ、浮気。彼のね。考えてみれば、私の時だって浮気相手だったのが本気になっちゃったわけで、今度は自分が浮気されたってこと。要するに、簡単に浮気するような奴だったってことなのよ」
「で、旦那は謝ってきたの?」
「知らないわよ。何も話聞かないで出てきちゃったから。本当は私には、怒るような資格ないのにね」
「うーん。僕にも何か言える資格はないけれど、話聞かずに出てきたってのはちょっと、かなあ」
「でもしょうがないじゃない。あの人の声聞くのも嫌になっちゃったんだから」
ユッカ姉はうーんと背伸びをした。諦めているようでいて諦めきれないような、そんな不思議な顔だった。
その時ふわんと風が吹いて、僕らの頬を撫でた。ユッカ姉は慌ててスカートを押さえたけれど、そのはずみに帽子が風に舞った。帽子は二、三度空中を上下に踊り、川面に落ちた。そのまま下流に流されていく。
「取ってくるから。そこにいて」
僕は下流に向かって走り出した。
帽子はどんどん流れていく。山の川の流れはむらがあり、急に進んだかと思うとその場でくるりと回転したりする。
仕方がないから、僕は魔法を使うことにした。指をくるりと一回転。
------帽子がこっちに流れてきますように。
帽子は見る見る僕のほうに近付いてきた。川縁から三十センチくらいに近付いてから、しゃがんで手を伸ばして帽子を回収した。
「取ったよ」と振り向こうとした時だった。バシャンという大きな音がして、それと同時に悲鳴が響く。
音と声のした背後を見ると、ユッカ姉が川の真ん中に座り込んでいた。川原にはサンダルが揃えてあり、どうやら帽子を取ろうとして川の中に入っていって、足を滑らせたらしい。
呆然とした顔で僕の方を見ていた、と思ったら、けたたましく笑い出した。
「アハハハハハハハハハハハ!私、バッカみたーい!」
そうして座ったままでいつまでも笑い続けている。仕方がないから、僕も靴を脱いで川に入り、ユッカ姉に手を差し出した。
「ほら、いいから起きなよ」
「さんきゅー」
僕は腕に力をこめてユッカ姉を引っ張ろうとした。するとユッカ姉は思いがけず強い力で僕を引っ張って、僕はそのままバランスを崩して、前のめりに、バシャンと水の弾ける音が、
──気がつくと僕はユッカ姉に覆い被さっていた。ユッカ姉のワンピースは、川の水に濡れて透けていて、下着の線がくっきりと浮き出ていた。しかもその胸が丁度目の前にある。甘くて良い匂いがして、僕は慌てて顔を上げた。
ユッカ姉は何故か切なそうな顔をしていた。両手を合わせて、僕の目の前に持ってくる。手が徐々に僕の顔に近付いて来て、
ピシャッ
手の平で作った水鉄砲から勢い良く水が飛び出し、僕の顔に命中した。
「アハハハハハハハハハ」
ユッカ姉は僕を指さして笑っていた。
「ひどいよ。ユッカ姉!」
僕は起きあがりざまに手で水をすくい、ユッカ姉に投げつけた。水の塊は円弧を描いて飛んで行き、ユッカ姉の顔にぶつかった。
「やったわねっ!」
ユッカ姉が反撃を開始した。もちろん僕も応戦する。水のかけ合いの応酬は、それからしばらく終わらなかった。
二人してびしょ濡れになって帰宅したら、じいちゃんとばあちゃんに呆れられた。
僕らはいたずらが見つかった小さい子供のように、舌を出して笑い合った。
僕はいきなり背後から首を締められた。
「だーれだ?」
「ユッカ姉!ユッカ姉!それ普通、目を隠すんだって。首は首はぐええ」
僕が床をドンドン叩くと、頚動脈を圧迫していた指が外れた。後ろから顔を出したのは、舌を出したユッカ姉だった。
「なーんか暇ねえ」
「暇なら働けよ。何しに来たんだよ」
「コウ君は何しに来たの」
「僕は……じいちゃんばあちゃん孝行をしに」
「してないじゃん」
確かに今の僕は縁側に腰掛けてぼーっとしていた。昨日電球を買いにいって交換した以外は、何の労働もしていない。させて貰えないのだ。「ゆっくりしてな」の一点張りだ。
「子供扱いも困ったものよね」
「もう子供でも若者でもないんだけどなあ」
「あ、ひどーい。私はまだまだ若いわよ?」
「ユッカ姉が若いんだったら、僕もまだ若いことになるね」
「そうよ、私たちはまだまだ若いの!青春なのよ」
人妻が何を言うのかね。しかも勝手に家でした放蕩人妻が。
「そうだ」
ユッカ姉がパンと手を打った。これは何か良いことを思いついた時のユッカ姉の癖で、その良いことってのは大抵周囲の人間にとっては迷惑なことだ。
「山に行きましょう」
「いってらっしゃい」
「コウ君も一緒よ」
「いやあそれほどでもないよ」
「意味の分からない誤魔化しかたはやめなさい。行くのよ」
はあ、そうですか。
こうなってしまったユッカ姉に逆らえるはずもなく、僕は着替えて山に行くことになった。半袖半ズボンに虫よけスプレーをたっぷりと振りかけて。
「じーちゃーん、コウ君と山に行って来るからねー」
「おう。気をつけてな」
僕たちは家を出た。真夏の日差しの真下にあって、流れる空気は肌に心地よい。
ユッカ姉は昨日と同じ水色のワンピースに、白の帽子の組み合わせだった。やっぱり綺麗だよなと思う。僕の視線に気がついたユッカ姉が言った。
「何?昨日と同じ服だと思ってんの?大丈夫よ。下着は換えているから。見る?ほれほれ」
「なっ。やめてよ、まったく」
「コウ君ったら純情ねー。昔はそんなことなかったのに」
「なんだよ、それ」
「覚えてないの?小学生の頃、みんなで雑魚寝したときに、私の胸を触って来たじゃない」
……覚えてる。僕の恥ずかしい過去の一つだ。膨らみ途中のユッカ姉の胸は柔らかくもあり、まだ堅さも残りって、うわ何思いだしてんだろう僕は。
黙っている僕に対して、ユッカ姉は面白そうに続けた。
「赤くなってるねー。やっぱ覚えているんだ。いやあ、小さい頃のコウ君はエッチだったねー。あの調子じゃ、相当遊んだんだろうねー。女泣かせだねー」
放っておいてよ。どうせ僕は魔法使いだよ。
ユッカ姉はにやにやしながら歩いていった。僕はこれ以上からかわれるのは堪らなかったので、話を変えようと思った。
「あ、ねえ、飲む物買っていこうよ。この暑さだと水分補給しなきゃ」
丁度通りがかった雑貨屋に、無理矢理ひきずりこんだ。
冷えたラムネにも惹かれたけれど、持ち歩きできないので、ペットボトルを選ぶことにした。僕はミネラルウォーターを探したけれど、見つからなかったので、
「おばちゃん、水ある?」
と聞いたら、おばちゃんは「水が欲しいのかい。ほれ」と水道の水をコップに注いで渡してくれた。まあ考えてみれば、ここでは水道から出てくるのが湧水だから、ミネラルウォーターであるとも言える。僕はとりあえずそれを有り難く飲み干して、緑茶のペットボトルを買った。ユッカ姉はウーロン茶。
「新婚さんかい?」
僕は驚いたけれど、ユッカ姉は「若く見える」と言われたものと理解したのか、ニコニコしていた。否定も肯定もしなかった。だから僕も何も言わず、ただへらへらと笑っていた。
店を出て、山の方に向かって歩く。舗装されていない土がむき出しの道を、一歩一歩踏みしめていく。ユッカ姉はサンダルのくせに、平気な顔をして歩いている。途中、落ちていた木の枝を拾って、ひゅんと振り回しながら進んでいった。
細いケモノ道を数メートル抜けると、視界が開け、川原に出た。大きな石がごろごろした川原だ。この石が何キロも川を流れていくうちに、砂粒になって海岸を埋めるのだろう。川の幅は五メートルくらい。それも海に近付けば数十メートルになるのかもしれない。
川にせり出した石の一つを見つけて、ユッカ姉は座り込んだ。僕もその隣に場所を見つけて腰を下ろす。
ユッカ姉はぼんやりと川の水が流れるのを眺めていた。綺麗な横顔だと、僕はやっぱり思った。でもどこか寂しげだとも思った。
「なあ、ユッカ姉」
「なあに?」
「本当は何か理由があるんだろ?旦那さんと喧嘩した理由が」
「別に」
「嘘つけよ。そういう顔しておいて、別にはないだろ」
「……コウ君さ、私が結婚した時の話って、知ってる?」
「あんまり。大変だったってのは聞いているけれど」
「彼ね、婚約者がいたのよ。結納も済ましていて、……そんでまあ色々あって、簡単に言うと私が奪っちゃったのよね。そんな訳で、当時は相手が告訴するとかしないとか、示談金を支払ったりとか、そんな騒ぎがあったの。だからうちの家族もあんまり賛成していなかったのよね」
「それでも一緒になったんだろ?それだけ相手のこと好きだったんだろ?だったら何故喧嘩なんか」
「浮気よ、浮気。彼のね。考えてみれば、私の時だって浮気相手だったのが本気になっちゃったわけで、今度は自分が浮気されたってこと。要するに、簡単に浮気するような奴だったってことなのよ」
「で、旦那は謝ってきたの?」
「知らないわよ。何も話聞かないで出てきちゃったから。本当は私には、怒るような資格ないのにね」
「うーん。僕にも何か言える資格はないけれど、話聞かずに出てきたってのはちょっと、かなあ」
「でもしょうがないじゃない。あの人の声聞くのも嫌になっちゃったんだから」
ユッカ姉はうーんと背伸びをした。諦めているようでいて諦めきれないような、そんな不思議な顔だった。
その時ふわんと風が吹いて、僕らの頬を撫でた。ユッカ姉は慌ててスカートを押さえたけれど、そのはずみに帽子が風に舞った。帽子は二、三度空中を上下に踊り、川面に落ちた。そのまま下流に流されていく。
「取ってくるから。そこにいて」
僕は下流に向かって走り出した。
帽子はどんどん流れていく。山の川の流れはむらがあり、急に進んだかと思うとその場でくるりと回転したりする。
仕方がないから、僕は魔法を使うことにした。指をくるりと一回転。
------帽子がこっちに流れてきますように。
帽子は見る見る僕のほうに近付いてきた。川縁から三十センチくらいに近付いてから、しゃがんで手を伸ばして帽子を回収した。
「取ったよ」と振り向こうとした時だった。バシャンという大きな音がして、それと同時に悲鳴が響く。
音と声のした背後を見ると、ユッカ姉が川の真ん中に座り込んでいた。川原にはサンダルが揃えてあり、どうやら帽子を取ろうとして川の中に入っていって、足を滑らせたらしい。
呆然とした顔で僕の方を見ていた、と思ったら、けたたましく笑い出した。
「アハハハハハハハハハハハ!私、バッカみたーい!」
そうして座ったままでいつまでも笑い続けている。仕方がないから、僕も靴を脱いで川に入り、ユッカ姉に手を差し出した。
「ほら、いいから起きなよ」
「さんきゅー」
僕は腕に力をこめてユッカ姉を引っ張ろうとした。するとユッカ姉は思いがけず強い力で僕を引っ張って、僕はそのままバランスを崩して、前のめりに、バシャンと水の弾ける音が、
──気がつくと僕はユッカ姉に覆い被さっていた。ユッカ姉のワンピースは、川の水に濡れて透けていて、下着の線がくっきりと浮き出ていた。しかもその胸が丁度目の前にある。甘くて良い匂いがして、僕は慌てて顔を上げた。
ユッカ姉は何故か切なそうな顔をしていた。両手を合わせて、僕の目の前に持ってくる。手が徐々に僕の顔に近付いて来て、
ピシャッ
手の平で作った水鉄砲から勢い良く水が飛び出し、僕の顔に命中した。
「アハハハハハハハハハ」
ユッカ姉は僕を指さして笑っていた。
「ひどいよ。ユッカ姉!」
僕は起きあがりざまに手で水をすくい、ユッカ姉に投げつけた。水の塊は円弧を描いて飛んで行き、ユッカ姉の顔にぶつかった。
「やったわねっ!」
ユッカ姉が反撃を開始した。もちろん僕も応戦する。水のかけ合いの応酬は、それからしばらく終わらなかった。
二人してびしょ濡れになって帰宅したら、じいちゃんとばあちゃんに呆れられた。
僕らはいたずらが見つかった小さい子供のように、舌を出して笑い合った。
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