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つい熱中しすぎたみたいで、三時の鐘の音で我に返った。
「いけない。約束が!」
私は本をまとめて抱え、返却用のカートに並べた。最後の二冊がぱたぱたと倒れたけれど、気にしないことにする。時間は守らなくちゃ。
顔なじみの司書さんに片手で挨拶して、図書館の入口を駈け足で通り抜けた。
ジャックとの待ち合わせは三時半だ。待ち合わせっていうのかな——正しくは、呼び出しかな。
あ、呼び出しっていっても、恐い話ではない。目的は、なんとなく予想がついているけれど、私は知らない素振りをして、純粋な目をしてその場所に向かっている。
一六歳の女の子は、当人に言わせれば意外と世の中のことが見えていて、その反面見えていない振りをしなければならない。それが世の中、あるいはこの町の形を保つための、一種のお約束だからだ。
そういうこともあり、私の中では相反するふたつの気持ちが同居している。町から抜け出したいという衝動と、この町をこのままにしておきたいという優等生の気持ちだ。
どちら本当の気持ちなのかは、自分でも分からない。きっとどちらも私の中にいる「私」にとっては、真剣な気持ちなんだろう。
いけない、いけない。どうも私は面倒なことを考え始めると、どんどん更に面倒な方に向かってしまう悪い癖がある。
彼の家に近付いたところで、歩みのスピードを落した。彼の住む家は大きい。お屋敷だ。彼——ジャックはお坊ちゃまだ。ついでに言うと、彼は私よりも六歳歳上の二二歳で、被選挙権を得たばかりだった。
屋敷の裏手に回る。自分の育ちに不満はないけれど、いわゆる庶民ではあるので、少しだけジャックに気をつかってあげてみる。
ジャックは、屋敷の裏の松の木の下に立っていた。
「ごめんなさい。待った?」
「カレンが近付いてくるのが窓から見えたから、降りてきたんだよ」
「待たせないでよかったわ」
「いつまでも待つさ。気にしないでくれ」
ジャックは平均的な男性と比べても、背が高い。そこにきて、私がちんまりとしているものだから、どうしても見上げるようになってします。その角度があまり好きでないのと(女子のそういうところが可愛いっていう意見は承知していますが! )、単純に首が痛いので、私はいつも一定の距離をジャックからとるようにしている。わざとらしくは見せないように。
「カレン、聞いて欲しい」
「お話があるんですよね」
「ああ。……どこから話そうか。そうだな、今日のことからだ」
「選挙のことですか」
「カレンは賢い。察しがいいな。知っての通り、僕は今回の評議員選挙に立候補している」
「ええ。注目の新人って噂されています」
「その通り。おそらく僕は当選するだろう。僕が評議員になったら、塩の被害と真向から戦おうと思う。保守派の言うことを聞いては駄目だ。僕等は生き残るために、戦争をしなければならない」
「戦争……恐いですね」
「恐れてはいけないんだ。僕は評議員に当選する。そして町を変える。だから、カレン——」
彼はそこで呼吸を止めた。大人の男のようなことを言っていても、こういう時には勇気を必要とするらしい。
「僕の妻になってくれ。そして一緒に、町を改革しよう」
ああ、ジャック! 無邪気なジャック!
あなたは世界がどうなっているのか、まったく分かっていない。
背の高いジャック。お金持ちのジャック。専属コックの料理を食べることが当り前のことだと思っているジャック。町娘との恋が実ると信じているジャック。
私が答えないのを、迷っていると受け取ったようで、ジャックは畳み掛けるように言った。
「も、もちろん、この場で答えが欲しいとは言わない。明日、開票がすめば僕は評議員だ。明日、この場所で答えを聞かせて欲しい」
「……はい」
私の返事に安心したのか、ジャックは突然話題を変えて、私の両親は元気にしているかとか、困ったことや足りないものがあったら自分に相談して欲しいとか、寒くしていないかとか、勉強は進んでいるかとか、を一方的に喋りだした。やたらを私の身の回りのことについて口を出したがるのは、歳上を誇示しているのだろうとは思うけれど、少女をバカにするなとも言いたくなる。こんなことを言いたくなってしまうから、私は可愛くないのだろうとは分かっているけれど、そんな私を妻に迎えたいというのだから、ジャックも奇特な人だ。
この告白は予想通りだった。ジャックと来たら、呼び出す時もそわそわしていて、普段は結構偉そうな演説をするのに、「もしよかったらなんだけど」などという遠慮じみた前振りから始まったのだ。
とにかく、明日までの猶予はできた。一晩ゆっくり考えよう。お母さんに相談するかもしないし、しないかもしれない。お父さんには、相談できないな。きっと怒られるから。
ジャックのお喋りは一方的に終わり、私達は少しだけ気まずい雰囲気のままその場を別れた。
はあ。
寝てしまおう、寝てしまおう。寝ながら考えよう。
やっぱりお母さんに相談するのはやめよう。自分で考えよう。ベッドの中が、私の思索の場所。明日がどういう日になるのか、明日を変えていきたいのか、毎日そういうテーマを考えながら、私は眠りにつく。
しん、と静まりかえった夜の時間。
私は、あの日のことを思い出す。
みんなが寝静まった真夜中にこの町を襲った地震のことを。
ドンッという大きな振動に襲われ、一気に覚醒してしまった。それなのに、続きの揺れがこない。この町だけを狙いすましたような一撃の地震。
数分後にはみんな大丈夫だろうと勝手に判断し(眠いこともあって)、町は静寂を取り戻した。
不思議な地震だった。
あの地震は、今夜はこない。おそらく、あの一度だけの地震で、次に同じ地震が来る時は町が変わる時なんじゃないかなと思う。
私は目を閉じた。
「いけない。約束が!」
私は本をまとめて抱え、返却用のカートに並べた。最後の二冊がぱたぱたと倒れたけれど、気にしないことにする。時間は守らなくちゃ。
顔なじみの司書さんに片手で挨拶して、図書館の入口を駈け足で通り抜けた。
ジャックとの待ち合わせは三時半だ。待ち合わせっていうのかな——正しくは、呼び出しかな。
あ、呼び出しっていっても、恐い話ではない。目的は、なんとなく予想がついているけれど、私は知らない素振りをして、純粋な目をしてその場所に向かっている。
一六歳の女の子は、当人に言わせれば意外と世の中のことが見えていて、その反面見えていない振りをしなければならない。それが世の中、あるいはこの町の形を保つための、一種のお約束だからだ。
そういうこともあり、私の中では相反するふたつの気持ちが同居している。町から抜け出したいという衝動と、この町をこのままにしておきたいという優等生の気持ちだ。
どちら本当の気持ちなのかは、自分でも分からない。きっとどちらも私の中にいる「私」にとっては、真剣な気持ちなんだろう。
いけない、いけない。どうも私は面倒なことを考え始めると、どんどん更に面倒な方に向かってしまう悪い癖がある。
彼の家に近付いたところで、歩みのスピードを落した。彼の住む家は大きい。お屋敷だ。彼——ジャックはお坊ちゃまだ。ついでに言うと、彼は私よりも六歳歳上の二二歳で、被選挙権を得たばかりだった。
屋敷の裏手に回る。自分の育ちに不満はないけれど、いわゆる庶民ではあるので、少しだけジャックに気をつかってあげてみる。
ジャックは、屋敷の裏の松の木の下に立っていた。
「ごめんなさい。待った?」
「カレンが近付いてくるのが窓から見えたから、降りてきたんだよ」
「待たせないでよかったわ」
「いつまでも待つさ。気にしないでくれ」
ジャックは平均的な男性と比べても、背が高い。そこにきて、私がちんまりとしているものだから、どうしても見上げるようになってします。その角度があまり好きでないのと(女子のそういうところが可愛いっていう意見は承知していますが! )、単純に首が痛いので、私はいつも一定の距離をジャックからとるようにしている。わざとらしくは見せないように。
「カレン、聞いて欲しい」
「お話があるんですよね」
「ああ。……どこから話そうか。そうだな、今日のことからだ」
「選挙のことですか」
「カレンは賢い。察しがいいな。知っての通り、僕は今回の評議員選挙に立候補している」
「ええ。注目の新人って噂されています」
「その通り。おそらく僕は当選するだろう。僕が評議員になったら、塩の被害と真向から戦おうと思う。保守派の言うことを聞いては駄目だ。僕等は生き残るために、戦争をしなければならない」
「戦争……恐いですね」
「恐れてはいけないんだ。僕は評議員に当選する。そして町を変える。だから、カレン——」
彼はそこで呼吸を止めた。大人の男のようなことを言っていても、こういう時には勇気を必要とするらしい。
「僕の妻になってくれ。そして一緒に、町を改革しよう」
ああ、ジャック! 無邪気なジャック!
あなたは世界がどうなっているのか、まったく分かっていない。
背の高いジャック。お金持ちのジャック。専属コックの料理を食べることが当り前のことだと思っているジャック。町娘との恋が実ると信じているジャック。
私が答えないのを、迷っていると受け取ったようで、ジャックは畳み掛けるように言った。
「も、もちろん、この場で答えが欲しいとは言わない。明日、開票がすめば僕は評議員だ。明日、この場所で答えを聞かせて欲しい」
「……はい」
私の返事に安心したのか、ジャックは突然話題を変えて、私の両親は元気にしているかとか、困ったことや足りないものがあったら自分に相談して欲しいとか、寒くしていないかとか、勉強は進んでいるかとか、を一方的に喋りだした。やたらを私の身の回りのことについて口を出したがるのは、歳上を誇示しているのだろうとは思うけれど、少女をバカにするなとも言いたくなる。こんなことを言いたくなってしまうから、私は可愛くないのだろうとは分かっているけれど、そんな私を妻に迎えたいというのだから、ジャックも奇特な人だ。
この告白は予想通りだった。ジャックと来たら、呼び出す時もそわそわしていて、普段は結構偉そうな演説をするのに、「もしよかったらなんだけど」などという遠慮じみた前振りから始まったのだ。
とにかく、明日までの猶予はできた。一晩ゆっくり考えよう。お母さんに相談するかもしないし、しないかもしれない。お父さんには、相談できないな。きっと怒られるから。
ジャックのお喋りは一方的に終わり、私達は少しだけ気まずい雰囲気のままその場を別れた。
はあ。
寝てしまおう、寝てしまおう。寝ながら考えよう。
やっぱりお母さんに相談するのはやめよう。自分で考えよう。ベッドの中が、私の思索の場所。明日がどういう日になるのか、明日を変えていきたいのか、毎日そういうテーマを考えながら、私は眠りにつく。
しん、と静まりかえった夜の時間。
私は、あの日のことを思い出す。
みんなが寝静まった真夜中にこの町を襲った地震のことを。
ドンッという大きな振動に襲われ、一気に覚醒してしまった。それなのに、続きの揺れがこない。この町だけを狙いすましたような一撃の地震。
数分後にはみんな大丈夫だろうと勝手に判断し(眠いこともあって)、町は静寂を取り戻した。
不思議な地震だった。
あの地震は、今夜はこない。おそらく、あの一度だけの地震で、次に同じ地震が来る時は町が変わる時なんじゃないかなと思う。
私は目を閉じた。
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