八咫烏伝奇 ─ 穢れなきクロウマスター

きもとまさひこ

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第五章

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 古賀登史彦という存在は消えた。

 古賀の周囲の<縁脈>を切断したことにより、古賀の存在を社会につなぎ止めていた「縁」がなくなったのだ。このため、古賀の社会性が消滅したのである。最早誰も、古賀との関係性を求めていない。

 ここまでなら八咫鴉が<綻澱>を処理する通常の手はずなのだが、今回は少し事情が違った。

 美香奈の手によって、古賀を構成していたあらゆる構造が解体されてしまったのだ。だからその社会性だけでなく、存在の必然性そのものが消えたことになる。

 殺したのではない。

 殺したのではないが、世界から抹殺したという点では似たようなものだった。

 こうなると、慈愛だけの力では処理できない。結局再び鴉外衆の頭領を頼ることになった。

「立て続けに、すいません」

 慈愛は電話越しに、まず謝罪した。

「それは構わん。……と言いたいところだが、今回は流石に私の力だけでは無理でな、漢波羅を頼った」

「どうしてあんな連中にっ!」

「慈愛」

「……すいません。借りを作らせてしまいました」

「悠貴崎学園での<綻澱>の発生に関する、これまでの資料を渡した。奴らも、実社会での<綻澱>の資料は必要としているし、何よりも今回は、失った心柱の手掛りになりそうな情報を渇望しているからな」

「カードを切らせてしまったことになりますね」

「そう気に病むな。それよりも、この続けての<綻澱>の発現、気になるな」

「なりますね。倉坂先生にしろ古賀先生にしろ、学校という狭いコミュニティの中ではありがちな歪み方ではありますが」

 窓の外で走り回る生徒達を見る。子供達の構造の柔軟さにくらべて、教師達大人の硬直さときたら。

「<縁脈>は衆人の中にある。生まれた<綻澱>が伝染することもあるだろう。まして、そこに何者かの影響が入ればな」

「やはり現真律世会が作り出した<綻澱>なのでしょうか」

「現真律世会の狙いがまだ分からんのだ。単に漢波羅に一泡吹かせたいのか、もっと大きな目的があるのか」

「しかし現に一般の生徒に被害が出ているんです。このやり方は見過ごせません」

「それには同意する。漢波羅の目的とは別に、我々鴉外衆も動かなければならない」

「市井の人のために力を使う。それが鴉外衆ですからね」

「そういうことだ。――ところで、古賀という男の処理だが、一身上の都合により退職。同時に転居。転居先は不明。ということでよいな」

「構いません。もう彼の存在を求めている人間はいないのですから」

「私財の処理も、我々が仲介しておいた。古賀からは通帳を預かっている。名義人は、天城依里だ。かなりの額が預金されていた」

「被害にあった女子生徒ですね。……そんなお金、どうしろと言うのでしょう」

「その女子生徒は、お前のほうで面倒を見ろ。こういうのは、女のほうが何かと都合がいいだろう」

「心得ていますよ。それもここでの仕事の一つですから」

 もっとも、彼女が簡単に心を開くとは思えなかったけれど。

「ところで慈愛、弟子を取ったとのことだが」

「ああ、そのことですか。すいません、半ば成り行きで」

「覚悟を決めたか」

 慈愛はスマホを持ち替えて、空いた手で鼻の頭を掻いた。

「師匠の水準には達してませんよ。ちゃんとした弟子として指導できるかどうか」

「お前は色々心配しすぎだ。何の腹積もりもなく弟子を取るような人間だとは、思っとらんよ」

 だと良いんだけど、という言葉は、胸の中にしまうことにした。頭領に心配かける必要もないし、若手の指導をしたいという気持ちは本当だ。

「やれるだけ、やってみますよ」

「それが良い。師とて人の子だ。誤ちを恐れてはならん」

 電話を切ってはみたものの、頭領の言葉は耳に残っていた。

 誤ちを恐れてはならない、か。多分私は既に沢山の誤ちを犯していて、それのほとんどを周囲の人に助けられて帳消にしてもらっているのだろう。それもまた、人の縁というものだ。

 美香奈を八咫鴉として覚醒させてしまったことは、本当に良かったのかと何度も自問した。確かに美香奈には素質があった。あの状況下で、自力で<縁脈>を切れるなんて、普通の人間ではない。しかし、普通の人間――女子高校生のままでいさせる方法もあったのではないだろうか。あそこで自分に古賀を抑え込むだけの力があれば……。

 考えても無駄だとは思うけれど、私はもしかしたら一人の少女の人生を曲げてしまったのではないだろうか。そんな考えから逃げられない。

 美香奈は昨夜は眠れたのだろうか。

 やはり一度きちんと話をしておかないといけないと思う。カウンセラーとしてではなく、成り行き上の師として。美香奈の力は、今、慈愛の手の中にあるのだから。

 椅子にかけておいた白衣を手に取り、わざと大きな音をたてて羽織る。

 白衣は慈愛の作業着でもあり、戦闘服でもある。

 私が迷っていたら、子供達は指針を失ってしまう。

 だから私が師になろう。

 かつてあの人が私の指針になってくれたように。

 コンコンというノックの音で、我に返った。相談に来た生徒だろう。

 ドアを開けてやると、そこに立っていたのは依里のクラスメイト、手塚だった。

「天城が学校に来てないんっすけど、昨日何かあったんすか?」

 慈愛達が探していたのを、憶えていたのだろう。

「手塚くんは、天城さんのことを、本当はどう思っているの?」

「どうとか、そういうんじゃないんすよ。ただ、あいつ、誰にも自分の本当の気持ちとか話そうとしなくて、笑っているところなんか見たことないし」

「出来ることをやらないのもガキだけど、その場の同情に流されるのもガキだと思うわよ」

「違うっす。俺は、天城のこと、助けてやりたいと思ってます。他に誰もあいつの味方がいなくても、俺は味方になりたいっす」

「ふうん……いいわ。話してあげるから、中に入りなさい」

 同じ女として、全てを話すつもりは毛頭無かったが、助けになる人は多いほうがいい。それが手塚なら、多分申し分ないだろう。



 依里は自宅で遅くに目を覚ました。母親は今日は非番の日で、隣の部屋からテレビの音がした。

 のしかかるように頭から垂れた髪を掻き上げたら、汗の感触がした。

「ホテルなら、シャワー使えるのに」

 この家はとにかく不便だ。狭い家の中で、自分の部屋を与えてもらっていることを棚に上げて、毒づいた。

 時計を見て、学校に行く意味がないことを知り、トレーナーに着替えた。

 なんか頭がぼうっとしている。昨日の放課後は、何があったんだっけ?

 ああ――古賀先生が助けを求めていたような気がする。誰かに切られていたような気がする。その後意識をうしなって、気がついたら家に戻っていて、再び眠りについた記憶がある。

 もし本当に古賀先生が切られていたりしたら、もっと大騒ぎになっているはずだ。自分が家にいるということは、あれは夢か、何かのゲームだったのかもしれない。

 ぼんやりする頭で考えても仕方がない。

 溜まった澱は、浄化してもらえばいい。

 古賀先生がいれば、自分は何度でも浄化してもらえる。

 依里は彼のことを、忘れていなかった傍点

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