八咫烏伝奇 ─ 穢れなきクロウマスター

きもとまさひこ

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第一章

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「悠貴崎学園高校コンピュータ部は、今から私が乗っ取ったわっ!」

 ばばんっ!

 呆れた顔の千尋達の目の前で、慈愛は拳を突き上げて宣言した。

「コンピュータ部は、別名姫末ゼミと名を変えて、学問的活動に邁進するのよ」

 要するにコンピュータ部の部員を使って、ゼミとやらを始めようということらしい。

 慈愛は手を腰にあて、胸を反らして部室を見回した。三人の部員を品定めして、満足そうに頷く。

「ところで、この部屋のパソコンは?」

「そこの一台だけですけど」

 慈愛はしばらく考えてから、顔を上げた。

「ついてきて」

 千尋達が連れて行かれたのは、パソコン教室の隣の倉庫だった。剥き出しのケーブルが天井を這い、奥のほうにサーバラックが設置されて、中の機械がチカチカと周期的な点滅を繰り返している。

「そこの棚の上、箱にはいったPCが二個あるでしょ。降ろして」

 美香奈が脚立を持ってきて拡げる。

「千尋、ちょっと押えてて」

 千尋は言われるがままに脚立の中ほどを両手で固定する。美香奈は脚立にのぼり、PCの箱に手をかけた

「ちょ、ちょっと揺れるんだけど。ちゃんと押えてる? こら! 上見なさいよ」

「だって、美香奈、スカートじゃないか」

「平気、スパッツはいてるから」

「って言ったってさあ」

「あんたたち、仲良いのね」

「そう見えますぅ? あ、降りるから、っと」

 降りて来た美香奈の足が、三段目で千尋の手を踏み付けた。千尋が「いっ!」と叫びそうになるのを見て、美香奈はごめんごめんと謝りつつ地面に辿り着く。

 下ろした箱にはまだ埃すら積もっておらず、新品同様だった。

「これ、何です?」

「パソコン教室の予備のPCよ。中開けて確認して。問題がなかったら部室に持っていくから」

 千尋と美香奈が箱を開封する。

「学校の備品シールがついてますよ。いいんですか?」

「そこで、これ!」

 慈愛が指さしたのは、汚れがこびり付いたパソコンのケースだった。中身は空っぽ、白いケースだけである。

「シールをはがして、こっちに移して。そうすれば内部監査はまぬがれられるはずだから。要は、備品シールが貼られた『物体』が存在していることが大事なのよね」

「いいんですか?」

 慈愛は指を目の前に突き出して、左右に振ってみせる。

「いい? 少年少女たち。世の中のありとあらゆることは関係性からできあがっているの。意味というものも、他のものとの関係性の構造の中で定義されているのよ」

「せんせー、良く分かりません」

「つまり、学校とPCの関係は、備品シールによって定義されているわけ。だけど私たちとPCとの関係はそれを実際に使って役立ててあげるということによって成立するわけよ。ここには備品シールが貼られたPCのケースが存在してさえいれば、学校とPCとの関係は完結するってことね。以上、証明終わり」

「千尋、分かった?」

「……先生、僕等はできれば穏便に部活動をしたいのですが」

 慈愛はパンパンと手を叩いて話を終わらせる。

「はいはい、屁理屈はいいから、早くそのPCを持って部室に戻るわよ」

 窓際で本を読んでいた部長がぱたんと本を閉じ、黙って準備室を出た。

 慈愛はその様子を黙ってみる。この部も、そう一筋縄ではいかないみたいだ。

 部室に戻った慈愛は、千尋と美香奈に持ってきたPCのセットアップを指示し、自分はネットワークの配線と設定を始めた。

 千尋は机の上にPCと液晶、キーボードを並べ、ウェットティッシュで全体を拭いた。

「ああ、これインストールしておいて」

 慈愛から渡されたCDを挿入して電源を入れる。いきなりOSのインストールが始まった。

「先生、これって?」

「ああ、パソコン教室のOSも全部これに入れ換えておいたから。どうせやることなんか決まりきったことでしかないんだから、OSなんて別になんでも構わないでしょ? だったら正しいOSを使おうってことよ」

 言われるがままに千尋はOSのインストールを続ける。

 慈愛は同じく倉庫から拝借してきたインテリジェントスイッチに自分のノートPCを接続して設定を開始した。その横から美香奈が覗き込む。

「……先生、良い匂いがするね。香水?」

「え? ええ、淡いのだけど。気になる?」

「ううん。女の人って大変なのねって思って」

 慈愛は手を止めて美香奈の顔を見る。ショートヘアでボーイッシュな顔つきの中に、大きな瞳がくるくると回っている。男勝りというには女の子の側に一歩踏み出しかけているような。多分この子の今の可愛らしさはこの瞬間だけのものなのだろうなと、そんな不安定な魅力がある。慈愛にはそれがとても綺麗なものに見えるのだけど。

 慈愛は続きの作業を一気に終えてPCを閉じた。

「とりあえず、パソコン教室のマシン達と繋がるようにはしたわ」

「VPNですか?」

 作業する慈愛達の様子をよそに本を読んでいた部長の梶山が言った。閉じた本は、ミンスキーの「心の社会」だ。

「なんでLANの中でVPN張るのよ。VLAN切って、パソコン教室のセグメントをこっちまで引っ張って来たの。物理線が一本しかないから、途中経路はタグ付きVLANにして、こっち側のスイッチのポートの半分をパソコン教室のVLANに割り当てる作業をしてたんだけど……、ねえ、梶山くん、あなた、少しはコンピュータやネットワークのこと分かっているなら手伝ってくれない?」

「いえ、俺は手は動かさない主義なんで」

 再び本に戻る。

 慈愛は内心で舌打ちしつつ、千尋の様子のほうをチェックする。

 まあ、だいたい終わり、かな。

「はーい、ちゅーもーく」

 梶山が顔を上げ、美香奈が慈愛の足もとに寄っくる。子犬のようだが、なついているというよりは純粋にやっていることに対する好奇心のようだ。千尋は手ぬぐいで手を拭きながら、美香奈の隣に椅子を移動させた。

「これで一人一台のマシンは用意できたわね。研究室の環境としてはスタートラインってところかしら。部室のマシンのOSもパソコン教室のOSも全部同じにしてあるわ。パソコン教室のマシンは、誰も使っていない時はクラスタの計算ノードとして使えるようにこっそりしこんであるの。計算をさせたい場合はWoLで叩き起こして計算させるっていう寸法ね。PCとは言え、最新式のマシンが四〇台分の計算力はそこそこのもんでしょう。ヘッドノードは倉庫のサーバを間借りして置いてあって、パソコン教室のネットワークとこことを繋げられるようにしたから、ヘッドノードにジョブを送り込めば好きなだけ計算力を使える。まあまあの設備ってとこかしらね」

「はーい、先生、それで何をするの?」

「何をするかはあなたたち次第。ゼミでは輪講とともに、研究テーマを決めてもらいます。はい、そこの部長」

 梶山を指さす。

「あなたも手を動かして貰うからね。本読んでいるだけの頭でっかちなんて、私は認めないわ」

 千尋が弱々しく手を挙げる。

「僕達、研究なんてしたことないですよ。ずっと部室じゃあゲームばっかりだったし」

「わたしは、千尋のところにゲームやりに来てただけー」

「あらー、そのゲームがあーんなゲームだったりしたってことを、他の先生に報告してもいいのかしら?」

 三人は首をすくめる。逆らっていいものかどうかも、この先自分達が巻き込まれるらしい『ゼミ』とやらも、良く分かっていない。

「こんだけの設備を用意してあげたんだから、頑張んなさいよ」

「ほほう、立派な設備ですな」

「ええ、そりゃあもう、上手いことやって機材をちょろまかしてきましたから、から――」

 声の主を見る。そこには――。

「こ、校長先生……」

「楽しそうですね、姫末先生」

 慈愛は助けを求めるように三人の部員を見るが、三人が三人とも、てんでバラバラのほうを向いて知らない顔をしていた。もっとも千尋だけは、わずかに冷汗をかいていたが。



 床に正座する四人を、校長は順番に見下ろした。

 自由な校風には責任が伴うとかそういうことを、延々と喋っている。

 まいったなあ。

 千尋はさりげなく左右を見回す。あまり話を聞いていない美香奈に、うなだれている慈愛。神妙な顔をしているのは、一応反省しているのだろうか。

「姫末先生にお願いしたのは、生徒達の日々の学校生活から、少しずつの迷いや悩みを取り除いてもらうということなんですけどねえ」

「し、しかし校長っ。生徒の課外活動を健全で有意義なものに導いてあげるのも」

「そうですね。それはカウンセラーではなく、教師の仕事ですね」

「はい……」

「大学に未練がありますか?」

 慈愛の口が止まる。喉の奥から声が出るが、言葉にならずに口のなかに留まって消えた。

「姫末先生の事情は私も理解していますからね。条件によっては考えてみても良いのですが」

「本当ですかっ?」

 慈愛の声が跳ね上がる。

「条件と言っても、姫末先生にお願いしていた本来の仕事の延長ですよ。なに、今学校の中で持ちあがっている困った問題があるんですが、それを解決してもらえればいいんです。やりますか?」

「やりますやります! 是非やらせてください。ここにいる全員で解決してみせますっ!」

「ええっ」

 部員はブーイングを上げた。だけど慈愛はひるまない。目的のためなら手段はどうでも良いような、そんな決意がにじみ出ていた。

 誰かこの先生を止めて欲しいと、千尋は心から思った。

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