ラムダラムダ

きもとまさひこ

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第三章

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 誰が驚いたって俺が驚いたのだが、明美はいつのまにか売れっ子になっていた。

 出会い系の客が、世間話の中で愚痴をこぼしたり悩みを漏らしたりするのは、良くあることだ。実空間で会ってナンカしようとか考えているのならともかく、本当ににネットで出会ってネットで会話を楽しむことだけを目的としているようなサービスなら、ある意味自然なこととも言える。

 明美自身は、いつものように占星術と風水の混じった良く分からない返事をしていただけなのだろうが、これが悩める顧客たちには天啓に思えたようだ。「占いをしてくれる子がいる」という噂が口コミで伝わって、明美には次から次へとお客がつくようになった。

 もともと一日中パソコンに張り付いているような生活をしていたので、客に対するレスポンスも良く、そのことも評価を高めていたのだろう。顧客満足率って奴だ。

 しかも雇う側にとっても美味しいことに、この人生相談的なやりとりの中から、個人や会社の秘密がわんさかと手に入ったのだ。もちろん、それは金の元になる。

 龍見さんと電話で話すと、いつも明美の話題が出てきた。

「彼女はいいですね。ええ、いいです。いまではうちの目玉です。ここいらで大きく攻めに出たほうが良いでしょうかね。キャッチフレーズとか付けて。占いというと、どうしても年配の女性というイメージがありますが、少女ですからね。それがむしろ中年男性には受けがいいのかもしれません。巫女願望とでも言うのでしょうか。そうですね……『新宿の義理妹』とか」

「義理?」

「倫理委員会的に血縁関係はまずいんです、ハイ」

 この人も良くわからねえ。ネクタイのくせに。

「そのくらいのインパクトはありますよ。不思議な言動はありますが、言葉遣いや言い回しは丁寧ですし、若い子にありがちな粗雑さがない。見る人によっては、本当は育ちが良い娘さんが深い事情でこんな仕事をしている、というようにも見えるでしょう。とにかく彼女は、想像力が膨らむ相手なのです。更に言えば見栄えも良い。そろそろ次のサービスとして、ビデオチャットでも始めようかと思っているのですが、彼女はかなりの戦力になるでしょうね」

 ちょっとプッシュしすぎじゃないかという気もする。確かに明美はいい子だけれど、そこまで褒めちぎるほどでもない気がするし、そんなすごいことになったら、なんだか——俺とは不釣り合いになってしまうじゃないか。

 俺達は、ちょっと駄目な人間で、でも割と良い奴で、そんな二人が手を取り合ってちょっとだけ幸せになる、みたいな方向で生きていければそれでいいんだ。

 多分、明美の神様も、そのくらいの御利益なんじゃないかと思う。



 教授に呼び出されたので、大学に行った。

「これを見たまえ」

 教授が投げるように差し出したのは、数本のレポートだった。ざっと全部に目を通して突き返す。

「俺のじゃない」

「その通り、君のレポートではない。このレポートは見て分かるように、互いにコピーして部分的に変えただけのものだ。更に、変更を加えたせいで理解不能の内容になっている」

 それが俺と何の関係が?

「コピーの元を辿っていったら、特定の学生に行き着いた。その学生のレポートもまた、目茶苦茶な内容だったよ。もっともここまでは君と何の関係もない。だが、そのレポートの参考文献や部分的文章を調べたら、元の元になったレポートが分かった。それが君のレポートだ」

「関係ない」

「そうだ、関係ない。おそらくその学生が君のレポートをどこかから拾ってきて、勝手に改悪したのだろう。しかし君のレポートに問題がないかというと、そうでもないように私には思える」

 教授はなめるように俺を見た。つーか、見やがった。

「君のレポートに論理破綻はない。実に良くできている。破綻もないし偏りもない。十分に合格点だ。しかし参考文献として挙げている論文や、その他の関連書籍を良く読むと、君のレポートはそれらを切り貼りしただけのものだということが分かる」

「問題が?」

「通常はない。だが私が学生に求めているものは、そういう如才なさではないのだよ。もっと自分の頭で考え、悩み、自分の中から無理矢理絞り出すようにして生み出された文章を、私は求めているのだ。だから、」

 教授は紙の束の中から俺のレポートを引き抜いて、放り投げた。

「これは受けとれん。再提出だ」



 明美の家でごろりと仰向けになり、天井の格子を見上げていた。すぐ隣では、明美がタオルケットにくるまって白い背中を向けている。

 俺のレポートは無価値かね。

 ロジックとして問題ない存在が否定されるという、このおかしなロジック。再提出の期限まで時間はないのだが、とてもじゃないが手を付けようなんて気分にはならなかった。

「なあ」

 声を投げたら、タオルケットの塊がもぞりと動き、明美がこちらを向いた。

「母親の病院。行ってる?」

 明美は無言で再びタオルケットに顔を埋めた。

 そんなことだろうと思ったけど。

「まあいいさ」

「……お母さんね、心だけがラムダラ様のところに行ってしまったの。きっと、ラムダラ様のところで、幸せに暮らしているのよ。火星と木星に囲まれて」

 てことはラムダラってのは、小惑星帯にいるってことか。

「お父さんが死んだあと、お母さんは、一人で遠くに行ってしまったの。ラムダラ様に導かれたのだわ。どうして一人で行ってしまったのかしら。しかも心だけなんて」

 置いていかれた明美は、どうすればいいのだろう。

「どうして、お母さんは、身体も一緒に逝ってしまわなかったのかしら。そうすれば私は楽になれたのに」

 俺は驚いて明美を見た。明美はタオルケットに顔の半分をうずめ、目だけでこちらを見つめている。顔の下半分が見えないから笑っているのか怒っているのかも分からない。本気で言っているのか、冗談で言っているのかも。

 それならお母さんの身体を殺してしまえばいいのにという強烈な言葉をくれてやりたい衝動にかられたが、かろうじて言葉を飲み込んだ。別の話をしよう。そのほうがいい。

「あのさ」

「なあに?」

「ラムダラって、何?」

「ラムダラ様は私のところにやってきた神様なの。星と方角を見る者に、真実の在処を教えてくれるのよ。私が迷った時に、何をすればいいのか、どこを目指せばいいのか、示してくれるの。今は私のことを上から見ているだけだけど、いつかきっと私のところに来て、私を遠くに連れて行ってくれるの」

「俺のところにも、来る?」

「それは私のラムダラ様ではないわ。私のラムダラ様は、私だけのもの。私だけを導いて、私だけを連れて行って、私だけを幸せにしてくれる」

 だろうな。

 明美が欲しいのは、その言葉通り、自分だけを幸せにしてくれる神様なのだ。俺のことなんか気にかけてはいけないのだ。でもだったら、そいつの代わりに俺が明美に幸せをくれてやってもいいんじゃないか?

「お母さん」

「なに?」

「お母さんは、どうして身体だけ置いて行ってしまったのかしら。そのせいで私はここにいないといけない。……お客さんの中にね、悩みがあって今の生活から逃げ出したいって言っている人が沢山いるの。その悩みはお金だったり、仕事だったり、家庭だったり、病気だったり。仕事がつらいっていう人は、逃げ出してどこか遠い国にでも行ったら、少しだけでも楽になれるんじゃないかって言ってた。本当かしら。逃げ出せば楽になるのかしらってその時は思ったけど、なんとなく分かるような気がするの。お母さんのことを考えると、ラムダラ様に連れ去られてどこまでも走っていったらどうなるだろうって考えるもの。そうなったら、どうなるのかしら」

「明美はどうしたい」

「いんたーねっとは、今の仕事は、どこででもできるの?」

「できる」

「だったら、遠くに行きたいわ。どこか遠くに、行ってしまいたい」

「ひとりで?」

 明美は唸ったきり、タオルケットの中でもぞもぞと動く。

「例えば」

 俺は畳み掛ける。

「誰かが一緒なら?」

 タオルケットがもぞもぞ。俺は止まれない。

「明美を幸せにする誰かが一緒なら?」

 引き続き、もぞもぞ、もぞもぞ。悩んで出した答えは、

「それも、いいわね。ラムダラ様が、私を連れて逃げてくれるなら」

 明美を助けるラムダラ様、それは白馬の王子様で神様だ。

 要するに恋だな。俺には分かる。そうだろう、そうだろう。素敵な神様が自分と一緒に逃げてくれる光景を想像しているんだろう。

 俺だって想像しているさ。明美の手を引いて、幸せの階段を上る素敵でトキメキな神様の顔を。

 つまり、俺様の顔を。

 オッケ。任せておけ。

 俺は起きあがった。



 とりあえず最初にやったことは、レポート作成システムの整理だった。真面目にレポートなんか書いていられっか。俺は明美と逃げるんだ。逃避行。北の大地。身辺整理がまず必要。

 情報収集と解析のプログラムをひとまとまりにする。独自のロジックを生み出すところだけは、自分の頭で考えてもらうしかないが、一応エキスパートシステムのエンジンを使って、いくつかの候補を提示するところまでは作った。作文エンジンは中庸にチューニングした。レポートのような文章であっても、文体ってのは書いた人間のセンスが実は如実に出るところで、論理的に過不足なく簡潔であるにも関わらず、文学的で個性的な文章を書く人間というのがいる。才能だな。でも、そこまでのものは作れないから、作文の教科書の範囲を踏み出さない文章を出力するように修正した。

 そしてドキュメントを書いて全部をパッケージングし、広野メソッドシステムという名前をつけた。

 俺の持つ技術、情報、資料を、放流してやる。使いたければ使えばいい。良い論文を作るのに使ってもいいし、くだらない嘘ばかりのレポートの作成で点数を稼いでも構わない。道具の善悪は道具そのものじゃない。使う人間によって決まるものだ。俺はもうレポートなんか書かない。だからお前らの好きにしろ!

 次は出発の準備だ。さて、どこまでやるかと、ひとしきり考える。失踪の方法なんてのは、裏を漁ればいくらでも出てくるが、陳腐になりすぎていてすぐばれそうだし、最近は行政が色々制約を強くしているので以前ほど簡単ではなくなっている。

 それでもやりようはあるのだが、今回は戸籍を買うところまではする必要ないし、他人の住民票をかすめ取る必要もないだろう。逃げた先でも、金を稼ぐ方法はいくらでもある。むしろ最初の半年くらいは、様子を見るために今の生活環境はそのまま残しておいたほうがいいかもしれない。家賃や光熱費なんかは、代理人を通して払えばいい。仕事をすると龍見さんに居場所がばれることになるが、あの人は俺たちの味方になってくれるはずだ。ネクタイはしているが、いい人であることは間違いないし。

 とりあえず特急のチケットを二枚予約した。なにはともあれ、これが一番重要だ。

 俺は最寄りのJRの窓口に行き、予約したチケットを受け取って、明美の家に向かった。

 明美は居間の安っぽい蛍光灯の下で、せっせとパソコンに向かって返事を入力していた。俺はその正面に座り、全力で呼吸を整えて、チケットを差し出した。

「これ、チケット」

 途端に明美の表情が驚きに変わる。

「本当なの?」

「本当。受け取れ」

 そして明美は、おずおずと手を伸ばし、チケットを受け取った。

 二枚とも。

 ……二枚とも?

「嬉しい。本当に遠くに行けるなんて。龍見さんに、もう一度話してみるわ」

 ……龍見さん?

 どうしてあの人の名前がここで出てくるのだろうと、十秒ほど考えた。

 あー、あれ? もしかして、そういうこと?

 考えてみれば、龍見さんの明美のプッシュっぷりは異常だった。明美の顔も知っているようだったし、二人で会っていたとしても不思議はない。それどころか、龍見さんが明美の客の一人であったとしても、逃げてしまいたいと言い出したのが龍見さんであったとしても、ありえないことではないのだ。いや、そのくらいでなければ、あの人が明美のことをあんなにも知る機会なんてなかったはずだ。

 だとすれば、あの時明美の頭に浮かんだ「私を連れて逃げくれる人」ってのは、龍見さんだったってことか。

「え、えと」

 俺は声を詰まらせた。

「そうか。グッドラック」

 思ってもいないことを無理矢理に口に出してみたら、想像以上に憂鬱な気分になって、その場から走り去りたくなった。

 いや、実際俺は、大きな音をたてて立ち上がり、逃げるように走り去ったのだった。



 龍見さんめ、やってくれるぜ。ネクタイのくせに。

 試しに部屋の明かりを消してベッドに寝転がってみた。傷心を演出、でも何も解決せず。そんなものだろう。

 表向きの良い子の答えを言わせて貰えば、明美が幸せになるのなら、俺は別に構わないんだ。彼女が誰とくっつこうが。その相手が、本当に明美を幸せにできるのなら。

 だが残念なことに、俺は良い子ではないから、色々なことを考えてしまう。

 もし龍見さんが、実はサディストだったら?

 もし龍見さんが、実は莫大な借金を抱えていたら?

 もし龍見さんが、実は酒乱だったら?

 もし龍見さんが、実はビキニブリーフ派だったら?

 なんせネクタイだからな。何があっても不思議じゃないぜ。

 俺は立ち上がり、明かりをつけて、コンピュータを待機状態から復帰させた。

 調べてやろうじゃないの、秘密がないか、さ。

 そして裏と表と両方の情報網を駆使して、調べて調べて調べて、更に調べまくった。

 龍見さんの今の会社は情報のガードが堅かったが、合同会社説明会の主催者から履歴書の情報を探り出し、前に居た会社というのを見つけだして過去の経歴を洗い出す。履歴書があれば、学歴なんかも追跡できる。学生時代の成績から、小中学校の文集まで。過去の交友関係を漁ればトラウマなんかも想像できるものだ。

 更に現在の情報だが、これは携帯電話の番号からかなりのことが引き出せる。住所が分かれば公共料金の支払い状況、クレジットカードの利用状況も手に入るし、宅配便の利用状況も分かる。貯金や株券なんかの資産状況に、生命保険の支払い、健康保険の利用状況、人間ドックのカルテまで。なんでも取り放題だ。

 考えてみればここまで龍見さんのことを知ったのは初めてで、俺はいかにあの人のことを分かってなかったと認めざるを得なかった。

 調べに調べた結果分かったのは、龍見さんは、子供の頃から真面目を絵に描いたような人間で、大学時代も合コンに出たりすることもなくきちんと授業に出席してレポートを書いて単位も取って、最初に入った会社も勤勉な態度を貫いて円満転職して、今の会社でもきちんと仕事をこなしているってことだ。友人もちゃんとした堅気の人ばかりで、周囲からの評価も高く、皆が口をそろえて彼を誉める。裏のある誉め方なんかじゃなくて、本当にあいつは良い奴だ信用できる奴だ、友達になってよかったという心からの賞賛だ。

 龍見さんは、誰から見ても実直で誠実で真摯で紳士的で、エリートで将来有望で期待されていて、そしてそして、それなのに、ああ神様ラムダラ様、それなのにどうなっているんだよ現実って奴は。

 ——畜生。

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