オサナナ日々と空色キセツ

蓬莱(ほうらい)

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5月の終わり、僕とテストと暗記術

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 ――東京では最高気温30度、今年初めての真夏日でした。
 なんてニュースが流れる5月の終わりのころ、僕の住んでいる山あいの村では、ようやく春の盛(さか)りを過ぎる。
 桜の開花は東京よりもずっと遅くて、5月に入ってから咲くのが普通で、待ち望んでいた桜も咲いたと思っても呆気なく散ってしまう。とにかく北国の春はとても駆け足だ。
 けれど、季節の移り変わりをのんびりと楽しんでいるわけにもいかなかった。
 僕らは今、厳しい現実に直面しているからだ。

 中間考査、つまり……「実力テスト」である。

 高校に入って初めての考査を前に、僕は夕べ親父の作ったプロテイン入りの「ドーピング夕飯」を食べ部屋に篭って勉強に励んだ。
「良質のたんぱく質は記憶力を高める!」という親父の言葉は半信半疑ながら、一応は大学の助教授なのだし、信じてみたのだ。
 ちゃんと食べて記憶力を高め、一夜漬けで要点を頭に詰め込む作戦だった。

 妙なものを食事に混ぜた僕のオヤジは大学で助教授の職についていて、毎朝車で一時間半をかけて二つとなりの大きな町へ行き教鞭をとっている。
 教えているのは「骨法こっぽう」という古い武術などについて……らしいけれど僕はあまり詳しくない。

 僕の家は築40年ぐらいになる古い木造の平屋建てで1LDKのほかに、二十畳ほどの「道場」もある。親父は大学で生徒さんたちに教える傍ら、自らを師範とした「古武術」をこの自宅兼道場で教えていたりもする。

 ――天野羽あまのは流古武術『健康』道場。
 
 『平安時代に大陸から伝わった無刀仙術を源流に据える我が流派は……(以下略)』
 と、ウンチクの書かれた立て看板はあるのだけれど、基本的には近所のおじいちゃんおばあちゃんたちに骨法をベースにした「健康体操」を教えている。
 
 家の玄関前にある立て看板には、『腰痛が治った!』『便秘が解消した』『20年音信不通だった息子から連絡が!』という門下生からの喜びの手紙が張ってある。
 正直、本当にやめて欲しい。

 言っておくけれど「一子相伝の暗殺拳が使える」なんてことはない。ピンチになったって覚醒なんかしやしないし、胸や額に謎の紋章が浮かんだりもしない。

 けれど幼なじみのユウナは、
「アキラには秘められた力があるんだよ! おとーさんが秘密の暗殺拳の伝承者で、先祖から密かに受け継いだ紋章の力でピンチになると覚醒するんだよっ!?」
 と、幼稚園から中学3年の頃まで一貫して本気で周囲に喧伝していた。

 何故に「秘密の暗殺拳」が公になっているのかという点からしてツッコミどころ満載なのだけど、ユウナにしてみればイジメられ易かった僕のために、「アキラが本気になったらヤバイんだからね!」ということを言ってくれたのだ……と思う。

 ――って。

 黒歴史一歩手前の僕の身の上話は、今はどうでもいい!

「――明日テストなんだってば」

 僕とユウナの通う県立綾織高校は、片田舎の小さい学校だけど、一応は進学校の端くれを標榜しているので勉強はおろそかに出来ないのだ。

 ガリガリと机に向かっていると、ユウナからSNSのメッセージが来た。

 <14階の中ボス倒すの、レベル幾つ欲しい?>

「…………」

 ギリッ。と思わず両の奥歯を噛み締める。
 僕が必死こいているのに何なんだこの余裕は?
 スマホのガラスには、半眼で口をへの字に曲げた僕が映っていた。

 <勉強中!>

 と短く返す。
 
 <笑止>
 
 何がだ! と、そこまでは良かったのだけど……、結局のところ僕は、某ゲームの14階のボスの攻略法を調べたりしているうちに寝落ちしてしまったしく……、気がつけば朝だった。

 しかも今朝はユウナに起こされるという大失態。

 僕は「いい点数がとれたよ!」と、花丸だけがついた小学生みたいな答案を手に持っている、という意味不明な「夢」を見ているところを叩き起こされたのだ。

 ――ガラッ!

「話は聞いたわ! アキラのテストは滅亡する!」

 ユウナは突然に僕の部屋の窓を勢いよく開けて、だいぶ前にはやった「ネットスラングのネタ」を披露してくれたのだ。おかげで目覚めは最悪だ。

 ちなみに僕の部屋は一階で普段は施錠もしていない。隣近所はみんな顔見知りでドロボーなんて居ないからだ。

「え……? え? ユウ……今何時!?」
「7時30分。テスト滅亡の予感は本当になりそうね……」

 ぷくくっ、と窓枠の向こうで朝日みたいな笑顔をうかべる。半分はユウナのせいなのに、と心底腹立たしい。

「てめっ……。って、もうホントにこんな時間!?」

 飛び起きて顔を洗い、キッチンへ行くと親父はすでに仕事に出た後だった。古びたテーブルの上には「飯はテキトーに食え」という置き手紙とプロテインの粉が置いてあった。

「変な粉は要らないから、せめて起こして行けよっ!」

 僕は手紙を丸めてゴミ箱に投げた。

 ◇
 
 そんなこんなで朝の通学路。
 
「起こしてあげただけでも感謝してね」
「はいはい」

 適当にユウナに返事をして、歩きながら教科書に視線を落とす。

 僕たちの家は隣同士だけど、街の中みたいに綺麗に二軒並んでいるわけじゃない。 
 山間の村落なので家はまばらで、僕の家とユウナの家は50メートルほど離れている。
 山沿いのなだらかな丘陵地、小川の流れる里山のはずにれ建っていて、バカみたいに広い敷地と、車一台が通れるだけの舗装道路で隔てられている、そんな集落だ。
 そこから続く見慣れたいつもの通学路は、田園風景の中にぽつぽつと建つ民家と、水彩絵の具で描いたような色合いをした新緑の山々が横たわっている。
 緑が濃くなってきた田んぼのあぜには、菜の花が咲いて、鮮やかな彩を添えている。

 歩きながらも教科書を必死でめくる。なんとか頭に叩き込まねば……。
 となりを歩くユウナは余裕しゃくしゃくと言う風に、そんな僕を眺めている。

「アキラに問題です」
 突然ユウナが問題を出す。確認テストか?
「いいよ、こいっ」
「東大寺の大仏が作られたのは何年? ちっちっち……」

 時間制制限!?
 だけどそこは昨日勉強したから自信がある。

「794年!」
「ぶ――っ! それは『鳴くよ(794)ウグイス平安京』でしょ。へっ」
 薄く笑われた。

「平安京に観光スポットとして建てられたんじゃ?」
「ないわ! 東大寺は752年、『おなごに(752)似ている大仏様』と覚えればいーよ」

「ぐぬぬ……!」
 ユウナのくせに。この時ばかりは幼馴染のドヤ顔に頭が上がらない。

 普段お菓子ばっかり食って脳味噌までスイーツかと思いきや、そうでもない。
 ユウナはアホの子に見えて記憶力がいい。幼稚園の時に僕がいじめられて泣きべそをかいた回数とかホント、しょうもない記憶もバッチリだ。

 仕方ない。ここは謙虚に暗記の秘訣でも聞いてみようか。

「なぁ、ユウナはどうやって暗記してるん?」

「うーん。特にコツはないけど……」
 指先で唇を持ち上げて、

「あ、ゴロ合わせとお菓子食べながら覚えるよ!」
「おかし……だと?」
 僕は訝しげに横顔を眺める。すこし栗色を帯びた髪を指先でくるくるっと巻いて。

「うん! 歴史とか地理とか、ゴロ合わせで覚えてポッキー2本食べるとか、化学式覚えてポテチ3枚とか」

「太るだろ……?」
「そんなの誤差の範囲だってば」

「体脂肪を脳細胞代わりに記憶出来るのはユウナだけ――ぁだっ!?」

 ノーモーションで繰り出されたユウナの「突き」が脇腹に刺さる。
 いてぇ!

「続いて第二問」

「くっ……、来い!」

 ユウナが楽しげに指をびっ、と二本立てる。

 悪戯っぽい笑顔が何故だかうれしくて、僕は徹夜の眠気も吹き飛んでいた。

 水鏡のようなた田んぼを吹き抜ける風は爽やかで、水の匂いがした。

<つづく>
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