贖罪の救世主

水野アヤト

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第六十二話 女神の悪戯

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 アバランチアのグラーフ教大聖堂で行なわれた休戦交渉は、その後何事もなく無事終えられた。
 張り詰めていた緊張が解放され、一気に疲れが押し寄せたアリオンは深く息を吐く。まだ若い彼にとって、このような交渉の大役は初めての経験であった。以前、グラーフ同盟軍を率いた際の軍議の時よりも、遥かに緊張したのである。
 もし自分が交渉で失敗すれば、三つの大国がローミリア大陸の覇権を懸けた大戦争を始めてしまう。後世の歴史書に、王子アリオンの失敗が大戦の原因であると書かれでもしたら、想像しただけでも恐ろしい結果だ。
 その重責から、アリオンはようやく解放されたのである。休戦の条約も締結し、無事に交渉を終える事が出来た。若く経験の浅い彼では、たったこれだけの交渉で疲れ切ってしまうのも無理はない。
 
 アリオンとは対照的にアンジェリカは、疲れた様子は一切なく、仲介役だったアリステリアと談笑している。何故かそこにフィーネも混ざっていて、随分と話が盛り上がっている様子だった。
 アンジェリカの命令で、正座にて反省させられていたリックはと言えば、正座から解放はされず、今はリリカに揶揄われているところであった。
 流石アンジェリカ達は、こんな交渉にも慣れている。アンジェリカに尊敬の念を向けると同時に、己の未熟さを再確認しながら、アリオンは交渉の成功に喜びを感じるのだった。 

 だがその喜びは、たった一人の人物によって打ち消されてしまう。交渉を終えたアリオンのもとに、報告のために一人の騎士が駆け寄ってきたのである。
 この騎士は、グラーフ教会を守る教会騎士と呼ばれている存在で、ホーリスローネ王国にあるグラーフ教会大聖堂の守護をしている。アリオンが王国を出る際、とある人物の護衛のために同行した教会騎士団の一人だ。
 騎士はアリオンに耳打ちして報告を行なった。その報告にアリオンは目を見開いて驚き、聞き間違いではないかと我が耳を疑った。

「まさかそんな⋯⋯! 本当にあの御方がそう言ったのか⋯⋯!?」
  
 思わず騎士に聞き返し、驚愕するアリオンの様子に、アンジェリカ達の視線が一斉に彼へと向けられる。信じられないといった顔をするアリオンは、騎士の報告が聞き間違いではなかったと分かると、自らの視線をリックへと向けた。

「⋯⋯⋯実は、僕達は王国を出発する際に、ある御方をここへ御連れすることになりました。その御方が、フローレンス将軍に御会いしたいと言っているようです」
「俺に? 一体誰が?」
「申し訳ありませんが、ここでその名を口にはできません。そしてその御方はフローレンス将軍だけでなく、帝国宰相殿と技術開発部主任、それにアリステリア殿下にも御会いしたいと⋯⋯⋯」

 指名されたのは四人。リックとアリステリア、それにリリカとシャランドラまでが呼ばれているという。何故リリカとシャランドラもなのか、その理由は全く分からない。誰が何の目的で自分達に会おうとしているのか、皆目見当もつかないリックではあったが、アリオン同様に驚愕しているマクシミリアンの様子から、只者ではない人物が現れようとしていると悟った。
 どうするべきか思考していたリックが、同じく指名されたリリカを見る。驚いた事に彼女からは、顔に常に張り付けられている妖艶な笑みが消えていた。抜身のナイフのような鋭い空気を纏う彼女の様子から、相手はリリカの知っている人物で、恐るべき存在なのだと理解する。
 リリカを一瞬で戦闘態勢にしてしまうような存在。そんな人間がこの世にいるならば、会ってみたいと思ってしまうのがリックであった。

「わかりました。その名前を呼んではいけない御方って人に会いましょうか」









 ここアバランチアのグラーフ教大聖堂には、極一部の者しか知り得ない、秘密の地下空間が存在する。伝説では、かつてアバランチアでローミリア大戦の停戦交渉が行なわれた際、当時のホーリスローネの国王とゼロリアスの皇帝は、この地下にある神殿にてグラーフ教の神に会い、ある警告を受けたという。
 その警告とは、大戦で使用された魔導具の数々に関してだった。大陸を滅亡させかねないこの強大な力は、人間には過ぎた力であるとして、封印のため、全ての魔導具を神に差し出せというものである。
 伝説によれば国王と皇帝は神に従い、自分達が保有していた魔導具を大人しく差し出したという。唯一保有を許されたのは、ホーリスローネ王国で保管されていた伝説の秘宝のみであった。

 嘘か誠か、かつて神が降臨した事があるというこの地下神殿に、名前を出せぬという御方がいる。伝説の再現で神を気取ろうとしているのか、その真意は分からない。ただ、得体の知れない何かがリック達を待ち受けているのは確かであった。
 地下の巨大な通路を進み、神殿に入るための大扉を前にしたリック達。指名された通り、リリカとシャランドラ、そしてアリステリアと共に、リックは神様気取りの謎の人物に会いに来た。
 大聖堂の地下に行く事を許されたのは、リック達と教会騎士のみである。王子であるアリオンや、勇者連合の団長マクシミリアンも、ここへ来る事は許されなかった。
 早速神気取りに会うべく、神殿の大扉に近付こうとしたリック達だが、教会騎士達が彼の前に立ち塞がってその歩みを止める。

「ここより先は、一人ずつお入り頂きます」
「⋯⋯⋯順番でもあるのか?」
「一番目はフローレンス将軍。二番目はリリカ宰相。三番目はアリステリア殿下となり―——」
「んで、最後はうちってことやな。こっちは実験中で忙しいんやから、ちゃちゃっと済ませてや」

 自分の順番が最後であると知ったシャランドラが、不満を隠さず文句を騎士にぶつけるが、騎士達は彼女の言葉を完全に無視していた。一発殴ってやろうかと思い、苛立つシャランドラが手に持っていた研究ノートを丸めるが、不味いと思ったリックに制止され、彼女は渋々怒りの矛を収めた。
 シャランドラがここまで怒るのも仕方がない。いつも通り発明の実験中で、その実験が良いところまで進んでいたその時、急いで大聖堂まで来るように言われ、持っていた研究ノートを置いてくるのも忘れてここへ来たのである。
 急に呼び出されたため、リック達の身に何かあったのではと心配になり、慌てて軍用車両をかっ飛ばして向かったシャランドラだが、着いてみれば誰かも分からない人物との面会だと言われたのである。
 大事な実験を邪魔された挙句、今から知らない奴に会えと言われれば、怒らない方が無理である。機嫌の悪いシャランドラをリックが宥めた後、言われた順番通りまずは彼が神殿に進む。
 騎士達によって大扉が開かれ、グラーフ教の神殿へとリックは足を踏み入れる。神殿内に入ったところでリックが振り返ると、騎士達が大扉を閉めようとしているところだった。
 扉が閉められる前に、振り返ったリックと、彼を見つめるリリカの視線が重なった。驚いた事に、あのリリカが不安を隠そうともせず、何かに怯えてリックから視線を逸らしたのだ。
 リックは、怯える彼女を安心させようと微笑んで見せる。それを見たリリカは、少し安心できたのか、ぎこちない笑みを浮かべてリックを見送った。

 そして大扉は完全に閉じられる。地下神殿内は、魔法石の一種と見られる結晶体がいくつも置かれ、それが青白く発光する事で光を得ていた。高い天井を支えるいくつもの柱と、光源となっている魔法石しかない薄暗い空間の奥に、その玉座はあった。
 真っ直ぐ玉座へと歩みを進めていくリックは、グラーフ神殿に現れた神の姿を目撃する。玉座に腰かけ、肘置きに肘を付き、頬杖を付いてリックを待つ女がいた。
 若く美しいその女は身体を薄く光らせ、赤と緑のオッドアイでリックの姿を瞳に映す。リリカの髪よりも薄い金色の長髪と、色白い透き通るような素肌。その神秘的な我が身を純白のドレスで着飾って、謎の女はリックと向かい合う。

「んふふふっ⋯⋯⋯、お前がリクトビアなのね?」

 薄暗い空間の中でリックの名を呼んだ女は、不敵な笑みを浮かべていた。女は値踏みするような視線で、自分のもとに近付いてきたリックの姿を、爪先から上までじっくりと観察する。
 リックが近付いたお陰で、ようやく女は彼の顔がよく見えるようになった。そしてリックの顔を見た瞬間、女は驚愕して目を見開き、思わず玉座から立ち上がる。
 
「なんでよ⋯⋯、どうしてお前がそこにいるのよ⋯⋯⋯!?」
「呼んだのはお前だろ。俺がここにいたら不味いのか?」
「だってお前は、まだ目覚めて⋯⋯⋯!」

 この女にとっては、自分の目の前にいるリックの存在が信じられないようであった。我が眼を疑い、声の聞き間違いかと耳まで疑い始めた彼女は、夢でも見てるのかと思い、動揺を隠せず瞬きを繰り返している。
 彼女と初めて出会うリックは知らなかったが、この女がここまで取り乱す姿を、今まで見た者は一人もいない。正確に言えば、ここ数十年はいなかったという意味だが、そんな事は誰も知り得ない話だ。
 女は激しく動揺していたが、何事か分からず首を傾げているリックの様子を見て、徐々に落ち着きを取り戻していく。この男は、自分の知る人物ではないと気付き始めた彼女は、やがて神懸った思考によってある結論を出した。
 想像もしていなかった衝撃の事実に、彼女は狂喜する。邪悪の極まった笑みを浮かべると、狂喜した彼女から不気味で恐ろしい嗤い声が上がった。

「きゃはははははははははははっ!!! あの女、やっぱりイカれてる!!」
「⋯⋯⋯下品な笑い声上げやがって。おい、あの女って誰のことだ?」
「きゃははっ! やっぱりお前、まだなーんにも聞かされていないのね!? どこまで狂ってんのよあいつ!」  

 腹を抱えて大笑いする彼女は、笑い過ぎて立っていられなくなり、再び玉座に腰を下ろした。余程可笑しいのか、肘内を何度も手で叩き、両足をばたつかせ、笑い過ぎのあまり目に涙まで溜めている始末だ。
 
「笑い止まんなくて死にそう⋯⋯!! きゃはっ! こんなに面白いのって千年振りかしら! だからあの女と、そしてあんたは最高なのよ!」
「まさかお前が⋯⋯⋯、グラーフ教の—――」
「察しの通り、この私が女神ジャンヌってわけ。汝にグラーフ神の加護があらんことをってね」

 彼女の名はジャンヌ・ダルク。永劫を生きるとされる、グラーフ教の女神である。
 ホーリスローネ王国のグラーフ教会神殿にいるはずの女神が、アバランチアまで彼らに会うため教会の神殿から外に出た。女神ジャンヌが神殿の外に出るのは実に百年振りであるが、彼女が興味を抱いていた人物達が一堂に介すると聞き、良い機会だと思ってここまで会いに来たのである。

「女神がいるらしいって話は聞いてたが、まさか本当にいるとはな。永遠の十七歳なんだっけ?」
「んふっ、不老なだけでちゃんと歳は取ってるわ」
「今いくつ?」
「乙女に歳を聞くなんて失礼よ」

 本人は不老を自称するが、簡単には信じられない話である。だがリックは、神秘的な彼女の姿と、嘘だと感じられない彼女の眼を見て、この女神が本当に永遠を生きているのだと信じた。
 不老なのは信じたリックだが、それ以外は全く信用できない女であるとも感じていた。遊ぶように人を欺き、陥れ、絶望の底に沈む姿を嘲笑う、命を弄ぶ者の眼をした人の皮を被った怪物。リックの瞳には彼女が女神などではなく、その手を血で赤く染め上げた邪神に映ったのだ。
 
「おい女神。俺達を呼んだ理由は?」
「あんたを呼んだのは、あの女のお気に入りがどんな男か知りたかったから。そりゃあ、お気に入りがあんたなら、あの女も命懸けで守ろうとするはずよね」
「そっちは勝手に話が繋がって面白いだろうが、俺からしたらさっぱりなんだよ。もっとわかるように説明してくれ」
「嫌よ。私が全部丁寧に教えちゃったらつまらなくなっちゃうじゃない。あんたはこれからもっと、もっと、もっと苦しんで、絶望して、嘆いて、世界の全てを憎悪しなくちゃいけないんだから」

 女神は狂喜的な笑みを浮かべ、混沌を望んで高らかに嗤う。
 やはりこの邪神こそが、ボーゼアスの乱を引き起こし、ヴァスティナ内戦を始めた元凶なのだとリックは理解する。
 ヴァスティナ内戦時、死の間際エミリオは、内戦を起こすきっかけを作ったのがグラーフ教会であった事を告げ、リックの腕の中で息を引き取った。あの内戦を仕組んだのは、間違いなくこの邪神なのだ。
 この女さえいなければ、エミリオを失う事などなかった。エミリオはあの反乱で、リックを守るために自ら裏切りの汚名を被り、その命を散らしたのである。
 エミリオを殺したのがこの女であるというならば、絶対に許してはおけない。ここで殴り殺してやりたい程憎い相手であるのは間違いないが、リックは湧き上がる憎悪を理性で抑え込んだ。
 
「⋯⋯⋯もしも本当に女神ってやつに会えたら、お前の目的はなんなのか聞くつもりでいた。でもお前を見たら、もう聞く必要もなくなった」
「あら、どうして?」
「お前は、人が苦しみのた打ち回った挙句に死ぬ様を見るのが三度の飯より好きなイカれ女ってだけだ。そんな奴はこの世界にも腐る程いるだろうが、そいつらよりもずっと厄介なのは、お前が無駄に力を持ってる不老不死の化け物ってところで、誰も逆らえないってところだ」
「その通り。この世界は私が創った、楽しい、愉しい、永遠の遊び場。この遊び場では私が神であり、どんな命をも弄べる権利がある。それが私、女神ジャンヌ・ダルクと、剣と魔法の世界ローミリア大陸よ」

 全てがはっきりした。女神を前にしたリックは、この世界が戦乱絶えぬ地獄であるその元凶が、このジャンヌという女なのだと悟る。
 ジャンヌはグラーフ教を利用し、このローミリア大陸の全てを支配している。戦争を操り、平和を破壊し、逆らう者は皆殺しにして、混沌たるこの世界を維持し続けてきたのだろう。
 リックはジャンヌの言葉から、彼女が人間を酷く憎んでいるのだと感じ取った。殺したい程というより、殺しても足りない程の憎悪を人間に抱くからこそ、彼女は人間を皆殺しにしようとはしないのだ。
 ジャンヌの言葉を信じるなら、彼女はこの世界を創り上げた創造主という事になる。恐らく彼女はこの世界を創った際、自らが世界に干渉するための手段を欲したはずである。その干渉するための道具がグラーフ教会だ。

 ジャンヌは自らを女神とし、宗教という確実に人心を掌握できる手段のもと、今日に至る絶対の支配体制を築き上げた。大陸全体に自身の手が加えられるように、長い時をかけて信者を増やし、各国の中枢にも信奉者を置いたのである。
 これによって教会は、女神が望めば、どんな情報すらも得られるようになった。逆に、女神が指示すれば、どんな情報操作も行なえてしまうのだ。ジャンヌは信者という便利な道具を大陸に張り巡らす事で、多くの殺戮と悲劇を生み出してきたのである。

 ある時は国同士の戦争を、またある時は民の反乱を、更には特定の国で内戦を引き起こす。但し、新しい宗教が生まれようとすれば、根付く前に全力で排除する。彼女の遊び場は、グラーフ教の独裁によって成り立つからだ。
 ローミリアの歴史上で、時々生まれる新興宗教を異教徒と定め、各国に要請して根こそぎ討伐させるのは、グラーフ教にとって唯一の脅威を消し去るためである。宗教勢力にとって最大の敵は、自分達とは異なる別の宗教であると、ジャンヌはよく分かっているのだ。

「永久の牢獄で人間を殺し続けて、よく飽きないな。人間が絶滅しないように数の管理までしてきたんだろ?」
「そりゃそうよ。殺し過ぎたら増えなくなっちゃうもの。永遠に遊ぶためには、殺し過ぎず平和にし過ぎず、丁寧に管理してあげなくちゃいけない。この苦労、わかってもらえた?」
「わかるか呆け。何でお前みたいな邪神が信奉されてんのか意味が分からん」
「だってみんな好きでしょ、神秘の女神様って」

 これ以上言葉を交わす意味はないとして、リックはジャンヌに背を向けた。エミリオの仇であるジャンヌを生かしておくわけにはいかないが、ただ彼女を殺したとしても、それは何の復讐にもならない。
 彼女にとって己の死は、ようやく訪れた解放でしかないからだ。もしも死を恐れているのであれば、こんな場所でリックと二人きりで会おうとはしない。死すら恐れぬ彼女に復讐するならば、この世界で抗い続けるしかないのだ。
 この永遠なる女神の庭で、女神が最も嫌がる事をし続ける。それだけが唯一、彼女によって奪われた命への償いとなる。

 ジャンヌもまた、リックへの用は済んでいた。興味があった男に会えた事で、予想以上の驚きと興奮を得た彼女は大満足している。こんなにもご機嫌な彼女は、ここ数百年の内で初めてだった。
 上機嫌だからこそ、普段は女神として語る彼女も、今は素の砕けた姿を露わにしている。上機嫌であるために、この場から立ち去ろうとするリックに、いつもなら絶対にしない助言を与えるのだった。

「ああ、そうそう。お前の傍にいるリリカって女。あれは殺しておいた方が良いわよ」

 立ち止まるリックの背中を見つめ、残忍な笑みを浮かべるジャンヌ。自分の背後でジャンヌがどんな顔をしているのか、それが分かっているリックは、振り返りもせず再び歩き始めた。

「んふふっ、殺しておかないと後悔するから」
「後悔? お前に会ったこと以上の後悔なんてねぇよ」

 最後にそう言い残し、今度こそリックは女神の神殿を後にする。
 扉からリックが出て行った後、次の客が来るまでの間、ジャンヌは心底愉しそうな高笑いを神殿内に響かせるのだった。









 神殿を出たリックの眼前には、順番待ちをしているリリカ達の姿があった。戻って来たリックの姿を見たリリカは、順番に従い扉の前へと歩を進める。
 リックの傍まで来たリリカは、やはり笑みのない顔で彼に向かい口を開いた。

「あの女、何か言ってなかったかい?」
「お前を殺せって言われた」
「言うと思ったよ。どうするんだい?」
「聞かなくてもわかるだろ」
「それもそうだね。ふふっ⋯⋯」

 少し機嫌を良くしたリリカが薄く微笑み、リックの傍を離れて大扉の前に立つ。再び大扉が開かれ、リリカは神殿の中へと歩を進めた。
 扉が閉まっていく事など一切気にせず、リリカは神殿の奥に進んでいく。この奥にいる、リリカが良く知る人物は、彼女が想像していた通りの姿と顔で待ち構えていた。
 
「んふふふっ、久しぶりね。会いたかったわよ」

 玉座に腰かけて足を組み、不敵に笑っている女神ジャンヌに向かい、リリカもまた妖艶な笑みを返す。

「私は会いたくなかったよ。最低最悪の屑だったお前が、今は神を気取っているなんて何の冗談だい?」
「酷いこと言うじゃない。こう見えても今は女神様だから、哀れで愚かな人間共のために立派な神を演じてあげているのよ?」
「いつからジャンヌは残虐な女神になったというんだ。名乗るならもっと他のがあっただろうに」
「今はこの名が気に入ってるのよ。あなたなんか名もそのままだから、見つけてくれと言わんばかりじゃない」
「お前がまだ生きていたのは計算外だった。生きていると知っていたら、別人になっていたさ」

 リリカにとっては最悪の再会であり、この世界で最も会いたくなかった古い知り合いである。こうして自ら近付いていけば、いずれ向こうの方から会いに来るとは思っていたが、リリカが予想していたよりも早い再会となった。
 最後に顔を合わせた時と変わらない。その美しくも憎らしい顔も、時の流れを忘れた変わらぬ姿も、あの頃のままである。不老不死の化け物は健在であり、今や世界の創造主を語る邪神となって、リリカの前に現れたのだ。
 邪神の目的は単純である。ヴァスティナ帝国宰相リリカという女が、本当に自分の知るあの女なのかを、この目で確かめる事だった。その過程でもっと面白い真実を知ったが故に、邪神は彼女の目的を悟ったのである。
 
「そうそうあなた、あの男をとんでもなく残酷な目に遭わせるつもりでしょ」
「ふふっ、さあどうだろうね」
「壊れちゃってるのが相変わらずで安心したわ。そうやってまた沢山の人間を自分勝手にぶち殺してくれると思うと、ゾクゾクしちゃう」
「私もリックも、お前の自慰に利用されるつもりはない」
「自慰に耽ってるのは、あなたの方じゃない。あなたの目的をあの男が知ったら、きっとぶっ壊れちゃうわよ」

 リリカが最もリックを理解するのと同じように、ジャンヌもまた彼を理解しているからこそ、真実の先にある結末を容易に想像できてしまう。 
 両者の間から笑みは消え失せ、リリカは憎悪と殺意を、ジャンヌは悪意を向け合う。リリカにとってジャンヌは、この世界にまだ存在していると分かった時点で、避けて通れぬ相手である。彼女に会えば、リックの存在を知られてしまったなら、こうなる事は分かっていた。

「私のリックは、お前が思い描く通りにはならないさ」
「口で何を言っても、まだ真実を話してないんでしょう? あの男を信じているようだけれど、本当は怖いのよ。怖くて怖くて堪らなくって、あの男が壊れてしまうのを見たくなくて、ずっと話せないだけ」
「⋯⋯⋯」
「いっそ私の口から言わせたかった。違う? 自分の口から話す勇気がないから、嫌々私に会いに来たのが本心でしょ。自分で用意した駒が特別だからって、感情移入し過ぎるからそうなるのよ」

 ジャンヌはリリカの何もかもを見透かしたように、言葉の刃で彼女の弱さを突いた。リリカは反論も肯定もしなかったが、ジャンヌはそれが答えなのだと確信している。
 両者の間にこれ以上の会話はなかった。二人の再会は、互いが本当に生きているのかを確認するためと、両者の宣戦布告が目的である。
 彼女達の目的が果たされた今、もう何も話す事はない。どちらも互いの目的を成すために、互いに利用している駒を動かすのみである。
 用を済ませたリリカはジャンヌに背を向け、神殿の大扉へと戻っていく。ジャンヌは、その憎らしくも美しい彼女の背を見つめ、再び始まった大宴に胸を躍らせるのだった。

「んふふっ⋯⋯⋯。私の描いた舞台の上で、また素晴らしい演技を期待してるわよ」

 背を向けたままリリカは答えず、神殿の大扉から彼女は静かに立ち去って行った。
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