贖罪の救世主

水野アヤト

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第六十二話 女神の悪戯

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 アバランチアの街中にある、とある喫茶店のテラス席にて、不機嫌そうにパスタを食べている赤髪の少女と、その少女よりもずっと不機嫌な顔をした金髪の青年が、向かい合って座っていた。
 少女の名はレイナ・ミカヅキ。ヴァスティナ帝国国防軍烈火騎士団の隊長である。金髪の青年はクリスティアーノ・レッドフォード。同じく帝国国防軍の所属で、光龍騎士団の隊長である。

 ヴァスティナ帝国の双璧と名高い、帝国最強の槍士と剣士である二人だが、この日は二人だけで街に出かけ、遅い朝食をとっている。
 クリスは既にサンドイッチを食べ終えた後で、テーブルに頬杖を付きながら紅茶を淹れたカップに口を付けている。レイナはまだパスタを食べている最中であり、クリスは紅茶のカップを片手に彼女が食べ終わるのを待っていた。
 二人の事を知らない街の人々からすれば、若い男女が二人きりでデートしているようにでも映るだろう。しかし、当然の事ながら、この二人がデートというのは全くない。そもそも、互いに不機嫌な顔で向き合っているこの状況が、デートであって良いはずがなかった。
 しかも二人は、完全な休暇中というわけでもなく、クリスはいつも通り腰に剣を差し、レイナは傍に槍を立てかけている。何か起きた際は、直ぐ戦闘態勢に入れるよう得物を携行しているのだ。

「おい破廉恥剣士」
「なんだ、槍女」
「お前がリック様に余計なことを報告したせいで、交渉の警護から外されてしまったんだぞ。ちゃんと責任は取ってもらうからな」
「だからこうして飯を奢ってやってるんだろうが。大人しく食ってろ馬鹿野郎」
「今日は食欲がない。この朝食は責任を取った内に入らん」
「サンドイッチとサラダとベーコンにソーセージまで食って、ポテトサラダ追加したと思えば〆にパスタ頼みやがった野郎の言うことか? お前を待ってる間に俺が何杯茶を飲んだと思ってやがる」

 食欲がなくとも腹にものを詰めるのがレイナである。明らかにクリスの倍以上を食べておきながら、これで本調子ではないという。実際彼女は、大食い大会に出れば必ず優勝する無敗の王者で、名のある大会を総なめにしている有名人でもあった。
 やはり、飯を食わせるからと言って連れ出すのは失敗であったと、クリスは自らの作戦を反省しながら、前日にしたリックとの相談を思い返していた。

 明日はいよいよ休戦交渉が行なわれるという日に、レイナの様子がおかしい事にリックが気付いたのが始まりである。元気のない彼女の事で、一体何があったのかをリックがクリスに訊ね、烈火の里の件を説知ったのである。
 レイナの里の事や、烈火式という槍術についてを知ったリックはクリスと相談し、彼女を交渉の警護の任から外したのである。クリスも警護からは外したリックは、彼にレイナの気分転換を頼んだのである。
 当然、レイナもクリスも反対したのだが、気持ちが不安定になっている人間に、重要な交渉の警護は任せられないと言ったリックが押し切った。自分は関係ないのだから警護に戻せとクリスはごねたが、「お前以外に誰がレイナをわかってやれるんだ?」と言われてしまい、渋々従ったのである。
 本当は、落ち込んでいるレイナのために、一番何かをしてやりたかったのはリックだった。だが明日の交渉を欠席するわけにもいかず、そんな彼の苦悩を思って、クリスはリックの代わりを務めたのである。

 こうして、レイナの気分転換を命じられたクリスは、リックからの絶対命令として彼女を無理やり街に連れ出した。命令を拒否しようと、クリスに対して激しく抵抗したレイナであったが、最終的にはヴィヴィアンヌとリリカの力を借りて彼女を説得してもらい、如何にか街へ連れ出せたのである。
 因みに、この際にクリスはリリカに対していくつかの弱みを握られ、ヴィヴィアンヌにも一つ貸しを作る事になってしまった。レイナ一人を元気付けるために、クリスは最悪の二人に大きな代価を支払ったため、「やっぱり引き受けるんじゃなかった」と後悔が絶えない。
  
「⋯⋯⋯お前はいつもそうだ」
「ああん?」
「私に何かあると気を遣ってくれる。私を最も理解する人間が、私を嫌う者だというのは皮肉だな」
「はんっ! 誰がお前を理解してるって? 冗談じゃねぇよ」

 食事の手を止め、俯き肩を落とすレイナの姿に、クリスは舌打ちして頭をかいた。分かり易く落ち込む彼女に何と言えば良いか悩み、もういっそ放り出してしまおうかとも考えるクリスではあったが、こうなってしまった原因が自分にもあるのだと思うと、それができなかった。
 烈火の里が滅ぼされた事実は、レイナよりも先に知っていた。レイナの故郷だった烈火の里が、ゼロリアス帝国の手によって失われた事を、迷わずクリスが話していたならば、故郷の見るも無残な姿を彼女が目にする事もなかった。
 今のレイナの状態が自分のせいでもあるため、犬猿の仲であるクリスであっても、彼女に対して責任を感じてしまう。そのため、どこまで彼女を元気付けられるかは分からないが、今日のクリスは、レイナの食費で財布を空にされる覚悟でいる。

「⋯⋯⋯ったく、面倒な女だぜ。ちょっと手洗いに行ってくるから、その間に食い終わっとけ」
「ああ、わかった⋯⋯⋯」

 少し一人にしてやるべきかと思い、クリスは適当な理由で席を外した。実際紅茶を飲み過ぎて、丁度手洗い場に行きたかったというのもあるが、彼女には一人になって考える時間も必要なのだ
 食事の途中であるレイナを残し、クリスは店の裏手にある手洗い場へと向かっていった。一人残ったレイナは、クリスに言われた通り食事を続け、皿に残ったパスタを黙々と口へ運んで行った。
 そんな彼女のもとに、誰かが近付いてくる気配を感じた。足の運びや靴音から、もうクリスが戻って来たのかと思ったレイナは、皿に落としている顔を上げずに、口に含んでいたパスタを飲み込んでから口を開く。

「もう戻ったのか? 早かったな」
「あら、残念。一人だから狙い目だと思ったのに」

 クリスではないと気付き、驚いて顔を上げたレイナの目に映ったのは、白い騎士制服を身に纏う、長い金髪をなびかせた男装の麗人であった。勘違いしてしまったレイナは、突然現れたその女性の美しさに思わず息を呑み、困惑して瞬きを繰り返していた。
 男装している彼女は、自身が左の腰に差している剣に左手で触れながら、レイナが傍に立てかけている十文字槍に目を向けている。レイナの槍に興味を抱き、その槍の美しさに瞳を輝かせた彼女は、微笑を浮かべて口を開いた。

「ねぇ、お嬢さん。少しお茶しない?」


 






 男用の手洗い場で用を足したクリスは、もう少し何処かで時間を潰そうかと考えていた。
 店の裏手には、男用と女用に分けられた手洗い場が用意されていて、便器や個室まで備え付けられている。用を足した後の手洗いも、井戸から汲まれた水できるようになっていた。
 クリスが選んだ良い店なだけあって、食事だけでなく設備面も充実している。しかし手洗い場でこれ以上時間を潰す事も出来ないため、どうしたものかと考えているクリスのもとに、その女は現れた。

「うぷっ⋯⋯、気持ち悪い⋯⋯⋯⋯」

 顔面真っ青でふら付きながら現れ、手で口元を押さた、如何にも体調の悪そうな女が一人。短く整えた紅い髪が特徴的で、肩まで露出した服とショートパンツという、かなり目立つ姿をしたその女は、我慢できず便器に顔を突っ込んだ。

「おい、ここは男用だぞ」
「だからどうし⋯⋯、おろろろろろろろろろろろろっ!!」
「ああくそっ、盛大に吐きやがって。二日酔いか?」

 便器に向かって勢いよく嘔吐した彼女は、胃の中のものを全てぶちまけるかの如く、流れる滝のように吐き出し続けていた。流石に見ていられなくなり、クリスは見ず知らずのその女の背中を差すって介抱する。
 固形物は少なく、ほとんど液体しか吐き出していない彼女の苦しそうな姿が、一瞬だけ、宴の席で飲み過ぎたために嘔吐したレイナの姿と重なった。
 ほんの一瞬とはいえ、何故か彼女がレイナと同じに見えたのである。確かにこの女は、レイナと同じような赤髪ではあるが、髪の色くらいしか似たところはない。
 だがクリスは、彼女の纏う雰囲気が、何処かレイナと同じに感じられたのである。その答えは、よく見ると嘔吐しながらも彼女が握り続けている、一本の槍にあった。
 恐らくは、彼女の得物であろう偃月刀。槍士ではないクリスにも、その偃月刀がかなりの業物であるのは瞬時に見抜けた。只者ではない女だと直感したクリスだが、今は色々聞ける状況ではない。

「おろおろおろ~⋯⋯! みっ、水か酒⋯⋯⋯」
「吐いてんのに酒欲しがるな! どうせ飲み過ぎて二日酔いなんだろ!?」
「ちっ、違う⋯⋯⋯。頭痛で気持ちわる⋯⋯、おええっ!」
「わかったからもう喋んな。とりあえず全部吐いて楽になれ」

 何者なのか問い詰めたくとも、当の彼女がこの状態では無理である。彼女は頭痛のせいと言っているが、薬の類など持っているはずもなく、クリスは彼女の背中を差する事しかできない。やがて、胃から吐けるものがほとんど無くなった彼女が、呼吸を整えながら少し顔を上げてクリスを見た。

「はあ⋯⋯はあ⋯⋯⋯。優しいんだね、あんた」
「⋯⋯そうでもねぇよ」
「照れちゃって、可愛いじゃん。迷惑かけちゃったから、後で一杯奢って⋯⋯⋯。うぷっ!?」
「ったく、まだ吐くのかよ。酒はいらねぇから、さっさと吐いてどっか行きやがれってんだ」

 相当具合が悪いのか、彼女は吐くものが無くなっても嘔吐感に苦しめられていた。普段なら無視して立ち去るところだが、彼女の正体が気になったクリスはその場を離れず、彼女が落ち着くまで傍で介抱を続けた。
 その時クリスは、ふと昔の自分を思い出す。子供の頃、風邪で体調を崩して嘔吐してしまった時、看病してくれた彼の姉が背中をさすって、幼かったクリスに優しい言葉をかけてくれた。その時彼の姉は、決まってこう言ってくれた。

「後で、蜂蜜を買ってくるから」
「⋯⋯!」

 蘇った記憶の言葉を、クリスは無意識に口に出してしまった。クリスの言葉を聞いて驚いた彼女は、嘔吐がようやく収まって、息を整えながら再びクリスを見つめる。

「もしかして、あんたは⋯⋯」
「なっ、なんだよ⋯⋯⋯?」
「⋯⋯ねぇ、せっかく知り合えたんだから名前教えてよ。あたしはレイリ。レイリ・キサラギ」

 レイリと名乗った彼女は、さっきまでの体調不良が嘘のように、明るく笑みを浮かべている。だが、まだ本調子というわけではないらしく、頭痛が酷いのか左手で額を押さえてはいた。
 先に名乗られては無視するわけにもいかず、クリスもまた彼女に向かって口を開いた。

「⋯⋯⋯クリスティアーノ・レッドフォードだ」
「やっぱりね。通りで似てるわけだし、傍にいると安心できたわけだ」
「どういう意味だ?」
「ううん、こっちの話だから気にしないで」

 一人納得しているレイリだが、クリスの疑問は深まるばかりである。するとレイリは揶揄うかのように、悪戯っぽく笑って彼の名を呼ぶのだった。

「よろしくね。クリス」









 一方レイナは、偶然知り合った男装の女性とその場でお茶をする事になり、彼女が追加で注文した珈琲とケーキを御馳走になっていた。
 パスタを食べ終わったレイナは、デザートとして出されたケーキを口に運びながら、珈琲を味わっている彼女を観察していた。向かい合って改めて見ると、整った容姿に透き通るような白い肌をしており、手入れの行き届いた金色の長髪が、日の光を浴びて輝いている。体系は細身の長身で、胸はそれほど大きくはない。その体系であるが故に、騎士制服の男装が似合い過ぎてしまっているのだろう。
 女であるとわかっていても、男装の麗人たる彼女に、女性が惚れてしまっても仕方ない。並みの美形な男でも、彼女の美しさの前には敵わない。彼女を観察しているレイナですら、その美しさに思わず見惚れてしまっているのだ。

「そんなに真剣に見つめられると照れるわ」
「⋯⋯!」
「お嬢さんは、一体何者かしら? その槍、他にはない貴重な素材で作られたものよね」

 レイナの得物たる十文字槍の正体に、既に彼女は勘付いている。只者ではない人物なのは間違いなく、レイナの背筋に緊張が奔った。
 しかし、彼女に敵意がある様子はない。腕に覚えがあるが故に、純粋な興味から訊ねているようであった。一先ず、彼女が敵ではないと判断したレイナは、緊張を解いて言葉を返した。

「私はレイナ・ミカヅキ。ヴァスティナ帝国の兵士です」
「レイナ・ミカヅキ⋯⋯⋯。やっぱり、そういうことね」
「どういう意味ですか?」
「連れから話では聞いていたの。レイナ・ミカヅキっていう槍使いの女の子がいて、烈火式神槍術の使い手だって。この街にヴァスティナの軍隊が来てるとは聞いていたから、一度会ってみたいと思っていたのよ」

 彼女は穏やかな笑みを浮かべて語るが、レイナからすれば彼女は、益々怪しい人物に思えてならない。加えて怪しいのは、彼女にレイナの話を聞かせたという、彼女の連れである。レイナと烈火式について詳しいその連れも何者なのか、疑問だらけできりがない。
 
「私に会おうとした、あなたの目的は何だったのですか? その剣で私と勝負を?」
「手合わせも興味あったけれど、単純に確かめたかっただけ」
「確かめる?」
「連れが言うには、負けず嫌いで大飯食らいのキレるとやたら強くなる馬鹿レイナって聞いてたけれど、うちの連れが言うことは半分くらいしか合ってないことが多いから、本人に会って事実か確かめたかったの。そしたら聞いてた話よりずっと可愛いくて大人しい女の子だったから、私嬉しい」

 そこまでレイナの事を知っているのは、ヴァスティナ帝国における彼女の近しい者達か、或いは彼女を幼き時から知っている、今は亡き故郷の者達だけだ。
 今やレイナは、ローミリア大陸において有名な軍神であり、彼女の武勇について知らぬ者などいないだろう。だがここまでレイナの事を知っているとなれば、大陸に広まった彼女の武勇を聞きつけたという程度のものではない。
 レイナは彼女が言った、「馬鹿レイナ」という言葉が引っ掛かった。その懐かしい呼ばれ方を聞いた瞬間、思い出す事をやめていた故郷の記憶が蘇ったのである。
 
「誰に、私のことを⋯⋯?」
「あなたが捨てた烈火の里の人間に聞いたの。その様子じゃあ、誰なのか心当たりがありそうね」

 レイナと向かい合うこの女の言う事が正しければ、烈火の里の生き残りがいた事になる。しかもそれはレイナが良く知る人物で、彼女にとっては互いに槍術を高め合った仲間であり、技の師の一人でもあるのだ。
 あの人は生きている。それが分かった瞬間、再会を望む気持ちと恐れる気持ちが、レイナの心中で同時に込み上げた。
 レイナが唯一、烈火の里の人間で愛した存在で、彼女にとっては家族同然だった。
 今のレイナを彼女が見たら、失望するだろうか。それとも憎悪するのだろうか。会うのが恐ろしくなって、俯き黙り込んでしまったレイナだが、麗人はそんな彼女を見て薄く笑う。

「これも聞いていた通り」
「⋯⋯!」
「軍神だなんだと呼ばれていても、臆病なところは変わってないはず。あんな逃げ出しからをしたんだから、あたしに会うのを絶対恐がるって、連れに聞いていたの。安心してレイナちゃん、あいつはあなたのこと全然怒ってないから」

 考える事が全て見透かされているため、レイナは余計に言葉が返せなくなって沈黙してしまう。自分の口から言わなくてもいい事まで話し過ぎたと、少し反省した麗人は、話題を切り替え本題に入る。

「ところでレイナちゃん。あなた好きな男の子っている?」
「なっ!? きゅ、急になんですか!」
「お茶してる乙女同士なんだから、こういう話題はお約束でしょ。誰にも言わないから教えて」

 唐突な恋話に焦るレイナではあったが、好きな男がいるのかと問われた瞬間、頭に浮かんだのはたった一人である。
 無茶で、破廉恥で、女たらしのとんでもない相手なのに、温かくて、優しくて、ずっと傍にいたいと想える相手。その男が、他の誰を愛しているのかを知っていても、レイナが思い浮かべたのは彼だけだった。
 
「ふーん。やっぱりいるんだ、好きな男の子」

 麗人の纏う空気が変わった。レイナの反応を見て、好意を寄せる男がいるのだと悟った彼女は、突然鋭い視線を向けたのだ。レイナは自分へと向く敵意を敏感に察したが、下手には動かず相手の出方を待った。

「レイナちゃんの好きな男の子って、もしかして光龍使いの剣士だったりする?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯はあ?」

 麗人の言う、「光龍使いの剣士」がクリスを差していると、レイナは瞬時に理解する。まさか彼女はクリスのファンで、自分に対してとんでもない誤解をしているのではないかと思ったレイナは、大袈裟な溜息と共に否定する。

「あいつは私の仲間というだけで、好きになったことなんてこれっぽっちもありません。もし欲しいのなら、今すぐにでもあなたに差し上げたいくらいです」
「えっ、いいの!? 本当に貰っちゃうわよ!?」
「もちろん結構です。私とあいつは全然まったく一切なんにもありませんから、煮るなり焼くなり結婚するなり好きなようにしてください」
「帝国の双璧なのに仲悪そうね。嫌ってるのは十分伝わったけれど、逆に好きなところはないの?」
「ありません」
「ばっさり言うわね⋯⋯。でも一緒に戦ってるわけなんだから、良いところとか、少なくとも信頼できるところくらいはあるんじゃないの?」
「良いところ⋯⋯⋯? 信頼⋯⋯⋯?」

 とんでもない難問を出されたかのように、レイナは難しい顔をして頭を悩ませる。腕を組んで深く考えていたレイナだが、クリスとの戦場での記憶を辿り、暫くして答えを出した。

「信頼というのであれば、あいつは私以外の誰にも負けない。それだけは信じられる」

 冗談を言うわけでも、恥ずかしがる様子もなく、レイナは当たり前の事のようにはっきりと言い切った。自分以外の誰にも負けない存在であるからこそ、時には背中を預けられる。だからこそ、時には強敵との戦いを任せる事も出来るのだ。
 今のレイナの言葉と、その嘘偽りない真っ直ぐな瞳で、麗人は彼女とクリスがどんな関係であるのかを悟った。二人の関係を理解した麗人は、安堵してレイナへの敵意を解く。

「あの子も負けず嫌いだったから、あなたと気が合ったのね⋯⋯⋯」
「えっ⋯⋯?」
「仲の良いお友達ができていたみたいで安心したわ。あの子って昔から短気で口が悪かったから、全然お友達ができなかったの。でも今は、こんなに素敵なお友達がいるのね」
「あなたは、一体⋯⋯⋯?」

 まるでクリスを昔から見てきたかのように語る彼女に、レイナは驚きと共に考えを改める。彼女はクリスのファンなどではない。もしかしたら、自分よりクリスに近しい存在なのではないか。その考えに行きついた時、一つの可能性がレイナの脳裏に奔る。
 対して麗人はレイナに正体を問われ、まだ自分が名乗っていなかった事に気付く。彼女にならば隠す事もないだろうと思い、ようやく麗人は自身の正体を明かした。

「メアリよ。私はメアリデーテ・レッドフォード」
「レッドフォード⋯⋯。では、やはりあなたが―—―」

 メアリと名乗った女の正体を知ったレイナの言葉を、突然現れた別の人物の驚き声が遮ってしまう。その声はレイナにとっては懐かしく、メアリにとっては常に聞いている女の声だった。

「あっ! レイナ、あんたなんでここにいんの!?」
「れっ、レイリ姉!?」

 手洗い場から戻ったクリスの肩を借りて、レイナを見つけて驚愕するレイリ。思わず席を立って驚きの声を上げるレイナに釣られ、メアリの視線がレイリとクリスに向けられた。
 今度は驚くのがクリスの番であった。クリスは喜ぶ様子も感動する様子もなく、まるで幽霊でも見たかのように顔を青ざめさせ、震えた唇で彼女の名を口にする。

「めっ、メアリ⋯⋯。ほんとにメアリなのか―—―」
「クリスちゃあああああああああああああああああああああああああああああんっ!!!!」

 満面の笑みを浮かべ狂喜して飛んで行ったメアリは、まさに神速であった。クリスの名を叫んで彼を抱きしめ、絶対に逃がさないよう両腕でかっちり捕まえる。抱き付く直前に、体調を崩しているレイリを容赦なく突き飛ばしたメアリは、嫌がるクリスの頬に無理やり口付けしようとしていた。

「やめろおおおおおおおっ!! 離れやがれこん畜生があああああああああっ!!!」
「あああああん!! クリスちゃんクリスちゃんクリスちゃんクリスちゃんクリスちゃんクリスちゃんクリスちゃんクリスちゃあああああああああああああんっ!!!」

 抱擁という名の拘束から必死に逃げ出そうともがくクリスだが、メアリの抱擁からは全く逃れられない。あのクリスが幽霊の類以外で本気で怯えており、何事かと向けられている周りの目も気にせず絶叫していた。
 ここまで嫌がられても尚、メアリのクリス愛は収まらない。愛が限界突破しているせいで、クリスの名を叫ぶ以外、完全に他の言語を忘れていた。

「だああああああっ!! 槍女、お前こいつを何処で拾ってきやがった!?」
「私のせいにするな破廉恥剣士!! 貴様こそレイリ姉を拾ってきたではないか!?」
「クリスちゃあああああん!! メアリお姉ちゃんが会いに来たのよおおおおおおおっ!!」
「うぷっ⋯⋯、また吐きそう⋯⋯⋯」

 レイナとレイリ。
 クリスとメアリ。
 運命の再会は、レイナとクリスの止まっていた過去の歯車を動かした。
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