贖罪の救世主

水野アヤト

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第六十一話 二つの帝国

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 茶会を開いたアリステリアはその夜、大聖堂の寝室で椅子に腰かけ、手元の絵本「戦妃リクトビア」を眺めていた。
 ウルスラとジルの一件があり、あの後少し時間をおいてから茶会を再開し、リックやアンジェリカと様々な話をして暇を潰した。中でも特に盛り上がった話題は、ウルスラによって暴露されたラベンダーの趣味についてであり、作家のラベンダ・ヒッキーが彼女であったと教えられた事である。
 これに歓喜したアリステリアは、アンジェリカに頼み込んでラベンダーを茶会の席に呼ばせ、彼女を先生と呼んでサインを強請った。まさかゼロリアスの皇女が自分の本の愛読者だとは夢にも思わず、この時ばかりはラベンダーも、嬉しさ半分恥ずかしさ半分の顔をして、アリステリアお気に入りの小説にサインをしたのであった。

 因みに、この時サインした小説はラベンダ・ヒッキー著作「帝国の剣士と槍士が修羅場すぎる」という本である。アリステリアはこの話が特に気に入っており、いっそ舞台化してはどうかと提案する程だった。
 だがリックを始め、ヴァスティナ側の面々は、その話が誰を題材にしてできたものか容易に想像できたため、苦笑して誤魔化す事しかできなかったのである。

 この日アリステリアは、他者との談笑を心の底から楽しんだ。こんなに楽しい会話をしたのは、いつ以来になるか思い出せない。
 アリステリアは自分を隠さず、有りの儘の姿でリック達に接した。彼女がそうしたから、リックやアンジェリカも友人との茶会を楽しむように、アリステリアとの雑談に花を咲かせたのである。
 滅多に自分から話にいこうとしないジルですら、珍しく会話に入ってきて、リックやアンジェリカに色々と訊ねていた。クラリッサは相変わらずヴィヴィアンヌと張り合い、互いの悪口を言い合って、ある意味会話が盛り上がってはいたが、彼女の場合は特にアンジェリカの話に興味を示し、ヴァスティナの政治に関していくつか質問していた。
 アリステリアが始めた暇潰しは、彼女自身だけでなく、配下の忠臣達にも良い刺激になったのである。クラリッサなど、アンジェリカに教わった政策の数々を自身の統治に生かすべく、夕食後はすぐに寝室へ入り、今日の学びを忘れぬよう紙にメモを行なっている程だ。
 
 勉強熱心なクラリッサの邪魔はせず、寝室にジルを呼んでいたアリステリアは、今日の出来事を思い返しながら、彼女に命じて淹れさせている紅茶を待っていた。
 不慣れな手付きで紅茶を用意し終えたジルが、アリステリアのもとに紅茶を注いだカップを差し出す。カップを受け取ったアリステリアが口を付けるが、感想はいつも同じである。

「不味い」
「申し訳ありません、殿下」
「アンジェリカ陛下が淹れたものの方がまだ美味しかったわよ。シャーロットにでも淹れ方を教わってきなさい」
「⋯⋯暇がありましたら、そうさせて頂きます」
「暇な時間なんて腐るほどあったわよね? いい加減そう言って誤魔化すのはやめなさい」

 何度淹れさせても上達はせず、決まって不味いと言うのが毎度お馴染みのやり取りである。紅茶の淹れ方だけでなく、領地の統治や他の事に関しても、ジルはその全てが全くの不得手で、上手くできた試しが一度もない。
 ジルのできる事と言えば、戦場で敵を一掃するか、アリステリアの抱き枕代わりになる事くらいである。この抱き枕というのは、ある日アリステリアが、彼女を抱いて眠ると何故か安眠できる事に気付いて生まれたものだ。
 それ以来アリステリアは、ジルが何かを失敗した際などに罰と称して、寝室に呼んで抱き枕をさせている。今夜はそういう理由で呼んだわけではないが、教わるのを面倒臭がっているジルを見ていると、何かしらの罰を与えようかと考えているアリステリアであった。

「やっぱり今日も抱き枕ね。あと計算の勉強でもさせよかしら」
「⋯⋯⋯」
「露骨に嫌そうな顔するんじゃないわよ。悪いのはジルなんだから」

 ローミリア大陸最強と謳われ、戦場では無敗と恐れられる存在ではあるが、戦場以外での彼女はどうしようもなく不器用で面倒臭がりである。大人びた見た目の割に、歳はアリステリアより少し下なくらいだが、精神年齢が年相応と言い難く、本当に戦闘しかできない女であると言っても過言ではない。
 勉強嫌いなのが特に問題で、何とか読み書きは覚えさせたものの、他の科目の成績は酷いものである。それでも彼女が馬鹿にされないのは、あまりにも寡黙かつ無表情なため、何を考えているか分からず、腹の底が誰にも読めないからだ。
 本当のジルを知っているのは、アリステリアとクラリッサだけである。そしてジルの秘密を知るのも、彼女達だけなのだ。

「⋯⋯それよりも、身体の方は大丈夫なの?」
「少し休んだおかげで回復致しました。問題ありません」
「ジルがいなくてもクラリッサがいるわ。辛ければ休んでいいのよ」
「床に伏せているより、殿下の御傍の方が気が楽です。それに今日はリクトビアが来ていたのですから、休んでなどいられません」

 身体の不調を押してまで、ジルはリックとの再会を望んだ。再開した茶会の場でも、クラリッサはヴァスティナの政治に興味関心を向けたのに対して、ジルはリック個人への質問が多かったのである。
 リックへの興味はアリステリアも同じであった。元々茶会にリックを呼んだのは、彼を見極めるためであったのだ。それがまさか、女王アンジェリカがメイドに変装して現れたのだから、驚いたアリステリアの興味は彼女にも向いたのである。
 
 しかしジルは、アンジェリカにも興味を示していたが、一番興味が向いていたのはやはりリックである。表情こそ変わらなかったが、アリステリアやクラリッサは、ジルが人との会話を楽しんでいるのを感じ取っていた。
 会話そのものは他愛のないものである。好き嫌いについてや、趣味や特技を聞いたりしていたくらいだ。ただ、リックが彼女の質問に答えると、彼は逆にジルに好みや趣味を聞くのだが、彼女の回答は常に「無い」であった。
 自分は答えるのに、逆に聞き返すと何もないと返され続け、会話に困ったリックの顔を思い出すと、今でも面白い。あれでジルが一体何を得たのか、それはアリステリア達にも理解が難しい事であり、同時に興味が湧く事でもあった。

「ジルのお気に入りだけれど、話してみて満足はできたのかしら?」
「はい。知りたかったことは十分に」
「あんな相手を困らせるだけの会話で何が得られたというの?」
「リクトビアが殿下にそっくりだということがわかりました」
「は?」

 思わず声が裏返ってしまい、咳払いしたアリステリアが驚いた顔でジルを見る。冗談でも言ったのかと思ったが、このジルという女が気軽に冗談を口にするような人間でないのは、アリステリアが誰よりも一番よく知っている。
 変わらぬ無表情で、本人は大真面目にそう答えたのだ。当然そう思った理由が気になるところであり、あのような女たらしと一体何処が似ていたのかと、アリステリアは怪訝な顔をしてジルの言葉の続きを待った。

「昔、殿下が私に色々お訊ねになった時も、殿下は今日のリクトビアと同じ顔をなさっていました」

 昔の話を持ち出され、アリステリアの脳裏に記憶が蘇る。ジルと出会って間もない頃、確かに今日のリクトビアとジルのような会話をした。
 あの時はアリステリアがジルに訊ねる側で、何を聞いても彼女の回答は「無い」だった。全て無いと返されて、困り果てた記憶がある。その時の自分の顔など、アリステリアには分かるわけもないが、ジルは同じであったと語る。
 
「あの男はやはり殿下によく似ている。似た者同士であるのなら、殿下にとって信用に値する存在に成り得るかと思います」
「⋯⋯⋯あれが私にとっての鍵であるのだと、そう思えたのね」
「リクトビアは必ずや殿下の力となりましょう。あの男ならば、決して殿下を裏切りはしません」

 ジルがクラリッサ以外で誰かを認め、アリステリアの力になると強く推す事も初めてである。鋭い感覚を持つあのジルにここまで言わせるのだから、彼女を確信させるものをリックが持っているのは間違いない。
 ヴァスティナとゼロリアス。二つの帝国に生きる、性別も地位も異なる二人の男女。これが似た者同士であるとジルは語り、アリステリアの探し求める「鍵」であると断言する。

 リクトビア・フローレンス。戦妃リクトビアは彼女にとっての憧れであり、自分が大切にしているこの絵本は、彼女にとって特別なものである。
 この絵本が、自分とリックを引き合わせた。戦妃リクトビアへの憧れが無ければ、こうして再会を望んだりはしなかった。いやそもそも、あの異教徒討伐の折に、彼の名について言及する事もなかったのである。
 戦妃リクトビアは、アリステリアを導いた。自分の考えが正しかったのだと悟った彼女は、不敵な笑みを浮かべて見せると、待ち兼ねた時がきた事をジルに告げる。

「私はリクトビアを選ぶわ。あの男を利用し、私の手でゼロリアスを潰す」
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