贖罪の救世主

水野アヤト

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第六十一話 二つの帝国

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「いつの日かゼロリアスに戻り、娘を探すのを夢見て、私は何年も追手から逃げ続けていました。ですが嵐の夜、遂に力尽きて川の氾濫にのまれてしまい⋯⋯」
「そんな貴女の命を救ってくれたのが、ユリーシア陛下だった⋯⋯⋯」

 リンドウの言う通りであると、ウルスラは頷いて彼女に応えた。
 ウルスラの過去は、リンドウの想像を絶するものであった。人造魔人の研究について、リンドウ自身も話には聞いていたが、まさかウルスラがその実験に関わっていたとは思わなかった。
 だがその話を聞けば、ウルスラの常人離れした身体能力にも説明が付く。特にその怪力は、まるでオーガのようなものであり、人を殴り殺すには余りある力と言えるだろう。

「メイド長が異常に強い理由がやっとわかりました。通りで私やラフレシアでも倒せないわけですね」
「いえ、貴女達程度を無力化するくらいであれば、強化前の私でも十分可能です」
「ええ⋯⋯⋯」

 薬物が有ろうと無かろうと、やはり彼女は化け物なのだ。改めてそれを理解したリンドウは、もうツッコむ気持ちも湧かなかった。

「陛下とリック様は大陸全土の統一を目指している。ならばいつか、ゼロリアスに戻って娘を探し出せるかもしれないと考えたこともあります。ですが私は、もう娘には会えなくとも良いと思っていた」
「ユリーシア陛下と、アンジェリカ陛下がいたからですね」
「それだけではありません。貴女達がいてくれたからこそ、私は娘を忘れられた」

 ウルスラにとって、ユリーシアとアンジェリカは忠義を尽くす主君であると同時に、母になれなかった自分が得る事のできた、最愛の娘のような存在なのである。
 ウルスラが二人に、主君以上の想いを向けている事を、リンドウ達はよく知っている。二人の前では厳しくも、時に母の顔を見せる事があったからだ。
 ただそれは、彼女が集めたメイド達に対しても同じであった。体罰上等の厳格な態度の中に、彼女達を自分の娘のように愛している心を秘めている。皆それを分かっているからこそ、ウルスラを慕ってメイド服に袖を通しているのだ。
 
「⋯⋯⋯所詮私達は、メイド長の寂しさを紛らわせる慰みものですか」
「違います。私にとって貴女達は―—――」
「例えそうであったとしても、私達は誰一人として貴女を責めたりしない。だって貴女は、私達に素敵な出会いを与えてくれたのだから⋯⋯」

 悲痛な顔を浮かべるウルスラに、リンドウは微笑を返して見せた。その微笑にはウルスラを嫌悪する感情が一切なく、寧ろ感謝の念にあふれていた。
 
「私達は皆、貴女に出会わなければ生きる理由を見失っていた。貴女がいなければ、何処かで野垂れ死んでいた屑ばかりです」
「⋯⋯⋯」
「どうしようもない屑共を必要としてくれて、ユリーシア陛下という光を与えてくれたのは、貴女だけです。ああ見えて、貴女にはみんな感謝してるんですよ」

 元諜報員、元傭兵、元殺人鬼に元殺し屋、元処刑人までいるような危険な部隊。それを創り上げ、誰一人として見捨てる事なく、家族のように愛してくれているウルスラを、一体誰が嫌いになれるだろう。
 感謝してもし切れない、一生かかっても返せない大きな恩。その恩を、彼女の慰みものとなる事で少しでも返せるのなら、彼女達は喜んで娘の代わりになる。
 
「今更貴女の過去を知ったくらいで、特に何かしたいわけではありません。ただ貴女が、あの氷将の母親であったというから、リック様のお役に立つ情報がないかと気になっただけです」
「そういうことなら、とても力にはなれません⋯⋯⋯」
「わかってます。それよりもメイド長は、これから先どうするつもりですか?」

 夢に見た娘との再会。偶然か、それとも彼女の願いが引き寄せた運命か。思いがけない我が子との再会によって、彼女の目的は果たされた。
 では、その先はどうなるというのか。生死すら分からなかった娘が、帝国第四皇女の忠臣となって生きていた。彼女の母親として、彼女と生きる道を選ぶのか、それとも過去を全て捨て去るのか。それだけが、リンドウの知りたい事だった。
 
「⋯⋯⋯もしも娘に再会できたら、この手に抱きしめて、たくさん話したいと思っていました。ですがあの子を前にしたら、それが全部吹き飛んでしまって⋯⋯⋯、なにもできなかった」
「メイド長⋯⋯⋯」
「あの子の言う通り、私など必要ないのです。母親失格の私が、今更あの子の人生に入り込めるはずがない」

 あの場でのジルの言葉を思い返したウルスラは、自分の知る我が娘は、もう何処にもいないのだと悟った。自分の目の前に現れた、自分と似ている顔立ちの女は、メイファという名の娘ではない。
 彼女の名はジル・ベアリット。帝国第四皇女の剣として生きる、気高き最強の戦士。メイファなどという名の娘は、もう失われたのだ。
 
「⋯⋯⋯愛する我が子があんなにも立派に育ってくれていた。私にはもう、これだけで十分です」

 ウルスラは、リンドウを安心させるためか、それとも自分にそう言い聞かせるためなのか、柔らかな笑みを浮かべた。自分でも、どういうつもりで笑みを浮かべたのか分かっていなかったが、一つだけ確かな事がある。
 あの日奪われた娘が、今日まで生きていてくれた。生きていた娘と夢に見た再会を果たす事ができた。彼女の母として生きられずとも、これだけは心の底から嬉しいと言えるのだった。

「⋯⋯⋯だそうですよ、陛下」
「!?」

 気付いていたリンドウが扉の方に向かって声をかける。驚くウルスラに向かい、扉を開いて現れた人物は、隠れて話を聞いていたアンジェリカ達であった。
 アンジェリカとリック。そして彼女の護衛として同行していたスズランと、ラフレシアとベニバナまでもが、扉越しに二人の会話を聞いていたのである。
 普段のウルスラならば、扉の前の気配にすぐ気付いていただろう。これだけの人数の気配に気付けないという事が、アンジェリカ達にウルスラが相当動揺しているのだと悟らせた。

「許せウルスラ。盗み聞きするつもりはなかった⋯⋯⋯」
「アリステリアが気を遣ってくれて、お茶会から解放してくれたんです。メイド長のことが心配で堪らなかった陛下のためにね」
「おい、余計なことは言わなくていい⋯⋯⋯」

 心配していたのはアンジェリカだけではない。話を聞いていたラフレシアは、目から洪水の如く涙を流し、鼻水まで垂らして大泣きして、その勢いのままウルスラに抱き付いてしまった。

「びぃえええええええええええええんっ!! メイドちょおおおおおおおおおっ!!!」
「らっ、ラフレシア⋯⋯!? 貴女何を―—―」
「メイド長が⋯⋯、えっぐ、ぐすん⋯⋯⋯! そんな辛い目に遭ってたなんて⋯⋯、えっぐ! 私知らなくって⋯⋯⋯!」

 ラフレシアがウルスラを心底心配していたのは、大泣きして涙と鼻水をメイド服に擦り付けてくる彼女の様子から、嫌になるほど分かる。ウルスラの過去を知って、彼女の事を想い泣いているラフレシアの優しさが、彼女には本当に嬉しかった。
 自分を強く抱きしめて離れようとしないラフレシアに、嬉しさ半分、困り半分の顔をしたウルスラが、胸元で泣いている彼女の頭を撫でた。

「その純粋で仲間思いな貴女のことが、私は好きですよ」
「びえええええええっ!! 私も大好きだから私達を捨てないでえええええええっ!!!」
「捨てるだなんて、私は―—―」
「メイド長の娘の代わりにでもなんでもなるからあああああああっ!! いっそ私がメイファになりゅううううううっ!!!」
「なにを馬鹿なことを⋯⋯。だから私は―—―」
「メイド長がいなくなっちゃうなら、その辺で大騒ぎして窓も皿も割りまくって掃除さぼって陛下の紅茶に砂糖じゃなくて塩たっぷり盛ってやるうううううううっ!!!」
「こら、待ちなさい。それはいつもと変わらないでしょう」

 いつものウルスラによる拳骨制裁がラフレシアの頭に振り下ろされ、そこからのぐりぐりコンボによって、泣き声から一転して悲鳴が上がる。ラフレシアのお陰で普段の調子を取り戻したウルスラは、我が子の母の顔を捨て去り、いつもの厳しい鬼のメイド長の顔に戻っていた。

「私は貴女達のメイド長であり、アンジェリカ陛下に生涯の忠誠を誓っている身なのです。勝手に去るわけがないでしょう」
「いぎゃああああああ痛いいいいいいいっ!!! 頭割れ⋯⋯⋯、ほえ?」
「第一、こんなに心配なメイド達を残して、陛下のもとを去れはしません。特にラフレシア。貴女はその早とちり癖を何とかしない」
「それってつまり、メイド長辞めたりしないってこと!? やったー!! メイド長はずっと私達のあんぎゃあああああああああここはお仕置きやめるところじゃないのおおおおおおおおおっ!?!?」

 情け容赦ないお仕置きに、再びラフレシアの悲鳴が響き渡る。だがそれは、彼女達にとっては嬉しい悲鳴と言えた。
 これからもウルスラは、帝国メイド部隊のメイド長として、ラフレシアを始めとする問題児達を厳しく扱いていく事だろう。今までと変わらない、騒がしく暴力的で、温かく愛おしい日々が、もう奪われる事はないのだ。
 ウルスラの決心を見届けたリンドウとベニバナは、安堵の息を漏らして笑っていた。特にベニバナは、付き合いの長いウルスラが、皆の前でやっと自分の過去を語った事で、長年の彼女の迷いが遂に晴れた事を喜んでいた。
 
「うふっ、ようやく話せたってところかしらね~」
「ベニバナ。もしかして、メイド長の過去について知ってたの?」
「ええ、もちろん。ウルスラとは親友なんだもの~」

 そう言って妖艶な笑みを浮かべたベニバナは、ウルスラがお仕置きに夢中になっている間に、同じく安堵しているアンジェリカの耳元に顔を近付けた。

「ウルスラは、陛下がお可愛くって仕方がないのです」
「!」

 甘ったるさの消えたベニバナの声に、思わずアンジェリカは彼女へと振り向いた。アンジェリカが見たベニバナは、普段の柔らかな態度を消し去り、本当の彼女の姿を露わにしていた。

「ウルスラは貴女を誰よりも愛している。だからもし、そんな貴女がウルスラを悲しませでもしたら、わかるわね?」

 甘さを消した冷たい眼差しが、真っ直ぐアンジェリカを見つめている。ベニバナの向ける眼差しは、親友を想うが故のものである。だからこそアンジェリカは、彼女の眼差しからは逃げず、力強くベニバナへと宣言した。

「もし過ちを犯すようなら、お前が私を殺せ」

 強くそう言って見せたアンジェリカに、ベニバナは心底満足そうに妖艶な笑みを見せた。しかし直ぐにいつもの調子に戻って、母性溢れる柔らかな態度で笑みを作って見せる。

「冗談ですよ陛下~。私にそんな真似できるはずないもの~」

 アンジェリカの強い決意を感じ取り、ベニバナは心の刃を胸の奥へと収めた。冗談などではなかったベニバナの言葉と空気に、アンジェリカは一瞬戦慄していたが、この程度で彼女達を恐れているようでは、命がいくつあっても足りない。
 
「アマリリスの次に危険なのは、どうやらお前のようだな」
「あら~、困っちゃうわ。おばさん、見かけ通り優しいのよ~」

 ベニバナはおっとりと釈明するが、勿論アンジェリカは一切信じなかった。そもそもウルスラが集めた人材なのだから、危険性が無いわけがないのである。
 気が付けば、ウルスラの仕置きを受けていたラフレシアは、頭を押さえながら床に倒れて悶絶していた。それを呆れて見下ろしているウルスラとリンドウのもとに、アンジェリカは歩み寄っていった。

「ウルスラ」
「陛下⋯⋯⋯」

 言葉に詰まって俯いてしまうウルスラと、彼女を真っ直ぐ見つめるアンジェリカ。予期せぬ娘との再会に動揺し、皆に心配をかけ、アンジェリカを娘の身代わりにしていた事まで知られてしまった。
 ウルスラからすれば、アンジェリカに何と言って謝罪すればいいか、言葉に詰まるのも無理はない。そんなウルスラの思いを気付きながら、アンジェリカは自分が望むままの言葉を口にした。

「お前がいなくなれば、一体誰がこの騒がしいメイド達を大人しくさせる? 私を過労死させる気か?」
「⋯⋯⋯!」
「お前は我が姉ユリーシアと、そして私のものだ。今更実の娘が現れようと、お前を渡したりはしない」

 素直になり切れないアンジェリカの言葉が、ウルスラにはどうしようもなく嬉しかった。こんな自分の本性を知っても尚、傍にいて欲しいと願う彼女が、愛おしくて堪らない。
 忠誠を誓い、我が子のように愛したユリーシアは、素直で純粋な少女だった。彼女に比べるとアンジェリカは素直ではないが、優しく可愛らしい少女である。
 ユリーシアの事も、アンジェリカの事も、ウルスラは同じように愛しているのだ。彼女達の本当の母親になりたかったとさえ、時々考えてしまう。故に、全てを知ってもアンジェリカが彼女を欲するのであれば、ウルスラの答えは聞くまでもない。

「私の全ては陛下のものです」

 滅多に笑わないウルスラが、アンジェリカへと微笑を浮かべる。恥ずかしくなったアンジェリカは、微笑むウルスラから顔を逸らしたが、その口元に小さな笑みが零れていた。
 これで二人は大丈夫だと思い、彼女達を見守っていたリックも、安心感から微笑を零していた。衝撃的な事実ではあったが、こうして終わってみれば、初めから心配する必要などなかったのだ。
 ウルスラとアンジェリカの絆は、誰にも断ち切る事などできない。自分の出る幕はなかったと、少し残念さを感じていたリックに、妖艶な笑みを浮かべたベニバナが話しかける。

「ウルスラが陛下のママなら、リック様はパパかしらね?」
「いや、そうはならんでしょ」
「あら~、ウルスラが奥さんじゃ嫌なの? ベッドではあんなに激しいくせに」
「⋯⋯⋯鎌かけようたってそうはいきませんよ」
「おばさんの部屋、ウルスラの部屋の隣よ~」
「ベニバナお姉様。どうかその話はレイナやヴィヴィアンヌには黙っといて頂けると大変嬉しいのですが⋯⋯⋯」
「あら~、やっぱりリック様だったのね~。偶にウルスラの機嫌が良い時があったから、そうじゃないかとは思ってたのよ~」
「はっ、嵌められた!?」

 次の瞬間、アンジェリカを始めとした面々からの冷たい視線が、一斉にリックへと向けられていた。特にアンジェリカとラフレシアからの視線は、痛いほど胸に突き刺さっている。
 怒気が込められた二人の瞳は、「リンドウというものがありながら、よりにもよってウルスラにまで手を出しているのか」という厳しい言葉をぶつけてきていた。
 その視線から逃げたい一心で、わざとらしく大袈裟に咳払いしたリックは、そう言えばと思い出したかのようにベニバナに尋ねるのだった。

「とっ、ところで、ナノとハナはどこ行ったんですか⋯⋯⋯?」
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