贖罪の救世主

水野アヤト

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第六十一話 二つの帝国

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 隠れ里に降り立ったレイナは、明らかに戦闘が行なわれたであろう里の惨状に、一人言葉を失っていた。
 ドラグノフ達は周囲を散策しており、何があったのかを調べている。生き残りがいる可能性も考えているが、レイナもドラグノフも、それは絶望的だと分かっていた。
 
 隠れ里の荒れ具合は、人間による襲撃を受けたもので間違いなかった。家のほとんどは全焼し、田畑は戦闘で荒れ果て、里の人間と思しき死体の山が、白骨化した状態で発見されている。
 ここで激しい戦闘が行なわれたのは間違いない。折れた剣や槍が捨てられ、無数の矢が至る所に突き刺さっている。里中に火が放たれ、火計が行なわれた中で、里の人間達が抵抗したのだろう。死体の多くは槍を持ったまま息絶えており、遺体は激しく損傷していた。
 
 ここを襲撃したであろう者達の死体はない。だが微かに残る足跡の数や、打ち捨てられた武具の数々と、壊滅状態にある里の状況を見るに、大軍が攻め入ったのは明白である。
 ドラグノフが調査を進めていると、田畑の近くに大勢が埋葬されたであろう墓が広がっていた。ここを襲撃した軍勢は、自軍の兵士の遺体だけを手厚く埋葬したようであった。
 何者がこの里を襲ったのかは、捨てられた武器の紋章を確認するだけで、容易く正体を掴めた。里を襲った者達の正体を掴んだドラグノフは、呆然と立ち尽くして里の惨状を眺めるレイナに近寄った。
 何と言葉をかけるべきか、流石のドラグノフも言葉を詰まらせている。すると、先に口を開いたのはレイナの方だった。

「⋯⋯⋯襲撃者はゼロリアスか?」
「そうらしい⋯⋯⋯。気付いてくれって言わんばかりに連中の武器が散らばってるが、何なら墓を掘り返すぜ」
「必要ない。ここが襲われたとわかった時点で、そうではないかと思っていた」

 レイナ脳裏に蘇るアリステリアの言葉。里の事を何か知っている様子だった彼女は、ゼロリアス帝国の皇女である。襲撃したのがゼロリアス帝国の軍勢であったというなら、アリステリアが里の事を知っているのも当然だろう。
 問題なのは、この里が襲われた理由である。遺体の白骨具合を見るに、襲撃から一年以上は経っている。最近になって、何の理由があってこの地がゼロリアスに襲われたのか、その理由だけが分からない。

「この場所⋯⋯⋯、烈火の里は常に中立だった。ゼロリアス帝国と敵対してはいなかったはずなのに、どうして⋯⋯⋯」
「敵同士じゃなかったってほんとか? ちょいと調べてみたが、魔法兵と大砲まで持ち出してやがるぜ。しかも連中、里が寝静まったところを襲ったみたいだ」
「そうでもしなければ犠牲はもっと増えていた。烈火の里を襲えば大きな痛手を被ると、連中もよく知ってるいるからな」

 烈火の里はレイナが育った故郷。この里の恐ろしさというものは、彼女が一番分かっている。だがそれは、ゼロリアス帝国も同じはずであった。それが分かっていて、帝国はこの里の人間を皆殺しにしたのである。
 明らかにゼロリアス帝国は、烈火の里と烈火式の槍術を抹殺しようとしている。何故それが今になって行われたのか、理由はレイナにも分からないが、一つだけ確かな事があった。

「烈火の里も、烈火式の槍術も失われた⋯⋯⋯。全て、私を残して消えてしまった」
「まだ終わりじゃねぇよ。お前が生きてる限り、里の復興だって不可能じゃねぇさ」
「復興⋯⋯⋯?」

 慰めようとするドラグノフの言葉に、レイナは思わず失笑してしまう。里の復興など、ほんの少しも考えていなかった彼女にとって、ドラグノフの慰めは冗談のように聞こえたのだ。
 自分が育った里の惨状は、確かにレイナに衝撃を与えた。だが彼女は、里が失われ、里の人々が皆殺しにされた事など、正直どうでもよかったのである。寧ろ里の人間全員を、自分の手で倒すつもりでいたのだ。
 レイナからすれば、果たすべき目的を成すための地が、知らぬ前に失われていたのである。それだけが衝撃的な事であって、他の事などは気にしてはいなかった。
 ドラグノフに言われて、自分が最後の烈火式の生き残りであるかもしれないと、彼の言葉で気が付いたくらいなのである。レイナにとって烈火の里も人々も、愛すべき故郷ではないのだ。

「私のくだらない目標は、これで潰えてしまった⋯⋯⋯」

 涙こそ流さなかったが、ドラグノフが見つめるレイナの背は、深い悲しみに暮れていた。ドラグノフ達はレイナをその場に残し、暫くの間彼女を一人にさせるのだった。









「メイファ。いえ、アンジェリカ・ヴァスティナ女王陛下。お会いできて光栄です」

 メイファの正体がアンジェリカであると見破ったアリステリアが、場の者達を震撼させる。驚きで取り乱さなかったのは、ウルスラとシャーロットくらいのものであった。あのヴィヴィアンヌでさえ、アリステリアの勘の鋭さに驚きを隠せず、反射的に警戒心を強めた程だ。
 今更手遅れだが、我先にリックが誤魔化そうと動く。だが彼を片手をあげて制したアンジェリカは、平常を取り戻してアリステリアを見つめ返す。

「⋯⋯⋯いつから、私がアンジェリカであると気付いた?」
「最初から、もしかしたらそうではないかと思っておりました。噂に聞いていた陛下の特徴通り、黒髪の美しい容姿でしたもの」
「それだけか?」
「他にも理由はあります。リクトビアも陛下の侍従達も、ただのメイド一人に気を遣っていた。正体が陛下であるならば、紅茶が不味かったのも納得ですし、リクトビアが必死に美味いと嘘を付こうとしたのも当然でしょう」

 紅茶の話を持ち出され、失敗したと思ったリックがアンジェリカの方を見ると、彼女からの冷たい視線が向けられていた。これは後で確実に文句を言われると思い、深くため息を吐いて天を仰いでしまうリックだったが、ため息を吐きたいのはアンジェリカも同じだった。
 これでは自分が、紅茶も入れられない女王だと馬鹿にされているのと同じだからだ。メイドなどやった事がなければ、そう言って馬鹿にされるのも仕方がない事だと納得できるのだが、アンジェリカはかつてウルスラに扱かれて、リックの専属メイドとして務めていた経験がある。
 その経験があるが故に、メイド時代の自分の能力が低かったと言われてしまっているに等しい今の状況が、アンジェリカにとっては屈辱的だった。無論、アリステリアはそこまでの詳しい事情は知らないため、悪気があるわけではない。

「正体が陛下であると確信したのは、貴女がシャーロットの紅茶をお飲みになった時でした」
「なに⋯⋯?」
「紅茶の感想を述べられた時、陛下はご自分の侍従長を名前で呼んだ。いつもそう呼ばれているから、癖で名を出してしまったのでしょう?」

 アリステリアには敵わない。まったくその通りの推理であった。
 思わずウルスラの名を出してしまったあの時、アンジェリカは彼女の事をメイド長と呼ばなければならなかった。アリステリアの推測を確信に変えてしまった、アンジェリカの失敗だったのである。
 やはり隠し続ける事は無理だったと悟り、アンジェリカはメイド服に身を包んだまま、改めてアリステリアと相対する。

「我が名はアンジェリカ・ヴァスティナ。南ローミリアを統べるヴァスティナ帝国女王である」
「ようこそお出で下さいました。また、先程までの無礼をお許し下さいませ」
「先に謝罪するべきは私であった。許して欲しい」

 互いに無礼な振る舞いを咎めるつもりはない。両者許し合い、アリステリアの名推理が終わったところで、彼女の侍従がアンジェリカ用の椅子を用意した。
 アンジェリカは用意された椅子に腰かけ、傍にウルスラを控えさせた。ヴァスティナの女王として、改めてこの場に席を置いたアンジェリカは、遠慮する事なくアリステリアへ口を開いた。

「単刀直入に聞こう。我が国の将軍をここへ呼んだ理由はなんだ?」
「理由の半分は本当に暇潰しです。もう半分は、このリクトビアという男を見極めるため。陛下が私を見極めようとされたのと同じようにね」
「この男、その紅き瞳にはどう映る?」
「間抜けに見せかけた、相当の食わせ者です。陛下もこの男に欺かれぬよう、お気を付け下さいませ」

 苦笑いするリックの隣で、アンジェリカはアリステリアの忠告に、思わず目を見張った。まさにその通りだと思ったのと同時に、これ以上何を欺かれる事があるのかと、自嘲気味な薄笑いが零れる。
 守ると約束したユリーシアを死なせ、彼女の妹であると知りながらアンジェリカの真実を隠し、真の理由を語らぬまま、大陸全土の武力統一を成し遂げようとしている。この男にこれ以上、何を騙されるというのかと、笑わずにはいられない。

「アリステリア殿。私からも一つ忠告しよう」
「何でしょう?」
「この男の女癖の悪さは我が国随一だ。アリステリア殿も臣下の者達も、この男には近付かぬ方が良い。もし手を出してきたならば、私が直々にこの駄犬を粛正する」

 苦笑から一転して恐怖したリックの反応を見て、そんなに彼女が恐ろしいのかと思い、アリステリアは周りを気にせず笑い声を上げた。傍に控えるクラリッサも、面白い事を言う少女だと思って、アリステリアに釣られて笑みを零す。
 
「そう言えば陛下。以前この男は私を食事に誘いまして、流れるようにベッドの誘いまでしてきたのですが、陛下はご存知でしょうか?」
「貴様⋯⋯⋯」
「ちょっ、ちょっと待ってください陛下! 食事の方はともかくベッドの誘いは冗談で―—―」 
「言い訳は聞きたくない。やはり貴様のような駄犬は去勢しておくべきか」
「ほんとそれだけは勘弁してください!! リンドウさん! ヴィヴィアンヌ! 頼むから助けてくれ!」
「ふん、知らないんだから」
「閣下、諦めた方が宜しいかと」
「お願いだから見捨てないでくれよおおおおおおおおっ!!!」

 リンドウとヴィヴィアンヌに見捨てられた、自業自得なリックの絶望した叫びが響き渡る。勿論誰も彼を助けようとはしない。リックに嫉妬しているスズランに至っては、いい気味だと言わんばかりの笑みを浮かべていた程だ。
 
「どうやらアンジェリカ陛下は、女癖の悪いそこの駄犬にいつも手を焼いているようですね」
「⋯⋯⋯できるなら、アリステリア殿の将軍と交換したい。風将と名高きグルーエンバーグ将軍を従えたアリステリア殿が羨ましい」
「私が言うのもなんですが、クラリッサはお勧めしません。短気で口が悪く、おまけに変態ときている」
「あっ、あんまりです殿下! 短気で口が悪いのは認めますが、狂犬と同じ変態と評されるのには納得いきません!」
「私にぶたれて喜ぶような女だからそう言ってるのよ」
「それはご褒美だからで⋯⋯⋯、はっ!?」

 クラリッサが気付いた時にはもう遅く、「良いことを聞いた」と言わんばかりのヴィヴィアンヌが、赤面する彼女に悪魔な笑みを向けていた。
 
「この通りです陛下。クラリッサよりはまだジルの方が―—―」

 自身の忠臣たる氷将の名を出した途端、アリステリアの言葉は止まってしまった。そしてアリステリアの視線は、アンジェリカの瞳を真っ直ぐ見つめた後、彼女の傍に立つウルスラへと向けられる。

「⋯⋯⋯実はもう一つ、陛下がメイドに成りすましているとわかった理由があります」
「もう一つ?」
「陛下が使われた仮初の名です。その名は―—―」

 アリステリアの言葉を遮るように、突然茶会の部屋の扉が開かれた。部屋に足を踏み入れた主は、真っ直ぐアリステリアのもとへと歩を進める。
 アンジェリカが見るのは初めてだが、リックはよく知っている人物であった。異教徒討伐の際も、彼女の絶大な力には大いに助けられたのである。
 アリステリアの傍までやってきて、その場に控えた人物の名はジル・ベアリット。氷将と名高き、ローミリア大陸最強と謳われる女将軍である。

「殿下。遅くなりました」

 遅れて現れたジルは普段と変わらない様子である。リックの知る、氷のように冷たい無表情は相変わらずで、会釈の一つもない。
 不思議なのは、アリステリアの傍に最初から彼女がいなかった点だ。リックはそれが最初から疑問だったのだが、現れたジルは何事もなかったかのようにアリステリアの傍に控えている。
 そんな中、アリステリアの表情が一瞬曇ったのを、リックは見逃さなかった。ジルが現れた途端、明らかに彼女からは不安が感じられたのである。何かあると察したリックではあるが、敢えてそこには触れず、黙って二人の様子を見ていた。
 
「⋯⋯もういいの?」
「はい」
「そう⋯⋯。ちょうどいいところに来たというべきか、それとも悪かったというべきか」

 アリステリアからの紹介はなかったが、アンジェリカ達は現れたジルを見て、彼女こそが噂に名高い氷将なのだと悟る。隠し切れないその強者の風格と、圧倒的な存在感が、彼女こそがそうなのだと物語っているからだ。
 それよりもアンジェリカ達は、ジルを見てある事に気付く。正確に言えば、ウルスラ以外の全員が、ジルの容姿に既視感のようなものを感じていた。
 特にリックは、ジルの身に纏う雰囲気や容姿が、ずっと誰かに似ているように思えていた。その答えが今、ようやく分かってしまったのである。

「アンジェリカ陛下。陛下が使われたメイファという名は、ご自身でお考えになったものですか?」
「いや⋯⋯⋯、このウルスラが名付けたものだ」
「やはり⋯⋯。それが仮初の名だとわかった理由は、このジルにあります」

 アンジェリカもまた、ジルの姿がよく似ている人物と重なって見えていた。まだ気付けないのは、ジルとよく似た容姿を持つ、アンジェリカの傍に控えた彼女だけだ。

「ジルは私が彼女に与えた名。私が彼女に捨てさせた名は、メイファ」

 その名に最も衝撃を受けたのは、他でもないウルスラであった。彼女は信じられないものを見る目でジルを見つめ、驚愕し、そして怯えるように震えていた。
 同時にアンジェリカは全てを悟る。メイドとなった自分に与えてくれた名前。時折見せてくれた母親のような優しさ。産んだ子を失ったという過去。ウルスラとの日々と、彼女の語った過去の話が、アンジェリカの脳裏に次々と蘇る。
 
「ジル」
「はい」
「そこにいるウルスラという侍従長が、恐らく貴女の産みの親よ」

 それを聞いたジルの瞳が一瞬だけ見開かれた。驚いたのは間違いなかったが、ウルスラと比べれば全く動揺を示さない。それどころか興味すら持っていなかった。
 震えながらジルを見つめているウルスラ。そんな彼女に向かってジルが視線を移すと、ウルスラは逃げるように目を逸らしてしまった。

「私に母親などいません」
「⋯⋯⋯!」

 氷のように冷たい瞳と、その言葉が、容赦なくウルスラの心を抉る。親などいないと断じたジルは、驚愕のあまり言葉も返せないウルスラと、驚きの事実に困惑しているアンジェリカ達へ、はっきりと宣言する。

「私はジル・ベアリット。親も家族も、アリステリア殿下へ誓った我が忠誠には不要です」

 親も家族もいらないと宣言した彼女の言葉で、ウルスラは動揺のあまりその場で膝を付いてしまった。すぐさまリンドウが駆け寄って、膝を付いて動けなくなっているウルスラを介抱するが、とても護衛の任を続行できる状態ではなかった。

「リンドウ。ウルスラを別室で休ませろ」
「わかりました⋯⋯。スズラン、後をお願い」
「はい、リンドウさん」

 リンドウが肩を担いでウルスラを立たせ、彼女を連れて茶室を後にする。アンジェリカの護衛にはスズランが残り、心配する彼女達の視線を背に受けながら、ウルスラはリンドウと共に部屋を退室するのだった。
 ウルスラが部屋を後にして、真っ先に疑問をアリステリアに述べたのは、やはりアンジェリカだった。リックやスズランも、今のが事実なのかと半信半疑である。
 
「アリステリア殿。ベアリット将軍は本当にウルスラの娘なのか?」
「似ている容姿。ゼロリアスの生まれで元軍属の脱走兵。それから身体能力が常人を遥かに超えているようであれば、ほぼ間違いない」
「⋯⋯⋯それが何の証拠となる」
「人造魔人研究の第一号計画。それは、薬物によって強靭な肉体を手に入れた女体を人工授精させ、実験に耐えられる肉体を持った子を出産させる計画。生まれた赤子は人造魔人研究の実験体として扱われ、そのほとんどが実験中に死亡した」

 その話を聞いてアンジェリカは、再びウルスラの語った過去の話を思い出す。子を産んだ事があるとウルスラが語った時、彼女は子の父親については語らなかった。子が無事に生まれた時、すぐに子供を取り上げられたとも言っていた。
 もしも今の話が事実なら、全ての辻褄が合った。いや、合ってしまったというべきだろう。

「第一号計画唯一の成功例。それがジルなのです」
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