贖罪の救世主

水野アヤト

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第六十話 女王の決断

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 一夜明け、何事も無かったかのように、ブラド公国宮殿内でアマリリスは、アンジェリカの身の回りの世話に精を出している。アンジェリカも昨日の事は気にせず、アマリリスを傍に置き続けていた。
 ノイチゴが渡し損ねていたという薬は、あの後アマリリスに渡された。その薬を飲んでメイド仕事に当たるアマリリスに、特に変わりはない。寧ろ、昨日までより元気があるようにも見えた。
 仮で用意された執務室で、政務に当たるアンジェリカを、アマリリスは一生懸命支えようとしている。アンジェリカのために早速甘いお菓子を用意して、紅茶と共に彼女へ振る舞っていた。

 そんなアンジェリカとアマリリスのもとを離れ、宮殿外の草むしりをさせられている、ノイチゴ、スズラン、カーネーションの三人は、溜息ばかり吐いて雑草を引き抜いていた。
 広大な宮殿外の草むしりは、彼女達への罰である。命令したのは勿論、事情を知って鬼の如く怒ったウルスラであった。ラフレシアとラベンダーにも罰が言い渡されており、二人は今、肥溜めの清掃に当たらされている。
 
 昨日の事件の前、ラフレシアによってデートを妨害させられたリンドウ達は、イヴとアマリリスのデート事や、アンジェリカが二人を尾行している事を聞かされた。
 心配になったリンドウは、アンジェリカ達に合流すべく彼女達を手分けして捜していた。そしてようやく見つけたアンジェリカが、裏リリスに襲われているのを発見し、全力で止めに掛かったというわけである。
 リンドウが御咎め無しなのは、元々休暇予定であったのと、事情を知らなかったためだ。その代わり、ラフレシアら五人のメイドは、ウルスラから大目玉を喰らい、アンジェリカを危険に晒した罪で、夜遅くまで正座にて説教されていた。最後には全員ウルスラによる関節技フルコースを決められ気絶し、朝日で目を覚ます羽目になったのである。
 
「はあ~⋯⋯⋯。裏リリスさえ出てこなかったら、メイド長にバレずに済んだのに⋯⋯⋯」 
「ノイ姉さんが薬渡さなかったせいだろ。畜生、草むしりなんてやってらんないぜ」
「ラフレシアさん置いてきたのが失敗だったよね。僕とカーネーション、それにノイチゴさんの三人がかりでも歯が立たなかった」
「ほんと、死人出なかったのが奇跡よね~」
「絶対俺が真っ先に殺されるって思ってたから、途中ビビり過ぎてちびちまった⋯⋯⋯」
「また漏らしてたの? 裏リリスさん前にしたら漏らす癖、何とかした方がいいって」

 治らないカーネーションの漏らし癖は、裏リリスと初めて遭遇した日からついてしまったものだ。本人曰く、ウルスラの雷よりも恐ろしい目に遭ったせいで、裏リリスを前にするとその時の記憶が蘇り、我慢できず漏らしてしまうのだという。
 
「⋯⋯⋯裏姉さんのこと思い出したら小便行きたくなってきた。スズラン、ちょっくら用足しに言って来る」
「変なところで済ませて来ないでよ。はしたないって、またメイド長に怒られるんだから」
「わかってるって。その辺の木にしょんべん引っかけたりはしねぇよ」

 そう言ってノイチゴとスズランを残し、カーネーションは用足しに向かってしまった。残された二人は草むしりを続けるが、ふと気になった事があって、スズランがノイチゴに問いかける。
 
「ノイチゴさん。アマリリスさんは、本当にあれで良かったのかな」
「叶わぬ恋だったんだから、仕方ないわよ。この先新しい恋を探すのか、恋を一生諦めるのかは、あの子次第ね」
「新しい恋か⋯⋯⋯。僕はまた、ノイチゴさんが薬を渡し忘れないか心配だよ」
「うふっ、新しい恋人の前で裏リリスが出てきたら惨劇よね~。まあ今回ばっかりは、薬を飲んでたとしても裏リリスは出てきたと思うけど」
「えっ? どういうことですか?」
「だってあれ、ただの栄養剤だもの」
「はあ⋯⋯⋯、ええっ!?」

 アマリリスが飲んでいる薬は、ノイチゴが裏リリスを抑制するために特別調合した薬であると聞かされている。まさかその薬の正体が、裏リリスに効果ない栄養剤だったなど、信じたくない話だ。
 驚愕の真実に愕然とするスズランに、面倒臭そうに草をむしりながらノイチゴは続けた。

「あの子の場合、問題なのは気持ちなのよ。薬を飲んでるから平気って強く思うことが大事。でも今回は、陛下に会おうと無理矢理出てきたってところかしら」
「そっ、そんな⋯⋯⋯。薬があるから安心だと思ってたのは、僕達もなのに⋯⋯⋯」
「そもそも、二重人格を抑制する精神安定剤なんて私に作れるわけないでしょ。私の専門は毒と麻酔と媚薬なんだから♡」
「うわ~⋯⋯⋯、知りたくなかった。今後アマリリスさんにずっと怯えて過ごすことになる」
「リンドウかラフレシア並みに強くなれば平気よ。出てきたら倒せばいいんだもの」
「それが一番無理な解決法だってわかってますよね? まだ僕、二人に一度も勝ったことないんですよ?」
「じゃあ、諦めましょ。それと――――」

 これからどうすればいいか、全力で悩んでいるスズランに向け、妖艶な笑みを浮かべたノイチゴが、口元に人差し指を持ってきて、スズランにウインクして見せる。

「このことは、カーネーションには内緒よ。あの子が知ったら発狂して、たぶん死ぬわ」









 ブラド宮殿内の仮の執務室で、朝早くから政務に取り組むアンジェリカは、この部屋に一人の人物を呼んでいた。扉がノックされた音で彼女が入室を許可すると、開かれた扉からイヴが現れる。
 椅子に腰かけ、執務机に並んだ書類の束に目を通していたアンジェリカの視線が、入室したイヴへと向けられる。アンジェリカの傍にはウルスラと、紅茶のおかわりを用意しているアマリリスの姿があった。
 イヴと目が合ったアマリリスは、作業の手を止め、彼に向け深く頭を下げる。裏リリスが仕出かした事については、アマリリス自身も把握している。目覚めてすぐ、皆の口から説明を受けたからだ。
 説明を聞き終えて直ぐに、アマリリスは泣きながら皆に謝ってまわった。特にアンジェリカとイヴに対しては、まともに二人の顔を見られなくなる程に大泣きして、何度も声を詰まらせながら謝罪したのである。

 頭を上げたアマリリスの顔を見ると、やはり目元が腫れている。あれだけ洪水のように泣けば当然かと思い、くすりと笑ったイヴが微笑で返す。
 そもそもあれは、アマリリスであって、アマリリスではない者のせいである。故にアマリリスへの怒りはなく、昨日の事には寧ろ感謝している程だ。
 守る側の自分が、逆に庇われてしまったわけだが、少しだけアンジェリカの傍にいる事ができた。彼女が自分に距離を置いたように、イヴもまた彼女の気持ちを思い、離れて彼女を見守ってきた。手の届くところまで二人の距離が縮まったのは、久し振りの事であった。
 イヴはそれが嬉しくて、昨日から上機嫌である。アマリリスとのデートは楽しかったと言って、泣いて謝った彼女に感謝していたくらいだ。

 誰も大きな怪我がなく、死者も出ず、被害に遭ったイヴも特に気にしてはいない。アンジェリカもアマリリスの事は許しており、叱責する事も、罰を与える事も無かった。
 ラフレシア達が罰則を受けている以外は、全て綺麗に収まった今回の騒動。しかしイヴはアンジェリカに朝から呼び出され、こうして顔を向き合わせている。呼ばれた理由は、イヴもまだ聞いてはいない。
 いざ顔を合わすと、どちらから先に話そうか、イヴもアンジェリカもお互いに躊躇してしまい、言葉を口にできなくなってしまう。呼び出した本人であるアンジェリカの躊躇う姿に、呆れたウルスラが咳払いして言葉を急かすのだった。

「⋯⋯⋯昨日のことは、許せ」
「ぜっ、全然気にしてないから謝らないで! アマリリスさんとのデートも楽しかったし、アンジェリカちゃんのかっこいい背中も見られたからね♪」
「あっ、あれは⋯⋯⋯! ああでもしなければ殺されて―――」

 またウルスラが咳払いして言葉を中断させると、彼女の据わった目がアンジェリカを捉えていた。その鋭い眼光で説教する彼女曰く、「二度と自分を盾にするなどという危険極まりない真似はしないように」であった。
 畏縮してしまったアンジェリカの弱った姿に、思わず吹き出してイヴが笑ってしまう。二人で過ごしたあの頃と変わらない、可愛らしいアンジェリカの姿が、嬉しくて堪らない。
 
「⋯⋯⋯僕をあんなに必死に守ろうとしてくれて、とっても嬉しかった」
「⋯⋯⋯」
「僕はまだ、アンジェリカちゃんに大切にされてるんだってわかって、幸せだった。だから今度は、僕が君を幸せにして見せる」

 アンジェリカを不幸にさせないと言った己の意志を、イヴは改めて宣言する。アンジェリカは黙ってその宣言を受け止め、小さく頷いて口を開いた。

「ならばこの先は、共に歩んできて欲しい」
「!」
「近く、ホーリスローネ王国との休戦交渉が行なわれる。あの男は自分に任せろと言ったが、交渉には私が直接出向く」

 それは、これまで自国たるヴァスティナ帝国にその身を置き、軍事の全てをリックに任せてきた彼女が、自らも戦いへと赴く事を意味している。
 亡きユリーシアの願いを叶えるため、大陸全土の武力統一を進めるリックの悲願。これを成就させるため、今までアンジェリカは、女王としての命令で彼に軍の指揮を任せ、最終的な全ての責を自らが負う事で、リックを支えてきた。

 多くの戦いで傷付き、愛す者も、大切な友も失い、心が壊れる寸前まで苦しみながらも、リックはユリーシアとの約束のために戦ってきた。時に大勢の命を奪い、謀略にて欺き、戦火で何もかもを焼き尽くしながらも、彼は進む事を止めなかった。
 アンジェリカは、リックが犯した罪の責務から逃げ出しはしない。だが彼女は、ユリーシアの願いと、自らの復讐のために始めたこの戦いの中で、いつも傍観者であった。
 これはリックだけではない。リックとアンジェリカの意志で始められた、二人の戦争なのだ。それなのに自分は、リックの優しさに甘えて、彼に守られているばかりだった。
 
「休戦交渉は、次なる戦いへの策謀に過ぎない。ホーリスローネとゼロリアスを降し、姉様の願いを叶えるその時まで、私はあの男と共に戦う」
「アンジェリカちゃん⋯⋯⋯」
「あと少しで、ヴァスティナ帝国はローミリアの全てを手に入れる。この業を、あの男だけに背負わせはしない」

 アンジェリカの決意を悟ったイヴは、彼女に対して押し殺してきた感情が一気に湧き上がり、思わず泣きそうになるのを堪えていた。
 初めて出会った時。友達になった日。真実を知った夜。女王へ即位した瞬間。アンジェリカの姿が、自分へと向けてくれた微笑みが、最愛の姉を失った涙が、決別のため突き放す悲しい彼女の瞳が、イヴの脳裏に次々と蘇る。
 幸せな時間があれば、忘れてしまいたい悲劇もあった。復讐と贖罪に生き、最愛の姉が愛した男を憎み、自分の心を押し殺した。僅かな幸福と、多くの悲劇の中を生きる彼女の全てを、イヴは見守り続けてきたのである。
 そのイヴの目の前で、アンジェリカは自分と共に歩んで欲しいと言う。愛し、憎悪する男と、最大にして最後の戦争を共に戦うと言ったのだ。叶わないとすら思っていた願いが、ようやく叶ったのである。
 
「⋯⋯⋯このままでいいのかと、ずっと考えていた。だがベルトーチカと、アマリリスのおかげで、決心することができた」

 アンジェリカはイヴと、そしてアマリリスの覚悟と愛に、深く感謝していた。彼女のために自らの命を捧げる覚悟と、変わらぬ愛情で彼女を支える二人の愛が、アンジェリカを変えたのだ。
 ユリーシアの身代りではなく、アンジェリカを愛してくれる二人に報いたい。そう思ったからこそ、アンジェリカはイヴを前にし、失ってしまった時間を取り戻すかのように、愛する彼に願うのだった。

「最後の戦いを終えるその時まで、私を支えてくれないか」

 ずっと一緒にいてくれと、傍で守ってくれと言えないところが、アンジェリカらしい。不器用な彼女の言葉に、自然とイヴの口元に微笑が浮かぶ。
 無論、彼の返答は決まっている。

「最後の戦いが終わる時までなんて、そんな寂しいこと言わないで。僕はずっと、君の傍を離れない」 









 それから程なくして、ローミリア大陸は大きく二つの陣営に分かれ、大陸の覇権を懸けた対立を激化させる。
 強国ヴァスティナ帝国と、北の二大大国ゼロリアス帝国とホーリスローネ王国。
 対立を深める三大国の中で、決断した女王アンジェリカは自ら先陣に立ち、我こそがローミリアを統べる女王であると宣言するのだった。
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