贖罪の救世主

水野アヤト

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第59.5話 ヴァスティナからの物体X

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第59.5話 ヴァスティナからの物体X






1.憎き軍人のためのソナタ



 ヴァスティナ帝国国防軍親衛隊隊長ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼと、帝国国防軍参謀長エミリオ・メンフィスが犬猿の仲である事は、槍女と破廉恥剣士の間で勃発する、日々の喧嘩の次に日常だ。
 今日もまた、このヴァスティナ城内を舞台に、偶然通路を歩いていた両者が出くわし、まるで朝の挨拶でも交わすかのように、開口一番に相手への文句が飛び出す。

「遅い」
「強引過ぎる」

 同時に飛び出たヴィヴィアンヌとエミリオの文句は、両者の仕事の仕方を指している。帝国国防軍が準備を進めている、オーデル王国及びジエーデル国侵攻の計画に、二人もまた多忙な毎日を送っているのだが、ここ最近二人が揉める大きな原因となっている。
 ヴィヴィアンヌはエミリオの慎重論に反対であり、何かある事に彼に「遅い」と文句を付ける。対するエミリオは、ヴィヴィアンヌが強行する計画に否定的で、彼女の事を「強引」だと批判しているのだ。

「貴様のやり方では、閣下による大陸全土統一が遅々として進まない。ジエーデルによって大陸中が混乱したこの好機を、貴様の慎重さで逃してなるものか」
「君の早まった計画は、多くの敵を生み出すばかりだ。リックを危険に晒す君のやり方は、強引で愚かだと何故分からない」
「何だと貴様? 我々親衛隊の存在が閣下にとって危険だと、そう言いたいのか?」
「理解できていないようだから、君の危険性を一から説明してあげようか?」
「こう見えて私は多忙なのでな。貴様の無駄に長過ぎる説明を聞いている暇がない」
「無駄に長過ぎる、だって?」

 両者、戦闘状態に突入しており、睨み合う二人の間で火花が飛び散っている。犬猿の仲代表の二人に比べれば、武器を手に戦わないだけマシと言えなくもないが、子供の喧嘩と比べていい口論ではない。
 二人の対立は、親衛隊と参謀本部の対立を意味し、帝国国防軍内に無用な争いを引き起こす。幸い、現状兵士達の間にまで対立はないが、両組織のトップ同士がこれでは、対立が下にまで広がりかねない。
 
「この際はっきり言わせて貰うけれど、私は君を良く思っていない」
「ふんっ、糞眼鏡め。私の方こそ貴様は好かん」
「飼い主の手を噛む番犬には、しっかりと躾が必要のようだね。まずはその口の悪さを調教しようか?」
「いつ私を犬呼ばわりしていいと許可した? 舌を引き抜くぞ」
「人を糞眼鏡呼ばわりしてそれかい? 本当に君は短気で困るよ。短気代表のクリスよりも厄介な人間だという自覚を持って貰いたいね」
「私があのレッドフォード以下だと!? この私があんな破廉恥男色癇癪持ちに劣っているというつもりか!?」

 本人がいないところで言いたい放題であるが、残念ながら短気なのは間違いがない。本人に悪いと思って訂正する気は、両者とも全くなかった。
 勃発したこの争いは、どちらも一歩も退く気がなく、終わるまで一時間かかった。争いを止めさせたのは、偶然傍を通りかかって巻き込まれた、不運なクリスであったという。









「⋯⋯⋯それで、ヴィヴィアンヌ様はエミリオ様に反対だと?」

 ヴァスティナ城の洗濯場で仕事をしている、メイド部隊のリンドウの後ろで、地面に膝を抱えて座るヴィヴィアンヌの姿があった。
 リンドウは慣れた手付きで、物干竿に洗濯物を次々と干していく。仕事の手は止めず、ヴィヴィアンヌの話を聞いていたリンドウは、悩む事なく即答した。

「最終的に判断なさるのはリック様なのですから、御二人はその決定に従うのみではないですか?」

 後ろに座るヴィヴィアンヌに振り返りもせず、洗濯物を干しながらリンドウは答える。口論していた先程までとは打って変わり、すっかりしおらしいヴィヴィアンヌは、その通りだと理解しつつも、リンドウの答えに頷く事はができなかった。
 
「⋯⋯⋯恐らく閣下は、私の計画を選んで下さる。閣下は焦っておられるからな。だがそれでは、不満を抱くメンフィスを納得させることができない」
「ヴィヴィアンヌ様がエミリオ様に配慮するなんて意外ですね」
「計画に組み込まれている以上は、全員の意思統一を図らなくてはならない。情報局出身ならばわかっているはずだ」

 ジエーデル侵攻計画における、親衛隊の各国への工作活動。混乱、破壊、暗殺など、あらゆる工作を行なう予定のヴィヴィアンヌは、自分の計画が採用されると読んでいた。 
 将軍であるリックがこの計画を選んだ場合、必要とされるのが軍の意志統一である。エミリオのように反対している者達が、彼女の計画に逆らうような行動を取れば、計画の失敗に繋がるからだ。
 開戦後、ヴィヴィアンヌの思惑通り全軍が動かなければ、ジエーデル侵攻そのものが失敗する恐れもある。反対意見を持つ事に問題はなく、ヴィヴィアンヌへの批判自体も問題ではないが、失敗に繋がる要因は、開戦前に可能な限り処理したいのだ。
 
 元アーレンツ国家保安情報局出身らしい、組織の意思統一と忠誠を重視した、ヴィヴィアンヌらしいやり方である。当然彼女の考えは、同じく元情報局員であるリンドウにも理解できていた。
 惚けて見せたリンドウだったが、ヴィヴィアンヌが何をしたいのか、聞かなくても分かっている。ただ、普段誰にも弱みを見せないヴィヴィアンヌが、自分の前では悩める乙女の様で、少し揶揄って見たくなったのだ。
 
「古巣は同じですから、考えはわかります。それよりも、相談相手が私で良かったんですか? そういうことはレイナ様や、それこそリック様に相談なさった方が⋯⋯⋯」
「同志や閣下に弱みを見せたくない」
「下手に弱みを握られると、ベッドの上で主導権取りづらいですものね」
「⋯⋯⋯間違ってはいないが、貴女に言われると返しに困る」
「洗濯担当の私に隠せるわけないんですから、笑って流していいんですよ。私だって貴女に断りも入れずリック様と寝てますし」

 あのヴィヴィアンヌが、言葉の返しに困って沈黙してしまう。もしリンドウではなく、こんな話をクリスやヘルベルト辺りが口にしようものなら、鬼神と化したヴィヴィアンヌの鉄拳制裁は免れない。
 レイナには甘いものの、基本誰に対しても厳しいヴィヴィアンヌが、帝国内で唯一強気に出れない相手。それがリンドウである。理由は、アーレンツ攻略戦において、リックを救おうと奮闘したのがリンドウであり、また彼を殺しかけたのがヴィヴィアンヌ自身だったからだ。

 そもそも、アーレンツとの戦争の原因を作ったのは、他でもないヴィヴィアンヌだった。リンドウはもう彼女を憎んではいないが、ヴィヴィアンヌとしては複雑である。リンドウがリックを愛していると知っていれば、尚更気にしてしまう。
 互いがリックと肉体関係を築いている事など、教えられずとも分かっている。リンドウの愛する男を傷付けた挙句、愛人のような真似をしてしまっているからこそ、彼女に事実を口に出されると弱いのだ。

「私のことは気にせず、メシア団長を忘れさせるくらい抱いてあげて下さい。そうでもしないとあの人、一生あのままですから」
「⋯⋯⋯私に正妻にでもなれと? その役目は同志やアングハルトの方が相応しい」
「愛人で十分な身としては、私を受け入れてくれるヴィヴィアンヌ様こそ、リック様のお傍にいて欲しいです」
「確かに、あの二人では愛人など許すはずもないな」
「ご自分も似たようなことをしておいて、今更⋯⋯⋯」

 それもそうだと思い、一人納得してリンドウへ感謝の念を送るヴィヴィアンヌに、呆れた彼女は溜息を吐く。だが、番犬の異名高き彼女の抜けたところを見られるのは、自分の前だけでは気を張らないヴィヴィアンヌの、貴重な姿だとリンドウは思う。
 過去の因縁はありつつも、ヴィヴィアンヌがある程度気を抜ける相手は、同じ古巣出身のリンドウだけなのだ。同じ場所で、国家に忠実な諜報員として育てられた者同士だからこそ、気持ちを打ち明けやすいのである。
 
 実は、ヴィヴィアンヌがリンドウに相談するのは、これが初めてではない。他の者達には気付かれないようリンドウに会い、何度か話を聞いて貰っているのだ。
 リンドウは彼女の気持ちを察し、誰かに言う事も、文句を言う事もなく、話があると言われる度に、今と同じように仕事をしながら相手をしている。因みに、リンドウ自身はこの事を誰にも話していないのだが、何故かリリカだけは知っているというのは、最早お約束であった。
 
「話がずれ過ぎたが、とにかく私はメンフィスを了承させた上で、次の作戦に臨ませたいのだ。そのための確実な方法を、私よりは奴を知る貴女に聞いている」
「リック様が説得しても無理なら、方法なんて存在しないでしょうね。女の武器が効くならやりようはありますけど、エミリオ様ってリック様以外興味ないですから」
「ならば閣下を利用し、メンフィスと肉体関係を築かせれば―――」
「強引過ぎです。ラフレシアが飛びつきそうな方法はやめて下さい。メイド長のご機嫌を取るよりは難しくなさそうな問題ですから、きっと良い案が見つかりますよ」

 意味が分からず首を傾げるヴィヴィアンヌに、これまた深い溜息を吐くリンドウ。この溜息はヴィヴィアンヌに対してではなく、嫌な記憶を思い出した事から出る、彼女の苦労からくるものだった。
 いつもは相談相手側なのだから、愚痴を零すくらい良いだろうと、周囲に誰もいないか警戒しながらリンドウは語り出す。

「メイド長は基本、普通か機嫌が悪いかの二択しかないんです。機嫌が悪くなる原因は、ほとんどラフレシアとノイチゴとカーネーションなんですが、とばっちりを受けるのがいつも私でして⋯⋯⋯」
「あの鉄仮面に、機嫌の良し悪しがあるとは思わなかった」
「あるんですよそれが。見分け方は、やらかした際に説教で済むか、殴られて説教かでわかります。稀に機嫌が良い時は、怒る頻度が減って助かるのですが⋯⋯⋯」
「どうすれば機嫌が良くなる?」
「溜まってるものを出しちゃったら、その日は機嫌が良い傾向にありますね。リック様で発散した後なんかは決まって――――」

 気付いて口を閉ざした時には、既に手遅れだった。しおらしかった状態から一転し、不機嫌な番犬の顔に戻ったヴィヴィアンヌが、その話の続きを待っている。
 リックとウルスラが偶にそうなってしまっているのは、まだリンドウしか気付いていなかったのである。リリカは気付いていてもおかしくないが、ヴィヴィアンヌですら知らない驚愕の事実が突然零れれば、怒らないはずもない。
 勿論、リンドウに対して怒っているわけではない。彼女の怒りは、「私や彼女がいながら遂にはメイド長にまで手を出したのか」という、色魔と言われても仕方がないリックへの怒りだった。

「⋯⋯⋯その話、もっと詳しく教えて貰おうか?」
「あっ、いやその⋯⋯⋯。私もベッドのシーツを洗おうとした時に気付いただけで、あんまり詳しく―――」
「情報の出所は誰にも漏らさない。だから話せ」
「ふっ、二人のことより⋯⋯⋯、今はエミリオ様を納得させ―――」
「あんな糞眼鏡のことよりこっちの方が大事だ」
「ああもう!! 愚痴なんか言わなきゃよかった!」
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