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第五十九話 北へ
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最強の魔物種を前にしても尚、ゴリオンに後退はない。戦いで命を落とすまで、守れと命じられたこの地を、命懸けで守り抜くだけだ。
暴食竜は、正確には龍種ではない。六つの属性に分かれた龍種の、言わば亜種という位置付けである。つまり、龍の仲間の中では弱い存在で、他の龍種には力で劣るとされている。
だが、他の魔物や人間からすれば、その力は天災と変わりない。暴食竜が通った後には、人はおろか、動物や魔物すら生き残れない。ほとんどの命が喰い散らかされ、皆殺しにされてしまう。そこに躊躇いや情けはなく、ただ飢えを満たすという目的で、多くの命が奪われてしまう。
故に天災であり、それ故に竜と呼ばれ、人や魔物にすら恐れられる。そんな本物の化け物と、ゴリオンは対峙している。
暴食竜に関しては、ゴリオンも話には聞いている。かつて彼の仲間達は、暴食竜と交戦して殺した事があるからだ。
全長は十メートル以上。鰐のような巨大な口を持ち、太い足で地面を這うように進むため、竜と呼ぶには大きな爬虫類といった姿だ。しかしその力は、大きな蜥蜴などと呼んで侮れぬものではない。軍隊がこれを一体仕留めるためには、数千規模の兵力が必要なのである。
仲間達ですら、皆で力を合わせて暴食竜を討った。鉄壁のゴリオンでも、一人で戦うには余りにも無謀と言える。それでも彼が退かないのは、兵達をこれ以上殺させやしないためだ。
自分一人が傷付いて、自分一人が苦しんで、自分一人だけが死んで戦いを終わらせられるなら、それでいい。そうやって仲間達を守れるなら、ゴリオンにとっては本望だ。
何故なら、自分を必要だと、大切な仲間を守って欲しいと、そう言ってくれた彼のために力を振るう事が、ゴリオンの戦う理由なのだから⋯⋯⋯。
(ユン⋯⋯⋯。オラ、帰れないかもしれないだよ)
最愛の妻ユンの微笑む姿が、死闘を前にしたゴリオンの脳裏に蘇る。愛するユンとの思い出が、孤児院で子供達と過ごす日々が、鮮明に映し出されていく。
孤児院の子供達は、ユンを母と呼んで慕っている。そしてゴリオンの事を、今では父と呼ぶ。ゴリオンにとってユンや子供達は、家族という名の宝だ。彼女達の父としても、この戦いに負けるわけにはいかない。
両者戦闘態勢に入り、暴食竜が戦いの咆哮を上げる。負けじとゴリオンも大きく雄叫び上げ、自慢の大斧の鎖を振り、煌めく刃で円を描きながら空を切る。
「ふんっ!!」
ゴリオンが大斧を放つのと、暴食竜が突撃するのは、ほぼ同時だった。地響きを立てて駆ける暴食竜に、放たれた巨大な刃が直撃する。
人を一撃で殺せる大斧も、暴食竜の頑丈な鱗の前では、簡単に刃が通らない。ゴリオンが鋼鉄の鎧を身に纏うように、暴食竜もまた、鱗という名の鎧を纏っている。銃弾すら跳ね返す鎧を武器に、暴食竜は突撃を続けようとした。
対するゴリオンは、大斧の鎖を力の限り振り回し続け、同じ攻撃を繰り返し続ける。鱗の鎧に弾かれようと、連続で大斧の刃をぶつけた。
大斧を振るうゴリオンの猛攻は、暴食竜に大きな傷をつけられないが、砲弾を直撃させたに等しい衝撃を与える。如何に暴食竜と言えど、こんな衝撃を連続で受ければ、突撃の足も止まってしまう。動きを止めた暴食竜に、今度はゴリオンが突撃を敢行した。
鉄壁たる鱗を持った敵を倒すには、近接戦闘以外に選択肢はない。至近距離から敵の弱点を狙い、強力な一撃を叩き込む。これだけが、ゴリオンに残された勝利の道だった。
今こそ、新たなる戦いに備えて鍛え続けてきた、己の力を存分に発揮する時。竜を恐れず、己が手で討ち果たさんと突撃するゴリオンに、暴竜は怒り狂って咆哮し、殺意を剥き出しにして威嚇する。
眼前に迫るゴリオンに、暴食竜は巨大な口を大きく開いた。開口と共に、口内から吐き出された大量の体液が、突撃するゴリオンに浴びせられる。暴食竜が繰り出したのは、何もかもを溶かし尽くす、強力な溶解液だった。
真面に浴びれば、人間も魔物も一瞬で皮膚を焼かれ、骨が残らなくなるまで体を溶かされる。暴食竜の溶解液を浴びたら最後、相手はひとたまりもない。
身軽ではないゴリオンでは、この溶解液を躱す事など不可能だった。吐き出された時には既に遅く、ゴリオンの体に溶解液が浴びせかけられてしまう。
戦いを見守っていた両軍の反応は、二つに分かれている。帝国国防軍の兵達は、悲鳴を上げてゴリオンの名を叫び、王国軍の兵やゼロリアス兵達は、巨人の敗北に歓喜した。如何に鉄壁を誇る巨人と言えど、暴食竜の溶解液までは、防ぐ事など不可能であるからだ。
ゴリオンの身に纏う鎧が、溶解液を浴びて溶かされていく。熱した鉄に水を浴びせるかの如く、激しい音と煙を立てて、ゴリオンの身が焼かれようとしている。
だがゴリオンは、その足を止める事も、回避しようともせず、溶解液を浴びながら前進を続けた。溶かされるという危険を顧みず、鎧を焼かれながらも突撃を強行する。死を覚悟した、危険極まりない捨て身の突撃により、一気に敵の間合いへと飛び込めた。
開口する巨大な口に目掛け、ゴリオンの得物たる大斧が、刃で溶解液を斬り裂きながら叩き付けられる。大斧の刃が口内に深い傷を与え、悲鳴を上げた暴食竜が大量の血を吐き出した。
「逃がさないんだな!!」
追撃に出たゴリオンは、溶解液の代わりに血を吐く暴食竜の口内に、叩き付けた大斧の刃を、力の限り奥深くへと押し込んだ。傷口が広がり、鮮血を溢れさせた暴食竜は、苦痛に藻掻き苦しむが、ゴリオンに一切の躊躇はない。
全身に返り血を浴びたゴリオンが、大斧を引き抜き、再び口内へと刃を叩き込む。新たに深い傷を与えると、敵に反撃させまいと、連続で強烈な一撃を与えた。
何度も大斧を叩き付け、更には拳で殴り付け、暴食竜への攻撃の手を緩めない。この連続攻撃は、激痛に暴れ狂う暴食竜が動かなくなるまで、休む事なく続けられた。
間もなくして、多量に血を流した暴食竜の動きが鈍り、地面に倒れ伏す。それでもまだ死なぬ竜に、ゴリオンの攻撃は続く。倒れた暴食竜の右眼に、ゴリオンの拳が振るわれたのだ。
右眼を潰し、今度は左眼も殴って潰す。大斧で舌を叩き落とし、口蓋に刃を突き立て、並んだ牙を叩き折る。攻撃が通る部位全てに刃と拳が振るわれ、遂に暴食竜は最期を迎えるのだった。
完全に沈黙した暴食竜。戦いに勝利したゴリオンの姿は、この戦いの壮絶さを物語っている。
溶解液を浴びた鎧は溶け、その下の皮膚まで焼いている。全身は暴食竜の返り血を浴び、真っ赤に染め上げられてしまっていた。溶解液を受けながらも、力の限り振るわれた彼の象徴とも言える大斧は、刃から欠けてひび割れている。
仲間達が暴食竜をどうやって倒したのか、ゴリオンは聞いた事があった。頑丈な鱗を持つ竜の数少ない弱点。それは、鱗に覆われていない口の中と、見開かれている両眼である。
溶解液を吐く事も知っていた。知っていたからこそ、ゴリオンは相手の弱点を狙うべく、敢えて突撃し、溶解液を浴びた。溶解液を吐いている間、暴食竜の動きは鈍くなり、同時に大きな隙が生まれる。その隙を突くために、彼は勇敢にも向かって行ったのだ。
戦場に沈黙が流れ、満身創痍のゴリオンが肩で息する音のみが響く。暴竜を殺した鉄壁の巨人に、敵は戦意を失いつつあった。
あの暴食竜が、たった一人の人間の手によって、僅かな間で討ち取られた。一体だけでも、小国の軍隊を壊滅させられる程の力を持ちながら、凶悪なる竜は絶命した。敵の目から見たゴリオンは、竜を超えた怪物に映る。
当然の事ながら、ゴリオン自身も無事ではない。幸い鎧のお陰で助かったが、全身に大火傷を負った彼は、直ぐにも手当てが必要な有様だ。
しかし、相討ちであったと言うなら、ゼロリアス兵までもが戦意を失う事はなかっただろう。兵士達がゴリオンを恐れるのは、彼が未だ地面に倒れる事なく、その足で立っているからである。
あんな化け物を一人で殺し、生きていられる者などいるはずもない。語り継がれてきた大陸の戦史上に於いても、魔法も使わず暴竜を一人で殺した人間は、他にいなかった。
奥の手を失い、前線に展開する王国軍の兵は、士気を大きく失った。同じくゼロリアス義勇軍の兵も、竜を超えたゴリオンの化け物じみた強さに、身がすくんでしまっている。
だがゴリオンを討つならば、今が最大の好機でもある。それを分かっていながら足を踏み出せないのは、勝利を手にしたゴリオンの壮絶な姿にあった。
鎧は剥がれ、得物まで失いかけても尚、ゴリオンは戦いを止めようとはしていない。防御壁内へ退こうとせず、やはりその場から動きはしなかった。自分が生きている限り、皆の盾になるべく、戦い続けようとしているのだ。
ぼろぼろになった得物を肩に乗せ、消えぬ闘志が燃える瞳を、ゴリオンは敵軍へと向けていた。敵にも意地と誇りはあるが、戦うための一歩が踏み出せない。敵軍とゴリオン一人が睨み合い、一時膠着してしまった最前線に、やっとあの男が戦場に到着する。
「唸れえええええええええっ!! オレのタイフーン号おおおおおおおおおおおおっ!!!」
爆音轟かせ、無駄に五月蠅い雄叫びを上げながら、二輪車に跨ったその男は駆け付けた。
ゴリオンが背にした防御壁の門が開かれ、帝国国防軍切っての特攻隊長が二輪車で地を駆け、彼の真横に並び立つ。各地の治安維持活動を行なっていたため、この戦いに参戦できていなかった頼もしき仲間が、救援に間に合ったのである。
「来てくれたんだな、ライガ⋯⋯⋯!」
「オレが来たからにはもう安心だぜ!! 反撃開始だああああああああっ!!」
ライガ・イカルガ。ヴァスティナ帝国一の正義の味方が、遅れてブラド攻防戦に参戦した。
開かれた門から、ライガの後に続いて二輪車部隊が前線に展開する。特攻隊長ライガと共に戦う、命知らずの切り込み部隊である。
魔法動力機関による発動機を唸らせ、ライガ率いる五十の騎兵達が、短機関銃片手に突撃へと備える。無論、勇敢な突撃部隊と言えど、これだけの数で戦局を大きく変える事はできない。それでも彼らは、ライガの号令に従って二輪車を走らせた。
「突っ込むぞおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」
誰よりも大声で、誰よりも戦場に雄叫びを轟かせ、愛車に跨ったライガが突撃する。後に続いて部隊全員が一斉に走り出し、敵との戦闘が再び開始された。
ライガが敵兵へと突っ込むと、短機関銃を連射させた部隊員達が続く。万の軍勢に挑む寡兵だが、反撃に出たのは彼らだけではない。開かれた防御壁の門を越え、残存する機甲部隊と動ける兵士達が、雄叫びと共に突撃に出たのだ。
「ゴリオン隊長に守られてばかりではいられん! 前進せよ!!」
「切り込み隊に続けええええっ!! 北の大国なんぞ恐れるに足らず!」
「鉄壁の盾は無敗の盾! 竜殺しのゴリオン隊長こそ、ローミリア大陸最強なのだ!!」
「全滅したって構わん! 死んでも連中を押し返せええええっ!!」
人造魔人を倒し、暴竜まで倒したゴリオンの武と勇気が、兵士達の心に炎を灯した。失いかけた戦意を取り戻し、熱き闘志を燃え滾らせ、敗北も死をも恐れず突き進む。
防衛線力が一転、侵攻軍に対して攻勢に出た事で、戦局に変化が生まれる。驚愕する敵軍に、戦車の砲弾と機銃弾、軽火器で武装した歩兵の一斉射撃が襲い掛かる。無論、王国兵も帝国兵も応戦するが、全滅すら覚悟して向かって来る相手の姿は、彼らの目には狂気に映っていた。
ライガ達の特攻。残存戦力による大反撃。そして、逆転した両軍の士気。
全てが戦局に影響を与え、最前線が動く。まさかの反撃に混乱した敵が、堪らず後退を始めたのである。ただ突き進むだけのライガの特攻が、敵兵の連携を搔き乱し、そこを突く形で機甲部隊の火力が集中された。
損害の拡大を防ぐため、敵軍は兵を下がらせていくが、それこそが帝国国防軍の狙いである。敵が下がれば、その分防衛線を押し上げる事ができる。防御壁から敵軍を少しでも遠ざけ、防衛線を再構築するのが目的なのだ。
「ゴリオン隊長!! 後は我々に任せて下さい!」
「隊長はすぐに傷の手当てを⋯⋯! その怪我で戦うのは無理です!」
一人戦ったゴリオンを救うため、防御壁を守っていた鋼鉄戦闘団の兵の一部が、前線から彼を下がらせようと駆け付ける。しかしゴリオンは、自身を救おうと現れた彼らに微笑みかけ、得物を握り締めるばかりだった。
「まだ、オラは戦うだよ⋯⋯⋯。みんなが戦ってるのに、帰るわけにはいかないんだな」
「たっ、隊長⋯⋯⋯!」
「ここは誰も通さないんだな。ブラドは、絶対にオラが守ってみせるだよ」
満身創痍のはずのゴリオンが、一歩足を踏み出した。動く事すら苦痛であるはずなのに、壊れかけた大斧を握り、前へ前へと進んでいく。
ゴリオンは皆に勇気を示した。その勇気が皆を動かし、こうして反撃に打って出ている。この光景がゴリオンに、戦い続ける力を与えていた。
ここは、何があっても死守する。大切な仲間達が、必ず来てくれると信じて、ゴリオンはまた大斧を振り上げるのだった。
「リックが来てくれるまで、オラは負けないんだな!!」
傷だらけの巨人は、共に戦う勇敢な兵士達と共に、大軍たる敵に刃を振るう。何処までも倒れぬ鉄壁の巨人を前に、敵軍の士気は挫かれ、一層の混乱と恐怖を生み出すのだった。
暴食竜は、正確には龍種ではない。六つの属性に分かれた龍種の、言わば亜種という位置付けである。つまり、龍の仲間の中では弱い存在で、他の龍種には力で劣るとされている。
だが、他の魔物や人間からすれば、その力は天災と変わりない。暴食竜が通った後には、人はおろか、動物や魔物すら生き残れない。ほとんどの命が喰い散らかされ、皆殺しにされてしまう。そこに躊躇いや情けはなく、ただ飢えを満たすという目的で、多くの命が奪われてしまう。
故に天災であり、それ故に竜と呼ばれ、人や魔物にすら恐れられる。そんな本物の化け物と、ゴリオンは対峙している。
暴食竜に関しては、ゴリオンも話には聞いている。かつて彼の仲間達は、暴食竜と交戦して殺した事があるからだ。
全長は十メートル以上。鰐のような巨大な口を持ち、太い足で地面を這うように進むため、竜と呼ぶには大きな爬虫類といった姿だ。しかしその力は、大きな蜥蜴などと呼んで侮れぬものではない。軍隊がこれを一体仕留めるためには、数千規模の兵力が必要なのである。
仲間達ですら、皆で力を合わせて暴食竜を討った。鉄壁のゴリオンでも、一人で戦うには余りにも無謀と言える。それでも彼が退かないのは、兵達をこれ以上殺させやしないためだ。
自分一人が傷付いて、自分一人が苦しんで、自分一人だけが死んで戦いを終わらせられるなら、それでいい。そうやって仲間達を守れるなら、ゴリオンにとっては本望だ。
何故なら、自分を必要だと、大切な仲間を守って欲しいと、そう言ってくれた彼のために力を振るう事が、ゴリオンの戦う理由なのだから⋯⋯⋯。
(ユン⋯⋯⋯。オラ、帰れないかもしれないだよ)
最愛の妻ユンの微笑む姿が、死闘を前にしたゴリオンの脳裏に蘇る。愛するユンとの思い出が、孤児院で子供達と過ごす日々が、鮮明に映し出されていく。
孤児院の子供達は、ユンを母と呼んで慕っている。そしてゴリオンの事を、今では父と呼ぶ。ゴリオンにとってユンや子供達は、家族という名の宝だ。彼女達の父としても、この戦いに負けるわけにはいかない。
両者戦闘態勢に入り、暴食竜が戦いの咆哮を上げる。負けじとゴリオンも大きく雄叫び上げ、自慢の大斧の鎖を振り、煌めく刃で円を描きながら空を切る。
「ふんっ!!」
ゴリオンが大斧を放つのと、暴食竜が突撃するのは、ほぼ同時だった。地響きを立てて駆ける暴食竜に、放たれた巨大な刃が直撃する。
人を一撃で殺せる大斧も、暴食竜の頑丈な鱗の前では、簡単に刃が通らない。ゴリオンが鋼鉄の鎧を身に纏うように、暴食竜もまた、鱗という名の鎧を纏っている。銃弾すら跳ね返す鎧を武器に、暴食竜は突撃を続けようとした。
対するゴリオンは、大斧の鎖を力の限り振り回し続け、同じ攻撃を繰り返し続ける。鱗の鎧に弾かれようと、連続で大斧の刃をぶつけた。
大斧を振るうゴリオンの猛攻は、暴食竜に大きな傷をつけられないが、砲弾を直撃させたに等しい衝撃を与える。如何に暴食竜と言えど、こんな衝撃を連続で受ければ、突撃の足も止まってしまう。動きを止めた暴食竜に、今度はゴリオンが突撃を敢行した。
鉄壁たる鱗を持った敵を倒すには、近接戦闘以外に選択肢はない。至近距離から敵の弱点を狙い、強力な一撃を叩き込む。これだけが、ゴリオンに残された勝利の道だった。
今こそ、新たなる戦いに備えて鍛え続けてきた、己の力を存分に発揮する時。竜を恐れず、己が手で討ち果たさんと突撃するゴリオンに、暴竜は怒り狂って咆哮し、殺意を剥き出しにして威嚇する。
眼前に迫るゴリオンに、暴食竜は巨大な口を大きく開いた。開口と共に、口内から吐き出された大量の体液が、突撃するゴリオンに浴びせられる。暴食竜が繰り出したのは、何もかもを溶かし尽くす、強力な溶解液だった。
真面に浴びれば、人間も魔物も一瞬で皮膚を焼かれ、骨が残らなくなるまで体を溶かされる。暴食竜の溶解液を浴びたら最後、相手はひとたまりもない。
身軽ではないゴリオンでは、この溶解液を躱す事など不可能だった。吐き出された時には既に遅く、ゴリオンの体に溶解液が浴びせかけられてしまう。
戦いを見守っていた両軍の反応は、二つに分かれている。帝国国防軍の兵達は、悲鳴を上げてゴリオンの名を叫び、王国軍の兵やゼロリアス兵達は、巨人の敗北に歓喜した。如何に鉄壁を誇る巨人と言えど、暴食竜の溶解液までは、防ぐ事など不可能であるからだ。
ゴリオンの身に纏う鎧が、溶解液を浴びて溶かされていく。熱した鉄に水を浴びせるかの如く、激しい音と煙を立てて、ゴリオンの身が焼かれようとしている。
だがゴリオンは、その足を止める事も、回避しようともせず、溶解液を浴びながら前進を続けた。溶かされるという危険を顧みず、鎧を焼かれながらも突撃を強行する。死を覚悟した、危険極まりない捨て身の突撃により、一気に敵の間合いへと飛び込めた。
開口する巨大な口に目掛け、ゴリオンの得物たる大斧が、刃で溶解液を斬り裂きながら叩き付けられる。大斧の刃が口内に深い傷を与え、悲鳴を上げた暴食竜が大量の血を吐き出した。
「逃がさないんだな!!」
追撃に出たゴリオンは、溶解液の代わりに血を吐く暴食竜の口内に、叩き付けた大斧の刃を、力の限り奥深くへと押し込んだ。傷口が広がり、鮮血を溢れさせた暴食竜は、苦痛に藻掻き苦しむが、ゴリオンに一切の躊躇はない。
全身に返り血を浴びたゴリオンが、大斧を引き抜き、再び口内へと刃を叩き込む。新たに深い傷を与えると、敵に反撃させまいと、連続で強烈な一撃を与えた。
何度も大斧を叩き付け、更には拳で殴り付け、暴食竜への攻撃の手を緩めない。この連続攻撃は、激痛に暴れ狂う暴食竜が動かなくなるまで、休む事なく続けられた。
間もなくして、多量に血を流した暴食竜の動きが鈍り、地面に倒れ伏す。それでもまだ死なぬ竜に、ゴリオンの攻撃は続く。倒れた暴食竜の右眼に、ゴリオンの拳が振るわれたのだ。
右眼を潰し、今度は左眼も殴って潰す。大斧で舌を叩き落とし、口蓋に刃を突き立て、並んだ牙を叩き折る。攻撃が通る部位全てに刃と拳が振るわれ、遂に暴食竜は最期を迎えるのだった。
完全に沈黙した暴食竜。戦いに勝利したゴリオンの姿は、この戦いの壮絶さを物語っている。
溶解液を浴びた鎧は溶け、その下の皮膚まで焼いている。全身は暴食竜の返り血を浴び、真っ赤に染め上げられてしまっていた。溶解液を受けながらも、力の限り振るわれた彼の象徴とも言える大斧は、刃から欠けてひび割れている。
仲間達が暴食竜をどうやって倒したのか、ゴリオンは聞いた事があった。頑丈な鱗を持つ竜の数少ない弱点。それは、鱗に覆われていない口の中と、見開かれている両眼である。
溶解液を吐く事も知っていた。知っていたからこそ、ゴリオンは相手の弱点を狙うべく、敢えて突撃し、溶解液を浴びた。溶解液を吐いている間、暴食竜の動きは鈍くなり、同時に大きな隙が生まれる。その隙を突くために、彼は勇敢にも向かって行ったのだ。
戦場に沈黙が流れ、満身創痍のゴリオンが肩で息する音のみが響く。暴竜を殺した鉄壁の巨人に、敵は戦意を失いつつあった。
あの暴食竜が、たった一人の人間の手によって、僅かな間で討ち取られた。一体だけでも、小国の軍隊を壊滅させられる程の力を持ちながら、凶悪なる竜は絶命した。敵の目から見たゴリオンは、竜を超えた怪物に映る。
当然の事ながら、ゴリオン自身も無事ではない。幸い鎧のお陰で助かったが、全身に大火傷を負った彼は、直ぐにも手当てが必要な有様だ。
しかし、相討ちであったと言うなら、ゼロリアス兵までもが戦意を失う事はなかっただろう。兵士達がゴリオンを恐れるのは、彼が未だ地面に倒れる事なく、その足で立っているからである。
あんな化け物を一人で殺し、生きていられる者などいるはずもない。語り継がれてきた大陸の戦史上に於いても、魔法も使わず暴竜を一人で殺した人間は、他にいなかった。
奥の手を失い、前線に展開する王国軍の兵は、士気を大きく失った。同じくゼロリアス義勇軍の兵も、竜を超えたゴリオンの化け物じみた強さに、身がすくんでしまっている。
だがゴリオンを討つならば、今が最大の好機でもある。それを分かっていながら足を踏み出せないのは、勝利を手にしたゴリオンの壮絶な姿にあった。
鎧は剥がれ、得物まで失いかけても尚、ゴリオンは戦いを止めようとはしていない。防御壁内へ退こうとせず、やはりその場から動きはしなかった。自分が生きている限り、皆の盾になるべく、戦い続けようとしているのだ。
ぼろぼろになった得物を肩に乗せ、消えぬ闘志が燃える瞳を、ゴリオンは敵軍へと向けていた。敵にも意地と誇りはあるが、戦うための一歩が踏み出せない。敵軍とゴリオン一人が睨み合い、一時膠着してしまった最前線に、やっとあの男が戦場に到着する。
「唸れえええええええええっ!! オレのタイフーン号おおおおおおおおおおおおっ!!!」
爆音轟かせ、無駄に五月蠅い雄叫びを上げながら、二輪車に跨ったその男は駆け付けた。
ゴリオンが背にした防御壁の門が開かれ、帝国国防軍切っての特攻隊長が二輪車で地を駆け、彼の真横に並び立つ。各地の治安維持活動を行なっていたため、この戦いに参戦できていなかった頼もしき仲間が、救援に間に合ったのである。
「来てくれたんだな、ライガ⋯⋯⋯!」
「オレが来たからにはもう安心だぜ!! 反撃開始だああああああああっ!!」
ライガ・イカルガ。ヴァスティナ帝国一の正義の味方が、遅れてブラド攻防戦に参戦した。
開かれた門から、ライガの後に続いて二輪車部隊が前線に展開する。特攻隊長ライガと共に戦う、命知らずの切り込み部隊である。
魔法動力機関による発動機を唸らせ、ライガ率いる五十の騎兵達が、短機関銃片手に突撃へと備える。無論、勇敢な突撃部隊と言えど、これだけの数で戦局を大きく変える事はできない。それでも彼らは、ライガの号令に従って二輪車を走らせた。
「突っ込むぞおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」
誰よりも大声で、誰よりも戦場に雄叫びを轟かせ、愛車に跨ったライガが突撃する。後に続いて部隊全員が一斉に走り出し、敵との戦闘が再び開始された。
ライガが敵兵へと突っ込むと、短機関銃を連射させた部隊員達が続く。万の軍勢に挑む寡兵だが、反撃に出たのは彼らだけではない。開かれた防御壁の門を越え、残存する機甲部隊と動ける兵士達が、雄叫びと共に突撃に出たのだ。
「ゴリオン隊長に守られてばかりではいられん! 前進せよ!!」
「切り込み隊に続けええええっ!! 北の大国なんぞ恐れるに足らず!」
「鉄壁の盾は無敗の盾! 竜殺しのゴリオン隊長こそ、ローミリア大陸最強なのだ!!」
「全滅したって構わん! 死んでも連中を押し返せええええっ!!」
人造魔人を倒し、暴竜まで倒したゴリオンの武と勇気が、兵士達の心に炎を灯した。失いかけた戦意を取り戻し、熱き闘志を燃え滾らせ、敗北も死をも恐れず突き進む。
防衛線力が一転、侵攻軍に対して攻勢に出た事で、戦局に変化が生まれる。驚愕する敵軍に、戦車の砲弾と機銃弾、軽火器で武装した歩兵の一斉射撃が襲い掛かる。無論、王国兵も帝国兵も応戦するが、全滅すら覚悟して向かって来る相手の姿は、彼らの目には狂気に映っていた。
ライガ達の特攻。残存戦力による大反撃。そして、逆転した両軍の士気。
全てが戦局に影響を与え、最前線が動く。まさかの反撃に混乱した敵が、堪らず後退を始めたのである。ただ突き進むだけのライガの特攻が、敵兵の連携を搔き乱し、そこを突く形で機甲部隊の火力が集中された。
損害の拡大を防ぐため、敵軍は兵を下がらせていくが、それこそが帝国国防軍の狙いである。敵が下がれば、その分防衛線を押し上げる事ができる。防御壁から敵軍を少しでも遠ざけ、防衛線を再構築するのが目的なのだ。
「ゴリオン隊長!! 後は我々に任せて下さい!」
「隊長はすぐに傷の手当てを⋯⋯! その怪我で戦うのは無理です!」
一人戦ったゴリオンを救うため、防御壁を守っていた鋼鉄戦闘団の兵の一部が、前線から彼を下がらせようと駆け付ける。しかしゴリオンは、自身を救おうと現れた彼らに微笑みかけ、得物を握り締めるばかりだった。
「まだ、オラは戦うだよ⋯⋯⋯。みんなが戦ってるのに、帰るわけにはいかないんだな」
「たっ、隊長⋯⋯⋯!」
「ここは誰も通さないんだな。ブラドは、絶対にオラが守ってみせるだよ」
満身創痍のはずのゴリオンが、一歩足を踏み出した。動く事すら苦痛であるはずなのに、壊れかけた大斧を握り、前へ前へと進んでいく。
ゴリオンは皆に勇気を示した。その勇気が皆を動かし、こうして反撃に打って出ている。この光景がゴリオンに、戦い続ける力を与えていた。
ここは、何があっても死守する。大切な仲間達が、必ず来てくれると信じて、ゴリオンはまた大斧を振り上げるのだった。
「リックが来てくれるまで、オラは負けないんだな!!」
傷だらけの巨人は、共に戦う勇敢な兵士達と共に、大軍たる敵に刃を振るう。何処までも倒れぬ鉄壁の巨人を前に、敵軍の士気は挫かれ、一層の混乱と恐怖を生み出すのだった。
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