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第五十九話 北へ
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第五十九話 北へ
ブラド公国は、次なる戦いを控えたヴァスティナ帝国にとって、戦略的な要所として扱われている。
以前までのこの国は、ジエーデル国の支配者バルザック・ギム・ハインツベントの手中にあった。ジエーデル国に対して各国が宣戦を布告した際、ブラド公国はジエーデル軍の生命線となり、この国を奪取せんと侵攻したヴァスティナ帝国国防軍と、激しい戦闘を繰り広げたのである。
戦いは帝国国防軍の勝利に終わり、ブラドはヴァスティナ帝国の手に落ちた。以来この国は帝国の勢力下として、北方からの脅威に備えている。
ブラド公国の北方には、北からの侵攻に備えた防衛線が構築され、帝国と公国の軍隊が配置されている。仮に北からの侵攻軍が現れても、容易く突破されないよう、防衛線には戦車や装甲車も配備され、常にそれらの砲口や銃口が防御を固めていた。
侵攻を企てようとする者が賢ければ、誰もここへ侵攻しようなどとは考えないと、多くの者達がそう思った。帝国国防軍が誇る兵器の恐ろしさを知るなら、集中砲火を受けるこの地に、兵を突撃させようとは考えないからだ。
しかしある日の早朝、万全の構えで構築されていたはずの防衛線に、突如として敵が襲撃を仕掛けた。奇襲には驚いたものの、帝国国防軍とブラド公国軍は敵を迎え撃った。
想定通りだったのは、侵攻してきた敵は北方の大国であった事だ。想定外だったのは、敵の先陣が魔物の大群だった事である。
地を駆ける魔物の群れが、砲火を恐れず我先にと防衛陣地に飛び込んで、兵士達へと襲い掛かった。ゴブリンやオークなどの魔物を始め、狼や猪に虫の類の魔物種など、名を上げて言ったら切りがない程の群れである。
人間と違い、魔物は恐怖を感じる事がない。龍種でも現れれば別だが、人間の操る武器を恐れる感覚を、多くの魔物は持ち合わせていなかった。強引に突破をしようとする魔物の大群と戦い、防衛線は大きな損害を被った。
この魔物の群れは、ホーリスローネ王国軍が投入した、闇属性魔法を操る魔法兵部隊が召喚したものだ。本国防衛の切り札と呼ばれている部隊で、ジエーデル国との戦争時でさえ、前線に投入される事のなかった貴重な戦力である。
召喚された大量の魔物が、防衛線に綻びを生み出した。その綻びを突く形で、ホーリスローネ王国軍の第二陣が攻撃を開始した。歩兵と騎兵が勢いに任せて雪崩れ込み、抵抗する防衛戦力との激戦を繰り広げたのである。
帝国国防軍とブラド公国軍の奮闘も虚しく、防衛線は完全に崩壊し、残存戦力はブラド本土まで撤退。本土決戦の構えを取り、ブラドを死守するべく抵抗を行なっている。
援軍を待ち続ける守備隊の残存戦力は約七千。対する王国軍は、各国の力を借りて三万の軍勢を投入した。ブラド本土を守る防御壁では、押し寄せる万の軍勢を相手に、現在も戦闘が継続している。
前線で戦う守備隊の士気は、時間が経つにつれて低下していった。不利な戦況だからという理由もあるが、最大の原因は、ヴァスティナ帝国内で発生した反乱にあった。
特に、「参謀長エミリオ・メンフィスの戦死及び、将軍リクトビア・フローレンスの生死不明」が、兵士達に大きな動揺を与えているのだった。
ブラド公国は強固な防御壁によって、本土への敵侵攻を防いでいる。
北方からブラドへ侵攻するルートは、たった一つだけ。そのルート上には、侵攻を阻止するための防御壁が待ち構え、現在守備隊と王国軍が戦闘を繰り広げている。
ブラドの北方方面は山々に囲まれ、天然の要害となっている。防衛線を越えた先は、唯一の防御壁を攻め落とす以外に、侵攻可能なルートは存在しない。
守備隊が防衛線を構築した理由は、最初から防御壁に籠る形では、帝国国防軍の機甲部隊を展開できないからだ。機甲部隊の火力を最大限発揮し、防御壁手前で敵侵攻を阻止する事が、帝国国防軍の防衛計画だった。
対して王国軍側は、別方面への迂回などは考えず、防御壁まで守備隊を追い詰め、一気に攻め落とすべく全力攻撃を続けている。王国軍は持久戦ではなく、短期決着を望んでいるのは明らかだった。
戦闘中の防御壁の内側では、防衛に参加する各部隊の兵士が、命懸けで敵の突破を防ぎ続けている。砲兵が榴弾砲で支援し、武器弾薬を抱えた兵士達が、防御壁で戦う味方のもとへ急ぐ。戦っている者達以外には、大勢の負傷兵が、後方へ下がれないまま動けずいる。戦死した者達の遺体も運ばれる事なく、その場に放置されている有様だった。
怒号や悲鳴、矢継ぎ早の指示や、断末魔の叫びが飛び交う戦場で、兵士達は希望を失いかけていた。敵味方双方に広がっている、帝国内での反乱とリクトビア生死不明の報は、防衛側の彼らから戦う気力を奪っている。
「ちっ、血が⋯⋯、血が止まらねぇ⋯⋯⋯」
「傷口をしっかり押さえてろ! 誰か手を来てくれ! 誰か⋯⋯⋯!」
傷口から血を溢れさせる仲間へ、必死に手当てを試みるも、この場でできる事には限りがある。今すぐ適切な処置を施せなければ、まず助からない重傷だ。
酷い怪我を負ったこの兵士は、助けようとする彼にとって、家族でもなければ友人でもない。同じ軍隊で戦っている味方というだけだ。しかし、共に戦っている仲間であり、戦友であるからこそ、見捨ててはおけない。
「死にたくねぇよ⋯⋯⋯。母さん⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯くそっ!! こんなところで死ぬんじゃねぇよ!」
虚ろな瞳から光を失い、息絶えた戦友の死に逝く様が、瞳に焼き付いてしまう。そしてまた一人戦場で兵士が死ぬも、戦場全体で見れば、彼一人の死に悲しんでなどいられない。
大勢の仲間が傷つき、死への誘いに恐怖しながら死んでいく。最終防衛線での攻防になるまでにも、多くの兵が戦場で命を散らせた。まだあの戦場には、回収も埋葬もされなかった遺体が置き去りにされている。
「畜生が! 王国の奴らが来なけりゃ、死なずに済んだんだ⋯⋯⋯!」
ブラド攻略を急ぐホーリスローネ王国軍は、短期決着のためならば、どんな攻撃も試す構えである。緒戦の魔物の群れを始め、攻防戦には投石機や大砲、弩兵や魔法兵に至るまで全力投入されている。
問題なのは、敵が王国軍のみならず、王国に協力する各国軍と、ゼロリアス帝国からの義勇軍で構成されている事だ。これらが集まって三万の軍勢となり、守備隊を激しく攻め立てている。厄介なのは、ゼロリアス帝国から派遣された義勇軍が運用する、人造魔人部隊であった。
魔人とは、かつてローミリア大陸にいたと語られている、伝説上の存在である。人間と魔物の中間に位置する生物と言われており、エルフやケンタウロスなどと名付けられた魔人達が、この世にいたという。
人造魔人とは、ゼロリアス帝国が非公式に研究を進めている、人工的に生み出した魔人を差している。ゼロリアス帝国の義勇軍が投入したのは、ボーゼアスの乱にも試験的に使われていたエルフに、新たに現れたハーピィとケンタウロスだった。
ハーピィは、手足が鳥の羽になっている女獣人。ケンタウロスは、下半身が馬の姿となった男の獣人である。
その内ケンタウロスに関しては、得意の速度と突破力を防御壁で阻んでいるお陰で、今のところ大きな脅威となってはいない。だがハーピィとエルフは、現状でも大きな脅威として守備隊を襲っている。
ハーピィは自在に空を飛べるため、敵にとっては貴重にして強力な航空戦力だ。ハーピィは四体だけだが、高く築かれた防御壁を軽々飛び越え、真上から襲来するとあっては、銃器を使おうと対処は困難である。
たった今、出血多量で死んだ兵士も、ハーピィに襲われた一人だった。鋭い鉤爪を持つハーピィは、獲物を襲う鷹のように迫り、その爪で易々と肉を抉るのだ。
防御壁の上で戦う兵士達を、四体のハーピィが翻弄してまわる。そこに、防御壁外で弓を構えるエルフ四人が、指揮者などの兵を矢で狙撃していく。射程距離の長い特別製の弓が、エルフの手で正確無比な狙撃銃と代わり、徐々に被害を広げていった。
「これじゃ⋯⋯⋯、みんなやられちまう⋯⋯⋯」
敵兵力は防衛側の三倍以上。これは一般的な兵法において、攻撃側が防御側を破るに必要な戦力数である。機甲部隊の損害は大きく、兵の士気は低下するばかりだ。幸い食糧備蓄は十分であり、持久戦になろうと戦闘は継続できるが、敵の猛攻を防げなければ意味はない。
もう駄目だと、彼のように悲観する兵士は後を絶たない。北方の二大大国が本気で攻めてきたという事実が、彼らを殲滅せんと牙を剥いたのだ。ローミリア大陸で生きる人間ならば、絶望するのも仕方はないだろう。
だがそれ以上に彼らから戦意を奪うのは、帝国国防軍内で起きた反乱の報である。何より、参謀長エミリオの戦死と将軍リクトビアの生死不明は、兵士達から英雄という名の希望を奪う。
常勝不敗の天才軍師と、奇跡を起こし続けた救国の英雄の喪失。あの二人を失ってしまったら、彼らは敵に勝利する事もできず、戦う意味すら見失ってしまう。二人の存在は、兵士達にとってそれ程大きなものであり、帝国国防軍そのものと言っても過言ではない。
しかし、エミリオとリクトビアを失ったとしても、彼らは戦わなくてはならなかった。自分達の祖国、ヴァスティナ帝国と女王のために戦い、愛する者達を命懸けで守る。それこそ、彼ら兵士の忠誠と戦う理由だ。
彼らが兵士の務めを放棄すれば、敵が向ける矛先は、ヴァスティナへと向くだろう。守りたいと願う者達を守りたくば、彼らに後退は許されない。それが、国と女王に忠誠を捧げる、彼ら兵士の務めであり運命だ。
二人の喪失は、この兵士達の意志が揺らぐ程の衝撃である。常に高い士気と、忠実さと、精強さを見せ続けた帝国国防軍の兵士達が、ここまで動揺し、戦いの放棄を考えてしまう。緒戦に防衛線が崩壊したのも、この動揺によるところが大きい。
「将軍、参謀長⋯⋯⋯。俺達はどうすりゃいいっていうんですか!?」
まだ負けたわけではない。それなのに、戦う気力が湧いてこない。手足に力が入らず、武器を取って戦いに向かえない。命懸けで戦う仲間達がいるのに、彼を始めとした多くの兵が、戦いに絶望している。
ここにはいない、二人の英雄に向けて叫ぶ彼の声は、戦場の騒音に混じって掻き消される。その時、叫び声を上げて項垂れた彼に、大きな影が覆い被さった。
瞬間彼は、自分を殺すべく、ハーピィが襲い掛かってきたのかと錯覚する。違うと分かって顔を上げた彼が目にしたのは、全身鋼鉄の鎧を身に纏う、巨大な男の姿だった。
「大丈夫なんだな。みんな、オラが守ってみせるだよ」
「ゴリオン隊長⋯⋯⋯!」
鉄壁の巨人として敵からは恐れられ、味方からは鉄壁の盾と呼ばれ敬愛されている、心優しき戦士。ヴァスティナ帝国国防軍、鋼鉄戦闘団隊長ゴリオンが、絶望する彼を見下ろして、優しい瞳を向けていた。
苛酷な戦いの中、彼のような鉄壁の戦士でさえ、その身が傷だらけとなってしまっている。全身に纏った鎧につく無数の損傷が、戦いの激しさを物語る。鎧に守られているはずの肉体にも、多くの傷や打撲痕が隠れている。
これらの傷は全て、ゴリオンが皆の盾となり続けた結果だった。防御壁外から撤退する際も、殿として戦い、最後まで一人でも多くの兵を生かそうとしたのは、ゴリオンと彼の隊だ。敵が未だ防御壁を突破できないのも、ゴリオン指揮のもと、鋼鉄戦闘団が奮闘している事が大きい。
大勢の兵士が戦意を失っていく中でも、どんなに傷付こうと、犠牲を払おうと、鋼鉄戦闘団の兵は高い士気を維持し続けている。それは彼らが、隊長たるゴリオンと共に、最後まで戦いと強く願うが故だ。
ゴリオンは、例え敵が何者であろうと、どれだけの数で押し寄せようと、決して仲間を見捨てない。仲間を守るためならば、自分の命すら犠牲にしようとする。愛する者と結ばれ、人生最高の幸福の中にいようと、その戦いぶりは変わらなかった。
ゴリオンが誰よりも体を張っているのに、自分達が彼に続かないわけにはいかない。自分達もまた彼に守られ、今日まで生き抜いてこられた。生かされた恩を返すためにも、絶望している暇など彼らにはない。
「もう十分戦ってくれただよ。あとはオラに任せるんだな」
「しっ、しかしそれでは隊長が⋯⋯⋯!」
得物たる鎖付きの大斧を担ぎ、傷だらけでも平気な顔をするゴリオンが、何をしようとしているのか。そんなものは、説明されるまでもなく分かってしまう。
止めようとしても、彼は絶対に考えを変えないだろう。死地へ赴こうとするゴリオンに、上空にいたハーピィの一体が勘付いて、その足を止めるべく襲い掛かる。
ハーピィの鋭利な鉤爪が、ゴリオンをの身を斬り裂こうとするも、その爪は彼の剛腕によって防がれた。腕の鎧が爪を通さず、防御したゴリオンがお返しとばかりに、大斧をもう片方の腕で振り上げ、一気に振り下ろす。
攻撃を防がれたハーピィが動揺した隙を突き、空を切る轟音と共に刃が振られた。大斧はハーピィに直撃し、地面に向かい振り下ろされて叩き潰す。一撃でハーピィを粉砕したゴリオンは、再び大斧を担ぐと、防御壁の門前へと歩を進める。
一部始終を見ていた兵士は、ゴリオンの背を黙って見送る事しかできずにいた。だが彼は、失いつつあった希望の灯が、再び燃え上がろうとしているのを感じる。
鉄壁の盾、ゴリオン・シャオ。帝国最強の盾が、たった一人で敵軍に打って出る。
ブラド公国は、次なる戦いを控えたヴァスティナ帝国にとって、戦略的な要所として扱われている。
以前までのこの国は、ジエーデル国の支配者バルザック・ギム・ハインツベントの手中にあった。ジエーデル国に対して各国が宣戦を布告した際、ブラド公国はジエーデル軍の生命線となり、この国を奪取せんと侵攻したヴァスティナ帝国国防軍と、激しい戦闘を繰り広げたのである。
戦いは帝国国防軍の勝利に終わり、ブラドはヴァスティナ帝国の手に落ちた。以来この国は帝国の勢力下として、北方からの脅威に備えている。
ブラド公国の北方には、北からの侵攻に備えた防衛線が構築され、帝国と公国の軍隊が配置されている。仮に北からの侵攻軍が現れても、容易く突破されないよう、防衛線には戦車や装甲車も配備され、常にそれらの砲口や銃口が防御を固めていた。
侵攻を企てようとする者が賢ければ、誰もここへ侵攻しようなどとは考えないと、多くの者達がそう思った。帝国国防軍が誇る兵器の恐ろしさを知るなら、集中砲火を受けるこの地に、兵を突撃させようとは考えないからだ。
しかしある日の早朝、万全の構えで構築されていたはずの防衛線に、突如として敵が襲撃を仕掛けた。奇襲には驚いたものの、帝国国防軍とブラド公国軍は敵を迎え撃った。
想定通りだったのは、侵攻してきた敵は北方の大国であった事だ。想定外だったのは、敵の先陣が魔物の大群だった事である。
地を駆ける魔物の群れが、砲火を恐れず我先にと防衛陣地に飛び込んで、兵士達へと襲い掛かった。ゴブリンやオークなどの魔物を始め、狼や猪に虫の類の魔物種など、名を上げて言ったら切りがない程の群れである。
人間と違い、魔物は恐怖を感じる事がない。龍種でも現れれば別だが、人間の操る武器を恐れる感覚を、多くの魔物は持ち合わせていなかった。強引に突破をしようとする魔物の大群と戦い、防衛線は大きな損害を被った。
この魔物の群れは、ホーリスローネ王国軍が投入した、闇属性魔法を操る魔法兵部隊が召喚したものだ。本国防衛の切り札と呼ばれている部隊で、ジエーデル国との戦争時でさえ、前線に投入される事のなかった貴重な戦力である。
召喚された大量の魔物が、防衛線に綻びを生み出した。その綻びを突く形で、ホーリスローネ王国軍の第二陣が攻撃を開始した。歩兵と騎兵が勢いに任せて雪崩れ込み、抵抗する防衛戦力との激戦を繰り広げたのである。
帝国国防軍とブラド公国軍の奮闘も虚しく、防衛線は完全に崩壊し、残存戦力はブラド本土まで撤退。本土決戦の構えを取り、ブラドを死守するべく抵抗を行なっている。
援軍を待ち続ける守備隊の残存戦力は約七千。対する王国軍は、各国の力を借りて三万の軍勢を投入した。ブラド本土を守る防御壁では、押し寄せる万の軍勢を相手に、現在も戦闘が継続している。
前線で戦う守備隊の士気は、時間が経つにつれて低下していった。不利な戦況だからという理由もあるが、最大の原因は、ヴァスティナ帝国内で発生した反乱にあった。
特に、「参謀長エミリオ・メンフィスの戦死及び、将軍リクトビア・フローレンスの生死不明」が、兵士達に大きな動揺を与えているのだった。
ブラド公国は強固な防御壁によって、本土への敵侵攻を防いでいる。
北方からブラドへ侵攻するルートは、たった一つだけ。そのルート上には、侵攻を阻止するための防御壁が待ち構え、現在守備隊と王国軍が戦闘を繰り広げている。
ブラドの北方方面は山々に囲まれ、天然の要害となっている。防衛線を越えた先は、唯一の防御壁を攻め落とす以外に、侵攻可能なルートは存在しない。
守備隊が防衛線を構築した理由は、最初から防御壁に籠る形では、帝国国防軍の機甲部隊を展開できないからだ。機甲部隊の火力を最大限発揮し、防御壁手前で敵侵攻を阻止する事が、帝国国防軍の防衛計画だった。
対して王国軍側は、別方面への迂回などは考えず、防御壁まで守備隊を追い詰め、一気に攻め落とすべく全力攻撃を続けている。王国軍は持久戦ではなく、短期決着を望んでいるのは明らかだった。
戦闘中の防御壁の内側では、防衛に参加する各部隊の兵士が、命懸けで敵の突破を防ぎ続けている。砲兵が榴弾砲で支援し、武器弾薬を抱えた兵士達が、防御壁で戦う味方のもとへ急ぐ。戦っている者達以外には、大勢の負傷兵が、後方へ下がれないまま動けずいる。戦死した者達の遺体も運ばれる事なく、その場に放置されている有様だった。
怒号や悲鳴、矢継ぎ早の指示や、断末魔の叫びが飛び交う戦場で、兵士達は希望を失いかけていた。敵味方双方に広がっている、帝国内での反乱とリクトビア生死不明の報は、防衛側の彼らから戦う気力を奪っている。
「ちっ、血が⋯⋯、血が止まらねぇ⋯⋯⋯」
「傷口をしっかり押さえてろ! 誰か手を来てくれ! 誰か⋯⋯⋯!」
傷口から血を溢れさせる仲間へ、必死に手当てを試みるも、この場でできる事には限りがある。今すぐ適切な処置を施せなければ、まず助からない重傷だ。
酷い怪我を負ったこの兵士は、助けようとする彼にとって、家族でもなければ友人でもない。同じ軍隊で戦っている味方というだけだ。しかし、共に戦っている仲間であり、戦友であるからこそ、見捨ててはおけない。
「死にたくねぇよ⋯⋯⋯。母さん⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯くそっ!! こんなところで死ぬんじゃねぇよ!」
虚ろな瞳から光を失い、息絶えた戦友の死に逝く様が、瞳に焼き付いてしまう。そしてまた一人戦場で兵士が死ぬも、戦場全体で見れば、彼一人の死に悲しんでなどいられない。
大勢の仲間が傷つき、死への誘いに恐怖しながら死んでいく。最終防衛線での攻防になるまでにも、多くの兵が戦場で命を散らせた。まだあの戦場には、回収も埋葬もされなかった遺体が置き去りにされている。
「畜生が! 王国の奴らが来なけりゃ、死なずに済んだんだ⋯⋯⋯!」
ブラド攻略を急ぐホーリスローネ王国軍は、短期決着のためならば、どんな攻撃も試す構えである。緒戦の魔物の群れを始め、攻防戦には投石機や大砲、弩兵や魔法兵に至るまで全力投入されている。
問題なのは、敵が王国軍のみならず、王国に協力する各国軍と、ゼロリアス帝国からの義勇軍で構成されている事だ。これらが集まって三万の軍勢となり、守備隊を激しく攻め立てている。厄介なのは、ゼロリアス帝国から派遣された義勇軍が運用する、人造魔人部隊であった。
魔人とは、かつてローミリア大陸にいたと語られている、伝説上の存在である。人間と魔物の中間に位置する生物と言われており、エルフやケンタウロスなどと名付けられた魔人達が、この世にいたという。
人造魔人とは、ゼロリアス帝国が非公式に研究を進めている、人工的に生み出した魔人を差している。ゼロリアス帝国の義勇軍が投入したのは、ボーゼアスの乱にも試験的に使われていたエルフに、新たに現れたハーピィとケンタウロスだった。
ハーピィは、手足が鳥の羽になっている女獣人。ケンタウロスは、下半身が馬の姿となった男の獣人である。
その内ケンタウロスに関しては、得意の速度と突破力を防御壁で阻んでいるお陰で、今のところ大きな脅威となってはいない。だがハーピィとエルフは、現状でも大きな脅威として守備隊を襲っている。
ハーピィは自在に空を飛べるため、敵にとっては貴重にして強力な航空戦力だ。ハーピィは四体だけだが、高く築かれた防御壁を軽々飛び越え、真上から襲来するとあっては、銃器を使おうと対処は困難である。
たった今、出血多量で死んだ兵士も、ハーピィに襲われた一人だった。鋭い鉤爪を持つハーピィは、獲物を襲う鷹のように迫り、その爪で易々と肉を抉るのだ。
防御壁の上で戦う兵士達を、四体のハーピィが翻弄してまわる。そこに、防御壁外で弓を構えるエルフ四人が、指揮者などの兵を矢で狙撃していく。射程距離の長い特別製の弓が、エルフの手で正確無比な狙撃銃と代わり、徐々に被害を広げていった。
「これじゃ⋯⋯⋯、みんなやられちまう⋯⋯⋯」
敵兵力は防衛側の三倍以上。これは一般的な兵法において、攻撃側が防御側を破るに必要な戦力数である。機甲部隊の損害は大きく、兵の士気は低下するばかりだ。幸い食糧備蓄は十分であり、持久戦になろうと戦闘は継続できるが、敵の猛攻を防げなければ意味はない。
もう駄目だと、彼のように悲観する兵士は後を絶たない。北方の二大大国が本気で攻めてきたという事実が、彼らを殲滅せんと牙を剥いたのだ。ローミリア大陸で生きる人間ならば、絶望するのも仕方はないだろう。
だがそれ以上に彼らから戦意を奪うのは、帝国国防軍内で起きた反乱の報である。何より、参謀長エミリオの戦死と将軍リクトビアの生死不明は、兵士達から英雄という名の希望を奪う。
常勝不敗の天才軍師と、奇跡を起こし続けた救国の英雄の喪失。あの二人を失ってしまったら、彼らは敵に勝利する事もできず、戦う意味すら見失ってしまう。二人の存在は、兵士達にとってそれ程大きなものであり、帝国国防軍そのものと言っても過言ではない。
しかし、エミリオとリクトビアを失ったとしても、彼らは戦わなくてはならなかった。自分達の祖国、ヴァスティナ帝国と女王のために戦い、愛する者達を命懸けで守る。それこそ、彼ら兵士の忠誠と戦う理由だ。
彼らが兵士の務めを放棄すれば、敵が向ける矛先は、ヴァスティナへと向くだろう。守りたいと願う者達を守りたくば、彼らに後退は許されない。それが、国と女王に忠誠を捧げる、彼ら兵士の務めであり運命だ。
二人の喪失は、この兵士達の意志が揺らぐ程の衝撃である。常に高い士気と、忠実さと、精強さを見せ続けた帝国国防軍の兵士達が、ここまで動揺し、戦いの放棄を考えてしまう。緒戦に防衛線が崩壊したのも、この動揺によるところが大きい。
「将軍、参謀長⋯⋯⋯。俺達はどうすりゃいいっていうんですか!?」
まだ負けたわけではない。それなのに、戦う気力が湧いてこない。手足に力が入らず、武器を取って戦いに向かえない。命懸けで戦う仲間達がいるのに、彼を始めとした多くの兵が、戦いに絶望している。
ここにはいない、二人の英雄に向けて叫ぶ彼の声は、戦場の騒音に混じって掻き消される。その時、叫び声を上げて項垂れた彼に、大きな影が覆い被さった。
瞬間彼は、自分を殺すべく、ハーピィが襲い掛かってきたのかと錯覚する。違うと分かって顔を上げた彼が目にしたのは、全身鋼鉄の鎧を身に纏う、巨大な男の姿だった。
「大丈夫なんだな。みんな、オラが守ってみせるだよ」
「ゴリオン隊長⋯⋯⋯!」
鉄壁の巨人として敵からは恐れられ、味方からは鉄壁の盾と呼ばれ敬愛されている、心優しき戦士。ヴァスティナ帝国国防軍、鋼鉄戦闘団隊長ゴリオンが、絶望する彼を見下ろして、優しい瞳を向けていた。
苛酷な戦いの中、彼のような鉄壁の戦士でさえ、その身が傷だらけとなってしまっている。全身に纏った鎧につく無数の損傷が、戦いの激しさを物語る。鎧に守られているはずの肉体にも、多くの傷や打撲痕が隠れている。
これらの傷は全て、ゴリオンが皆の盾となり続けた結果だった。防御壁外から撤退する際も、殿として戦い、最後まで一人でも多くの兵を生かそうとしたのは、ゴリオンと彼の隊だ。敵が未だ防御壁を突破できないのも、ゴリオン指揮のもと、鋼鉄戦闘団が奮闘している事が大きい。
大勢の兵士が戦意を失っていく中でも、どんなに傷付こうと、犠牲を払おうと、鋼鉄戦闘団の兵は高い士気を維持し続けている。それは彼らが、隊長たるゴリオンと共に、最後まで戦いと強く願うが故だ。
ゴリオンは、例え敵が何者であろうと、どれだけの数で押し寄せようと、決して仲間を見捨てない。仲間を守るためならば、自分の命すら犠牲にしようとする。愛する者と結ばれ、人生最高の幸福の中にいようと、その戦いぶりは変わらなかった。
ゴリオンが誰よりも体を張っているのに、自分達が彼に続かないわけにはいかない。自分達もまた彼に守られ、今日まで生き抜いてこられた。生かされた恩を返すためにも、絶望している暇など彼らにはない。
「もう十分戦ってくれただよ。あとはオラに任せるんだな」
「しっ、しかしそれでは隊長が⋯⋯⋯!」
得物たる鎖付きの大斧を担ぎ、傷だらけでも平気な顔をするゴリオンが、何をしようとしているのか。そんなものは、説明されるまでもなく分かってしまう。
止めようとしても、彼は絶対に考えを変えないだろう。死地へ赴こうとするゴリオンに、上空にいたハーピィの一体が勘付いて、その足を止めるべく襲い掛かる。
ハーピィの鋭利な鉤爪が、ゴリオンをの身を斬り裂こうとするも、その爪は彼の剛腕によって防がれた。腕の鎧が爪を通さず、防御したゴリオンがお返しとばかりに、大斧をもう片方の腕で振り上げ、一気に振り下ろす。
攻撃を防がれたハーピィが動揺した隙を突き、空を切る轟音と共に刃が振られた。大斧はハーピィに直撃し、地面に向かい振り下ろされて叩き潰す。一撃でハーピィを粉砕したゴリオンは、再び大斧を担ぐと、防御壁の門前へと歩を進める。
一部始終を見ていた兵士は、ゴリオンの背を黙って見送る事しかできずにいた。だが彼は、失いつつあった希望の灯が、再び燃え上がろうとしているのを感じる。
鉄壁の盾、ゴリオン・シャオ。帝国最強の盾が、たった一人で敵軍に打って出る。
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っていうか、ここどこ?!
※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました
※他サイトにも掲載中
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全寮制の高等教育機関で行われている卒業式で、ある令嬢が糾弾されていた。そこに令嬢の父親が割り込んできて・・・。乙女ゲームの強制力に抗う令嬢の父親(前世、彼女いない歴=年齢のフリーター)と従者(身内には優しい鬼畜)と異母兄(当て馬/噛ませ犬な攻略対象)。2016.09.08 07:00に完結します。
小説家になろうでも公開している短編集です。
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※2019年10月、完結しました。
※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。
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