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第五十八話 そして君が私を撃つ
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両軍の雌雄を決するための戦いは、僅か半日の内に決着した。
戦いの主導権を握り続けていた反乱軍は、援軍として駆け付けた第一戦闘団の戦力と、第四戦闘団や飛行大隊の猛烈な攻撃を受け、瞬く間に敗走していった。帝国国防軍が誇る火力の前には、万を超える兵力も脅威にはならなかった。
雨の様に降り注ぐ爆撃が兵士を吹き飛ばし、装甲車両が備え付けの機銃を速射しつつ、何もかもを踏み潰さんと前進する。歩兵や騎兵では太刀打ちできず、弓兵は機銃に倒れ、砲撃に魔法兵は吹き飛ばされた。
ジエーデル製の小型榴弾砲が一部残っていたが、歩兵相手なら兎も角、戦車相手にはどうする事もできず、残っていた方も全て破壊された。展開した銃火器武装の歩兵部隊が、統率を失い逃げ惑う反乱軍の兵の掃討を始め、勝敗を決定付けていく。
前線で指揮を行なっていた、ザンバ・バッテンリングが早々に戦死したため、指揮系統を失った前線部隊の崩壊は早かった。参謀たるミュセイラも行方が分からなくなり、トロスクス侵攻に参加した主力は大混乱に陥った挙句、組織的な反撃も後退もできなかった。
反乱軍主力の末路は呆気ないもので、混乱を収拾する事はできず、大半の兵が我先にと逃亡するか、帝国国防軍の前に降伏した。逃亡した兵は追撃を受け、足の速い軽車輌に追いつかれ、銃火器で撃ち倒された。反乱に加担した者は、決して許さないという見せしめのためである。
こうして、トロスクスの街を舞台とした決戦は、リックの勝利に終わろうとしていたが、彼の本当の戦いはまだ終わってはいない。
第一戦闘団の部隊を率い、大型二輪車を走らせ急ぐ彼の眼前には、空爆に晒された反乱軍後方陣地が広がっていた。
闇の中に落ちる意識の中で、誰かが自分の名を呼ぶ声が聞こえる。何度も何度も、必死に名を呼び続けるその声で意識を取り戻し、エミリオは重くなった瞼をゆっくりと開いていく。
「エミリオ! お願いだから、目を開けてくれ⋯⋯⋯!」
「リック⋯⋯⋯。待っていたよ⋯⋯⋯」
「!」
瞼を開くエミリオの瞳に映ったのは、彼が待ち焦がれていた相手だった。気が付けばエミリオは、リックの腕の中に抱かれ、悲痛に満ちた顔で見つめられていたのである。
「そんな顔をしないでくれ」と、心配させないために起き上がろうとするも、上手く力が入らない。自身の胸から流れ出る温かな血が、傷口を押さえる自分の手の間から溢れ、止まる事のない血だまりを作っていた。
もう片方の手には、応戦するために使った護身用の拳銃が握られている。彼のすぐ傍には、弾丸を撃ち込まれて致命傷を負い、刃に血の付いた剣を握ったまま息絶える、顔を怒りで歪めたオスカーの死体が倒れていた。
一発は外し、二発は胸を撃ち抜いている。運良くそれが致命傷となってオスカーは死んだが、銃撃を受けながらもエミリオに斬りかかり、彼に深手を負わせていた。
「どうだい、リック⋯⋯⋯。初めて人を撃ったけれど、意外と上手いものだろう⋯⋯⋯?」
「馬鹿!! こんなに酷くやられたくせに、どこが上手いってんだ!」
「手厳しいね⋯⋯。確かにこの負傷だと、助かりそうにない⋯⋯⋯」
腕の中で彼を抱くリックも、重傷を負っているエミリオ自身も、手の施しようがない事は分かっている。
血を流し過ぎている。出血も止まらない。致命傷を受けてまだ生きているのが、奇跡に近い。ミュセイラの回復魔法でも手遅れだ。彼の命の灯は、消える寸前なのである。
「さあリック⋯⋯、仕上げをお願いするよ⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯!」
「帝国に反逆した者の末路を、君の手で知らしめるんだ⋯⋯⋯」
上手く力が入らない片腕を、握る拳銃と一緒に何とか持ち上げる。その銃口はリックへと向けられるが、エミリオに引き金を引く意思はない。銃を持つ手をリックが握ると、エミリオは微笑を浮かべて口を開いた。
「そして君が私を撃つ⋯⋯⋯。これが反乱の幕引きだ」
「ふざけんなっ!! 俺がお前を撃てるわけないだろ!」
エミリオから拳銃を奪い取ったリックは、暴発の危険も忘れて銃を投げ捨てる。悲しみと怒りで顔を歪ませたリックを見上げ、エミリオは微笑みを見せるばかりだった。
「⋯⋯⋯そう言うと思っていたよ」
「最初から、全部わかってた⋯⋯。お前が裏切ったって聞かされた時、きっと俺のためにしてくれたんだって⋯⋯。最後は死ぬつもりだって、わかっていたから俺は⋯⋯⋯!」
記憶を取り戻したばかりのリックが、レイナの口からエミリオの裏切りを聞かされた日。その時点でリックは、エミリオの真意を悟っていた。
彼の真意に気付いたのはリックだけではない。リリカを始め、レイナやクリス、ヴィヴィアンヌやシャランドラも、エミリオがリックのために裏切りの汚名を被り、自らを犠牲にしようとしていると悟っていた。
野心を抱いて裏切ったならば、今までだってその機会はいくらでもあった。何より、アーレンツの戦いで囚われたリックを救うため、全力を尽くして戦った男が、裏切りなどするはずもない。
だからこそ、彼らはエミリオと戦わなければならなかった。帝国を救うために策を弄した彼に応え、自らを犠牲にしようとする彼を止めるためには、他に選択肢はなかったのだ。
「どうしてだよ⋯⋯⋯! お前がこんなことしなくたって、他に手はいくらでもあったはずだ!」
「リック、聞いて欲しい⋯⋯⋯。君の記憶が失われたことを広めたのは、グラーフ教会だ⋯⋯⋯」
「!?」
「教会は君を潰すために、反ヴァスティナ派だけでなく、北の二大国をも動かした⋯⋯⋯。急がなければ手遅れになる⋯⋯⋯」
「手遅れって⋯⋯、そんなこと―――」
「これが私の、最後の役目だ。私がいなくとも⋯⋯⋯、代わりに頼もしい支えはいる。それにね⋯⋯⋯」
意識が遠くなり始め、瞳を虚ろにさせたエミリオの胸中にあったのは、ユリーシアの命を奪った者達を粛清した夜の想い。リックを二度と悲しませないと誓い、己の罪を胸に刻んだ彼は、この時をずっと待っていた。
アングハルトの死によって、再びリックは悲劇に苛まれてしまった。エミリオの誓いはリックを守れなかったが、ユリーシアを守れなかった罪だけは、これでようやく償える。
「⋯⋯⋯私の誤った判断が、ユリーシア陛下を死なせてしまった。いつの日にか必ず、この罪は自分の命で償うと決めていたんだ」
リックの心に蘇る、ユリーシアを失った時の絶望と悲しみ。彼女を殺した者達へと向けた怒りと憎しみは、生涯忘れられないだろう。
もっと早く、ユリーシアの命を狙っていた者達を殺していればと、何度後悔したか分からない。早々に殺してしまわなかったのは、軍師たるエミリオの考えを聞いた結果だ。
あの選択で、リックは一度たりともエミリオを責めはしなかった。あれは全て自分に罪があり、彼には何の罪もなかったからだ。だがエミリオ自身は、過去の選択を罪と思い、自分を決して許さなかった。
「ああ⋯⋯⋯、やはり駄目だな⋯⋯⋯。なにをしても⋯⋯⋯、君に悲しい顔ばかりさせてしまうようだ⋯⋯⋯」
「これが贖罪だって言うのかよ⋯⋯⋯。誰もお前を恨んじゃいないのに⋯⋯⋯」
「みんなには、すまなかったと伝えて欲しい⋯⋯⋯。特にヴィヴィアンヌと、ミュセイラには――――」
言葉に仕掛けて激しく咳き込み、吐血したエミリオが呼吸を荒げる。死を前に苦しむエミリオの姿が、リックを深く傷つけ、悲しみと絶望が彼を苛む。それでも尚、涙が枯れ果てたリックの瞳には、泣き喚きたくとも涙の一つも零れない。
「リック⋯⋯⋯。最後に、私の願いを聞いて欲しい⋯⋯⋯」
「!?」
「教えて、欲しいんだ⋯⋯⋯。君が大陸統一を焦る、本当の理由を⋯⋯⋯」
エミリオの死は避けられない。計画通り自分が死ぬと分かったからこそ、リックが隠し続ける真実を問う。今ならば、自分が死ぬと分かっているここでなら、リックが秘密を打ち明けてくれると、エミリオは分かっている。
最後の願いと言えば、どんな頼みも聞いてくれる。互いをよく知るからこそ、ずる賢さを見せたエミリオの言葉に、思わずリックは笑ってしまった。
「⋯⋯⋯エミリオのそういうところ、俺は嫌いだ」
「私は⋯⋯⋯、リックがいつも優しいところが、好きだけどね⋯⋯⋯」
「よせよ。俺にその気はないっての⋯⋯⋯」
いつかの冗談を言い合った時のように、二人の心にはこれまでの日々の記憶が蘇る。まるで何十年も前の事のように、何もかもが懐かしく、苦しくも楽しかった日々。記憶の中にいる自分達は、こんな形の別れになってしまうなど、想像もしていなかった。
想像もしたくなった、大切な仲間との最後と時間。共に戦い、傍で支えあったかけがえのない戦友との別れに、リックは目を背けはしない。
「エミリオ。この世界は――――」
戦場に乾いた発砲音が鳴り響き、遠くで炸裂した爆薬による地面の震えが、膝を付いてエミリオを抱きかかえるリックのもとにも伝わる。だが、悩まぬ銃声や爆発音も、周囲の気配も、リックには届いていない。
今の彼が感知できるのは、儚く散ろうとしている戦友が見せる、弱り切った呼吸と声だけだ。
「そうか⋯⋯⋯。なら私は⋯⋯⋯、彼女に酷いことをしてしまった⋯⋯⋯」
「許してくれエミリオ⋯⋯⋯。俺の弱さが、お前を犠牲にしたんだ」
「いいんだ⋯⋯⋯、もういいんだ⋯⋯⋯。君は、信じた道を行けばいい⋯⋯⋯」
リックが抱えた秘密を聞き終えたエミリオに、この世で思い残す事は何もない。やっと、本当に聞きたかったリックの胸の内を知れた瞬間、気力でもたせていたエミリオの体から、一気に力が抜けてしまう。
「リック⋯⋯⋯。まだ、そこにいるかい⋯⋯⋯?」
「⋯⋯⋯!」
光は消え、闇の中へと落ちたエミリオの瞳。リックの姿すらも見えなくなったエミリオのために、彼の手を取り強く握る。抱きかかえる腕にも力を込め、彼の身を離すまいと、ここにいると、強く抱いて示す。
その温もりに安心したエミリオは、疲れ果てた己のを身を休ませるかのように、ゆっくりと瞳を閉じていった。
「ありがとう、リック⋯⋯⋯」
眠りにつく最後の言葉は、最愛の友への感謝と、友の名だった。
穏やかに、そして幸せそうに微笑みを浮かべ、微かだった彼の呼吸が静かになって、何も聞こえなくなる。
「エミリオ⋯⋯⋯? おい、エミリオ⋯⋯⋯!?」
リックが何度名を呼ぼうと、二度と彼が目覚める事はなかった。
ヴァスティナ帝国の軍師にして、参謀長エミリオ・メンフィスは、愛する者の腕の中で、安らかな眠りにつくのだった。
「嬉しそうに死ぬなよ⋯⋯⋯、大馬鹿野郎⋯⋯⋯!」
微かに温もりが残るエミリオの体を、リックは涙の代わりに強く抱きしめる。
自分の後ろに立つ、もう一人の裏切り者の涙と悲哀に、寄り添える心の余裕はない。リックの心にあるのは、深く大きな哀惜だけだ。
「嘘、ですわ⋯⋯⋯。それが貴方の、本当の目的なんですの⋯⋯⋯」
彼女もまた、リックと同じように間に合わなかった。エミリオの死を回避するために急いだが、彼の真意に気付くのが遅かったのである。
エミリオの死を、リックと共にミュセイラも見届けた。その死を受け入れられず、嘆き悲しみ涙する彼女は同時に、想像もしていなかった絶望に打ちひしがれる。
「私達のやったことって⋯⋯⋯。貴方を救おうとした私の行為は、間違っていたってことなんですの⋯⋯⋯? 私はまた、アングハルトさんの時のように、間違ってしまったって言うんですの⋯⋯⋯!?」
「⋯⋯⋯」
「なんとか言ってくださいまし⋯⋯⋯! 貴方を助けるどころか、邪魔をすることしかできなかった私を、いっそ殺したいとは思わないんですの⋯⋯⋯!?」
感情のままに泣き叫ぶミュセイラに、沈黙したリックは背を向け続けた。
エミリオのもとに駆け付けた時には、彼の死はもう避けられなかった。だが彼女は、死の間際にエミリオが求めた真実を、共に聞いてしまっていた。
またも自分が選択を誤ったのだと悟り、絶望と悲しみと、そして怒りが、ミュセイラから完全に冷静さを奪い去り、狂わせる。次の瞬間彼女は、投げ捨てられていた拳銃を見つけ、その銃を拾い上げてしまう。
彼女が構えた銃口は、リックの背に向けられる。殺意と銃口を向けられようとも、背中を見せるリックが振り返る事はなく、ただ静かに口を開くのみだった。
「撃てよ」
「!」
「俺がエミリオを死に追いやって、お前にまで辛い選択をさせた。撃たれたって文句は言えない」
拳銃を携えるリックだが、自分の銃には一切手をかけず、反撃の意思を示さない。撃たれる覚悟を決めたリックの背に、震える手で銃を握るミュセイラの指が、引き金に力を込めていく。
「貴方のせいで⋯⋯⋯! 貴方のせいで先輩まで⋯⋯⋯、貴方のせいで⋯⋯⋯!!」
悲しみと怒りに震える指が、壊れゆく彼女に引き金を絞らせた。
四日後。
首謀者エミリオ・メンフィスの起こした反乱は、女王アンジェリカ・ヴァスティナの命を受けた、ヴァスティナ帝国国防軍の働きによって、完全に鎮圧された。
この反乱の最中、ローミリア大陸北方の大国、ホーリスローネ王国の軍隊による侵攻が、ブラド公国を舞台に始まるのだった。
戦いの主導権を握り続けていた反乱軍は、援軍として駆け付けた第一戦闘団の戦力と、第四戦闘団や飛行大隊の猛烈な攻撃を受け、瞬く間に敗走していった。帝国国防軍が誇る火力の前には、万を超える兵力も脅威にはならなかった。
雨の様に降り注ぐ爆撃が兵士を吹き飛ばし、装甲車両が備え付けの機銃を速射しつつ、何もかもを踏み潰さんと前進する。歩兵や騎兵では太刀打ちできず、弓兵は機銃に倒れ、砲撃に魔法兵は吹き飛ばされた。
ジエーデル製の小型榴弾砲が一部残っていたが、歩兵相手なら兎も角、戦車相手にはどうする事もできず、残っていた方も全て破壊された。展開した銃火器武装の歩兵部隊が、統率を失い逃げ惑う反乱軍の兵の掃討を始め、勝敗を決定付けていく。
前線で指揮を行なっていた、ザンバ・バッテンリングが早々に戦死したため、指揮系統を失った前線部隊の崩壊は早かった。参謀たるミュセイラも行方が分からなくなり、トロスクス侵攻に参加した主力は大混乱に陥った挙句、組織的な反撃も後退もできなかった。
反乱軍主力の末路は呆気ないもので、混乱を収拾する事はできず、大半の兵が我先にと逃亡するか、帝国国防軍の前に降伏した。逃亡した兵は追撃を受け、足の速い軽車輌に追いつかれ、銃火器で撃ち倒された。反乱に加担した者は、決して許さないという見せしめのためである。
こうして、トロスクスの街を舞台とした決戦は、リックの勝利に終わろうとしていたが、彼の本当の戦いはまだ終わってはいない。
第一戦闘団の部隊を率い、大型二輪車を走らせ急ぐ彼の眼前には、空爆に晒された反乱軍後方陣地が広がっていた。
闇の中に落ちる意識の中で、誰かが自分の名を呼ぶ声が聞こえる。何度も何度も、必死に名を呼び続けるその声で意識を取り戻し、エミリオは重くなった瞼をゆっくりと開いていく。
「エミリオ! お願いだから、目を開けてくれ⋯⋯⋯!」
「リック⋯⋯⋯。待っていたよ⋯⋯⋯」
「!」
瞼を開くエミリオの瞳に映ったのは、彼が待ち焦がれていた相手だった。気が付けばエミリオは、リックの腕の中に抱かれ、悲痛に満ちた顔で見つめられていたのである。
「そんな顔をしないでくれ」と、心配させないために起き上がろうとするも、上手く力が入らない。自身の胸から流れ出る温かな血が、傷口を押さえる自分の手の間から溢れ、止まる事のない血だまりを作っていた。
もう片方の手には、応戦するために使った護身用の拳銃が握られている。彼のすぐ傍には、弾丸を撃ち込まれて致命傷を負い、刃に血の付いた剣を握ったまま息絶える、顔を怒りで歪めたオスカーの死体が倒れていた。
一発は外し、二発は胸を撃ち抜いている。運良くそれが致命傷となってオスカーは死んだが、銃撃を受けながらもエミリオに斬りかかり、彼に深手を負わせていた。
「どうだい、リック⋯⋯⋯。初めて人を撃ったけれど、意外と上手いものだろう⋯⋯⋯?」
「馬鹿!! こんなに酷くやられたくせに、どこが上手いってんだ!」
「手厳しいね⋯⋯。確かにこの負傷だと、助かりそうにない⋯⋯⋯」
腕の中で彼を抱くリックも、重傷を負っているエミリオ自身も、手の施しようがない事は分かっている。
血を流し過ぎている。出血も止まらない。致命傷を受けてまだ生きているのが、奇跡に近い。ミュセイラの回復魔法でも手遅れだ。彼の命の灯は、消える寸前なのである。
「さあリック⋯⋯、仕上げをお願いするよ⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯!」
「帝国に反逆した者の末路を、君の手で知らしめるんだ⋯⋯⋯」
上手く力が入らない片腕を、握る拳銃と一緒に何とか持ち上げる。その銃口はリックへと向けられるが、エミリオに引き金を引く意思はない。銃を持つ手をリックが握ると、エミリオは微笑を浮かべて口を開いた。
「そして君が私を撃つ⋯⋯⋯。これが反乱の幕引きだ」
「ふざけんなっ!! 俺がお前を撃てるわけないだろ!」
エミリオから拳銃を奪い取ったリックは、暴発の危険も忘れて銃を投げ捨てる。悲しみと怒りで顔を歪ませたリックを見上げ、エミリオは微笑みを見せるばかりだった。
「⋯⋯⋯そう言うと思っていたよ」
「最初から、全部わかってた⋯⋯。お前が裏切ったって聞かされた時、きっと俺のためにしてくれたんだって⋯⋯。最後は死ぬつもりだって、わかっていたから俺は⋯⋯⋯!」
記憶を取り戻したばかりのリックが、レイナの口からエミリオの裏切りを聞かされた日。その時点でリックは、エミリオの真意を悟っていた。
彼の真意に気付いたのはリックだけではない。リリカを始め、レイナやクリス、ヴィヴィアンヌやシャランドラも、エミリオがリックのために裏切りの汚名を被り、自らを犠牲にしようとしていると悟っていた。
野心を抱いて裏切ったならば、今までだってその機会はいくらでもあった。何より、アーレンツの戦いで囚われたリックを救うため、全力を尽くして戦った男が、裏切りなどするはずもない。
だからこそ、彼らはエミリオと戦わなければならなかった。帝国を救うために策を弄した彼に応え、自らを犠牲にしようとする彼を止めるためには、他に選択肢はなかったのだ。
「どうしてだよ⋯⋯⋯! お前がこんなことしなくたって、他に手はいくらでもあったはずだ!」
「リック、聞いて欲しい⋯⋯⋯。君の記憶が失われたことを広めたのは、グラーフ教会だ⋯⋯⋯」
「!?」
「教会は君を潰すために、反ヴァスティナ派だけでなく、北の二大国をも動かした⋯⋯⋯。急がなければ手遅れになる⋯⋯⋯」
「手遅れって⋯⋯、そんなこと―――」
「これが私の、最後の役目だ。私がいなくとも⋯⋯⋯、代わりに頼もしい支えはいる。それにね⋯⋯⋯」
意識が遠くなり始め、瞳を虚ろにさせたエミリオの胸中にあったのは、ユリーシアの命を奪った者達を粛清した夜の想い。リックを二度と悲しませないと誓い、己の罪を胸に刻んだ彼は、この時をずっと待っていた。
アングハルトの死によって、再びリックは悲劇に苛まれてしまった。エミリオの誓いはリックを守れなかったが、ユリーシアを守れなかった罪だけは、これでようやく償える。
「⋯⋯⋯私の誤った判断が、ユリーシア陛下を死なせてしまった。いつの日にか必ず、この罪は自分の命で償うと決めていたんだ」
リックの心に蘇る、ユリーシアを失った時の絶望と悲しみ。彼女を殺した者達へと向けた怒りと憎しみは、生涯忘れられないだろう。
もっと早く、ユリーシアの命を狙っていた者達を殺していればと、何度後悔したか分からない。早々に殺してしまわなかったのは、軍師たるエミリオの考えを聞いた結果だ。
あの選択で、リックは一度たりともエミリオを責めはしなかった。あれは全て自分に罪があり、彼には何の罪もなかったからだ。だがエミリオ自身は、過去の選択を罪と思い、自分を決して許さなかった。
「ああ⋯⋯⋯、やはり駄目だな⋯⋯⋯。なにをしても⋯⋯⋯、君に悲しい顔ばかりさせてしまうようだ⋯⋯⋯」
「これが贖罪だって言うのかよ⋯⋯⋯。誰もお前を恨んじゃいないのに⋯⋯⋯」
「みんなには、すまなかったと伝えて欲しい⋯⋯⋯。特にヴィヴィアンヌと、ミュセイラには――――」
言葉に仕掛けて激しく咳き込み、吐血したエミリオが呼吸を荒げる。死を前に苦しむエミリオの姿が、リックを深く傷つけ、悲しみと絶望が彼を苛む。それでも尚、涙が枯れ果てたリックの瞳には、泣き喚きたくとも涙の一つも零れない。
「リック⋯⋯⋯。最後に、私の願いを聞いて欲しい⋯⋯⋯」
「!?」
「教えて、欲しいんだ⋯⋯⋯。君が大陸統一を焦る、本当の理由を⋯⋯⋯」
エミリオの死は避けられない。計画通り自分が死ぬと分かったからこそ、リックが隠し続ける真実を問う。今ならば、自分が死ぬと分かっているここでなら、リックが秘密を打ち明けてくれると、エミリオは分かっている。
最後の願いと言えば、どんな頼みも聞いてくれる。互いをよく知るからこそ、ずる賢さを見せたエミリオの言葉に、思わずリックは笑ってしまった。
「⋯⋯⋯エミリオのそういうところ、俺は嫌いだ」
「私は⋯⋯⋯、リックがいつも優しいところが、好きだけどね⋯⋯⋯」
「よせよ。俺にその気はないっての⋯⋯⋯」
いつかの冗談を言い合った時のように、二人の心にはこれまでの日々の記憶が蘇る。まるで何十年も前の事のように、何もかもが懐かしく、苦しくも楽しかった日々。記憶の中にいる自分達は、こんな形の別れになってしまうなど、想像もしていなかった。
想像もしたくなった、大切な仲間との最後と時間。共に戦い、傍で支えあったかけがえのない戦友との別れに、リックは目を背けはしない。
「エミリオ。この世界は――――」
戦場に乾いた発砲音が鳴り響き、遠くで炸裂した爆薬による地面の震えが、膝を付いてエミリオを抱きかかえるリックのもとにも伝わる。だが、悩まぬ銃声や爆発音も、周囲の気配も、リックには届いていない。
今の彼が感知できるのは、儚く散ろうとしている戦友が見せる、弱り切った呼吸と声だけだ。
「そうか⋯⋯⋯。なら私は⋯⋯⋯、彼女に酷いことをしてしまった⋯⋯⋯」
「許してくれエミリオ⋯⋯⋯。俺の弱さが、お前を犠牲にしたんだ」
「いいんだ⋯⋯⋯、もういいんだ⋯⋯⋯。君は、信じた道を行けばいい⋯⋯⋯」
リックが抱えた秘密を聞き終えたエミリオに、この世で思い残す事は何もない。やっと、本当に聞きたかったリックの胸の内を知れた瞬間、気力でもたせていたエミリオの体から、一気に力が抜けてしまう。
「リック⋯⋯⋯。まだ、そこにいるかい⋯⋯⋯?」
「⋯⋯⋯!」
光は消え、闇の中へと落ちたエミリオの瞳。リックの姿すらも見えなくなったエミリオのために、彼の手を取り強く握る。抱きかかえる腕にも力を込め、彼の身を離すまいと、ここにいると、強く抱いて示す。
その温もりに安心したエミリオは、疲れ果てた己のを身を休ませるかのように、ゆっくりと瞳を閉じていった。
「ありがとう、リック⋯⋯⋯」
眠りにつく最後の言葉は、最愛の友への感謝と、友の名だった。
穏やかに、そして幸せそうに微笑みを浮かべ、微かだった彼の呼吸が静かになって、何も聞こえなくなる。
「エミリオ⋯⋯⋯? おい、エミリオ⋯⋯⋯!?」
リックが何度名を呼ぼうと、二度と彼が目覚める事はなかった。
ヴァスティナ帝国の軍師にして、参謀長エミリオ・メンフィスは、愛する者の腕の中で、安らかな眠りにつくのだった。
「嬉しそうに死ぬなよ⋯⋯⋯、大馬鹿野郎⋯⋯⋯!」
微かに温もりが残るエミリオの体を、リックは涙の代わりに強く抱きしめる。
自分の後ろに立つ、もう一人の裏切り者の涙と悲哀に、寄り添える心の余裕はない。リックの心にあるのは、深く大きな哀惜だけだ。
「嘘、ですわ⋯⋯⋯。それが貴方の、本当の目的なんですの⋯⋯⋯」
彼女もまた、リックと同じように間に合わなかった。エミリオの死を回避するために急いだが、彼の真意に気付くのが遅かったのである。
エミリオの死を、リックと共にミュセイラも見届けた。その死を受け入れられず、嘆き悲しみ涙する彼女は同時に、想像もしていなかった絶望に打ちひしがれる。
「私達のやったことって⋯⋯⋯。貴方を救おうとした私の行為は、間違っていたってことなんですの⋯⋯⋯? 私はまた、アングハルトさんの時のように、間違ってしまったって言うんですの⋯⋯⋯!?」
「⋯⋯⋯」
「なんとか言ってくださいまし⋯⋯⋯! 貴方を助けるどころか、邪魔をすることしかできなかった私を、いっそ殺したいとは思わないんですの⋯⋯⋯!?」
感情のままに泣き叫ぶミュセイラに、沈黙したリックは背を向け続けた。
エミリオのもとに駆け付けた時には、彼の死はもう避けられなかった。だが彼女は、死の間際にエミリオが求めた真実を、共に聞いてしまっていた。
またも自分が選択を誤ったのだと悟り、絶望と悲しみと、そして怒りが、ミュセイラから完全に冷静さを奪い去り、狂わせる。次の瞬間彼女は、投げ捨てられていた拳銃を見つけ、その銃を拾い上げてしまう。
彼女が構えた銃口は、リックの背に向けられる。殺意と銃口を向けられようとも、背中を見せるリックが振り返る事はなく、ただ静かに口を開くのみだった。
「撃てよ」
「!」
「俺がエミリオを死に追いやって、お前にまで辛い選択をさせた。撃たれたって文句は言えない」
拳銃を携えるリックだが、自分の銃には一切手をかけず、反撃の意思を示さない。撃たれる覚悟を決めたリックの背に、震える手で銃を握るミュセイラの指が、引き金に力を込めていく。
「貴方のせいで⋯⋯⋯! 貴方のせいで先輩まで⋯⋯⋯、貴方のせいで⋯⋯⋯!!」
悲しみと怒りに震える指が、壊れゆく彼女に引き金を絞らせた。
四日後。
首謀者エミリオ・メンフィスの起こした反乱は、女王アンジェリカ・ヴァスティナの命を受けた、ヴァスティナ帝国国防軍の働きによって、完全に鎮圧された。
この反乱の最中、ローミリア大陸北方の大国、ホーリスローネ王国の軍隊による侵攻が、ブラド公国を舞台に始まるのだった。
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プラネットプラント
ファンタジー
全寮制の高等教育機関で行われている卒業式で、ある令嬢が糾弾されていた。そこに令嬢の父親が割り込んできて・・・。乙女ゲームの強制力に抗う令嬢の父親(前世、彼女いない歴=年齢のフリーター)と従者(身内には優しい鬼畜)と異母兄(当て馬/噛ませ犬な攻略対象)。2016.09.08 07:00に完結します。
小説家になろうでも公開している短編集です。
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