贖罪の救世主

水野アヤト

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第五十七話 侍従乱舞

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「陛下⋯⋯⋯、無事でよかった」

 アンジェリカ達が建物内にある出口の一つに辿り着くと、出口を確保していたラベンダーと合流できた。丁度、ラベンダーが扱う大鋏が、敵兵の胴体を真っ二つにした直後ではあったが⋯⋯⋯。

「アマリリスがいない⋯⋯⋯。じゃあ、やっぱり⋯⋯⋯」

 アンジェリカの無事を確認すると同時に、彼女に同行していたはずのアマリリスがいない事で、ラベンダーは最悪の可能性を確信する。珍しく険しい顔をした彼女が、その視線をウルスラへと向ける。ウルスラが肯定の意を込めて頷くと、これもまた珍しくラベンダーが頭を抱えた。
 
「裏リリスの殺気を感じたから⋯⋯⋯。気のせいだったと思いたかった⋯⋯⋯」
「裏リリス⋯⋯⋯?」

 恐らくアマリリスの事を指すであろう呼び名に、疑問の声を投げかけるのはアンジェリカだけだった。ウルスラやリンドウ、スズランやデンファレもその呼び名を受け入れており、カーネーションに至ってはその名を聞いただけで震え上がり、思わず傍にいたスズランに抱き付いていた。
 メイド部隊の切り札が解き放たれたと知ったラベンダーは、この状況が非常に危険な状態である事を悟る。でなければ、敵味方関係なく虐殺する彼女を解き放つなど、絶対にあり得ないからだ。
 
「裏リリスが暴れてるならここも危ない。陛下、早く外へ」

 いつになく真剣な顔をしたラベンダーが、敵の攻撃と、彼女が呼ぶ裏リリスの存在に、最大級の警戒を向けて大鋏を構える。ウルスラ達の護衛を受けたアンジェリカが、出口の扉から外に出るまで、彼女は一瞬たりとも気を抜かず、敵と裏リリスの襲撃に備えていた。
 無事外に出たアンジェリカは、護衛のウルスラ達や、メイド達に支えられる負傷した騎士達と共に、旧総統府の西側出口に到着した。そこは、移動用の馬車や馬などを待機させる乗り場となっており、脱出には最適な場所に思われた。
 だが敵の対応は素早く、既に馬車は破壊され、馬は始末されるか逃がされた後だった。移動できる乗り物が失われたこの場所で、アンジェリカを捕らえるべく押し寄せる敵兵を、メイド部隊が必死に押し止めている。
 この戦場に於ける部隊指揮は、現在ラフレシアが指揮を執っている。ラフレシアを筆頭に、ベニバナやナノとハナ、そして武装メイド達が、敵の猛攻を防ぎつつ退路の確保を行なっていた。
 出口よりアンジェリカが姿を現すと、真っ先に反応したのはラフレシアだった。彼女は瞬時にアンジェリカのもとに馳せ参じ、彼女の状態の確認と護衛に専念した。

「ご無事でよかった! 突破口を開くまで暫しお待ちを」
「騎士団はどうした?」
「どうも足止めを食ってるみたいで、まだ合流できてません。それより陛下、まさかメイド長がアマリリスを本気にさせたりとかしてません?」

 メイド部隊一勘の鋭いラフレシアには、建物の外からでも、今のアマリリスが放つ殺気を感じ取れる。皆の反応と、特に怯え切ったカーネーションの様子を見て、自身の勘が正しかったと知ったラフレシアは、盛大に溜め息を吐いてしまう。

「⋯⋯⋯どうするんですかメイド長。後で誰が裏リリスを止めるって言うんです?」
「私がこの手で止めます。貴女が代わりに止めてくれるなら、私としては大いに助かりますが」
「無理。だって加減できなくて殺しちゃうもん。本気で殺しにいかないとこっちがやられる」

 ラフレシアが加減できない程であるならば、相当危険な存在であるのは間違いない。裏リリスと呼ばれているものの力を、未だアンジェリカは知り得ないままだが、ラフレシアの放つその言葉だけで、危険度は十分理解できた。
 以前アンジェリカは、メイド部隊の長たるウルスラより、リンドウ達の力関係を教わった事がある。総合的な戦闘力に於いて、最も優秀なのがリンドウ。だが単純に戦闘という面では、ラフレシアの方が勝ると教えられた。
 ただラフレシアは、かつてリンドウと本気の殺し合いをして敗北している。その時の結果がもとで、ラフレシアはリンドウの実力を認め、彼女こそがメイド部隊を纏めるに相応しいと考えている。
 そしてラフレシアは、他のメイド達の誰よりも戦闘力で勝るという。つまり、ラフレシアはリンドウの次に強いという事になり、彼女達がメイド部隊における序列の一番と二番だ。
 この二番手に当たるラフレシアが、本気のアマリリスを止めるに当たって、自身も本気で殺しにかからねば逆に殺されると言った。ならばその裏リリスという存在の力は、メイド部隊最強の二人に匹敵すると予想できる。
 ラフレシア一人で、百以上の敵を皆殺しにできると教えられた。そんな者に匹敵する力を持った存在が、制御できずに野放しにされている。この事実だけで、裏リリスがどれだけ危険で、どれだけ恐ろしい存在であるかは、何も知らないアンジェリカにも理解できてしまう。

「⋯⋯⋯ウルスラ」
「はい、陛下」
「⋯⋯⋯何でもない、忘れろ」

 本当に大丈夫なのかと問おうとしたが、アンジェリカはそれを止めた。例えアマリリスが、制御の利かない暴走した猛獣であるとしても、彼女と、そしてウルスラを信じたのは、女王たるアンジェリカ自身である。
 ならば、最早何も言うまい。彼女達の長たる女王として、どんな結末になろうと、彼女達の責は自分が負う。それが自分の責務だと気付き、アンジェリカはそれ以上何も言わなかった。
 アンジェリカが一瞬抱いた不安を感じ取り、ラフレシアは自身の失態に気付く。今この状況で一番不安を覚えているのは、他でもないアンジェリカ自身なのだ。そのアンジェリカの不安を煽る様な発言は、極力避けねばならないのである。

「心配ないですって陛下。裏リリスはメイド長がぶっ飛ばしてくれますし、ジエーデルの連中なんか私が根こそぎぶっ殺してやりますよ。ねぇ、リン?」
「根こそぎってあんた、ジエーデル国防軍を一人で壊滅させる気?」
「リンも協力してくれるでしょ? なんたって私達、相思相愛の無敵コンビなんだから♡」
「嫌よ。あんたみたいな愛の重い戦闘狂と心中なんて御免だわ」

 アンジェリカの不安を取り除くため、普段の調子で冗談を飛ばし合う二人。その二人が、それぞれの得物を構えてアンジェリカの前に出る。リンドウは暗器のナイフを、ラフレシアは三本の刃を持つ鉤爪を両手に構え、同時に駆けだした。
 アンジェリカを狙い突撃してきた敵兵の群れに、立ったの二人で向かって行く。リンドウが暗器のナイフを投げ、先頭の兵を射抜いて殺すと、一瞬勢いを削がれた敵の隙を突き、ラフレシアが襲い掛かった。
 ラフレシアは敵に瞬きする暇も与えず、鉤爪に付いた六本の刃を振るい、敵兵の真っ只中で肉を切り刻む。そこに新しい暗器を取り出したリンドウも加わり、敵の肉片と鮮血とが飛び散り、断末魔の叫びが響き渡る。
 
 圧倒的な戦いを展開するのは、最強たるリンドウとラフレシアだけではない。ラフレシアと共に戦っていたベニバナや、ナノとハナの双子もまた、向かってくる敵を血祭りにあげていた。
 
「あらやだ~、敵が多過ぎておばさん困っちゃう~」

 ベニバナは棘の付いた鎖付きの鉄球を、女性とは思えぬ腕力で振り回し、周囲を取り囲む大勢の敵を蹴散らしていく。高速回転する鉄球は、兵士達の身体を容易く弾き飛ばし、強烈な衝撃で敵を即死させていった。
 鎖を操るベニバナの鉄球を前に、誰も彼女には近付けない。更には、回転させていた鉄球を放り投げ、敵の一人に直撃させる。あまりの衝撃に鉄球ごと壁に叩き付けられ、その兵士は圧死させられた。そうして、壁ごと押し潰した敵の血や肉片をこびり付かせた鉄球を、再び彼女は力強く振り回すのだった。

「ナノちゃ~ん、ハナちゃ~ん。そっちは大丈夫かしら~?」

 戦闘を続けるベニバナが、同じく戦闘中のナノとハナに声をかける。彼女の心配などお構いなしで、上機嫌に敵を殺して回る双子の姉妹は、続々と死体の数を増やしていった。

「「きゃはっ!! 全然大丈夫~!!」

 ナノとハナの得物は、両手に携えた双剣である。取り回しを重視した短い刃を操り、この双子は息の合った連携で敵へと迫り、全く同じ動作で敵を斬り刻むのだ。
 二対一で敵に襲い掛かり、その身軽さで敵を撹乱し、隙を突いて相手を斬る。傍から見れば双子の動きは、華麗に舞う演武のようであった。しかしその演武は、冷酷で残酷なまでに敵の命を奪い去り、逃げ惑う者の命乞いをする者も、まとめて殺しまわるのだ。

 ラフレシアを筆頭に、兵力差をものともせず戦っていた三人。ここへ更に、アンジェリカを護衛するウルスラ達が合流した事で、彼女達の士気は高い。
 リンドウとラフレシアが一騎当千の戦いを見せつけ、それにラベンダーやカーネーションも加わる。大鋏とハンマーが敵を蹴散らし、後方支援に徹するデンファレが、三本の矢を同時に放ち、敵三人の額を見事に打ち抜いた。
 ウルスラとスズランは、アンジェリカの傍を離れず護衛に専念している。自分達まで戦いに出ては、アンジェリカを守る盾がいなくなるからだ。

「陛下。僕の傍を離れないで」
「スズランは陛下のためならば、喜んでその身を盾として扱います。この子の傍を決して離れてはなりません」

 リンドウ達が敵を蹴散らし、アンジェリカのための突破口を開こうと奮戦する。次々と現れる敵戦力の壁を、彼女達が必死に抉じ開けていき、アンジェリカはウルスラ達に守られながら前進した。
 デンファレが百発百中の弓の実力を披露し、アンジェリカを狙う弓兵を先に射殺す。ベニバナ達を突破した敵兵には、ラベンダーの大鋏が牙を剥き、その大き過ぎる刃が目に付く敵を斬り殺し、串刺しにして刺し殺す。
 リンドウ達だけでなく、他のメイド達も必死にアンジェリカを守るため、その身を犠牲にして戦っている。帝国女王最後の砦たる彼女達は、今この瞬間、全力を持ってアンジェリカのために戦う。
 全ては、女王アンジェリカに対する絶対の忠誠のため。そして、彼女の姉であり、メイド達が生涯の忠誠を誓い、愛してやまなかった最愛の女王、ユリーシア・ヴァスティナのために、彼女達は命を捨てた。

 ウルスラはスズランを、自らの盾として扱えとアンジェリカに教えた。そう教えたウルスラもまた、言わずとも盾になる。忠義のためにと命を投げ出す彼女達に、アンジェリカができる事はたったの一つだけだった。
 それは、自らの命を最優先に考え行動すること。つまりは、彼女達を犠牲にしてでも逃げ延びる事だ。
 女王たる自分の身が最優先であると、頭では理解できていても、ただ逃げる事しかできない己の無力さが、アンジェリカは許せなかった。
 もしこれで、メイド部隊の誰かが自分のせいで命を落としでもしたら、その死を胸に抱いて生涯を全うする。それだけがアンジェリカに許された、唯一の贖罪であった。

「さあ陛下、お急ぎ下さい」

 ウルスラに手を引かれ、急ぎ足で旧総統府敷地内より脱出を試みる。傍には常にスズランが張り付いて、近付こうとする敵や、彼女を狙う飛び道具がないか警戒を怠らない。
 あと少しで敷地の外に出られる。外に出て、帝国騎士団と合流できればというところで、敵軍の切り札がその姿を露わにする。最初にそれを見つけたスズランが、慌てて動き出すと同時にデンファレの名を叫ぶ。

「デンファレ! 大砲だ!」

 自分の名を叫ぶスズランの声で、デンファレもその存在に気が付いた。アンジェリカ達が脱出しようとした門の先に、ジエーデルが先の戦争で使用した、一門の小型榴弾砲が設置されていたのである。
 大砲の脅威に対し、急ぎ砲兵に向かって弓を構えたデンファレは、瞬時に狙いを定めて矢を放つ。

「御免あそばせ!」

 彼女が放った三本の矢が、砲兵三人を射抜いて見せるのと、砲口が火を噴くのはほぼ同時だった。脱出を試みるアンジェリカへの威嚇の意味で、小型榴弾砲から放たれた砲弾が、彼女達の眼前に着弾する。
 着弾と同時に、衝撃と爆風がアンジェリカ達を襲う。地面を吹き飛ばし、砂塵を巻き上げ黒煙を上げる着弾点近くには、地面に倒れる彼女達の姿があった。

「アンジェリカ陛下!!」
「下衆野郎共がああああああああっ!!」

 リンドウは悲鳴を上げ、完全にキレたラフレシアが暴走し、門の外に展開する敵部隊に向け突撃する。リンドウとラベンダー、そしてデンファレはアンジェリカのもとに駆け出した。残りはラフレシアと共に、まさしく怒り狂った鬼の形相で、敵を皆殺しにすべく向かって行く。
 地面に倒れるアンジェリカとウルスラの上には、自らを盾とするべく覆い被さったスズランの姿があった。爆発の直前、二人を庇ったスズランのお陰で、アンジェリカもウルスラも掠り傷一つ負ってはいない。

「へっ、陛下⋯⋯⋯。お怪我は⋯⋯⋯?」
「スズラン!?」

 盾となったスズランが、驚愕するアンジェリカへと向け、穏やかに微笑みかけて見せる。その微笑みは、アンジェリカを恐がらせないためのものだったが、スズランを瞳に映す彼女の叫びは悲鳴だった。
 腕や脚、そして背中に突き刺さった榴弾の破片。もし彼女が庇わなければ、その破片は二人を襲っていただろう。身に纏ったメイド服を血で赤く染めたスズランは、苦痛を堪えて立ち上がろうとするも、負傷と痛みで動けない。

「メイド長⋯⋯⋯、陛下を頼みます⋯⋯⋯」
「駄目だウルスラ、スズランを見捨てるな」
「決して見捨てはしません。立ちなさいスズラン」

 立ち上がったアンジェリカとウルスラが、起き上がれないスズランを二人で支え、急いで移動しようとする。アンジェリカを襲った砲撃にメイド達が気を取られている間に、別の門から突入してここまでまわってきた弓兵隊が、一斉に狙いを定めようとしていた。
 十数人程度の弓兵隊が狙うは、アンジェリカだった。ジエーデル兵はアンジェリカの命を奪うつもりで攻撃を仕掛け、彼女の盾となる護衛戦力の排除を狙っている。
 ここに集まるジエーデル軍部隊は、ウルスラ達メイド部隊が、アンジェリカを守るために喜んで命を捨てる事を知っている。直接護衛戦力と交戦して排除するより、アンジェリカを攻撃し、身代わりになったメイド達を負傷させる方が効率が良いと、事前に説明を受けていたのだ。
 
「陛下は、傷付けさせない⋯⋯⋯!」

 現れた弓兵隊が弓を構える。弓兵が矢を放つ前に、排除は間に合わない。
 アンジェリカのもとに駆け込んだラベンダーが、アンジェリカを守るという絶対の意志を露わにして、大鋏を構え盾となる。アンジェリカの傍に立つウルスラも、負傷したスズランも、彼女の身代わりとなるべく矢面に立った。
 その時アンジェリカは、考えるよりも、口に出すよりも速く、体が先に動いてしまった。命を投げ出すメイド達を前に、アンジェリカは駆け出して、逆に我が身を彼女達の盾とした。

「陛下!!」

 ウルスラの悲鳴が響き渡るも、アンジェリカはその華奢な体をいっぱいに広げ、必死に彼女達を守ろうとする。そこへ弓兵隊が、狙いの定め終わった矢を一斉に放つべく、矢羽根を握る指を放しかけた。

「⋯⋯⋯!」

 死を直感したアンジェリカの耳には、悲鳴を上げるメイド達の声も、殺し合う者達の絶叫も、何もかもが届かない。自分へと矢を向ける敵の存在も、彼女の瞳に映ってはいない。
 その耳が聞き、その瞳に映るものは、純白のドレスを身に纏う一人の少女が、自分の名を呼ぶ姿。
 目の前に現れた幻影が、失われし最愛の姉であると気付いた時、胸の中でアンジェリカは「ごめんなさい」と、その一言を抱いて瞳を閉じた。
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