贖罪の救世主

水野アヤト

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第五十七話 侍従乱舞

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 ジエーデル国内、旧総統府を舞台にした戦闘は、「兵士対メイドと騎士」という異様な状態で進行していった。
 旧総統府を包囲し、建物内の占拠を企てるジエーデル軍は、現体制に不満を抱く者達で編成されている。彼らの目的は依然として変わらず、ヴァスティナ帝国女王アンジェリカの確保だ。

 アンジェリカの脱出を支援するべく、メイド長ウルスラの命令で殿を務めるノイチゴだったが、彼女の行なう戦闘は一方的であった。それはもう戦闘と呼べるものではなく、床に倒れて動けないでいる兵士達を、一人一人彼女の大鎌が刺殺していくのである。
 
「うふふふふっ⋯⋯⋯。男を殺し放題って、ス・テ・キ♡」

 その様はまさに、死神が人間の命を奪っていくように見えた。通路にはノイチゴが仕掛けた香炉が置かれ、その香炉が吐き出した煙が空間を満たす。大鎌と煙、そして殺しを愉しむ彼女の妖艶な笑みと声が、この場所を独特の形で支配していた。
 彼女が香炉で焚いた煙は、花の蜜に似た甘い匂いを放っている。床に倒れている兵士達は全員、この香りを吸って動けなくなった。この香りの正体は、ノイチゴが調合した特製の痺れ薬である。
 
「指一本動かせないでしょ? 舌も回らないから助けも呼べないわよ~。えいっ♡ えいっ♡」

 燥ぐノイチゴが振るう刃が、倒れている兵士達の首を刎ねていく。痺れで動けない兵士達は、逃げられない恐怖に悲鳴を上げようとするも、彼女が説明した通り声が出ない。恐怖に表情を歪め、中には泣き出してしまう者もいるが、彼女の大鎌は容赦なく彼らを殺してまわった。
 殺していった者達の鮮血が、床を血の海に変えて真っ赤に染め上げる。その海を、妖艶な笑みと共に優雅に彼女が歩く度、一人、また一人と、男達の命が奪われていった。

「そう、これよこれ! ああん♡ 男を殺すのってやっぱり、快・感♡」

 ノイチゴが男殺しに快感を覚えるのは、男という存在に対する復讐心故のものだ。
 幼い頃、彼女には母親がいなかった。乱暴者の父親に付き合い切れず、幼い彼女を残して出て行ってしまったのである。母親が消えたせいか、酒に溺れた父親は、彼女を虐待して憂さを晴らす毎日だった。
 彼女が成長すると、虐待するだけでは飽き足らず、父親は彼女の体にも手を出した。虐待と凌辱を受ける毎日の中で、精神が壊れた彼女は、ある日父親をその手にかけ、惨たらしく殺した。草刈り用の鎌で腹を斬り裂き、無理やり引き抜いた腸で、首を絞めて窒息させたのである。
 父親を殺した後、彼女は今まで感じた事のない快感を覚えた。その後、他に身寄りのない彼女は、生きる為娼館で働いた。娼婦としての新しい生活の中で、男という存在の醜さを嫌という程味わい、彼女はもっと壊れてしまう。
 壊れた彼女は、ある夜相手にした客の仲介を経て、殺し屋になる道を選んだ。表向きは娼婦として働き、依頼を受けた際は、殺せと言われた客をベッドの上で始末した。
 数え切れない数の男を殺し、遂には自分に依頼をしてきた男達も殺し尽くして、男への復讐を彼女は続けた。しかし彼女は、女だけはその手にかけず、殺すのではなく犯して肉欲を貪った。
 何故そうなってしまったのか、彼女自身も理由は分からなかった。後にウルスラは、その理由が母性への飢えと、男以外からの温もりと快楽を求めるが故のものだと、そう彼女に教えた。
 そんな彼女の女好きが、ヴァスティナ帝国女王ユリーシアを襲う計画を立てた。偶然立ち寄った帝国で、視察に訪れていた彼女に一目惚れし、彼女を我が物にしようとしたのである。当然の事ながら計画は失敗し、その後彼女は殺しの技術を買われ、メイド部隊の一員となった過去を持つ。

 ノイチゴの戦闘は、大鎌を振るって敵を斬る接近戦である。しかし接近戦という事であれば、リンドウ達五人の中で、ノイチゴは一番弱い。
 だが彼女は、リンドウ達にはない特技と体質がある。それが、薬の調合と毒や薬の類への強力な耐性だ。男との体格差や腕力差を埋めるため、彼女が学んだのが薬師の技術である。毒薬や痺れ薬、時には女を堕とす強力な媚薬まで作ってしまう。
 今もリックが、アーレンツでの戦争で負った後遺症を治すため、あれからずっと服用させられている薬は、ノイチゴが得たこの特技のお陰で作られたのである。実は、今は亡き女王ユリーシアを蝕んでいた病を、必ず自分が完治させると研究し続け、その研究過程で生まれた薬でもあった。
 そして彼女の特異体質は、薬や毒を試すに最適な実験体だ。彼女は自分が作った薬を、自分自身で試してその効果を確かめる事ができる。そのため、自分が作った毒や薬であるならば、どれだけ使おうが彼女にとっては無害となるのだ。
 一度彼女が、特に室内で毒を使えば、そこは彼女だけが支配できる空間と化す。彼女が自分の戦場を創り出したら最後、生き残れる者はほとんどいない。
 勿論、致死性の毒薬を使い、楽に皆殺しにする事も出来る。それなのに、態々痺れ薬を使って身動きを封じ、自分の手で殺しまわる理由は単純である。苦しめて、死の恐怖を味合わせ、自分の手で殺す感触を愉しみたい、彼女の趣味だ。

「ああん、ユリーシア陛下! こんな私でも貴女は軽蔑などせず、聖母のような微笑みと共に受け入れて下さる! 我が最愛の女王陛下! どうか、罪深き私を御赦しになって~!!」

 狂気乱舞し、嬉々として殺戮を続けるノイチゴが、天に召された最愛の主へと赦しを請う。その様はとても赦しを請うているようには見えず、一切の懺悔も、罪の意識も存在しない。殺した男の血で床が染まりゆく度、彼女は嗤い狂うのだ。

「貴方達がいけないのよ~! アンジェリカ陛下に手を出すから! ずっと我慢できてたのに、もう殺すの我慢しなくていいの! ああああんもうだめ、もっともっと殺したいわああああああっ!!」

 枷が外れたというべきか、本来のノイチゴが表に現れ、沢山の男の屍を積み上げていく。そうして殺しまわり、狂気の笑い声が通路中に響き渡っていたが、最後の一人を殺したところで、彼女の狂気は止まった。
 ウルスラに与えられた殿の務めを、十分過ぎる程果たしたノイチゴだったが、まだ殺したりない。これだけでは足りないと、別の獲物を探しに移動しようと思ったところで、彼女の背筋を一瞬だけ悪寒が走る。狂気に奔ろうとする彼女を止めたのは、さっきまでと変化した建物内の空気だった。

「⋯⋯⋯せっかく温まってきたところなのに、あの子が完全に目覚めちゃったのね」

 離れていても、目覚めた彼女が放つ強烈な殺気と、噎せ返る様な血の匂いは直ぐに分かる。自分などよりもっと危険で、もっと残酷で、もっと狂気的な悪魔が、この戦場に解き放たれたのだと理解する。
 ノイチゴの本能が、急速に命の危機を訴える。長居をすれば死ぬと、警告を発する己の本能に従ったノイチゴは、物足りなさを感じつつも大鎌を収めた。
 
「陛下達もそろそろ脱出できた頃だろうし、私も急がなくっちゃ」

 気持ちを切り替えたノイチゴは、死肉と血の海で創り上げた、凄惨な殺戮場を背にこの場を後にする。
 彼女は知っている。ウルスラが、そしてアンジェリカが命じて目覚めさせた存在は、こんなものが可愛らしく思える程の地獄を創り出す、本物の悪魔なのだと⋯⋯⋯。









 私の中には悪魔がいる。
 小さい頃に、そう教えてくれた人がいた気がする。それが私の両親だったのか、友達だったのか、よく覚えていない。たぶん、私のこの手で殺してしまったんだとは思う。
 昔の事は全然思い出せない。ただ、良くない環境で育ったんだとは思う。だって、もし恵まれた環境で育ったなら、人を殺して得た金品で飢えを凌ぐ生活なんて、きっとしていなかったはずだから⋯⋯⋯。
 私には、食べること、寝ること、殺すことしか分からなかった。それしか知らなかった。でも生きる為とは言っても、あんまり人を殺したくはなかった。そうやって私が我儘ばかり言ってると、もう一人の私が現れて、代わりに殺してくれた。
 
 もう一人の私が人を殺してばかりだったから、私を化け物って呼ぶ人は沢山いた。初めてそう呼ばれた時は落ち込んじゃって、後でもう一人の私がその人を殺しちゃった。化け物って呼ばれるのが、私と同じで嫌だったみたい。今はもう、化け物扱いされるの気に入っちゃったみたいだけど⋯⋯⋯。
 そんな私に、ある日たくさんお金をくれた人がいた。その人は貴族のお使いさんで、お金をくれる代わりに殺しをお願いされた。殺してくれと頼まれた相手は、ユリーシア陛下だった。

 ヴァスティナ帝国に行った私を待っていたのが、メイド長との出会いだった。出会った瞬間、私の技術を見抜いたメイド長は、私が陛下を殺すために現れたとも知らずに、私を陛下を守るためのメイドにしようとした。
 城に入れた私は、ユリーシア陛下に出会い、リンドウとラフレシアにもそこで出会った。メイド長が、そして陛下が私を温かく迎え入れてくれて、私は迷ってしまった。でももう一人の私はそれを許さなくて、夜中に陛下を殺そうと寝室に忍び込んだ。
 そこから先の事は、あまりよく分からない。だって、もう一人の私が何かをしている間、私は眠ってしまっているから。目覚めた時には私、目を覚ました陛下を目の前にして、初めて人を殺すのが恐いと感じていた。
 とても怖くなって、恐ろしくなって涙が溢れて、陛下に抱き付いて泣いてしまったのだけは、今でも覚えている。それからリンドウやラフレシア、メイド長と戦う事になって、もう一人の私が散々暴れたみたい。
 メイド長に倒されて、私ももう一人の私も気を失っていたから分からないけれど、私は正式にメイド部隊の一員になって、可愛らしい花の名前を陛下に頂いた。名前を貰い、名前を呼ばれるのなんて、それが初めてだった。

 私はユリーシア陛下が大好き。メイド長が大好き。リンドウとラフレシアが大好き。カーネーションやみんなも大好き。だって私にとっては、初めてできた家族と呼べる存在なんだもの。
 食べて寝て殺す以外に、こんな幸せな生き方があるって教えてくれた、みんなが大好き。もう一人の私はそれが不満みたいだから、普段はノイチゴから貰ってる薬で抑えているの。それを知らずに、初めて会った頃のカーネーションが、私から薬を取り上げた事があって、大騒ぎになった事もあった。

 だからお願い。今日だけは、あなたの力でみんなを守って欲しいの。私はどうなっても構わないから、陛下を、メイド長を、みんなを守るために戦って。みんなが無事に逃げ出せるなら、私がどれだけ傷付こうと、あなたがどれだけ殺そうと構わない。
 いつも自分勝手で、我儘で、あなたに甘えてばかりな私を許して。
 私は少し眠るから、後はあなたが好きに使って⋯⋯⋯。









 旧総統府の裏口より、建物内へとジエーデル兵の増援が雪崩れ込んだ。彼らもまた、反乱軍へと協力する部隊であり、女王アンジェリカの確保を目的としている。
 だが彼らは、建物内でこの世のものとは思えぬ、凄惨な光景を目の当たりにする。建物内は、既に突入していた兵士達の死体で溢れ返り、誰一人として生きている者はいなかった。恐るべきはその殺され方であり、どの死体も五体満足に繋がっているものはなく、解体されていた。
 刃物で切断されたにしては、切れ味が綺麗過ぎる切り口であった。腕や脚、首や指までもが散乱し、上半身と下半身が分かれ、内臓が剥き出しになっている死体が大半である。そして何より戦慄するのは、殺された兵士達の顔を誰も彼も、絶望と恐怖に歪んだ表情のまま、無惨に命を奪われていた事だ。
 一体何と戦えば、何を見れば、こんな顔のまま死ぬというのか。夥しい数の死体から流れ出た血が、建物中の床を血の海と変えてしまっている。得体の知れない恐怖と、地獄の底の様な光景に戦慄した彼らは、全身を恐怖に支配されながらも、兵士としての責務を果たすべく前進した。
 
 女王アンジェリカの捜索を続け、彼らは建物内の広間へと辿り着く。かつてはここで、各国の要人などとパーティーを開くなどしていた。そのため、広間は旧総統府内で一番広々とした空間となっていて、大人数も簡単に集まれる。
 しかしそこは、今や死者が溢れ返った殺戮場と化している。煌びやかで美しかった広間の光景はそこにはなく、床も壁も真っ赤な血で染め上げられ、やはり解体された肉片がそこら中に散らばっていた。
 広間の中に入った兵士達は、ふと真上から水滴が降って来た事に気付く。何事かと思わず見上げた彼らは、腰を抜かして悲鳴を上げた。彼らが見たものは、天井に吊るされた、沢山の血塗れの死体だった。内臓が飛び出て、傷口から鮮血を垂らし続ける死体の数々が、彼らの頭上に並んでいたのだ。
 死体の中には、全身の皮を剝がされたものや、首ごと引き抜かれたのか、脊髄が剥き出しになっているものもいる。あまりにも惨い光景を前に、等々恐怖に泣き出す兵や、堪えられず嘔吐する兵が続出する。
 そんな様を見て、広間の奥で椅子に腰かけた人物が一人、邪悪な笑みを浮かべている。その手で、まだ息がある若い兵士の頭を鷲掴みにし、恐怖する兵士達の姿を眺め愉しんでいた。
 
「ひゃはっ⋯⋯⋯! いらっしゃーい、あたし様の復活祭へようこそ」

 それは、一人のメイドだった。その身に纏うメイド服を返り血で染め上げ、両手の指にはワイヤーが伸びる仕掛けを装着している。所謂、ワイヤートラップが彼女の戦闘技術であり、天井に吊るされた死体の数々も、彼女が張ったワイヤー仕掛けの産物だ。
 ご機嫌な彼女は、頭を鷲掴みにしている若い兵士を活かしたまま、苦しそうに呻く姿を愉しんでいる。その兵は両腕を切断されており、出血が酷い。もう助からないのは、誰の目から見ても明らかだった。
 すると彼女は、もう片方の手の人差し指を、少しだけ動かした。次の瞬間、若い兵士の首は綺麗に切断される。既に彼の首には、彼女が張ったワイヤーが巻き付いていたのだ。
 だがそんな殺しの瞬間など、まだ可愛いものだった。彼女はその首を自分の顔の上まで持って行き、切り口より溢れ出た血を口にしたのである。それはもう旨そうに、真っ赤な鮮血で自身の喉を潤し、喉を鳴らして飲み込んでいくのだ。

「⋯⋯⋯ぷっはー!! 若い奴の血って喉越し最高!」

 鮮血を味わったところで、彼女は用済みとなった首を放り投げた。そして椅子より立ち上がり、化け物を見るような目で自分を見る兵士達に、歯を剥き出しにして嗤いかける。

「おめぇら、アンジェリカが目当てなんだって? ウルスラのババアからよぉ、全員ぶっ殺していいって言われてんだ。シャバが久々過ぎて、ちょっとばかし喰い散らかし過ぎちまったぜ」

 アンジェリカを呼び捨てにし、ウルスラをババア呼ばわりする者など、メイド部隊には彼女だけしかいない。帝国メイド部隊、フラワー部隊のアマリリスの姿を借り、殺戮の限りを尽くす悪魔以上の化け物。
 名前のない殺人鬼。それが彼女の、アマリリスの中に眠っていたものの正体である。

「でもいいさ。どんだけぶっ殺そうが、あたし様には関係ねぇし。好きなだけ殺して、好きなだけ血の匂いを嗅いで、好きなだけ踊り狂うだけ⋯⋯⋯」

 兵士達に向けられる強烈な殺気。彼らは蛇に睨まれた蛙の如く、一歩も動けない。恐怖に竦み上がり、声も発せられず、指一本動かせずにいる。そんな彼らの様を見て、彼女は嬉しそうに嗤う。
 そして彼女が、両手の指を一斉に動かした。瞬間、前衛の兵士達がほぼ同時にワイヤーに拘束され、一切の身動きを封じられる。再び彼女が指を動かすと、ワイヤーに拘束された兵士達は一瞬の内に解体され、ばらばらとなって即死した。
 
「ひゃははははははははっ!!! ああ愉しい、愉しい愉しい愉しい愉しい愉しい愉しい愉しいいいいいいいいいっ!! こんなにめちゃくちゃ殺せるの、超嬉しいいいいいいいっ!!」

 狂い笑う人の形をした化け物。少なくとも彼らには、今の彼女がそう見える。
 目の前で仲間が解体された事で、想像を絶する恐怖に突き動かされた兵士達が、我先にと逃げ出そうとする。しかしこの場所は既に、彼女が創り上げたキルボックスと化している。当然、この場所に足を踏み入れたが最後、何処にも逃げ場はない。
 駆け出した兵士達にワイヤーが絡みつき、一斉に彼らの両脚を切断する。誰一人として、彼女はこの場から逃がすつもりはない。つまり、ここで彼女を殺す以外、生き残る道は最初から存在しないのだ。
 
「ばっ、化け物が⋯⋯⋯!」
「相手は女一人だ! 全員でやれ―――」

 突撃を命じようとした指揮者の身体が、二つに分かれて左右に倒れ伏す。一瞬指揮系統を失い混乱した彼らの懐に、彼女の方から飛び込む。兵士達が対応するよりも速く、接近戦を仕掛けた彼女の拳が、先ず一人を殴り飛ばす。
 
「ぎゃはっ!! あ・そ・べ♪」

 ワイヤーなど使わずとも、彼女は素手でも恐ろしく強かった。兵士として鍛えられた男達が、相手に体格で圧倒的に勝るにも関わず、簡単に殴り飛ばされ、蹴り飛ばされていく。
 相手を殴り蹴る感触に興奮しながら、ある兵士の首の骨を圧し折り、ある兵士の舌を嚙み千切り、ある兵士の目玉を抉る。戦いを、というよりも殺戮を愉しんでいる彼女が、相手から抉り取った目玉を自分の口に放り込む。その光景を目撃した熟練兵が、驚愕と共に最悪の記憶を呼び覚ます。

「いいねぇ、この舌触りと食感⋯⋯⋯。涙で絶妙な塩加減になった、一番好きな味だ」
「きっ、貴様まさか!! かつてローミリアを震撼させた、あの伝説の殺人鬼!? そんな、貴様生きて―――」

 最後まで口にし終える前に、彼女のワイヤーが熟練兵の頭を両断する。
 熟練兵が口にした異名を聞いた彼女は、一気に機嫌を損ね、周囲の兵をワイヤーで斬殺する。しかし直ぐに機嫌を取り戻し、腹を抱えて狂い笑った。

「嘘だろおい! まだそれ覚えてる奴いんの!? とっくに絶滅したと思ってた!」

 嗤い狂った声と共に、彼女の殺戮は続く。まだ立ち向かって来る者、逃げようとして脚を切断された者、彼女に怯えてその場から動けなくなった者もまとめて、殺戮を愉しんでいる彼女の餌食となっていった。
 彼女こそ、かつてローミリア大陸を恐怖で支配し、大陸全土を震撼させた最大最悪の存在。現在では伝説の殺人鬼と呼ばれ、死んだと伝えられている名無しの殺戮者。
 当時、人は彼女を「名無しの悪魔」などと呼んで恐れた。その悪魔が今、この場所で伝説の再現をするべく、無慈悲にも解き放たれてしまったのである。

「あたし様こそ、泣く子も黙る名無し様よ! これからみんなまとめてあの世に送ってやるが、まだ生きるのを諦めんじゃねぇ。 必死になって藻掻いてくれなきゃ、殺し甲斐がねぇからさ!」

 広間には生き残っている兵士がいるが、彼らはもう悟ってしまった。いや、悟らされてしまったという方が正しい。
 自分達はここでまず間違いなく死ぬ。しかも、この名前も知らぬ悪魔の手によって、命を存分に弄ばれた後に死ぬのだ。
 それが分かったからと言って、人を殺す感触に快感を覚え、大興奮するこの悪魔の殺戮が終わるわけではなかった。彼女が死ぬか、それとも、彼女以外の生きとし生けるものが殺されてしまうまで、この殺戮の宴は終わらない。
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