贖罪の救世主

水野アヤト

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第五十七話 侍従乱舞

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 ヴァスティナ帝国女王アンジェリカ・ヴァスティナがジエーデル国に訪れた目的は、現ジエーデル国の代表ジークフリーデン・ムリューシュカとの会談のためである。会談の内容は、ジエーデル国敗戦以降、長年に渡る敵対関係にあったエステラン国との、終戦交渉を進めるためだ。
 ヴァスティナ帝国が仲介役となり、両国の交渉を取り仕切る事になっている。本来であれば、宰相リリカなどを始めとした文官達に任せるところだが、今回アンジェリカは自らの足で両国に赴き、両国の現支配者との話し合いを望んだ。
 今や、南ローミリアだけでなく大陸中央部すら手中に収めた、ヴァスティナ帝国の支配者として、アンジェリカは両国をもっと深く知るべきだと考えていた。
 自国とは違う国の在り方。自国とは違う支配者の政治や思想。帝国の外に出る機会が極端に少ないアンジェリカにとって、自ら両国に出向く事は、良き刺激であり学びであった。何より、自分と歳が近く、同じ女でありながら一国を治めるに至った彼女達に、純粋に興味が湧いたのが最大の理由と言える。
 そうでなければ、女王自らが自国を離れて大陸中央まで出向くなど、本来ならば簡単にできるはずもない。ただ今回は、エステランとジエーデルという、帝国にとって重要な国家の交渉事であり、最も頼れる宰相リリカは不在である。
 文官やメイド達からの反対意見はあったが、これを理由にする事で、女王アンジェリカの旅は叶った。最初にエステラン国へ赴き、女王ソフィー・ア・エステランを自分の目で見定め、次はいよいよジエーデル国のジークフリーデンの番というところで、問題は起きた。

 ジエーデル国に到着したアンジェリカ達は、ジークフリーデンとの面会が叶わなかった。理由は、彼女の体調不良による療養のためだ。
 ジークフリーデンが倒れるのは、これが初めての事ではないという。数日もすれば面会できるようになると説明を受け、アンジェリカは暫くの間ジエーデル国に滞在する事になった。
 そして今日、ジークフリーデンが面会できる程に回復したと連絡を受け、いよいよアンジェリカは会談に臨む。滞在先として用意された、各国要人のための屋敷を後にし、従者を引き連れたアンジェリカは旧総統府へと赴いた。
 かつて、ジエーデル国の独裁者が君臨していたこの場所も、今では新政府の中心地として活かされている。ここに新たに君臨したのが、ジエーデルを独裁者の手から解放した英雄、ジークフリーデンである。
 旧総統府に入ったアンジェリカは、彼女の到着を待っていた案内役達によって、一旦要人用の客間へと通された。案内役の一人は、ビルという名の軍人だった。
 左手が義手の彼は、独裁者バルザック打倒に立ち上がった英雄の一人である。戦後は新政府の軍事を担当する幹部となり、祖国の軍備立て直しに尽力している。
 
 アンジェリカが面会を待たされたのは、肝心のジークフリーデンの到着が遅れているという理由であった。客間の外は護衛の帝国騎士団、部屋の中は帝国メイド部隊に守られ、案内役達と軽い話をした後、暫くしてジークフリーデン到着の報が届く。
 ビルを始めとした案内役に誘導され、アンジェリカは護衛の騎士四人と、メイド長ウルスラ、リンドウ、スズラン、アマリリスを連れ、ジークフリーデンが待つ部屋へと移動を始める。客間を出たところでアンジェリカを見送ったのは、皆を代表したラフレシアだった。

「いってらっしゃいませ、陛下」
「⋯⋯⋯戻るまでの間、変なことはするな」
「わかってますって。みんなのことはちゃんと見ておきます」
「⋯⋯⋯」
「なっ、なんですかその疑いの目は⋯⋯⋯」

 信用していないのがはっきりと分かる顔で、溜め息を吐きラフレシアに背を向けたアンジェリカは、彼女と似たような顔をしたウルスラ達と共に、客間を後にする。
 ラフレシア達を残し、この場を後にするアンジェリカ達の心境は、問題児達を残して離れてしまう親の心配に近かった。心配な点を語り出したら切りがないため、敢えて口には出さないものの、ラフレシア達に自覚がないのが問題だった。
 
「まったくもう⋯⋯⋯、みんな信用ないんだから」

 見えなくなるまでアンジェリカ達を見送り、客間に戻ろうとしたラフレシアだが、ふと近付いてくる気配に気付く。気配のする方へ顔を向けると、近付いてきた相手は、やはりと言いたげに愛想良く笑って見せた。
 
「見間違いかと思いましたが、ヴァスティナの侍従さんでしたか。御無沙汰しております」
「あっ⋯⋯⋯! 陛下に喧嘩売ったイケメンの外交官さん!」
「あっははは⋯⋯⋯。その節はお世話になりました」

 現れたのは、ジエーデル国外交官セドリック・ホーキンスであった。かつてヴァスティナとジエーデルが交渉を行なった際、女王であるアンジェリカと、変わらず外交官という立場にあったセドリックは、交渉という場で静かな戦いを繰り広げた。
 セドリックの顔を見た事で、あの時の外交官だと思い出したラフレシアが、嬉しそうに笑って頬を緩ませる。

「こんなところで再会なんて偶然! でもそっかあ、ここジエーデルなんだし、いるのは当然ですよね!」
「近隣国との交渉が早く片付き、ここへ戻ったばかりでして。偶然とはいえ、まさか貴女とまたお会いできるとは思ってもみませんでした」

 特にこの二人に面識があったわけではない。帝国とジエーデルの交渉時、滞在先で数回お互いの姿を見ただけである。
 セドリックは外交官という立場上、出会ったどんな人物も目に焼き付け、しっかりと記憶する癖が付いているため、ラフレシアの事を憶えていた。逆にラフレシアの方は、自身の性癖の関係上、男に対しては憶えが異常に良いため、セドリックの事を直ぐに思い出せたのである。
 互いに偶然の再会であるが、自分の妄想が捗る男の登場に喜ぶラフレシアと違い、セドリックは再会の喜びも束の間、疑問の色を表情に浮かべた。

「ところで、本日はどうしてこちらに? 女王陛下と御一緒ではないようですが⋯⋯⋯」
「陛下ならついさっきまでここにいて、会談に向かわれたばかりですよ。ムリューシュカ様の体調が回復したからって、今日面会することになったんです」
「なんですって? 先程私が聞いた話だと、ジークフリーデン様はまだ御屋敷を離れられなかったはず⋯⋯⋯」
「えっ?」

 話が違うと、今度はラフレシアの方が疑問を浮かべる番だった。
 セドリックからすれば、ジークフリーデンは今日ここに来ていないと、つい今し方同僚に聞かされたばかりである。何かの間違いではないかと思い、疑いの目を向けるラフレシアへと話を続けた。

「ジークフリーデン様の御体調が戻らず、面会は明日以降になると聞いていまして。私も、交渉の結果を直接お伝えできればと思っていたのですが、無駄足になってしまったところです」
「⋯⋯⋯妙ね。ビルって人が面会の案内に来たんですが、何か御存知だったりします?」
「変ですね。確かビルは軍事演習に出向いているはずですが⋯⋯⋯」

 それを聞いた瞬間、ラフレシアの纏う空気が変わった。彼女が纏う空気は、客間に控えるメイド達にも伝わって、ラフレシアを始めとして、皆目付きが変わる。
 アンジェリカの護衛として同行する帝国騎士団は、四人を除いて旧総統府の外に待機させられている。建物の中への同行を許されたのは四人の騎士と、メイド達だけである。その理由は、反乱や暗殺などを警戒した、この場所の規則によるものだ。
 面会に関し、メイドの同行が四名なのも、ここの規則に従った結果だった。これら規則の説明を行なったのは、案内役のビルである。
 
「嫌な予感がするわね⋯⋯⋯」

 そう呟いたラフレシアは、鈍ってしまった、危険を感じ取る己の勘を呪った。胸騒ぎを覚える自分の心に従い、メイド服のスカートを翻した彼女は、自分と同じ目付きをしたメイド達が命令を待つ、緊迫した空気が張り詰めた客間へと戻っていった。
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