贖罪の救世主

水野アヤト

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第五十五話 挑む者、目覚める者

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 ヴァスティナ帝国国防軍参謀長エミリオ・メンフィス。
 彼の裏切りは、未だ帝国国防軍全体に知れ渡ってはいない。それを知るのは極一部であり、そのほとんどは、エミリオ旗下の戦力である。
 エミリオが保有する主な戦力は、彼を警護するための護衛部隊と、以前より彼が創設した諜報部所属の戦闘員が少数である。つまり、反乱を起こした彼の主戦力は、反乱に加担した各国軍の戦力となっていた。

 エミリオは、オーデル王国にその身を置いて反乱の指揮を執っていたが、計画を次の段階に進めるため、昼間の内にこの地を離れなければならない。彼の計画では今頃は、リック捕縛に向けた作戦が展開しており、上手くいけば捕縛に成功している頃だ。
 尤も、リック達がエステラン国で襲撃を受け、敵を返り討ちにして逃亡に成功した事は、まだエミリオの耳に届いてはいない。更に付け加えるなら、リックの記憶が戻ったという事実も、彼はまだ知らなかった。

 作戦を次の段階に進め、反抗勢力から新たな情報を得るためにも、エミリオはオーデル王国からの出発を急いだ。王国に駐屯する、事情を知らない各隊には、同盟国同士による軍事演習の視察という表向きの理由が伝えられている。当然ながら実際は、反抗勢力との合流が目的だった。
 だがその前に、エミリオは出発を急ぐ気持ちを持ちながらも、ある場所に赴いていた。それは、帝国国防軍の司令部となっている、旧オーデル城の地下である。地下には罪人を捕らえておくための牢獄があり、自身が投獄した人物へと別れの挨拶に現れたのだ。

「調子はどうかな、シャランドラ」

 蝋燭の火が地下を薄暗く照らす、鉄格子の向こうに彼女は寝転がっていた。牢獄内に囚われた少女シャランドラは、眼鏡の奥でエミリオを睨みつけ、怒気を放ちながら口を開いた。

「ここ出たら、真っ先にその眼鏡叩き割ったる」
「元気そうで何よりだ。退屈凌ぎに、また新しい本でも持って来させるよ」

 こんな地下の牢獄に囚われているものの、彼女は特に拘束もされなければ、手荒な事もされていない。ただここに監禁され、外に出る自由を奪われているだけだ。しかもここには、彼女の退屈を紛らわせるため、様々な分野の書物や、簡単な発明品が作れるだけの部品や工具が用意されていた。
 監禁はされているものの、生活に不自由のない計らいがなされている。当然ながらシャランドラ本人は、こんな場所に監禁されて怒り心頭だが、今のところは無事であった。

「実は、用があってここを離れなくてはならなくてね。出発の前に様子を見にきたわけだが、何か注文があれば聞くよ」
「あるで。ちょい銃貸してくれへん? そのむかつく面、風通し良くしたるわ」
「残念だけれどそれはできない相談だね。他には?」
「⋯⋯⋯もしも、リックやみんなに傷でもつけてみ。戦車で轢き殺したる」

 シャランドラの怒りは殺意に変わっており、もし鉄格子が二人の間を隔てていなければ、間違いなく彼女はエミリオに殴りかかり、その首を絞め上げようとするだろう。牢獄内で寝転がっているだけで、特に何もしていない彼女だが、頂点に達した怒気は空気と変わり、エミリオの肌にひりひりと伝わった。
 仲間想いのシャランドラが言った通り、もしリックや仲間達の身に万が一の事でもあれば、例え元仲間であろうと容赦せず、怒り狂って殺すだろう。もしも、その万が一がリックの身に起きでもしたならば、彼の存在に大きく依存するシャランドラは、確実に壊れる。
 壊れた彼女がどんな狂気に奔るか、想像ができないエミリオではない。リック達に出会う以前から、彼女の狂気は始まっていた。リックとの出会いでその狂気は加速し、彼の力を借りる事で、数々の大量殺戮兵器を生み出してきたのである。
 辛うじて残る彼女の理性が失われれば、彼女の驚異的な発明によって、最悪の悲劇が生まれる。だからと言って、危険極まりない存在である彼女を、今始末するわけにはいかない。彼女の力は、失うにはあまりにも惜し過ぎるからだ。

「安心して欲しい。私はリック達を、不用意に傷付けるつもりはないからね」
「⋯⋯⋯うちを生かしとんのは、人質にでもするつもりやろ?」
「それもあるが、君や他の皆も失うには惜しい存在ばかりだ。中でも特に君は、ヴァスティナ帝国の軍事戦略になくてはならない」
「うちが言うこと聞くと思っとるん?」
「嫌でも聞くようになるさ。そのためにリックを手に入れるのだからね」

 寝転がっていたシャランドラが飛び起きて、不敵な笑みを浮かべるエミリオに向かい、傍にあった分厚い本を投げ付ける。本は彼に届く前に、鉄格子に阻まれて床に落ちてしまう。落ちた拍子に頁を開いた本には、飛行する魔物の生態に関する記述や、毒を持つ茸類に関する研究が記されていた。
 シャランドラは怒りのあまり、咄嗟に手近にあった本を投げ付けたが、その本は彼女の研究ノートである。絵や文字がびっしりと頁に記されており、その本はまさに、発明に懸ける彼女の情熱そのものであるかのようだった。

「⋯⋯⋯大切な本を投げるとは、感心しないよ」
「うちをこんな豚箱閉じ込めて、次はリックを利用しようとするんか!? 今のリックはなんも憶えてへん、無垢でよう笑う子や! そんなリックにすら、これ以上悲しい顔をさせるつもりなんか!?」 

 もうこの男には、何を言っても無駄なのだと分かっている。彼は踏み出した足を止めようとは、決してしない。それでも叫び出さずには、彼を止めようとせずにはいられなかった。
 エミリオは本気だ。執務室にシャランドラを呼び出し、武器を持った配下の兵達に彼女を拘束させ、逆らえば彼女の指揮下にある技術者達を殺すと脅した。仲間達の命を人質に取られては逆らえず、彼女は大人しく、この場所に監禁される他なかったのである。
 
「⋯⋯⋯私達のリックも、彼の悲願も、あの日失われてしまった」
「⋯⋯⋯!」
「シャランドラ。大陸全土統一という偉業を、彼と共に成し得なかった私にできるのは、失われてしまった彼の意思を継ぐことだけだ。ローミリア大陸の武力統一は、私の手で叶えて見せよう」

 驚愕するシャランドラに向かって不敵に笑いかけ、エミリオは彼女に背を向けようとする。反旗を翻したエミリオの目的を知ったシャランドラは、自分のもとを去ろうとする彼にまた本を投げ付ける。今度も鉄格子が本を阻み、この場を去ろうとしたエミリオの足が止まった。

「うちは絶対許さへん! うちら裏切って、こんな勝手して、まさかただで済むと思ってないやろな!?」
「覚悟の上だよ。例え君や、他の仲間達に、この命が奪われることになろうともね」

 最後にそう言い残して微笑を浮かべ、エミリオはシャランドラのもとを去っていった。彼がいなくなり、また一人だけになってしまったシャランドラは、歯を食いしばって肩を震わせていた。

「馬鹿⋯⋯⋯、大馬鹿や⋯⋯⋯!」

 怒りと、そして悲しみに震える彼女は、去ってしまったエミリオに向け、最後にただそれだけを口に出すのだった。彼女の言葉と、その悲しき想いは、覚悟を決めた彼にはもう届きはしない。









 ミルアイズから南に離れた地域に、ダナトイアという国がある。ダナトイアを治める領主の妻は、ミルアイズの領主デルーザの娘である。両国は密接な関係にあり、ダナトイア領主はデルーザに頭が上がらない。
 故にデルーザは、何かあればこの国を頼る。自国の領主屋敷が燃えて無くなったために、突然ダナトイアをデルーザが頼って来ても、領主は勿論歓迎した。
 デルーザはよくダナトイアに足を運ぶため、この国には彼の別荘が建てられている。その別荘にはデルーザと、彼が引き連れきた者達が滞在している。別荘自体は二階建ての大きく豪華な造りで、大勢が滞在するには十分だったため、彼らの新たな拠点の一つに選ばれたのだ。
 
 デルーザ達が滞在している別荘には、彼専用の特別な部屋がいくつもある。特別と言っても、執務室類のものではない。言うなれば、滞在時のデルーザが使う秘密のお楽しみ部屋だ。
 数あるお楽しみ部屋の中で、特に不気味で物騒な部屋が、ある一人の少女の監禁部屋に選ばれた。その部屋には窓がなく、拷問用の道具と思われる数々の品が配置されている。窓がないため、監禁された相手は外の景色や日の動きが分からず、ここが何処でどれだけの時間が経ったか把握できない。拷問器具も揃っているため、閉じ込めるには最適と判断されたからだ。
 唯一の明かりは、天井のシャンデリアによる明かりのみである。その明かりの下で、天井から吊り下げられた拘束具によって、両腕の自由を奪われた少女が素肌を晒し、二人の男に挟まれ乱暴に扱われていた。
 
「⋯⋯⋯ふんっ。これだけやって悲鳴一つ上げんとはな」
「頑丈な女だ。番犬と呼ばれるだけはあるな、兄貴」
「噂の狂暴な番犬も、こうなってしまえばただの雌犬だがな。俺達好みにたっぷり躾けてやるさ」

 一糸纏わぬ姿で拘束具に両腕を吊り上げられ、一切の抵抗ができないまま、裸の男達の責苦を受け続けても尚、少女の瞳は、男達に反抗的な眼差しを向け続けている。それが益々男達を愉しませるが、兄と呼ばれた男が言うように、彼女は悲鳴どころか、呻き声すらほとんど漏らさなかった。
 これが番犬の異名を持つ、ヴァスティナ帝国の悪名高き親衛隊隊長なのだと、二人の男は改めて理解する。理解はしつつも、そんな番犬を捕らえる事に成功し、こうして弄べるだけでも、反乱に加担した甲斐があったと思っている。

「⋯⋯⋯困りますなザンバ殿、ジルバ殿。彼女は私が貰い受ける戦利品なのですぞ?」

 少女に夢中になっていたせいで、二人は入室してきていた者達に気付いていなかった。名を呼ばれた二人が向くと、そこにはミルアイズ領主デルーザと、二人の人物が入室していた。
 一方は、ゲルトラットという国の軍事を預かる将軍、オスカー・ギルランダイオ。もう一方は、拘束されている少女がよく知る、ヴァスティナ帝国の参謀長たる男だった。
 その男を瞳に捉えた瞬間、少女は怒りを露わにし、恐ろしいまでの殺気を放って相手を睨み付ける。拘束されて自由を奪われ、見るも無残な姿の少女を見た彼は、殺気に動じる事なく口を開いた。

「ヴィヴィアンヌ、気分はどうだい?」
「エミリオ・メンフィス⋯⋯⋯。やはり貴様の仕業か⋯⋯⋯」

 囚われた親衛隊隊長ヴィヴィアンヌと、裏切り者の参謀張エミリオ。どちらも、ヴァスティナ帝国国防軍を支える二大柱であり、国防軍の要と言える存在だ。その二人が今、敵同士となり相まみえたのである。
 エミリオが現れた事に、ヴィヴィアンヌは特に驚きもしなかった。ミルアイズでの戦闘の際、合流するはずの第四戦闘団が現れず、部隊は壊滅し、自分が敵の捕虜となった時点で、ある程度予想できた結果だからだ。
 エミリオもまた、捕虜となった彼女の哀れな姿に、眉一つ動かさない。自分の裏切りによって大勢の兵が死に、彼女が拷問を受ける結果など、十分予想できていたからだ。

 ブラウブロワの二代将軍にして、双子の兄弟ザンバとジルバに、抵抗できないヴィヴィアンヌは嬲られ続けていた。軍服や武器の類は全て奪われ、裸にされた彼女が唯一身に付けているのは、右眼を隠す黒い眼帯のみであり、双子の兄弟が彼女を、この部屋で大いに辱めているのは明白だった。
 狙撃によって撃ち抜かれた両脚には、治療が施されて包帯が巻かれているが、頬は腫れ、身体の所々に腫れや痣が目立つ。無抵抗な彼女が、彼らに暴行を受け続けていたと分かる状態だ。訊ねはしたものの、エミリオが聞くまでもなく、気分など良いわけがない。

「裏切者が私だと、よく気が付いたね」
「⋯⋯⋯私の作戦を見抜くだけでなく、ベルトーチカまで利用するなど、貴様以外に出来るはずもない。シャランドラを人質にしてベルトーチカを従わせ、私を撃たせたんだろう?」
「ご明察だよ。やはり君こそ、私の計画にとって最も危険な障害だったようだ。とは言え、こうなってしまった以上、君にはもう私達を止められない」

 ヴィヴィアンヌがリックを守るために計画した作戦は、自軍にすら情報を流さなかった極秘のものだった。作戦の内容を知っていたのは、作戦に参加した兵士達のみであり、情報漏れも起きていない。
 つまりこれは、敵側には看破不可能な作戦だった。ヴィヴィアンヌの作戦を見抜ける者というのは、彼女の思考や性格を日頃からよく知り、彼女の動きからあらゆる可能性を予想し、状況的に最も現実的な答えを導き出せる者だけだ。
 それが可能な者は、彼女が知る限り敵側には存在しなくとも、味方側には存在している。結果はヴィヴィアンヌが予想した通り、反乱の主犯エミリオであった。
 一方、エミリオの立場からすれば、ヴィヴィアンヌの排除こそが最大の課題であった。ヴィヴィアンヌの情報収集能力と分析力に加え、驚異的な勘の鋭さは、反乱を企てる者達にとっての脅威となる。そこでエミリオは、手始めに彼女の排除を優先する策を講じ、実行に移した。

「ブラドにホーリスローネの手の者が現れたのは、貴様の差し金だな?」
「君も勘付いていただろうけど、リックの記憶喪失は既に反ヴァスティナ勢力や王国にも伝わっている。情報流したのはグラーフ教会らしくてね。私はそれを利用させて貰い、王国軍のマット・テイラーにブラドを襲わせた」
「⋯⋯⋯おかしいとは思っていた。閣下の身に迫る危機を、我が親衛隊より先に貴様の諜報部が察知した時点でな」
「だから君は、最悪の場合は想定して自らを囮とし、リックをミルアイズではない何処かに向かわせた。その何処かというのは、エステラン国ではないかな?」

 まさにその通りではあるが、ヴィヴィアンヌは決して動揺を露わにしなかった。逆に驚いたのは、エミリオとヴィヴィアンヌ以外の、この場の面々であった。
 ザンバとジルバは、リクトビアの行方を探るべく、ヴィヴィアンヌを拷問して情報を吐かせようとしていた。しかしエミリオは、彼女の口から何も聞く事なく、確信した顔で行方を言い当てるのだった。
 
「簡単な話だ。ブラドの位置から考えられる、最も南ローミリアに近く、最も安全な国はエステランだけだ。エステランの女王は、自らの立場を変えたいとは考えていない、自国の事以外は無関心な女王だからね。だからリックを裏切らないと考えたのだろうが、君は少し彼女を誤解している」
「⋯⋯⋯!」
「傀儡とはいえ、彼女もまたエステラン王族の血を引く者。使えなくなったものは、容赦なく切り捨ててしまう。私達が反乱の話を持ち掛けたら、その時が来た際は協力すると約束してくれた」
「⋯⋯⋯傀儡の人形風情が。閣下への恩を仇で返すか」
「今頃はもう既にリックを捕らえている頃だろうけど、まだ連絡が来なくてね。エステランに我が軍の無線はないから、きっと早馬を出してくれているはずだよ」

 何もかもエミリオが推測した通りであり、エステラン国女王の裏切りに関しては、ヴィヴィアンヌにとって最悪の誤算だった。
 ヴィヴィアンヌはエステランの女王ソフィー・ア・エステランに会った事はない。ただ、収集された情報や話に聞くのみでしか、彼女を知らなかった。大陸の覇権や自国の繁栄など、そんなものに興味がないソフィーならば、自国を脅かしかねない危険な選択は、決してしないと考えていたのである。
 だが実際は、ソフィーもまたヴァスティナ帝国を裏切ったという。エステランの話が出て、不敵に笑うザンバとジルバを見たヴィヴィアンヌは、裏切りが真実であると察する。あと一歩、相手を読み切れなかった自分への怒りを露わにしながら、ソフィーに対する溢れんばかりの怒りを溜め込んだ。

「そう言う訳でバッテンリング両将軍、彼女への尋問はもう必要ない。手荒な真似はしないで欲しいと頼んだはずだが、私が来るまで随分勝手な真似をしてくれたね?」

 かけている眼鏡を指で上にあげながら、エミリオが静かな苛立ちを露わにする。口元は笑っていても、その瞳は全く笑ってはいない。明らかな怒りを露わにする彼に、ザンバとジルバは臆せず下卑た笑みを返した。
 
「ジルバよ。どうも参謀長殿は、かつての仲間が傷物にされるのがお気に召さんらしい」
「そうらしいな兄貴。脚でも射抜いて捕まえろと命じたのは、他でもない自分だっていうのにな」
「まったくだ。参謀長殿が来るまでに、こいつで随分愉しませて貰ったぞ。目付きの悪い雌犬だが、体の方は極上だ」
「例の男娘を人質にしてやったら、この女何て言ったと思うよ? 手を出すなら自分だけにしろって、素直に股を開いて俺達のを咥え込みやがった。番犬なんて呼ばれてる女が、俺達に悔し顔向けて好き放題されんのは傑作だったぜ」

 ザンバとジルバは、ブラウブロワの軍を指揮する二代将軍であり、どちらも武闘派の兄弟である。戦好きな戦闘狂でもある兄弟だが、頭は悪くない。
 果たしてエミリオが、自分達の目的を達するのに必要な存在であるか。それを試す目的もあって、彼にとって仲間であったはずのヴィヴィアンヌを、壊れてしまわない程度に嬲り犯した。
 未だ、瞳は死んでいないヴィヴィアンヌだが、その身体は殺したい程に憎い相手に犯され、慰み者にされ続けた。こんな男達に弄ばれ、心が壊れてしまわないのは、強靭な精神を持つ彼女くらいなものだ。常人であれば既に心は壊され、その瞳は希望の光を失い死んでしまう。

 もしエミリオが、帝国の仲間達への情を未だ捨て切れていないならば、反乱の先導者として、この先信用する事ができない。その捨てられなかった情によって、彼が大事な局面で躊躇えば、全軍の崩壊に繋がる危険性がある。
 ヴィヴィアンヌを拷問したのは、自分達の趣味嗜好であり、エミリオが信用できるかを試す最終試験であった。これで元仲間へ情を向けようとするなら、所詮はそこまでの男と判断できる。
 いっそ激しく拷問し、大勢の兵に強姦させ、壊れた彼女をエミリオの前に晒した方が、もっと良い試験になっただろう。その方が、今よりずっと感情を露わにするかもしれないからだ。だが兄弟は、エミリオが言った通り、ヴィヴィアンヌへの過度な暴行を許されていなかった。
 拷問の末に、彼女の心身が壊れてしまうのは、固く禁じられていた。理由は、彼女には今後の戦略を左右する、大きな利用価値があるからだという。
 兄弟はこれを、彼の情による適当な理由だと決め付けていた。しかしこの兄弟も、デルーザやオスカーでさえ、エミリオの恐ろしさをまだ理解していなかった。

「⋯⋯⋯誤解しないで貰いたい。私が怒っているのは不埒な雌犬の状態にではなく、君達が私の指示に従わなかった、この一点のみだ」

 冷たい笑みを浮かべたエミリオに、あのザンバとジルバが戦慄する。兄弟が見たエミリオの目には、哀れで無惨なヴィヴィアンヌの姿など映っておらず、その怒りは別のものにしか向いていなかった。

「君達が命令に背くと、私の計画が狂うだけでなく、全軍の秩序を乱す要因になりかねない。我が軍の指揮者は君達ではなく、私とギルランダイオ殿なのを忘れたかい?」
「⋯⋯⋯忘れちゃいないさ、参謀長殿。俺もジルバも、オスカーの旦那に迷惑をかけるつもりはない」
「しかしだな参謀長殿。この化け物を生かしたまま捕えさせた、その理由ってのはそろそろ聞かせてくれよ。こいつ一人捕まえるのに、一体どれだけ殺されたと思う?」
「ジルバ殿の疑問は尤もだ。では彼女の利用価値に付いて、今ここでお話ししよう」

 ヴィヴィアンヌには利用できる価値があって、ザンバとジルバの二人に彼女を捕らえさせた。まだ誰も利用価値の正体を知らされてはいないが、理由を述べようとするエミリオの後ろで、オスカーが静かな殺意をヴィヴィアンヌに向けているのを、二人の兄弟は見逃さなかった。
 
「彼女は帝国国防軍の諜報戦の要であり、しかも戦闘能力は化け物級だ。リクトビアを手中に収めれば、如何に彼女と言えど我々の命令に逆らえなくなる。リクトビアを人質に、彼女を便利な駒として扱う事が可能になるだろう」
「成程な。手荒な真似を禁じたのは、使い物にならなくなっては困るからか」
「それだけではない。もし仮に命令を聞かなければ、彼女による策謀の数々によって低下した帝国の信頼回復のため、生きたまま彼女を処刑台に上げられる」
「こりゃあいいぜ兄貴! 参謀長殿は元仲間の処刑がお望みだとよ!」

 エミリオの言う策謀とは、ヴィヴィアンヌがこれまで行なってきた、親衛隊による工作活動である。彼女は帝国国防軍の軍事戦略を達成するべく、要人の暗殺や破壊工作、更には情報操作までも行なっていた。
 先の戦争に於いては、対ジエーデル戦を早期に勝利へと導くため、敵である者もそうでない者も、裏で大勢暗殺している。例を挙げるなら、ある国の要人の家族を暗殺し、それがジエーデル軍の仕業であると情報操作して、対ジエーデル戦に参加させた。
 勿論、親衛隊はこの作戦行動の真相を秘匿し続けてきた。だが、秘密とはいつかは暴かれるものである。その秘匿してきた作戦が、ジエーデルではなく帝国を疑った者達の手によって暴かれ、親衛隊は大陸中央で批判の対象となったのである。
 元々、帝国に逆らう者を粛清と称し、時には火炎放射器で焼き殺し、時には事故に見せかけ暗殺するなど、親衛隊は反帝国思想を持つ者を大勢殺してきた。それによって秩序を維持してきたのだが、親衛隊の悪名は大陸中に広まってしまった。
 結果、親衛隊によって帝国の信用は大きく低下し、国内外で帝国を支持する者の数は減った。ヴィヴィアンヌと親衛隊の活躍により、帝国は早期の勝利を得た半面、人々の信用と支持を失ったのである。
 これを取り戻す方法はただ一つ。親衛隊の粛清と、指揮者であるヴィヴィアンヌの処刑だった。生きている彼女を処刑台に上げ、人々の目の前で処刑すれば、帝国の信頼回復に大きな効果を得られるからだ。

「私が予想していた通り、彼女のせいで今や帝国は旧アーレンツや旧ジエーデルと変わらなくなってしまった。まったく忌々しい限りで、いっそ処刑してしまうのも悪くはないが、真に私が欲するのはこんなものではない」
「ほう? この女には、もっと良い利用価値があるとでも?」
「ええ、その通りです。恐らく彼女はローミリア大陸でただ一人、失われしアーレンツの秘宝、情報局の保管庫を持っている」
「!?」

 中立国アーレンツ。ヴァスティナ帝国との戦争に敗北する前、この国を支配し続けていたのが国家保安情報局である。その情報局が有していた、各国の手出しを許さなかった最高機密。それが、「情報局の保管庫」である。
 この保管庫には、ローミリア大陸全土の機密情報が保管されており、解放されれば大陸中を戦渦に包むと言われていた。だがその保管庫は、ヴァスティナ帝国とアーレンツによる戦争の最中、ジエーデル国の手によって全て灰にされた。
 噂だと思われていた保管庫の存在や、それが失われたという事実などは、情報局の崩壊と共に広く知れ渡った。保管庫の事を知る者ならば、エミリオの話を受けて驚愕するのも無理はない。現にザンバやジルバ、オスカーやデルーザでさえ、驚きのあまり目を見開いてしまう程だ。

「あっ、兄貴⋯⋯⋯! もしそれが事実なら、ゼロリアスだろうがホーリスローネだろうが目じゃないぜ!?」
「こいつは何としてでも手に入れたいが、この女が元はアーレンツの人間だからと言って、簡単には信じられ――――」
「元ジエーデル国総統バルザック・ギム・ハインツベントはアーレンツの情報局出身だった。この情報が保管庫から彼女が得ていた情報だったとしても、まだ信じられないかい?」
 
 そう語るエミリオの言葉に、ザンバは息を呑む。
 先の戦争末期、大陸中を駆け巡った一つの噂。それは、ジエーデル国総統はアーレンツの手の者だったという、にわかには信じ難い噂である。今ここでエミリオは、その噂が事実であると肯定したのだ。
 しかもその情報の出所は、情報局の保管庫であったという。情報をもたらしたのがヴィヴィアンヌだと言うならば、燃えて灰と消えたはずの保管庫は、彼女が持っている事になる。
 
「今彼女を失えば、我々は永久に保管庫を得る機会を失うでしょう。何せ、失われた情報局の保管庫は、彼女のここにしか残っていないのだから」

 エミリオは兄弟に向かって、人差し指で自分の頭を指差して見せる。つまりそれは、保管庫は形として残っておらず、ヴィヴィアンヌの頭の中だけに存在している事になる。
 危く、自分達は二大大国への切り札を失うところだったと、兄弟は揃って肝を冷やした。そういう事であれば事前に説明しておけと言いたくもなったが、情報が最高機密なだけに、場を選ぶ話であった。
 事情を知らなかった者達が驚愕する中、一人だけ皆と違う反応を見せるのがヴィヴィアンヌだった。彼女は突然笑い出し、見下し顔でエミリオを見る。

「ふふっ、ふふふふっ⋯⋯⋯。それが貴様の目的か⋯⋯⋯」
「あれがなければ、反乱の隙を見逃さないゼロリアスとホーリスローネを牽制できる材料が足りなくてね」
「あんなものをまだ欲しがる輩がいるとはな。軍師メンフィスよ、今更怖気付いたのか?」
「怖気付くに決まっているじゃないか。私が始めたのは、仲間であった全てを敵に回す、一世一代の背信なのだからね」

 ヴィヴィアンヌを捕らえた真の目的が、エミリオの口によって明かされた。真実を知ったザンバやジルバは、情報局の保管庫を使う事で、自分達がどれだけの力を得るに至るのか、早速計算を始めている。
 彼女に殺意を向けるオスカーも、まさかあの保管庫が手に入るとは思っていなかった。本当に保管庫を手に入れさえできれば、将来的脅威である北の二大大国を、北方に封じておく事が可能になるだろう。少なくとも、反乱によって混乱した大陸中央をまとめ、二大大国に備える準備の時間は稼げる。
 反乱者達がそれぞれの思惑を抱く中、エミリオは拘束されたヴィヴィアンヌに向かい、ゆっくりと近付いていく。眼前に立ったエミリオは、自由を封じられた彼女の肌に指先で触れ、静かに口を開いた。

「⋯⋯⋯この体で、君がリックの判断を間違わさせた。だけど、今はまだ殺さない」

 次の瞬間、エミリオの手がヴィヴィアンの頬を引っ叩いた。返した手の甲で反対の頬も強く叩き、部屋に二度、肌が叩かれる乾いた音が響き渡った。
 赤く腫れ上がった両の頬。鋭く睨んだ眼光を向けるヴィヴィアンヌに、エミリオは憎悪を込めた顔で彼女を見る。

「皆勘違いしているようだけど、私はこの女が嫌いだ。保管庫の件さえなければ、疾うの昔に殺している」

 それを聞いたザンバとジルバは、腹を抱え大声で笑い出した。エミリオの憎悪が本物であると知った兄弟は、笑いながらオスカーへと視線を向ける。オスカーも彼らと同意見であり、兄弟に向かって静かに頷いた。

「がっははははははっ!! 気に入ったぜ参謀長殿! 俺もジルバも、あんたみたいなのは嫌いじゃねぇ!」
「保管庫まで手中に収めるってことは、狂犬に代わって本気で大陸の覇権を狙ってんだろ!? 面白くねぇ参謀だと思ってたが、こいつは予想外もいいとこだ!」

 ザンバとジルバの信頼を得たエミリオは、汚物を見るような目でヴィヴィアンヌを一瞥すると、振り返ってオスカーとデルーザに視線を向ける。デルーザは動揺した顔で、額に浮かんだ脂汗をハンカチで拭っていたが、オスカーは真っ直ぐエミリオを捉え、深い憎しみが込められた言葉を発する。

「メンフィス参謀長。この女を殺す時は、俺の手に任せて貰いたい」
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