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第五十五話 挑む者、目覚める者
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自分が何者であるか、それを初めて聞かされた時、とてもではないが信じられなかった。
何も思い出せずにいた自分に、優しいリリカさんが教えてくれた。俺がヴァスティナ帝国という国の軍人で、軍を動かす将軍であった事。仲間達に慕われ、帝国女王に絶対の忠誠を尽くし、救国の英雄と呼ばれている事。ローミリア大陸と呼ばれているこの世界で、数々の戦いを経て、大陸の半分を手中に収めた事。
そして、前の戦争で重傷を負い、記憶を失ってしまったという事⋯⋯⋯。みんな、あまり深く教えてくれないけど、その戦争のせいで大切な仲間が失われたのだと、記憶が無くなっていても察しは付く。失われたその仲間が、俺にとって、きっとかけがえのない存在だったんだって、教えてくれなくても分かった。
俺はみんなに守られている。記憶を失ってしまった直後は、綺麗で優しいリリカさんが、いつも俺の傍にいてくれて、安心させてくれた。それからは、俺が忘れてしまった仲間の人達も、何もかも忘れた俺に最初は戸惑っていたのに、今の俺を受け入れてくれた。
みんな優しくて、それに温かい。ヴィヴィアンヌさんはまだちょっと恐くて苦手だけど、彼女も俺を守るために、全力を尽くしてくれていると知ってる。だから俺は、こんな状況になってもみんなに守られて、薄暗い物置部屋に匿われている。
さっきから頭が割れそうに痛い。痛みが奔る度に、俺が知らないはずの風景が、言葉が、人の姿が、俺の脳裏に映し出されていく。断片的で、一瞬で、靄がかかっていてよく分からないのに、映し出される数々が何処か懐かしく感じてしまう。きっとこれが、俺が失ってしまったものなのだと気付いても、頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられない、何も分からない。
不意に、手に持った壊れた銃の感触が、また新しい光景を脳裏に映し出す。リリカさんにお守りと言われて渡された、この懐かしく、冷たくて、悲しみで胸が苦しくなる拳銃が、俺に何かを伝えようとしている。
そう、以前にもこんな暗い場所で、この銃を握っていた事がある。その時俺は、男達を躊躇わずに撃ち殺して、絶望の中にいた誰かを助けたような気がする。
一体誰を助けたんだろう。リリカさん達を助けたんじゃないって事だけは、何故だか分かる。記憶がない俺が会った事のない、知らないはずの誰か。きっとその人が、俺が失ってしまった、大切な人。
俺よりも一つ年上で、勇ましくて、かっこよくて、強くて、真面目で、綺麗で、そして可愛くて⋯⋯⋯。自分の気持ちを正直に、真っ直ぐに、俺にぶつけてくれた。それが俺の、かけがえのない大切な女性。
初めての出会いは、拷問に使われていた暗闇の地下室。再会したのは、城の執務室。それからは、俺が向かう先にはいつだって、彼女がいてくれた。最後に彼女の微笑みを見た、あの瞬間までは⋯⋯⋯。
「セリーヌ⋯⋯⋯、アングハルト⋯⋯⋯⋯⋯」
さっきも口に出た名前が、その名で呼ばれていた彼女の姿が、今ははっきりと分かる。この銃で俺は彼女を救い、新しいのがあるからと、彼女に渡したのだ。あの時、彼女はこの銃で俺を守るために戦い、俺を救ってくれた。こんな大切な記憶を、どうして忘れてしまってたんだろう。
『あなたを愛して⋯⋯⋯、幸せでした』
それが彼女の最後の言葉。俺はあの瞬間の彼女の涙も、微笑みも、もう二度と忘れない。
俺だって、同じだった。俺もお前を愛して、幸せ過ぎてたまらなかった。肌を触れ合わせて抱き合い、微笑むお前が俺に唇を重ねた時、俺がどんなに満たされたか。一瞬たりとも離れたくないって、ずっとお前の傍にいたいって、そう願っていたのに、俺のためにお前は⋯⋯⋯。
「俺はまた⋯⋯⋯、愛した人を⋯⋯⋯」
また失ってしまった。でも誰を、俺が失くしてしまったのか思い出せない。ただ、彼女達を深く愛し、彼女達が自分の全てだった事だけは、忘れず憶えている。
彼女達も、セリーヌと同じだった。彼女達が最後に俺に見せるのは、いつも微笑みだ。彼女達の優しくて温かい、慈愛に満ちた微笑みが、俺は大好きだった。セリーヌも俺に、彼女達と同じように微笑んでくれた。
それなのに俺は、いつもそうだ。彼女達との別れの瞬間に俺が見せるのは、苦しそうで、悲痛に満ちた顔ばかり。いつだって俺は、自分の事ばっかりで、別れを惜しむ彼女達のために、何もしてあげられなかった。
最後に見たセリーヌの微笑みが、記憶の奥深くで誰かの姿と重なった。俺を守るために命を捧げ、セリーヌと同じように、別れの瞬間に唇を重ね合わせた。その時の感触が蘇った瞬間、記憶の靄が晴れていき、家族になろうと誓った二人の姿がはっきりと、俺の前に現れる。
「メシア⋯⋯⋯! ユリーシア⋯⋯⋯!」
俺が初めて愛した女性。俺が守りたいと、約束を叶えると誓った少女。失われてしまった大切な二人が、幻影となって俺の目の前に現れ、優しく微笑みかけてくれる。
そうだ。彼女達との出会いが、この世界に迷い込んだ俺の運命を変えたんだ。俺は彼女達のために、この手に力を握る道を選んだ。そうして得た仲間達が、俺を守るために戦ってくれているみんななんだ。
レイナ、クリス、ヘルベルト、シャランドラ、ゴリオン、エミリオ、セリーヌ、イヴ、ミュセイラ、ライガ、ヴィヴィアンヌ⋯⋯⋯。
彼女達だけじゃない。俺を信頼し、俺と一緒に戦ってくれた仲間達の姿が、一気に脳裏を駆け巡る。戦いの中で死んでしまった仲間達も、今も生きて戦ってくれている仲間達も、信じて俺を待ってくれている。
みんなが俺を守ってくれた。だから今度は、俺がみんなを守る番だ。命に代えても守ると、戦わなければ何も守れないし、失ってしまうばかりだと、そう言ったのは俺自身なのだから。
外ではきっと戦闘が始まっている。さっきから銃声や喧騒が、絶えず扉越しに聞こえてくる。
みんなが危ない。レイナとクリスは一人でも切り抜けられるかもしれない。でもあいつは、俺を守るために戦おうとしてくれたあいつには、二人の様な真似は不可能だ。
最愛の二人の為、まだ未知なるこの世界へ足を踏み出した時、誰よりも最初に俺と出会い、仲間になってくれた大切な女。心細かった、馬鹿だった、弱かった、無力だった、いつも悲しんでばっかりだった俺を支えてくれた、この世界で出会った初めての仲間⋯⋯⋯。
「リリカ⋯⋯⋯」
「槍女!! 今お前何人やった!?」
「これで七十九人目だ! そっちは何人討ち取った!?」
「お前と同じだ⋯⋯⋯、ぜっ!! これで八十人目!!」
「はあっ!! ちょうど同数だ!!」
ほぼ同じ勢いで敵を討ち取り、どちらがより多くの敵を倒すか、勝負を続けているレイナとクリス。数を競う勝負などしていても、二人に油断や慢心は一切なく、普段と変わらず、いやそれ以上の力を発揮して、敵を屠り続けている。
最早この二人を、百や二百程度の数で止める事など出来ない。これだけの数を相手にしていても、未だに二人は無傷であり、技の切れは益々上がっていき、疲労の色は全く見せない。二人を相手にしている傭兵達の目には、レイナとクリスが、人間を超えた化け物か何かに見えている事だろう。
事実、傭兵集団の戦力は、死者の数が生者の数を逆転しており、残り三十人程しかいない。当初は二百以上の戦力だったが、本気を出したレイナとクリスによって、大半がやられてしまったのだ。生き残っている傭兵達は、自分達の力では絶対にこの二人を止められない事を、もう嫌という程理解している。
ならばと彼らは、目標の人物を確保する事を優先し、離宮を守るリリカへと刃を向ける。リリカ一人の活躍で、既に十数人以上が彼女の弾丸によって倒された。
だが、どれだけの犠牲を払おうとも、レイナやクリスを相手にするより、リリカの排除を優先する方が遥かに勝算がある。得物を強く握りしめ、八人の傭兵が離宮へと最後の突撃を敢行した。目的は勿論、離宮内に匿われているはずの、リクトビアの命だ。
当然そんな事をリリカが許すはずもなく、突撃してきた傭兵達に、彼女は愛銃の銃口を向けて発砲する。すると、一番体格の大きい屈強な体の傭兵が、右手に大斧を、左手に分厚い鉄製の盾を構え、銃弾に真っ向から挑む。他の傭兵達の前に飛び出し、すぐさま盾を構え、リリカの銃撃を左手の盾で受け止める。
放った弾丸は全て、その傭兵の盾に防がれてしまう。新たに銃撃を加えようとした瞬間、リリカの銃は弾切れとなった。新しい弾倉を彼女が込める暇もなく、リリカの命を狙う傭兵達の刃が彼女に迫る。
「ふふっ! 少し熱くなり過ぎたね」
残弾数の管理に失敗し、敵の接近を許してしまった。自ら戦うのが久し振りで、勘を鈍らせてしまったと反省するリリカに、敵は容赦なく襲い掛かる。リリカの懐に飛び込んだ一人が、二本の短剣を武器に斬りかかった。
胸元を斬り付けようとした斬撃を、上体を後ろに逸らしたリリカが華麗に躱す。追撃の為、右の短剣が急所目掛けて突かれようとしたが、その刃は、盾代わりにされた彼女の銃によって弾かれ、リリカの肘打ちが傭兵の顎目掛け打ち込まれた。
肘打ちを喰らった傭兵は怯んで後ろに下がるも、直ぐに反撃に移ろうとする。だが今の一撃で脳を揺らされ、足がふらつき体勢を崩して倒れてしまう。すると今度は、リリカの背後から鎖鎌使いが斬り付けに掛かる。
殺気を読んでいたリリカは、背後から迫った斬撃に振り向きもせず、まるで見えているかのようにひらりと躱す。そしてお返しとばかりに、素早い動きで強烈な回し蹴りを放ち、その敵を蹴り飛ばした。
更に二人の敵が迫り、間髪入れずに、それぞれの得物でリリカを襲う。弾切れとなった拳銃を片手に、彼女は敵二人の攻撃を躱し続けるが、三人の傭兵の突破を許してしまう。彼女が二人に気を取られている間に、離宮に三人の傭兵が侵入してしまった。
「いけない! リック!!」
今のリックでは、自分の身を守る事などできるはずもない。銃を持たされても、人を殺す事ができる冷酷さは、今の優しいリックにはないのだ。もし見つかってしまえば、忽ち捕らえられるか、赤子同然に殺されてしまう。
「リリカ様!!」
「逃げろリリカ姉さん!!」
危機を知らせるレイナとクリスの声に、離宮へと気を逸らしていたリリカが、後ろに振り返る。そこには、さっき銃撃を盾で防いだ大男の傭兵が、リリカ目掛け大斧を振りかぶっていた。
反応が遅れ、回避が間に合わない。悲鳴のように彼女の名を叫ぶ二人は、助けに間に合わない。
「リック⋯⋯⋯」
避けられなければ、防げなければ、確実に死ぬ。自分が死ぬと分かった瞬間、彼女は無意識に彼の名を呼んだ。
守れなかった。失敗した。全てが終わった。死を間際にした刹那、彼女の脳裏にはそんな言葉ばかりが浮かぶ。終わりなのだと悟った彼女は、自らの死を受け入れ、静かに目を閉じるのだった。
「呼んだか?」
振り下ろされた大斧の刃。何もかもを叩き斬りそうな、勢いの付いた重い一撃は、たった一人の男の片手に受け止められていた。
その男はあろう事か、大斧の刃を右手で掴み、衝撃を軽々と受け止めてしまっていたのだ。自分より遥かに体格の大きな男が放つ、大斧による渾身の一撃は、この男に取っては軽く、刃も止まって見えた。
傭兵は掴まれた大斧を押し込もうとするも、がっちりと掴まれた大斧はびくともしない。どれだけ力を込めようと、雄叫びを上げようと、刃は男の右手に止められたままだ。
逆に男の方が、掴んでいる大斧を力強く押し返すと、傭兵は体勢を崩して後ろに仰け反った。右の拳を握り締めて力を込めた、男の必殺の一撃が、傭兵の腹部に狙いを定める。
「うちの女に手を出すな」
放たれた男の拳が傭兵の腹を抉り、大男であるはずの傭兵の体が軽々と殴り飛ばされる。水を切る石のように何度も何度も地面を跳ねていき、遂には城の城壁に強く叩き付けられ、殴られた傭兵の命はそこで終わった。
敵を排除し、絶体絶命だったリリカの命を救った男が、彼女へと振り返る。リリカも、そして驚愕するレイナとクリスも、あの懐かしく、待ち侘びた、彼の微笑むを顔を見た。
「ただいま、リリカ」
そこにいたのは紛れもなく、リックだった。離宮にいたはずのリックが、リリカを守るため、死を覚悟した彼女の危機に駆け付けたのである。
但し、リリカの目の前にいるリックは、さっきまでの彼とは別人だった。しかしそれは、リリカ達がずっと信じて待ち続けていた、本当のリックだったのである。
「レイナ! クリス!」
「「!!」」
「俺に色々言いたいことがあるだろうし、俺もお前らに聞きたいことはあるが、話は全部後だ! まずは敵をさっさと片付けるぞ!」
やはり、自分達がよく知る真の彼だと、名を呼ばれたレイナとクリスははっきりと理解する。もう彼にさん付けで呼ばれないのは、少し名残惜しくも感じるが、こんなにも胸が高まるのはいつ以来か分からない。
帰って来たのだ。本当に帰って来て欲しかった存在が、やっと自分達のもとに帰って来てくれたのだ。あまりの嬉しさに興奮しているクリスなど、上機嫌に笑いながら敵と戦っている。
「ああ畜生!! やっと帰ってきやがったぜ!」
「⋯⋯⋯これでもう、我らに迷いや不安はない!! 閣下の御命令通り、いくぞ破廉恥剣士!!」
「任せな!! 今日の俺は過去最高にご機嫌だぜ!!」
リックの復活。
忘却の世界に囚われていた彼は、失われた記憶と共に目覚め、仲間達のもとに帰還を果たした。
復活したばかりの狂犬は、戻って来た主に歓喜する忠臣と共に、残った敵を屠るべく牙を剥いた。彼らの反撃に戦意を失った傭兵達は、逃げる事すら許されず、悲鳴や絶叫を上げさせられ、残らず喰らい尽くされるのだった。
何も思い出せずにいた自分に、優しいリリカさんが教えてくれた。俺がヴァスティナ帝国という国の軍人で、軍を動かす将軍であった事。仲間達に慕われ、帝国女王に絶対の忠誠を尽くし、救国の英雄と呼ばれている事。ローミリア大陸と呼ばれているこの世界で、数々の戦いを経て、大陸の半分を手中に収めた事。
そして、前の戦争で重傷を負い、記憶を失ってしまったという事⋯⋯⋯。みんな、あまり深く教えてくれないけど、その戦争のせいで大切な仲間が失われたのだと、記憶が無くなっていても察しは付く。失われたその仲間が、俺にとって、きっとかけがえのない存在だったんだって、教えてくれなくても分かった。
俺はみんなに守られている。記憶を失ってしまった直後は、綺麗で優しいリリカさんが、いつも俺の傍にいてくれて、安心させてくれた。それからは、俺が忘れてしまった仲間の人達も、何もかも忘れた俺に最初は戸惑っていたのに、今の俺を受け入れてくれた。
みんな優しくて、それに温かい。ヴィヴィアンヌさんはまだちょっと恐くて苦手だけど、彼女も俺を守るために、全力を尽くしてくれていると知ってる。だから俺は、こんな状況になってもみんなに守られて、薄暗い物置部屋に匿われている。
さっきから頭が割れそうに痛い。痛みが奔る度に、俺が知らないはずの風景が、言葉が、人の姿が、俺の脳裏に映し出されていく。断片的で、一瞬で、靄がかかっていてよく分からないのに、映し出される数々が何処か懐かしく感じてしまう。きっとこれが、俺が失ってしまったものなのだと気付いても、頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられない、何も分からない。
不意に、手に持った壊れた銃の感触が、また新しい光景を脳裏に映し出す。リリカさんにお守りと言われて渡された、この懐かしく、冷たくて、悲しみで胸が苦しくなる拳銃が、俺に何かを伝えようとしている。
そう、以前にもこんな暗い場所で、この銃を握っていた事がある。その時俺は、男達を躊躇わずに撃ち殺して、絶望の中にいた誰かを助けたような気がする。
一体誰を助けたんだろう。リリカさん達を助けたんじゃないって事だけは、何故だか分かる。記憶がない俺が会った事のない、知らないはずの誰か。きっとその人が、俺が失ってしまった、大切な人。
俺よりも一つ年上で、勇ましくて、かっこよくて、強くて、真面目で、綺麗で、そして可愛くて⋯⋯⋯。自分の気持ちを正直に、真っ直ぐに、俺にぶつけてくれた。それが俺の、かけがえのない大切な女性。
初めての出会いは、拷問に使われていた暗闇の地下室。再会したのは、城の執務室。それからは、俺が向かう先にはいつだって、彼女がいてくれた。最後に彼女の微笑みを見た、あの瞬間までは⋯⋯⋯。
「セリーヌ⋯⋯⋯、アングハルト⋯⋯⋯⋯⋯」
さっきも口に出た名前が、その名で呼ばれていた彼女の姿が、今ははっきりと分かる。この銃で俺は彼女を救い、新しいのがあるからと、彼女に渡したのだ。あの時、彼女はこの銃で俺を守るために戦い、俺を救ってくれた。こんな大切な記憶を、どうして忘れてしまってたんだろう。
『あなたを愛して⋯⋯⋯、幸せでした』
それが彼女の最後の言葉。俺はあの瞬間の彼女の涙も、微笑みも、もう二度と忘れない。
俺だって、同じだった。俺もお前を愛して、幸せ過ぎてたまらなかった。肌を触れ合わせて抱き合い、微笑むお前が俺に唇を重ねた時、俺がどんなに満たされたか。一瞬たりとも離れたくないって、ずっとお前の傍にいたいって、そう願っていたのに、俺のためにお前は⋯⋯⋯。
「俺はまた⋯⋯⋯、愛した人を⋯⋯⋯」
また失ってしまった。でも誰を、俺が失くしてしまったのか思い出せない。ただ、彼女達を深く愛し、彼女達が自分の全てだった事だけは、忘れず憶えている。
彼女達も、セリーヌと同じだった。彼女達が最後に俺に見せるのは、いつも微笑みだ。彼女達の優しくて温かい、慈愛に満ちた微笑みが、俺は大好きだった。セリーヌも俺に、彼女達と同じように微笑んでくれた。
それなのに俺は、いつもそうだ。彼女達との別れの瞬間に俺が見せるのは、苦しそうで、悲痛に満ちた顔ばかり。いつだって俺は、自分の事ばっかりで、別れを惜しむ彼女達のために、何もしてあげられなかった。
最後に見たセリーヌの微笑みが、記憶の奥深くで誰かの姿と重なった。俺を守るために命を捧げ、セリーヌと同じように、別れの瞬間に唇を重ね合わせた。その時の感触が蘇った瞬間、記憶の靄が晴れていき、家族になろうと誓った二人の姿がはっきりと、俺の前に現れる。
「メシア⋯⋯⋯! ユリーシア⋯⋯⋯!」
俺が初めて愛した女性。俺が守りたいと、約束を叶えると誓った少女。失われてしまった大切な二人が、幻影となって俺の目の前に現れ、優しく微笑みかけてくれる。
そうだ。彼女達との出会いが、この世界に迷い込んだ俺の運命を変えたんだ。俺は彼女達のために、この手に力を握る道を選んだ。そうして得た仲間達が、俺を守るために戦ってくれているみんななんだ。
レイナ、クリス、ヘルベルト、シャランドラ、ゴリオン、エミリオ、セリーヌ、イヴ、ミュセイラ、ライガ、ヴィヴィアンヌ⋯⋯⋯。
彼女達だけじゃない。俺を信頼し、俺と一緒に戦ってくれた仲間達の姿が、一気に脳裏を駆け巡る。戦いの中で死んでしまった仲間達も、今も生きて戦ってくれている仲間達も、信じて俺を待ってくれている。
みんなが俺を守ってくれた。だから今度は、俺がみんなを守る番だ。命に代えても守ると、戦わなければ何も守れないし、失ってしまうばかりだと、そう言ったのは俺自身なのだから。
外ではきっと戦闘が始まっている。さっきから銃声や喧騒が、絶えず扉越しに聞こえてくる。
みんなが危ない。レイナとクリスは一人でも切り抜けられるかもしれない。でもあいつは、俺を守るために戦おうとしてくれたあいつには、二人の様な真似は不可能だ。
最愛の二人の為、まだ未知なるこの世界へ足を踏み出した時、誰よりも最初に俺と出会い、仲間になってくれた大切な女。心細かった、馬鹿だった、弱かった、無力だった、いつも悲しんでばっかりだった俺を支えてくれた、この世界で出会った初めての仲間⋯⋯⋯。
「リリカ⋯⋯⋯」
「槍女!! 今お前何人やった!?」
「これで七十九人目だ! そっちは何人討ち取った!?」
「お前と同じだ⋯⋯⋯、ぜっ!! これで八十人目!!」
「はあっ!! ちょうど同数だ!!」
ほぼ同じ勢いで敵を討ち取り、どちらがより多くの敵を倒すか、勝負を続けているレイナとクリス。数を競う勝負などしていても、二人に油断や慢心は一切なく、普段と変わらず、いやそれ以上の力を発揮して、敵を屠り続けている。
最早この二人を、百や二百程度の数で止める事など出来ない。これだけの数を相手にしていても、未だに二人は無傷であり、技の切れは益々上がっていき、疲労の色は全く見せない。二人を相手にしている傭兵達の目には、レイナとクリスが、人間を超えた化け物か何かに見えている事だろう。
事実、傭兵集団の戦力は、死者の数が生者の数を逆転しており、残り三十人程しかいない。当初は二百以上の戦力だったが、本気を出したレイナとクリスによって、大半がやられてしまったのだ。生き残っている傭兵達は、自分達の力では絶対にこの二人を止められない事を、もう嫌という程理解している。
ならばと彼らは、目標の人物を確保する事を優先し、離宮を守るリリカへと刃を向ける。リリカ一人の活躍で、既に十数人以上が彼女の弾丸によって倒された。
だが、どれだけの犠牲を払おうとも、レイナやクリスを相手にするより、リリカの排除を優先する方が遥かに勝算がある。得物を強く握りしめ、八人の傭兵が離宮へと最後の突撃を敢行した。目的は勿論、離宮内に匿われているはずの、リクトビアの命だ。
当然そんな事をリリカが許すはずもなく、突撃してきた傭兵達に、彼女は愛銃の銃口を向けて発砲する。すると、一番体格の大きい屈強な体の傭兵が、右手に大斧を、左手に分厚い鉄製の盾を構え、銃弾に真っ向から挑む。他の傭兵達の前に飛び出し、すぐさま盾を構え、リリカの銃撃を左手の盾で受け止める。
放った弾丸は全て、その傭兵の盾に防がれてしまう。新たに銃撃を加えようとした瞬間、リリカの銃は弾切れとなった。新しい弾倉を彼女が込める暇もなく、リリカの命を狙う傭兵達の刃が彼女に迫る。
「ふふっ! 少し熱くなり過ぎたね」
残弾数の管理に失敗し、敵の接近を許してしまった。自ら戦うのが久し振りで、勘を鈍らせてしまったと反省するリリカに、敵は容赦なく襲い掛かる。リリカの懐に飛び込んだ一人が、二本の短剣を武器に斬りかかった。
胸元を斬り付けようとした斬撃を、上体を後ろに逸らしたリリカが華麗に躱す。追撃の為、右の短剣が急所目掛けて突かれようとしたが、その刃は、盾代わりにされた彼女の銃によって弾かれ、リリカの肘打ちが傭兵の顎目掛け打ち込まれた。
肘打ちを喰らった傭兵は怯んで後ろに下がるも、直ぐに反撃に移ろうとする。だが今の一撃で脳を揺らされ、足がふらつき体勢を崩して倒れてしまう。すると今度は、リリカの背後から鎖鎌使いが斬り付けに掛かる。
殺気を読んでいたリリカは、背後から迫った斬撃に振り向きもせず、まるで見えているかのようにひらりと躱す。そしてお返しとばかりに、素早い動きで強烈な回し蹴りを放ち、その敵を蹴り飛ばした。
更に二人の敵が迫り、間髪入れずに、それぞれの得物でリリカを襲う。弾切れとなった拳銃を片手に、彼女は敵二人の攻撃を躱し続けるが、三人の傭兵の突破を許してしまう。彼女が二人に気を取られている間に、離宮に三人の傭兵が侵入してしまった。
「いけない! リック!!」
今のリックでは、自分の身を守る事などできるはずもない。銃を持たされても、人を殺す事ができる冷酷さは、今の優しいリックにはないのだ。もし見つかってしまえば、忽ち捕らえられるか、赤子同然に殺されてしまう。
「リリカ様!!」
「逃げろリリカ姉さん!!」
危機を知らせるレイナとクリスの声に、離宮へと気を逸らしていたリリカが、後ろに振り返る。そこには、さっき銃撃を盾で防いだ大男の傭兵が、リリカ目掛け大斧を振りかぶっていた。
反応が遅れ、回避が間に合わない。悲鳴のように彼女の名を叫ぶ二人は、助けに間に合わない。
「リック⋯⋯⋯」
避けられなければ、防げなければ、確実に死ぬ。自分が死ぬと分かった瞬間、彼女は無意識に彼の名を呼んだ。
守れなかった。失敗した。全てが終わった。死を間際にした刹那、彼女の脳裏にはそんな言葉ばかりが浮かぶ。終わりなのだと悟った彼女は、自らの死を受け入れ、静かに目を閉じるのだった。
「呼んだか?」
振り下ろされた大斧の刃。何もかもを叩き斬りそうな、勢いの付いた重い一撃は、たった一人の男の片手に受け止められていた。
その男はあろう事か、大斧の刃を右手で掴み、衝撃を軽々と受け止めてしまっていたのだ。自分より遥かに体格の大きな男が放つ、大斧による渾身の一撃は、この男に取っては軽く、刃も止まって見えた。
傭兵は掴まれた大斧を押し込もうとするも、がっちりと掴まれた大斧はびくともしない。どれだけ力を込めようと、雄叫びを上げようと、刃は男の右手に止められたままだ。
逆に男の方が、掴んでいる大斧を力強く押し返すと、傭兵は体勢を崩して後ろに仰け反った。右の拳を握り締めて力を込めた、男の必殺の一撃が、傭兵の腹部に狙いを定める。
「うちの女に手を出すな」
放たれた男の拳が傭兵の腹を抉り、大男であるはずの傭兵の体が軽々と殴り飛ばされる。水を切る石のように何度も何度も地面を跳ねていき、遂には城の城壁に強く叩き付けられ、殴られた傭兵の命はそこで終わった。
敵を排除し、絶体絶命だったリリカの命を救った男が、彼女へと振り返る。リリカも、そして驚愕するレイナとクリスも、あの懐かしく、待ち侘びた、彼の微笑むを顔を見た。
「ただいま、リリカ」
そこにいたのは紛れもなく、リックだった。離宮にいたはずのリックが、リリカを守るため、死を覚悟した彼女の危機に駆け付けたのである。
但し、リリカの目の前にいるリックは、さっきまでの彼とは別人だった。しかしそれは、リリカ達がずっと信じて待ち続けていた、本当のリックだったのである。
「レイナ! クリス!」
「「!!」」
「俺に色々言いたいことがあるだろうし、俺もお前らに聞きたいことはあるが、話は全部後だ! まずは敵をさっさと片付けるぞ!」
やはり、自分達がよく知る真の彼だと、名を呼ばれたレイナとクリスははっきりと理解する。もう彼にさん付けで呼ばれないのは、少し名残惜しくも感じるが、こんなにも胸が高まるのはいつ以来か分からない。
帰って来たのだ。本当に帰って来て欲しかった存在が、やっと自分達のもとに帰って来てくれたのだ。あまりの嬉しさに興奮しているクリスなど、上機嫌に笑いながら敵と戦っている。
「ああ畜生!! やっと帰ってきやがったぜ!」
「⋯⋯⋯これでもう、我らに迷いや不安はない!! 閣下の御命令通り、いくぞ破廉恥剣士!!」
「任せな!! 今日の俺は過去最高にご機嫌だぜ!!」
リックの復活。
忘却の世界に囚われていた彼は、失われた記憶と共に目覚め、仲間達のもとに帰還を果たした。
復活したばかりの狂犬は、戻って来た主に歓喜する忠臣と共に、残った敵を屠るべく牙を剥いた。彼らの反撃に戦意を失った傭兵達は、逃げる事すら許されず、悲鳴や絶叫を上げさせられ、残らず喰らい尽くされるのだった。
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※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました
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