贖罪の救世主

水野アヤト

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第五十四話 崩壊の序曲

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 エステラン城の離宮で朝を迎えたリック達は、四人集まって朝食をとっている最中であった。
 早起きなレイナとクリスは、欠かさない毎日の鍛錬を終え、リックとリリカが起きるのに合わせて朝食を一緒にしている。この四人以外の護衛の兵士は、交代で朝食を済ませながら離宮の警備に当たっていた。

「そういや眼鏡女が、エステランに忘れたものをずっと回収しそびれてるって言ってなかったか?」
「先のジエーデルとの戦で、第三戦闘団に配備されていたシャランドラの発明品だったか? 故障のせいで止む無く近場だったエステランに預けたと聞いているが、言われるまで忘れていた」

 ここにはいないシャランドラの話題をクリスが上げ、彼の話で思い出したようにレイナが続ける。二人の会話にリックとリリカは耳を傾けながら、テーブルに並ぶ朝食を静かに口へ運んでいく。
 特に変化のない朝。何事もない朝食の風景。穏やかな時間が流れ、計画は順調に進行していいる様に思われた。

「どんな発明品かわからないが、ヘルベルトが着いたら一緒に回収させよう。大方、装甲車輌の類だろうからな」
「しっかしあいつら、来るのが遅過ぎんじゃねぇのか。いっそ待たずに、俺らだけで帝国に帰ろうぜ」
「誰が閣下を狙っているかわからない以上、危険はなるべく避けたい。私とお前が付いているとはいえ、万全は期すに越したことはないだろう」
「ちっ、それもそうだな」

 護衛計画について少し話す二人の様子に、不意にリックが少し吹き出して笑ってしまう。何か面白い事でも言ったのかと、二人の視線が同時にリックへと向いた。

「ああ、すいません。二人を見てたら、ちょっと面白いなと」
「「?」」
「喧嘩ばっかりするくせに、本当は仲良いなって」
「おいリック、実はまだ寝惚けてんだろ?」
「こんな男と仲が良いなど有り得ません。何を見たらそんな勘違いが起きるのですか?」
「だって、いがみ合ってても互いのことは認めあってるじゃないですか」
「「!?」」

 正直に答えたリックの発言を巡り、結局朝から口喧嘩を勃発させてしまうレイナとクリス。リックとリリカ、それに建物の外まで丸聞こえなせいで、兵士達も皆呆れ果てた息を吐く。
 変わらない朝の風景から、彼らの一日はいつも通り始まった。朝食を済ませた四人はそれぞれ別行動し、リリカがリックの面倒を見ている間、レイナとクリスは離宮の外に出て、念のため周囲の確認へ向かった。
 
 リック達がこの国に来訪しているのは、極一部の人間しか関知していない。これを知るのは女王ソフィー・ア・エステランと、彼女に近い側近くらいなものである。しかしながら、離宮の近くにはエステラン国軍の兵が待機させられており、リック達の護衛を命じられている。勿論、兵士達は誰を護衛しているかまでは、情報漏れを防ぐため知らされていない。
 リック達がエステランに身を寄せているのを知るのは、囮部隊では作戦を計画したヴィヴィアンヌと、この国では女王とその一部、後は外部で要請を受けた鉄血部隊くらいである。裏切りを企てた者達からすれば、ヴィヴィアンヌ達のお陰で、リックの居場所を突き止めるのは非常に難しくなっていた。

 だがレイナもクリスも、先の戦争に於けるアングハルトの戦死を、決して忘れてはいない。あの作戦は、当時の状況下で、最善の策をミュセイラが講じたにも関わらず、敵の策や偶然が重なった結果、リックの身は危険に晒され、アングハルトは彼を守り戦死した。
 今回も、アングハルトが戦死したのと、よく似た状況下での作戦である。ただ今回はエステラン国に守られ、鉄血部隊が近く到着する見込みであり、護衛を担当しているのはレイナとクリスだ。情報の漏洩も防がれており、あの時以上に万全の構えと言えるだろう。
 作戦を立てたヴィヴィアンヌとて、アングハルトの死を忘れているわけではない。彼女が自らを危険に晒すも厭わず、必死に計画した作戦だからこそ、レイナもクリスも反対しなかった。

 ヴィヴィアンヌが精一杯務めたのだから、自分達もまた彼女のために、リックの護衛に全力を注がなくてはならない。護衛中は常に、神経を普段以上に研ぎ澄ましている二人は、既に野生動物に近い感覚を身に付けつつあった。
 
「破廉恥剣士、気付かないか?」
「気付かねぇわけないだろ。昨日より気配を感じやがる」

 リック達のいる離宮は、常にエステランの兵士達に遠距離から監視されている。レイナとクリスは、離宮の外に出た瞬間、その監視の気配がいつもより多い事に気付いたのだ。
 
「俺達の監視役だけじゃねぇな。客が来てやがるぜ」
「身を隠し、まだ様子を窺っているのだろう。兵達も、どうやら気付き始めたようだ」

 レイナは兵士達と目で合図し合い、クリスをその場に残して一人離宮内へと戻る。クリスと護衛の兵士達は、気付いていない素振りで巡回を行ない、事態に備えた。
 離宮内に戻ったレイナは、急ぎ足で二人のいる部屋へと向かう。リックとリリカがいたのは、二階の執務室であった。

「失礼します。閣下、リリカ様、敵が現れました」

 執務室の扉開けるなり、部屋で読書をしていた二人に向かって、レイナは簡潔に状況を説明した。話を聞いたリリカは開いていた本を閉じると、困惑するリックの手を取って、レイナへと真っ直ぐ向き直る。

「レイナ。君の役目はわかっているね?」
「一人足りとも、ここには通しません」
「宜しい。ならばクリスと共に敵を全て絶やしなさい。リックのことは私に任せてくれればいいよ」
「はっ」
 
 レイナは力強く返事をし、一瞬リックへと視線を向けた。ただならない状況だと察した彼は、やはり怯えてしまっている。そんな彼に、レイナは微笑を浮かべて見せるのだった。
 己の役目を全うするべく、レイナは自らの得物と共に執務室を出ていく。残された二人もまた、こんな時どうすればいいか、自らの役目は分かっていた。

「リック、こっちに来なさい」

 怯えるリックの手を取って、リリカは彼と共に二階から一階へと移り、物置部屋の扉を開けてリックを中に入れた。更に彼女は、降りる途中で回収した彼の装備を身に付けさせる。それは、リック専用の拳銃装備一式であった。
 
「そこの隅に隠れていなさい。もし敵が現れたら、この銃で相手を撃つんだ」
「待ってリリカさん⋯⋯⋯! 外に出たら危ないです!」
「ふふっ、心配してくれて嬉しいよ。そんな優しいリックには、勇気が出る御守りをあげなくちゃね」

 いつもと変わらず妖艶な笑みを浮かべ、リリカは一丁の壊れた拳銃を手渡した。それを受け取ったリックは、薄暗い物置部屋の中でも何であるか気付き、驚いた顔でリリカを見る。
 彼が受け取ったのは、以前ヴィヴィアンヌから手渡された、アングハルトの拳銃だった。あれ以来これは、リリカが大切に保管していたのだ。

「恐がることはないよ。君のことは私達だけじゃなく、アングハルトも守ってくれる」
「でも俺、その人のことを何も憶えてません⋯⋯⋯」
「憶えてるとか、憶えてないとか、そんなのは関係ないんだよ。アングハルトはね、優しいリックが大好きなんだ。その愛が、必ず君を守る」

 迷いや恐れに揺れるリックの瞳。その心を落ち着かせようと、微笑むリリカの唇が彼の頬に触れた。驚いて目を見開くリックの耳元で、聖母のような彼女が優しく囁く。

「リック。私のために生きて」
「!!」

 彼女の言葉がリックの心に奔ると同時に、離宮の外が騒がしくなり始めた。雄叫びと怒号、銃火器の発砲音が鳴り響き、戦闘が始まってしまった事を二人に告げる。

「いい子で待っていなさい。約束よ」

 最後にそう言い残し、リックへと背を向けたリリカが部屋を出ていこうとする。その時リックは、無意識に自分の手を伸ばし、去っていこうとする彼女の後ろ姿を掴まえようとした。
 瞬間、リックのもとを去るリリカの姿が、彼の瞳の中で別の女性と重なった。彼女が部屋の扉を閉め始めた時、思わず彼は声を上げる。

「待って、セリーヌ―――」

 見た事のない女性の姿。呼んだ憶えのない名前。それなのに、リリカと重なった彼女の事を、ずっと前から知っていたように思える。しかしその彼女には、もう二度と会えないような気がした。
 忘れてはいけない、大切な何かを忘れてしまっている感覚。あの日再び目覚めて、何も思い出せなくなってしまっていた自分が、初めてその感覚を味わっている。
 きっとこれが、本当の自分を取り戻せる感覚なのだと気付く。そして同時に、今リリカを行かせてしまったら、瞳に映った彼女と同じように、二度と再会できない予感がした。
 
 だが、リックの言葉も願いもリリカには届かず、無情にも部屋の扉は閉じられた。









 戦闘は始まっている。
 離宮の外は瞬く間に戦場と化し、押し寄せる敵に護衛の兵が銃撃を浴びせ、ヴァスティナ帝国の双璧たるレイナとクリスが、一騎当千の武を振るって敵を薙ぎ倒す。
 
「奔れ、雷光!」
「焼き尽くせ、焔!」

 銃撃の四角から離宮に近付こうとする敵に、レイナの炎魔法とクリスの雷魔法が襲い掛かる。二人の魔法が何人もの敵の命を一瞬で奪うが、二人が得物だけでなく魔法を駆使しても尚、敵はまだ大勢残っていた。

「ちっ! 数だけの連中じゃねぇな!」
「正規の兵でなく、荒事に慣れた傭兵と見た! 油断するな破廉恥剣士!」
「言われなくてもわかってるぜ! おらよっ!!」

 クリス必殺の神速の剣戟が、また一人の敵を一瞬の内に斬って捨てる。彼に負けじと、今度はレイナ神速の槍術が、敵の急所を一突きで刺し貫いた。
 彼女達が相手にしている敵は、軍隊が身に纏う軍服や鎧甲冑姿ではない、全員統一性のない服装と装備で構成されている。二人はこの敵が、何者かに雇われた傭兵の類と考えた。しかも厄介な事に、数が多いだけでなく、ほとんどが実戦慣れした兵であり、戦闘技術が高く、動きに隙や無駄がない。
 
「てっきりエステランの連中が裏切ったかと思ったが、こんな荒くれ者共が相手とはな!」
「その読みは当たっていそうだぞ! これだけの騒ぎで兵が駆け付けないのは、どう考えても不自然だ!」

 戦いながら二人は、襲撃者の正体を必死に考えていた。
 最初、襲撃者はエステラン国の兵士だと思った。実際はそうではなく、エステラン国軍とは無関係な傭兵集団であり、恐らくは金で雇われて襲撃を行なっている。
 何者かが手練れの傭兵達を雇い、リックの身を狙って襲撃をかけたのは間違いない。問題はこれが誰の仕業なのかという点だが、今最も怪しいのエステラン国である。何故なら、魔法や銃火器の発砲などによって、これだけ派手に戦闘を行なっているにもかかわらず、エステランの兵は一人も姿を現さないからだ。
 つまり、エステラン国軍はこの事態を把握していながら、手を出さず傍観している事になる。レイナの読み通り、エステラン国が裏切ったと見るのは、自然な思考である。

 エステラン国が本当に裏切っているなら、リック達は敵地で孤立し、周囲を敵に包囲されているに等しい状況だ。それだけでも最悪の状況なのだが、もっと最悪なのが敵である傭兵集団である。
 身に付けた装備に統一性の欠片もない。クリス曰く荒くれ者という言葉が似合う敵。全身甲冑の重装備がいれば、鎧の類は一切身に付けていない身軽な者もいる。剣や槍、弓や弩を武器にしている者もいれば、斧や鎖鎌、投げナイフや棍棒使いまでいる。
 装備は皆ばらばらでも、連携はしっかりと取っている。おまけに、銃火器に関する情報を事前に得ているのか、様々な対応策を講じてきていた。銃撃を避けてなるべく遮蔽物に身を隠し、前進する際は三重にした鋼鉄製の盾を構え、弾丸を防いで味方を守るなど、銃の性能を把握した対策を実践してきていた。
 反撃の際も、弓や弩などの飛び道具で応戦し、真正面から接近戦を仕掛けにいくような愚を犯さない。遠距離から魔法攻撃までも駆使して、また一人護衛部隊の兵が炎魔法に焼き殺された。

 無論、リックの護衛に参加した者達とて、数々の戦場を戦い抜いた精鋭である。互いに実戦経験豊富な兵士ならば、勝敗を決定付けるのは数の差だ。敵は数と戦術を最大限に活かし、レイナとクリスの武勇や銃火器に犠牲を払いながらも、徐々に護衛部隊の戦力を削っていった。
 自分達がやられれば、離宮を背に展開している防衛線が破られ、リックのもとに敵を通してしまう。それを阻止すべく、護衛部隊は命を惜しまず必死に戦い続ける。弾薬尽き、ナイフ一本だけになろうと、彼らはここを死守する覚悟だ。
 そんな彼らに負けまいと、レイナは十文字槍を舞う様に振るい、次々と敵を屠っていく。クリスもまた彼女に続き、神速の連続突きを放って、眼前の敵を刺し貫いていった。

「クソっ!! リックを逃がす隙がねぇ!」
「隙が無いなら作るまでだ! 邪魔する者は容赦しない!」
「はんっ、流石脳筋だぜ! 全部ぶっ倒せば逃げられるってか!?」
「敵は全て絶やせとリリカ様の命令だ! どうせ連中は一人として生かして帰さん!」
「いいぜ、俺達の向きの命令だ! だったら、どっちが多くぶっ倒すか勝負しようぜ!」
「面白い!! その勝負乗ったぞ!」

 確かに敵たる傭兵達は手強い。だがそれ以上、レイナとクリスは圧倒的なまでに強かった。
 敵が想定していた以上に、二人の武は止める事ができず、掠り傷一つ負わせるどころか、触れる事すらできない。得物を振ろうとした刹那、神速の斬撃が通り過ぎ、己の首が宙を舞っている者すらいる始末だ。
 二人は競争して敵を屠り続け、倒した数を競う余裕もあれば、呼吸にも一切の疲れを感じさせない。帝国の双璧たる炎槍と雷剣の前では、実戦慣れした傭兵達ですら赤子同然だった。

「ミカヅキ隊長!! レッドフォード隊長!! 鉄血部隊から緊急連絡です!!」
「「!?」」

 護衛部隊の兵の一人が、携帯用の無線機を背中に担ぎ、慌てて二人の傍まで駆け込んできた。その兵は無線のマイクをレイナに手渡すと、自身はその場に片膝を付き、小銃で応戦を開始した。
 無線封鎖をしていたにも関わらず、エステランに向かっているはずの鉄血部隊から、危険を承知で連絡がきたという。只事ではないと悟った二人は、意識は戦闘に向けつつ、鉄血部隊との無線を優先した。

「私だ!! 一体何事だ!?」
『おお、レイナか!? そっちはまだ無事だったか!?』
「ヘルベルトだな!? お前達が遅いせいでこちらは戦闘の真っ最中だ!」

 声からして無線の相手は、鉄血部隊の指揮官ヘルベルトだった。マイクが拾う戦闘の音から、状況の深刻さはヘルベルトにも伝わっているだろう。しかしヘルベルトは、レイナ達の状況を知る前から、既に慌てている様子だった。
 
「エステラン国に裏切られた! 大至急閣下を助けに来い!」
「来るのが遅せぇんだよ飲んだくれ共!! お前ら何処で道草食ってんだ!?」
『やっぱりまだ知らなかったか⋯⋯⋯。二人共よく聞け! 今から俺達以外、誰も信用するんじゃねぇぞ!』

 ヘルベルトの言葉を聞き、レイナもクリスも思わず息を呑む。ヘルベルトは二人に危機を伝えようとしているが、彼の言葉はその危機が、外ではなく内側からの要因だと言っている。
 これを聞いた瞬間、レイナもクリスも、事は自分達が考えている以上に、深刻で不味い状況なのだと悟った。

『裏切りはエステランだけじゃねぇ! コーラル、ワルトロール、サバロ、ブラウブロワだって蜂起しやがった! だがな、一番最悪なのはこっからだ!』

 無線機の向こうではヘルベルトが、今のレイナとクリスと同じ顔をしているのだろう。自分達が最悪の状況に陥った理由が、味方と信じた者達の手によるものであると、そう知ってしまった絶望の顔を⋯⋯⋯。

『いいか、耳の穴かっぽじって聞けよ! 裏切りを先導してんのはな、帝国国防軍参謀本部だ!』
「「!!」」

 ヘルベルトが出した名を聞き、レイナとクリスの脳裏を、共に戦場を戦ってきた戦友の姿が奔る。
 瞬間二人は、「信じられない」と言ってしまいそうになったのを耐えた。二人は悲痛な顔で苦悩を堪え、更に続けようとするヘルベルトの言葉を待った。

『反乱の首謀者は参謀長エミリオ・メンフィスだ! あの馬鹿、俺達を裏切りやがった!!』
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