贖罪の救世主

水野アヤト

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第五十二話 あなたを愛して⋯⋯

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 ジエーデル国によるホーリスローネ王国侵攻を発端に始まった、大陸全土を巻き込んだ大戦争。大国同士の激しい戦いは、当初ジエーデル軍が優勢に進めていたものの、ホーリスローネ王国軍を始めとする、ジエーデル国に反旗を翻した各国によって、その優勢はあっと言う間に覆ってしまった。
 今やジエーデル国は、大陸全土共通の敵国となっている。ほとんどの国が反ジエーデルを宣言し、多くの国が軍を出撃させた。大陸中央は戦火に包まれ、各地を支配し続けていたジエーデル軍は、大陸中から集まった反ジエーデルの大軍の前に敗れ、撤退を重ねていったのである。

 最早、ジエーデル国が勝利する可能性は失われた。残存戦力は必死の抵抗を続けているものの、北方からは二大大国の軍が迫り、南方からはヴァスティナ帝国の軍隊が侵攻を続け、本国まで目前というところまで到達している。
 更には、この戦争で最初に反旗を翻し、独裁者打倒を掲げて動いていた、名将ドレビン・ルヒテンドルクの息子ロイドの軍が、遂にその姿を現して攻撃を開始したのである。ロイド率いる反乱軍は、既にジエーデル本国に到着し、防衛戦力との戦闘を開始している。
 戦況は、ロイドの反乱軍が優勢に進めている。独裁者がいる首都への到達は、時間の問題となっていた。この状況を好機と見て、国内に潜み生き残っていた独裁者打倒の反抗勢力までもが、武器を取って立ち上がった。
 ジエーデル国内は、迫り来る敵の侵攻の恐怖と、独裁者に反逆する者達の一斉蜂起によって、今や大混乱となっている。これを収めるべく軍警察や正規軍が出動するも、状況が状況なだけに鎮圧のための戦力も足りず、有効な対処ができずにいる。

 ジエーデル国の滅亡。ジエーデル国というよりは、今のこの国を支配する体制の滅亡は、もう間近に迫ってきている。そんな中であっても、ジエーデル国内に聳え立つ独裁者の総統府では、この状況下に一切の慌て振りも見せない男達がいた。
 ジエーデル国総統バルザック・ギム・ハインツベントは、総統府内の執務室の窓から空を眺めていた。青空を隠す曇り空の風景に、各地域から上がった火の手の煙がいくつも立ち上っている。そう高くない造りのこの建物の窓からさえも、国内の混乱状況は容易に把握する事が出来た。

「⋯⋯⋯そうか、ブラドは落ちたか」

 外を眺める彼の後ろには、軍警察長官ハインリヒ・バウアーが控えている。各戦場から届いた情報を纏めたハインリヒは、自らバルザックに報告に参上したのだ。

「はい、想定よりも早い陥落でした。ブラド公国の陥落によって、我が軍の防衛戦略は崩壊しています」
「バウアー君。君が放った暗殺部隊の戦果はどうだったのかね?」
「定時連絡はなく、彼らの消息は不明です。恐らくは任務に失敗し、全員戦死したと見るべきでしょう」

 バルザックもハインリヒも、事態は自分達の破滅を告げているにも関わらず、取り乱す様子を一切見せず、寧ろ国内の誰よりも落ち着きを払っている。
 ブラド公国はジエーデル国にとっての生命線であり、戦略的重要拠点だった。戦争継続のために必要不可欠だったこの拠点を失った以上、ジエーデル軍が各国軍に対して反撃する力は、完全に失われたと言っていい。
 更には、起死回生を懸けた暗殺計画も失敗した。ジエーデル国を包囲しつつある各国軍の進軍は止まらず、防衛線力は各個撃破されている状態である。王国侵攻戦で敗走した残存戦力にも、戦う力はもう残されてはいなかった。
 軍部は、残存する兵を結集して再編成を行ない、最後まで抵抗を続ける準備を進めている。国内を戦場に変えてでも、自国の滅亡を回避するため、各地に散っていた防衛線力に、本国への後退を命じているのだ。
 
 だが、ジエーデル国の支配者たるバルザックも、彼の支配体制を維持し続けたハインリヒも、軍が考える徹底抗戦など無意味だと考えている。彼らに徹底抗戦の意思はなく、この戦争の敗北という現実を認め、自分達の舞台の幕引きを考えていた。
 
「負けたな、吾輩は⋯⋯」
「はい、総統閣下」

 敗戦を受け入れているバルザックは、戦いに負けた事への怒りも湧かず、自分の権力が失われる事すらどうでも良かった。ただ一つの心残りは、もう一度、ローミリア大陸を真に支配する女神と再会する事だ。
 あと一歩。もうあと一歩で、この世の真理を知る事ができた。今もあの女神は、争い乱れ大勢の人間が苦しみ藻掻く、この世界の様を眺め、愉悦に浸って笑っているのだろう。彼女が描いた舞台で踊らされ続けた、バルザック自身の結末も、永劫を生きる女神にとっては、ひと時の退屈凌ぎでしかない。
 そう思うと、怒りや悲しみを通り越して笑えてさえくる。自らの野望の結末を鼻で笑ったバルザックは、窓から振り返ってハインリヒを見た。

「さてバウアー君。君はどうするかね?」
「舞台の結末は見届けました。結局、鴉はこの世を掴むまでには至りませんでしたが、私個人としては満足のいく終わりでしたよ」
「愉しんで貰えたようで何よりだ。ならば、やはり君は⋯⋯⋯」
「御想像の通りです。十分愉しませて頂きましたから、私もそろそろ退場致します」

 自分を見るバルザックへと最後の敬礼を行ない、ハインリヒは背を向けて執務室の扉に向かおうとする。扉に手を掛けようとしたハインリヒだったが、不図思い出したような顔をして、再びバルザックへと振り返る。

「そうでした。お渡ししていた例のもの、幕引きには打って付けですので是非お使い下さい」
「そうさせて貰うよ。今まで御苦労だった、ハインリヒ・バウアー君」
 
 最後に労いの言葉をかけられ、ハインリヒは素直な笑みを返し、扉を開けて執務室から退室した。一人部屋に残ったバルザックは、再び窓へと向き直り、空を見上げて自らの日々を思い出していく。

「⋯⋯⋯なあバルクよ。友と慕ってくれた者達を大勢殺した私には、こんな最期が相応しいと思わないか?」

 謀略と殺戮、暴力と恐怖で国を統べる者となった男の最期が、大陸中から敵と定められ、自国の民からも反旗を翻される。全ての人間から最大にして最悪の敵と思われ、諸悪の根源として討たれる。誰が見ても自業自得の結果に、自らの愚かさを笑ってしまう。
 
 思えば、自分自身の愚かさというものは、祖国アーレンツにいた頃から分かっていた。最初から、祖国のために忠誠を捧げた駒として生きていれば、こんな愚かな最期は迎えなかっただろう。
 幼き頃より彼は、知識欲が他の人間よりずっと強かった。興味を抱いた事は、何でも調べ尽くさないと気が済まず、調べ物や研究によく没頭していた。
 国家保安情報局の訓練生時代、ある日彼は地理学の授業に於いて、不意に一つの疑問を抱いた。ローミリア大陸は、人類の生活圏以外の周囲を、無数の魔物が生きる暗黒の大陸に囲まれている。この時彼は、人類は鳥籠の中に囚われた鳥だと、そう思った。
 考えれば考えるだけ、調べれば調べるだけ、謎は深まるばかりだった。ローミリア大陸はいつから生まれたのか。何故魔物は、自らの生息領域を広げるようとはせず、人類を生かしたままにしているのか。何故この大陸では、異常なまでに争いと混乱が絶えないのか。この大陸を古より支配する、グラーフ教会とは一体何なのか。
 その答えを求め、彼はグラーフ教の女神と会う決意をした。任務を利用し、遂に女神を見つけたはいいが、彼が求めた答えは教えては貰えなかった。だが、彼が求めた答えの半分は、思いもよらぬ相手からもたらされた。
 
(あのリリカという女⋯⋯。その正体も目的も分からなかったが、あの女のお陰でこの世界の真実だけは知る事ができた)

 グラーフ教の女神ジャンヌと似た、人の皮を被った化け物。彼女から神へと至る切符を手に入れたからこそ、最後の大博打に打って出た。その博打こそ、時期尚早とも言われたホーリスローネ王国への侵攻である。
 彼には時間が無かった。彼の正体を知る者が現れ、それを武器に、彼を打倒しようとする者達が現れたからだ。築き上げた支配体制が崩壊する前に、彼は王国を陥落させ、グラーフ教会の女神と再会しようとしていたのである。
 もし切符を手に入れていなかったら、内戦に突入してでも反抗勢力を打ち破り、長い時間はかかるが、支配体制の再構築を行なう計画もあった。ただこの慎重な考えは、どれだけの長い時が必要になるか分からず、何よりも自国の力が弱体化するのが目に見えていた。
 ならば、見過ごせぬ絶好の好機を突き、最大の力を持つ今を利用して、自分の野望へと進むしかない。手に入れた答えの残り半分を求め、彼は残りの人生を全て懸けて決断したのだ。

(あの女が私に教えてくれなければ、王国侵攻の決断はできなかっただろう。半分でも真実を知ったが故に、私の心から死への恐怖は消えたのだから⋯⋯)

 彼が真に恐れていたのは、死ぬ事ではなく、何も知る事ができぬまま死ぬ事だった。その恐怖を捨て去った彼だからこそ、更なる欲に目覚め、今までの自分からは想像もできないような、一世一代の大勝負を仕掛けた。結果は勝負に負けたが、彼は不思議と悔いを感じてはいなかった。

(あと一歩で、女神の真実にも辿り着く事もできた。そして私が、この世界の全てを知る神になれもしただろうが、それも夢まぼろしと消えるか⋯⋯)

 欲を言えば、知りたかった答えの残り半分を知り、全てを知り得たかった。それが彼の求めた「神」である。初めからこの男は、この世界の支配など欲していなかったのである。そんなものに興味はなく、元々無価値だと思っていた。
 
(まあいいだろう。世界の真実を知ったからこそ、あの女神の真実もその目的も大体の予想はできる。悪くない幕引きだ)

 鴉と呼ばれた自分の羽ばたきは、ここで終わる。多くの人間を騙し続け、数え切れない程の命を奪い、この世界に戦火と恐怖を撒き散らした、神になれなかった男。これだけの事を仕出かした男が、本人の満足のいく形で終わろうとしている。
 彼を敵だと叫ぶ者達は、絶対に許しはしないだろう。だが真に倒すべき敵は、この男のような怪物を生んだ、女神と呼ばれし邪神なのかもしれない。

「バルザック・ギム・ハインツベントよ。君の役目は、これで終わりだ」









 それから程なくして、ジエーデル国総統バルザックが、執務室で自殺している姿が発見された。
 バルザックは、ドレビンが飲んだのと同じ新型の毒薬を使い、眠りと共に息を引き取ったと思われた。ジエーデルを恐怖と力で支配した男の死に顔は、苦痛も後悔もない安らかなものであった。
 同じ頃、軍警察長官の執務室でもハインリヒ・バウアーが、やはり同じ毒薬を飲んで自殺していた。死の間際、彼は優雅に紅茶を楽しみながら、軍警察長官として最後の責務たる、全軍への戦闘停止命令書を書き上げ、命を絶った。
 この二人の死をきっかけに、ジエーデル国が始めた大きな戦争は、急速に終結へと向かって行くのだった。
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