贖罪の救世主

水野アヤト

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第五十話 貴方には愛を、私には銃を

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「⋯⋯⋯んで、会議のことを忘れてたクリスと、駄々を捏ねてたレイナのせいで遅れたと」

 遅れてやって来たクリス達が、会議の場となっているリックの執務室に到着した。集められたのはクリス達の他に、将軍であるリックと参謀長のエミリオ、参謀のミュセイラ、親衛隊隊長のヴィヴィアンヌ、それに加えて帝国宰相のリリカも揃っている。あおのリリカの傍には、御付きのメイドとして今日はスズランが控えていた。
 会議にようやく人が揃ったという状況なのだが、案の定、遅刻してきたクリス達にリックとエミリオはお冠であった。

「そんで、レイナが言う事を聞かないから飯を買ってやってたせいで余計に遅れたと?」
「しっ、仕方ねぇだろ⋯⋯⋯。ずっと腹鳴りっぱなしで、連れてるこっちが恥ずかしかったんだからよお⋯⋯⋯」

 座った目をしたリックに問い詰められているクリスの後ろで、我関せずといった様子で、沢山のパンを詰められた袋を抱え、一人夢中でパンを頬張るレイナ。「お前のせいで怒られちまっただろうが!」と、振り返ったクリスが目でレイナに訴えるが、ユンの手料理が食べられなかった事をまだ根に持つ彼女は、そっぽを向いてパンを食べ続けた。

「何だかんだ言うても、クリスってレイナっちに甘いんとちゃう?」
「うるせぇ! 誰がこの脳筋に甘いってんだ!?」
「だって、レイナっちがお腹空かせて落ち込んどったから、いきなり店に立ち寄って好きなだけパン買ってやったやん。しかも全部クリスの奢りやし」

 二人を連れて来たシャランドラの話を聞いて、全員からの視線がクリス一人に集まった。皆一様に思ったのは、「それだけ面倒見が良くてどうして毎度喧嘩が絶えないのか」である。

「そっ、それよりだ! 遅刻したのは俺だけのせいじゃねぇぞ。自分は関係ないって顔で飯食ってる槍女だって遅れたんだぜ」
「レイナは良いんだよ、レイナは。だって会議忘れてたお前に付き合わされて遅れたんだろ? レイナ悪くないじゃん」
「はあ!? おいリック、そりゃあないぜ!」
「⋯⋯⋯ほんま、リックってレイナっちに甘々やわ」

 結論、皆レイナには甘いという事になり、説教も程々に作戦会議は始まった。
 今回彼らが集まったのは、宿敵ジエーデル国への大規模侵攻作戦の最終確認である。執務室に用意された長机と、その上に広げられた地図の上にいくつかの駒が置かれ、ジエーデル侵攻作戦の会議はリック主導で行われた。

「みんな分かってる思うが、俺達が戦う次の相手はあのジエーデルだ。大陸中央最大の大国で、ローミリアの覇権を懸けて今はホーリスローネ王国に侵攻している。ジエーデル軍は異教徒反乱の傷痕を回復させながら、王国方面以外の各地では侵攻に備えて防御を固めている。この備えは勿論、俺達やゼロリアスなんかの攻撃を恐れての対応だ」

 リックが話した通り、ジエーデル国は大陸中央最大の大国で、その軍事力も中央随一である。国力がある分兵の数は多く、しかもその質も高い。配備される武器の充実度や、作戦指揮能力も高く、北方の二大大国に対抗できるだけの力を持っている。
 その二大大国の片方であるホーリスローネ王国へと、ジエーデル軍は投入可能な全戦力を進行させた。それ以外の戦力は、元々ジエーデル国が行なっていた領土拡大政策で占領した、各占領地域の防衛に当たっている。
 如何に強大なジエーデル国でも、今までの領土拡大の為の軍事侵攻を続けながら、王国への大規模侵攻を行なう事は不可能だった。王国侵攻のための戦力は、これまで軍事侵攻作戦に投入されていた戦力を、各地から抽出して集めたものだからである。
 つまり、大陸中央で侵略の限りを尽くしてきたジエーデル軍は、今は戦力を低下させているのだ。そのため大陸中央のジエーデル軍戦力は、一斉に侵攻を停止して防衛態勢に入ったのである。
 
「敵は王国との決着が付くまで、防衛に徹して時間を稼ぐつもりだ。俺達みたいに今が好機と考えて攻撃する連中は沢山いるだろうからな。そこで俺達は、ジエーデル国内で発生する予定だった反乱を利用するつもりだったが⋯⋯⋯。もう皆知っての通り、反乱を起こそうとしていたドレビン・ルヒテンドルクは殺された」

 ジエーデル軍の名将ドレビンの死は、既にこのヴァスティナ帝国にも情報が伝わっていた。ヴィヴィアンヌ指揮下の親衛隊による諜報活動により、最優先でリック達のもとに伝えられたのだ。
 
「本来の作戦では、ルヒテンドルク将軍が起こす反乱を支援するための陽動として俺達が進軍し、敵の眼が俺達に向いている間に、総統バルザックを反乱軍に討って貰うはずだった。それが将軍の死によって不可能になった今、計画を切り替える。それは帝国主導で行なう、各国を利用した打倒ジエーデルの一大反攻作戦だ。エミリオ、続きを頼む」
「承知した。まず我が軍が最初に攻略する目標は、旧オーデル王国という点に変更はない。オーデル王国をジエーデル軍から解放し、この地をジエーデル侵攻の拠点とするためだ。当初の計画では、全軍で真っ直ぐジエーデルを目指し進軍し、敵の注意を引き付けるはずだったが、ここからが計画の変更点だ」

 そう説明したエミリオが、地図上に並ぶ駒を三つ掴み、駒をオーデル王国を起点として三方面に配置する。

「この駒はそれぞれ第一、第二、第三戦闘団を表している。帝国国防軍の主力たる三つの戦闘団を持って、三方面からジエーデルを目指して侵攻を行なう。第一戦闘団の指揮官は勿論アングハルトで、リックには彼女と共にジエーデルを目指して貰う。リックの護衛にはゴリオンを付け、ミュセイラには第一の作戦参謀を任せる予定だ」

 エミリオの説明を聞いていた者達の中で、レイナとクリスがいい顔をしなかったのは言うまでもない。今の説明だと、二人はリックの護衛の役目を外されていたからである。

「続いて第二戦闘団は、私が作戦参謀として同行し、レイナ、クリス、イヴと共にジエーデル国の戦略的最重要拠点ブラド公国の陥落を目指す。この三人を連れて行く理由としては、特殊魔法兵部隊ことカラミティルナ隊との交戦が予想されるからだ。敵戦力も集中しているため、どの戦闘団よりも激しい戦いが予想されている。リックの護衛に君達を付けないのは、ブラド公国陥落に君達の力が必要不可欠だからだ」

 レイナとクリスが不満を抱く事など、エミリオにはお見通しだった。心を読まれて驚いた二人だったが、厄介な特殊魔法兵との戦闘の為ならば仕方ないと、一先ずは納得して異を唱える事はなかった。
 予想されるその激戦には、帝国一の狙撃手イヴ・ベルトーチカまでもが投入される。帝国最強の槍士と剣士、そして狙撃手までもが第二戦闘団に加わるという事は、それだけエミリオが公国の陥落に本気である証拠だ。
 帝国が誇る切り札を三人も投入する以上、ブラド公国攻略はこの戦争の勝敗を分ける、極めて重要な戦闘になるのは間違いない。それを理解しているからこそ、レイナもクリスも文句は言えなかった。
 幸いにも、リックの傍にはアングハルトとゴリオンが付く事になっている。しかも、リックと共に行動するのは、精鋭中の精鋭が集まった第一戦闘団である。それならば危険はないと判断し、レイナやクリスだけでなく、他の誰も異論はなかったのだ。

「最後に、第三戦闘団の作戦目標は占領地域の解放及び、解放した地域を味方に付け、ジエーデル国に対しての反乱軍を組織して貰う。この役目はリリカ宰相にお任せし、宰相の護衛には鉄血部隊とライガも付ける。シャランドラも第三戦闘団に同行して貰い、試作兵器の運用試験を行なう予定だ」
「正義馬鹿なんか連れてって役に立つのか? 護衛どころかお荷物だろ」
「頑丈なのが取り柄だからね。いざとなったら宰相の盾にでもなって貰うさ」

 さらりと酷い事を言うエミリオに、流石に冷たいのではと思う一同だったが、戦場でのライガの活躍を思い出し、それもそうかと思い直して納得するのだった。
 護衛のライガや鉄血部隊の事は兎も角、宰相リリカが第三軍の作戦行動に必要な理由は、味方に付ける各国との交渉役の為である。帝国宰相として、各国との外交交渉も彼女が一手に引き受けており、その悉くを帝国の利益に繋がる形で処理してきた。
 交渉の場に於いて、宰相リリカを上回る人物は帝国に一人もいない。ジエーデルとの戦争に必ず勝利するためには、彼女の力が必要不可欠なのである。リリカの交渉が成功すれば、帝国国防軍はジエーデルに反旗を翻した国家群を味方に付け、巨大な勢力となって進軍する事になるだろう。
 
「他の国の連中なんざいなくても、俺らだけで十分だぜ。特殊魔法の連中を瞬殺して、その足でバルザックの野郎の首を刎ねてやる」
「もぐもぐ⋯⋯⋯、できないことを⋯⋯⋯もぐ⋯⋯いうな⋯⋯⋯⋯⋯はれんち⋯⋯あむあむもぐもぐ」
「食いながら喋んじゃねぇ! 行儀悪いだろうが!」

 戦いを前に気合が入るクリスだが、彼の言葉通り帝国単体でジエーデル国を攻略しないのには、勿論理由がある。それはジエーデル国の軍事力が、未だヴァスティナ帝国の力を上回っているからである。
 ヴァスティナ帝国国防軍の主力は、レイナやクリスをはじめとした精鋭部隊と、装甲車輌と銃火器を装備した機甲戦力だ。しかしその主戦力は、予備戦力を集めても約二万と言ったところで、残りの戦力は他国と大差ない従来通りの戦力となる。
 ヴァスティナ帝国が同盟を結ぶ各国の軍隊も、今までと変わらない前時代的戦力である。それを足したとしても、ジエーデル軍の全兵力を数で上回る事は出来ない。そうなれば頼みは約二万の主戦力となるが、如何に装甲車輌と銃火器、更には航空戦力を投入したとしても、物資には当然限りがある。
 帝国国防軍を支える兵器を使用するには、大量の弾薬と爆薬が必要だ。弾薬と爆薬が用意出来れば、数の差など簡単に覆せる戦闘を展開できるが、その為に必要な弾薬と爆薬が不足しているのが、今の帝国国防軍の実情なのである。

 前回の異教徒討伐戦の際、帝国国防軍は備蓄物資の九割を消費した。弾薬も砲弾もほとんど喪失した帝国国防軍は、ホーリスローネ王国とジエーデル国の戦争を静観しながら、武器弾薬及び装甲車輌の生産を急いでいた。
 だが、今がジエーデル国を倒す好機であるこの状況で、開戦に間に合った弾薬備蓄は六割である。短期間の間に半分と少しの分を回復できたが、大国ジエーデルと戦うには十分とは言い難かった。
 ジエーデル国が王国への侵攻へと踏み切った理由の一つは、この弾薬不足問題が関係している。自分達が王国を攻めれば、この機を見逃すはずがないヴァスティナ帝国が必ず仕掛ける。しかし、帝国国防軍が使う全ての兵器群には、弾の数に限りがある事をバルザックは知っていた。
 異教徒討伐でその限りある弾薬を使い果たすと、最初からバルザックは読んでいたのだ。だからこそ、帝国国防軍が回復する前に王国侵攻を行なう事で、南ローミリアからの脅威を無視出来たのである。

 こうなれば、足りない戦力分は現地調達するしかない。そう考えたエミリオとミュセイラは、ジエーデルの支配地域を攻略する事で、各地域からの戦力の調達を図ったのである。ジエーデルに対抗する元占領国の大規模な反乱軍を組織できれば、敵軍との総兵力の差を補う事も出来るからだ。
 
「これが第一軍から第三軍までの作戦計画となる。次は、親衛隊の作戦行動についてだが⋯⋯⋯」
「軍師メンフィス。そこから先は私が話そう」

 いつも通り変わらない表情で作戦の説明を続けていたエミリオだったが、親衛隊の作戦を話そうとしたところで、表情を曇らせ言葉を止めてしまう。その異変に逸早く気が付いたヴィヴィアンヌは、彼の説明を止めて強引に説明役を代わった。
 二人の仲が悪いのは皆承知の上ではあるが、今日は普段と様子が違う。皆がそれを察しながらも、今は黙ってヴィヴィアンヌの説明に耳を傾けた。

「我々親衛隊の目的は、ジエーデル国内部及び各前線の撹乱、及び破壊工作である。各戦闘団が敵前線を短期間で突破できるよう、先行してジエーデル領に侵入する我々が工作活動を行なう」
「工作って何をやるんや? 派手に火事でも起こすんか?」
「それも工作の一つだが、眼鏡が考えているほど平和なものばかりではない。例として一つ上げるなら、我々は第二戦闘団支援のため、ブラド公国貴族をジエーデル軍の仕業に見せかけ殺害する」

 ヴィヴィアンヌは目的のためならば手段を選ばない、何処までも冷酷非道になれる軍人だ。忠誠を誓ったリックのためならば、彼女は神にも悪魔にもなれるし、もし神を殺せと言われたら全力で殺そうとするだろう。
 恐らく、彼女が殺そうとしているブラド公国の貴族には、何の恨みもなければ何の罪もないはずだ。それでも殺す理由は、疑問を口にしてみたシャランドラにも簡単に察しが付いた。

「⋯⋯⋯なんもかんもジエーデルの奴らのせいにして、連中の敵をいっぱい増やすってことなんか。ひょっとして、これと似たこと他でもすんの?」
「その通りだ。親衛隊は各前線の支援にまわり、各地域で火種を起こして暴動を発生させる。混乱する敵軍の隙を狙い、各戦闘団は迅速に前線の突破を図って貰う。この戦いには速度が求められている。ジエーデルを攻略を狙うどの国家よりも早く敵国を占領する事が、我々の勝利となるのだ」

 攻略の速度を重視するヴィヴィアンヌは、謀略を駆使して勝利を得ようとしていた。彼女は指揮下の親衛隊を率い、各地域で要人暗殺や情報操作を行なう事で、敵軍を混乱に陥れようとしているのだ。
 ただその作戦は、大義の失われた卑怯で卑劣な手段でもある。これが戦後、ヴァスティナ帝国にどんな影響を及ぼす事になるか、皆よく分かっていた。分かるからこそエミリオは今でもこの作戦に反対し、ミュセイラやクリスは義のない戦いに否定的な態度を見せる。

「⋯⋯⋯お前はいっつもそうだ。リックの為と抜かしやがって平気で前の自分に戻りやがる。だから気に入らねぇ」
「今回ばかりは貴方に同意ですわ。以前私達だって、エステラン国との戦争で謀略を使いましたの。でもあの時は、エステランの王族を人々が憎んでいたから、私達への非難は少なくて済んだ。それと今回は違いますの」
「そんなことは百も承知だ。だがこれは、ジエーデル国攻略を短期間の内に完了するべく、将軍閣下が承認して下さった作戦だ。よって作戦は予定通り実行される。話は以上だ」

 説明を終えたヴィヴィアンヌに、尚も食って掛かろうとするクリスだったが、それを制したのはレイナだった。いつの間にか全てのパンを平らげていた彼女は、クリスの服を掴んで彼を止めようとする。苛立った顔で彼がレイナへと顔を向けると、目を伏せた彼女が首を横に振って訴えた。
 「何も言わず、彼女の好きにさせて欲しい」と、決して口には出さずレイナは訴えている。彼女もまたクリスと同じ思いではあるが、ヴィヴィアンヌが自分達には出来ない汚れ役を引き受けている事は、よく分かっていた。
 自分達が為すべきはヴィヴィアンヌを止める事ではなく、彼女の助けになる事だ。その思いでヴィヴィアンヌを守ろうとするレイナだが、対するクリスはそれを理解しながらも納得はできなかった。

「ちっ⋯⋯⋯、どいつもこいつも気に入らねぇぜ」

 最後に文句を口にしただけで、クリスはそれ以上何も言わなかった。
 話を終えたヴィヴィアンヌに代わり、再びリックが説明を始めようとする。その時リックはシャランドラを見つめ、少し目を伏せて何かを考えていたが、意を決したように目を開いて話を再開した。

「敵との戦闘に際し、注意すべき新兵器の情報が入ってる。もう皆噂では聞いてるだろうが、ジエーデル軍は王国軍との戦いで小型の榴弾砲を使用した。この砲は大陸北方に集中配備されているようだが、各前線でも遭遇する危険は十分にあるから、敵戦力の偵察と情報収集は抜かりないように」

 ジエーデル軍がキーファードの戦いでこの新兵器を使用し、王国相手に大勝を収めたという情報は、既に大陸全土に知れ渡っている。
 この新兵器は、小型軽量で生産性の高い榴弾砲である。その威力は従来の大砲とは比べ物にならず、その設計は帝国国防軍が保有する砲と酷似していた。
 この砲の話では、誰よりも真っ先にシャランドラが反応を示した。自分の知らないところで、自分が発明した兵器と同じものが作られ、しかもそれが他国で運用されているというのだ。天才発明家を謳う彼女としてはとしては、黙っていられるはずもなかった。

「ジエーデルの阿呆んだら、うちの発明パクって砲を作ったんやろ。設計図も鹵獲品も無しで、一体どうやって作ったんやろな⋯⋯⋯」

 シャランドラが製作した榴弾砲は、彼女自身が言うように簡単に真似できるような兵器ではない。実用化に成功した帝国国防軍以外の各国の技術レベルでは、設計図やサンプルもなく、こんなにも早く完成させて量産化する事など不可能なのだ。
 ジエーデル側にシャランドラと同等の発明家でもいれば可能だろうが、それならば榴弾砲だけでなく、帝国国防軍が使用している他の兵器と似た物が、今頃各前線に投入されているだろう。少なくとも、ジエーデル軍との初めての戦争で帝国軍が使用した、銃器や爆弾の類は製造されていてもおかしくはない。
 これらの兵器の実用化の難しさは、発明した本人であるシャランドラが一番よく理解している。だからこそ疑問が浮かぶのだが、その疑問を解く鍵はリックが握っていた。

「⋯⋯⋯シャランドラの言う通り、帝国で使ってる兵器類はそう簡単に真似できるものじゃない。ただ、ジエーデルの国力と工業力さえあれば、作り方さえ分かってしまえば不可能じゃないはずだ」

 そう口にしたリックの視線は、変わらず妖艶な笑みを浮かべるリリカへと向けられていた。リックは彼女が隠している事を知り、リリカは彼が何を言おうとしているのか分かっている。
 一瞬躊躇ったのはリックの方だった。しかし、いつまでも秘密にしておけないと思い、覚悟を決めてリリカへと問うために口を開いた。

「リリカ。ジエーデルに砲の設計図を渡したのは、お前なんだろ?」
「ふふっ、正解だ」

 リリカが認めた瞬間、驚愕したシャランドラの視線が彼女に向けられた。驚いたのはシャランドラだけでなく、そんな事など考えもしなかったレイナとクリスもであった。
 驚かなかったのはエミリオとミュセイラ、そしてヴィヴィアンヌだった。三人はリックと同じように、薄々ながら気付いていたのである。

「なんでや姉御! なんでうちの大切な発明をジエーデルなんかに渡してもうたんや!?」
「リリカを責めないでくれ。こうなったのは全部俺のせいだ」
「リックが何したって言うんや!? なんで姉御を庇う―――」
「俺をアーレンツから助けるために、リリカは砲の設計図をジエーデルに渡して交渉したんだ。でなけりゃ、敵対関係にある国の人間を助けるために、あんな簡単に協力してくれるわけがない」

 宰相リリカが交渉すれば、どんな相手だろうと関係なく大胆不敵に戦い、必ず勝利を収める。帝国の人間ならば誰しもがそう思い、彼女に敵う者はいないとそう信じている。
 アーレンツとの戦争。捕らわれたリックを助けるために、リリカは最大の援軍としてジエーデル国を味方に付けた。リリカの力と恐ろしさは皆知っていたから、どうやってジエーデルを味方にしたのか、深く疑問に思う者はほとんどいなかった。

 ただリックだけは、自分が助け出されるまでの話を後から聞かされ、ずっと疑問に思っていたのである。そしてジエーデル軍で使用された砲の話を聞き、全てが繋がったのだ。
 結果は予想した通り、リリカがリックを救うべく行動した結果が、ジエーデル製榴弾砲の実戦配備である。しかし、アーレンツの話を出されてしまうと、誰も何も言い返せなくなってしまう。一番怒っていたシャランドラでさえ、悔しさに身を震わせながらも黙るしかなかった。
 リリカが交渉し、その交渉材料として設計図を渡していなかったら、今頃ここにリックはいなかった。それを理解して尚、彼女の行為を咎める事ができる人間は、この中にはいない。

「悪かったなリリカ。俺が下手を打って嫌な仕事をさせた」
「気にしなくていいよ。リックの尻拭いをするのも、私の役目なのだから」

 皆を裏切る真似を彼女にさせてしまい、リックはずっと後悔の念を抱き続けていた。そんな彼の気持ちを理解するリリカは、何でもない事のように妖艶に笑って見せる。
 これは仕方なかった事なのだと、全員が納得していた。悔しさや後悔の思いをはあれど、リックやリリカを責めはしない。今すべきは、戦場で遭遇する可能性のある敵新型砲に、どう対処するかという対策だけだ。

「⋯⋯⋯話を戻すが、敵新型砲は大量生産可能な簡素な構造で、小型軽量な上に運用もし易いらしい。歩兵にとってはかなり脅威だが、恐らくは急ごしらえの兵器だ。こっちの榴弾砲の方が射程も威力も勝っているはずだし、いざとなったら戦車を盾にして前進すればいい。連中の砲は対戦車戦を想定してないだろうからな」

 敵兵器の力を的確に予想しているリックは、新型砲など大した脅威ではないと考え、邪悪な笑み浮かべ始めていた。
 これは彼の慢心ではなく、例えどんな障害が立ち塞がろうと、全て破壊し蹂躙するという絶対的自信の表れである。そして同時に、ジエーデルが真似た榴弾砲が相手だとしても、自分が信じるシャランドラの生み出した兵器群と、強く気高い自らの仲間達の力を信じているからこそ、彼は何も恐れはしないのだ。

「大まかな作戦の説明は以上だ。ここからは細かい部分を詰めていくから、気になるところや質問があったら言うように。それとスズランさん、ちょっと長くなりそうなんで紅茶か珈琲を貰えませんか?」
「畏まりました」

 リリカの御付きであるスズランに飲み物を用意させつつ、リックら帝国国防軍幹部達の作戦会議は進められていく。
 この作戦会議により、ジエーデル国侵攻計画は「ワルキューレ」と命名されるのだった。









 予想以上に白熱した作戦会議の結果、外は日も暮れ始め、すっかり夕方を迎えていた。
 あれから会議の場となったリックの執務室では、シャランドラが更なる試作兵器投入を求めて人員確保を求めたり、エミリオとヴィヴィアンヌが度々意見が合わず揉めたり、休憩中に出されたショートケーキの苺をクリスに盗られたミュセイラが泣き出したり、スズランに対してリリカがセクハラを働くなど、兎に角色々あった会議がようやく終わったのである。
 一番大変だったのは、やはりリックの傍には自分が護衛に付くべきだと言って、レイナが第一戦闘団に従軍すると言って聞かなかった事だ。それは困るとエミリオやミュセイラ、更にはヴィヴィアンヌまでもが必死に説得する羽目になった。最終的にはクリスが、「お前リックの護衛に付くとか言って、ほんとはカラミティルナ隊と遣り合うのびびってんじゃねぇのか?」と言ってレイナをキレさせ、何とか解決したのである。

 予想を超えた大変だった会議を終え、リックとリリカを残して、疲れ切った顔をした他の面々は解散していった。リックもまた疲れた顔をしていたが、対照的にリリカは終始涼しい顔で、カップ片手にお代わりした紅茶を味わっている。

「リックも飲むかい?」
「⋯⋯⋯スズランさん、俺にもお代わり下さい」
「畏まりました」

 疲れ果てて深く息を吐いたリックが、背筋を伸ばしたり肩を回したりしていると、彼が使っていたカップにスズランが紅茶を注ぐ。リックが礼を言ってカップに手を伸ばし、注がれた紅茶に口を付けようとすると、少し不安そうな顔をしているリリカと目が合った。

「どうかしたか?」
「はやる気持ちはわかるけれど、少し力み過ぎだ。リックが倒れたら作戦も何もないんだよ」
「わかってはいるけど、やっとここまで来れたって思うと力も入る。この戦争に勝てば、大陸全土の武力統一に大きく前進できるんだからな」

 ジエーデル国を陥落させて占領できれば、ヴァスティナ帝国は大陸中央の支配権を手にする事ができる。大陸中央を帝国が支配できれば、大陸全土統一に残る障害は、北方の二大大国のみとなるのだ。
 ジエーデルとの戦争こそ、リックにとって最大の目的を遂げるための天王山である。軍務に力が入るのは当然だが、そんな彼の体を心配するリリカにとっては、無理をして欲しくないのが本音だった。

「⋯⋯⋯リック様。一つ宜しいですか?」
「はい?」

 今度はスズランが彼を見つめ、再び紅茶に口を付けようとしたリックへと言葉をかける。
 実はリックは、これまでスズランとほとんど会話をした事はなく、知ってる事と言えばリンドウの部下である事と、帝国内では王子様と呼ばれて女子人気が高い事くらいである。
 ショートな髪形でボーイッシュな見た目。メイド服を着ていなければ、男装がとてもよく似合いそうな王子様。どこぞの歌劇団の男役が板に付きそうな彼女が、鋭い視線でリックを見つめている。その美しさで目のやり場に困ったリックは、彼女の言葉を待ちつつ、逃げるように視線を逸らして紅茶に口を付けた。

「実は僕、リック様のことが嫌いです」
「ぶっ!?」

 突然の宣言に驚愕したリックが、口に含んでいた紅茶を勢いよく吹き出した。驚きのあまりリックが咳き込んでいる間、スズランは冗談のない真剣な表情で彼を見ているだけだった。
 因みにリリカは、スズランの突然な宣言が大層面白かったらしく、お腹を抱えて笑い続けていた。

「どっ、どうして急に⋯⋯⋯」
「リック様はいつもそうやって無茶をして、リンドウさんを悲しませるから嫌いです」
「それは⋯⋯⋯」
「それに、リック様は僕から大切なリンドウさんを奪った。二人が僕達に隠れて何をしてるか、気付いてないと思っていたんですか?」
「うぐっ⋯⋯⋯!」
「僕にとって彼女は、救ってくれた恩人であり憧れです。別に彼女と恋仲になりたいとか、そういう気持ちはないです。ただ、愛している大切な彼女が、貴方のせいで苦しみ悲しむ姿を見たくない」

 これは、相変わらず無茶をしているリックへの警告も込めた、スズランの本心だった。
 リック達が城にいない間のリンドウを、スズランは傍でずっと見てきていた。日々の仕事に忙しくしている中、時折リンドウが見せる憂いの顔も、いつも見ていた。その憂いが、リックを愛したが故のものであると知った時、スズランは生まれて初めて人に嫉妬したのである。
 そして同時に、リックを憎みもした。リンドウから幸福も笑顔も奪おうとする、悲しみに暮れた男の存在を、どうしても許せなかったのだ。

「メシア団長とユリーシア陛下が亡くなった日を境に、貴方は愛を失った。それなのに貴方は、リンドウさんの優しさに甘えるだけで、彼女を心から愛そうとはしない」
「⋯⋯⋯」
「だから貴方はずるいんだ。僕から彼女を奪うなら、彼女のことを幸せにしないと許さない」

 何も言い返す事ができず、ただリックはスズランの怒りを受け止める事しかできなかった。その様子をリリカは終始笑って見ていたが、笑い疲れた彼女がようやく助け舟を出した。

「ふふふっ⋯⋯⋯、リックの負けだね」
「こういうのは勝ち負けじゃないだろ⋯⋯⋯」
「リンドウへの愛はスズランの勝ちじゃないか。リックよりよっぽどリンドウのことを考えているからね」
「たっ、確かに⋯⋯⋯」
「スズラン。これだけ言えばリックも少しは反省するから、今日のところはこれくらいで許してあげなさい」
「⋯⋯⋯わかりました」

 まだ言い足りない様子のスズランだったが、リンドウの言葉でリックへと向けた怒りの矛を収める。怒りを受け止めている間、終始生きた心地がしなかったリックが、やっと安心して深く息を吐く。
 そして不図、安堵した頭の中である事を思い出して、今度はリックが彼女に言葉をかける。

「でもスズランさん、リンドウさんが好きだって言うならラフレシアさんのことは良いんですか?」
「ラフレシアさんとリンドウさんは、僕やリック様とは違う形の深い絆で結ばれてます。正直ラフレシアさんの愛は狂気ですが、二人の仲に僕が割って入るなんてできません。それに⋯⋯⋯」
「それに?」
「自分自身の過去、ユリーシア陛下の死、そしてリック様への愛⋯⋯⋯。彼女を苦しめ悲しませ続けるものから、彼女の微笑みを取り戻してくれるのは、いつもラフレシアさんです。そんなラフレシアさんを嫌いになれるはず、ないじゃないですか⋯⋯⋯」

 リックから視線を外したスズランは、溢れ出しそうになる感情を抑え、少しだけ肩を震わせていた。しかし直ぐに気持ちを切り替えると、今度は彼女が不図思い出してリックへと向き直る。

「そう言えば、リック様とリンドウさんの関係、まだラフレシアさんは気付いてないです。彼女、自分の恋には意外と鈍感ですから。もし二人の関係を彼女が知ったら、リック様多分殺されます」
「!?」
「前に、リンドウさんを口説いた旅人を完全武装して殺しに行こうとしたくらいです。リンドウさんを抱いたなんてばれたら、リック様ばらばらにされますね」

 そんな物騒な事を笑顔でさらっと言ってきたスズランに、益々恐怖を覚えたリック。そして彼にとって一番最悪なのは、既にこの事は知っていたであろうリリカに、生命の危険をもたらす弱みを握られていたと知ってしまった事だ。
 
「リリカ。頼むからこのことはどうか⋯⋯⋯」
「さて、どうしようね。ふふっ、ふふふふ⋯⋯⋯」

 この日以来、ラフレシアに会う度にリックは緊張し、リンドウとの関係がばれてないかと恐怖し続けるのは、言うまでもない話である。
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