贖罪の救世主

水野アヤト

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第四十九話 反撃

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 ドレビンの死後、ジエーデル国内では盛大な国葬が催された。彼の遺体はルクレアと共に棺桶に安置され、棺桶を運ぶ馬車は町中をまわった。馬車が通る先には大勢の国民と軍人が立ち並び、ドレビンの死を悼んで馬車を見送った。
 英雄の死に国内が悲しみの涙に包まれる中、総統府の執務室ではバルザックが窓から空を見上げていた。親友と呼んだドレビンの死に一切の悲しみの色を表さず、彼は一人執務も忘れて沈黙を続けている。

「⋯⋯⋯吾輩に何か用かね、バウアー君」

 沈黙を続けていたバルザックが、執務室に姿を見せたハインリヒの存在に気付く。ハインリヒは窓の外を見つめるバルザックの背に向かい、いつもと変わらぬ態度で話しかけた。

「ルヒテンドルク将軍も面白い人間でしたが、やはり貴方が一番面白いと思いまして」
「面白い?」
「人の心を持たぬ冷酷な怪物かと思えば、自らの手で友を殺した事実に苦悩する。貴方という人間は、知れば知るほど面白みが出てくる」

 実のところバルザックは、このハインリヒ・バウアーという男が何を考えているのか、未だによく分かっていない。ただ直感している事は、この男が自分と同種の人間であるという事だ。
 
「ルヒテンドルク将軍は消えた。後は外交官殿と反抗勢力を始末さえすれば、総統閣下の秘密を知る者は国内からいなくなる。そうなれば王国侵攻により一層集中できましょう」
「やはり君は、吾輩の正体に気付いていたか」
「これでも諜報組織の長官ですから、自分が忠誠を誓う存在を調べ尽くすのは当然でしょう。しかし私は、貴方が元はアーレンツの鴉だろうが一向に構わない」

 いつもの様に嫌らしく、不敵な笑みを浮かべて見せるハインリヒが、祖国のためではなく自分のために行動している事は、バルザックも気付いていた。
 この男はバルザックと同じで、己の目的のために軍警察という諜報部を組織し、目的遂行のために手段を選ばず行動しているだけなのだ。

「私はですね総統閣下。一介の諜報員に過ぎない男が、身勝手な自分の目的のためだけに一国の支配者となり、どんな結末を迎えるのかを特等席で見届けたいのです」
「ほう⋯⋯⋯、随分いい趣味だ」
「私にとって貴方は、バルザック・ギム・ハインツベントという演目なのです。私はそれを盛り上げるための端役であり観客。たった一人の男の欲望で世界が変わっていく様を、軍警察長官という特等席で楽しめるなど、これ程面白い人生は他にない」

 自らの本心を打ち明けたハインリヒだが、彼はバルザックの正体を知っている。秘密を守るならば、ハインリヒさえも今すぐ始末しなければならない。
 だがバルザックは、秘密を知る彼を殺す気はなかった。危険な男ではあるが、彼の本心を聞けた事で、ハインリヒは裏切りの心配がないと判断したのだ。少なくとも、自分に対する彼の興味が失われない限りだが⋯⋯⋯。

「ならばバウアー君、今後も当てにさせて貰うよ」
「ありがとう御座います、我が総統。それでは職務に戻りますので、私はこれで失礼させて頂きます」

 バルザックの背に向かい敬礼したハインリヒは、執務室を後にするべく扉に向かって歩き出し、扉に手をかけた。その瞬間、窓の外を見つめ続けていたバルザックが、立ち去ろうとする彼へと振り返る。

「待ちたまえ、バウアー君」
「はい?」
「君は私が王国に拘る訳を、この世界の真実というものを知りたくはないかね?」

 呼び止めたバルザックの問いかけに、扉を開けようとしたハインリヒの手が止まる。するとハインリヒは、顔だけバルザックへと振り返り、笑みを浮かべて答えて見せた。

「今はまだ、教えて貰わずとも結構です。実は私、楽しみは最後まで取っておく質でして」

 そう言い残し、ハインリヒは扉を開けて執務室を後にした。部屋に一人残ったバルザックは、再び窓の外へと振り返り、晴天に恵まれた国葬のために打ち上がる、砲兵隊の空砲の音に耳を傾けた。

「最後まで取っておく、か⋯⋯⋯。女神と出会ったあの頃の私には、君のような辛抱強さはなかったよ」

 その辛抱がなかったために、焦った彼は王国への侵攻に踏み切ってしまった。もう後戻りはできず、神の頂へと伸ばしたその手を引く事は出来ない。
 世を去ったアーレンツの荒鷲は、この愚かさをきっと嘲笑っているだろう。窓外から響き渡る空砲は、そんな自分を笑う荒鷲の嘲笑に聞こえた。









 ドレビンの国葬から二週間後。
 エステラン国との国境線付近に展開するジエーデル軍の中に、名将の血を引く若き指揮官の姿があった。

「⋯⋯⋯」

 夕焼けが大地を赤く染め上げ、陣地で警備や訓練を行なっている兵士達に、夜の訪れを告げる。周囲で兵達がそれぞれの仕事に取り組む中、一人大地に座り込み、夕陽を見つめて動かない若き将がいる。この青年こそ名将ドレビンの息子、ロイド・ルヒテンドルクである。
 その彼の背後に、ロイドとは所属の異なる軍服を身に着けた、四人の隊員が現れる。彼らはロイド率いる軍団に従軍している、ジエーデル軍警察の隊員である。

「ロイド・ルヒテンドルク。貴官に本国からの最優先命令を伝える」
「⋯⋯⋯何かしら?」

 振り返りもせず、夕陽を見たままロイドは素っ気なく返事をした。
 異教徒討伐のためグラーフ同盟軍に参加した後、ロイド率いる討伐軍は、エステラン国に対する防衛線強化のため、そのままこの地に配置された。彼ら軍警察の部隊も、異教徒討伐の任を終えたにもかかわらず、ロイドの軍団に従軍し続けていたのである。
 
「この地の防衛指揮は副官に一任し、貴官は直ちに総統府へと出頭されたし。これは総統閣下の御命令であるから、我々と共に急ぎ本国へと帰還して貰う。まさか異論はないな?」
「異論、ですって? 何が総統閣下の御命令よ。アタシのパパとママを殺したバウアーのクソッタレの命令でしょうが」
「きっ、貴様⋯⋯⋯!」

 ドレビンとルクレアの死は、一週間程前にこの陣地に伝えられ、当然ロイドの耳にも伝えられた。父と母の死を知った彼は、悲しむ事も泣く事もなく、ただ一言「そう、わかったわ」とだけ口にして、何事も無かったかのように軍務へと戻っていったのである。
 ただその日以来、ロイドは一人でいる事が多くなった。暇ができてはぼうっと空を眺め、一人でずっと何かを考えている様子だった。

「アナタ達はアタシの監視役でしょ? パパが国への反逆を企てないための、言わば人質。もしも反逆したら、その時はアタシを始末するためにいるのよね?」
「そこまで分かっているなら、もう隠しはしない。ロイド・ルヒテンドルク、貴官には軍警察本部で国家反逆に関する尋問を受けて貰う」
「お断りよ。誰が従うもんですか」
「抵抗するか、貴様!」

 四人の軍警察隊員が、一斉に腰に差している剣に手をかけた。しかしそれでも、ロイドは一切動じる事なくその場を動かなければ、振り向きもしない。
 脅しだと思っているのか、まるで恐怖を感じていない様子の彼の態度に、隊員達の怒りに火が付いた。

「丁重に連行しろとの命令だが、抵抗した場合は処刑しても構わないと長官から命令を受けている! 長官と我々を愚弄した罪は重いぞ、ロイド・ルヒテンドルク!」
「ふんっ、偉そうに。人殺しが趣味の虐殺部隊の分際で、よくもまあ罪だなんだとほざけるものね」
「いいだろう! そこまで死にたければ、直ぐにあの世で両親に会わせてやる!」

 四人はほぼ同時に剣を抜き放ち、ロイドへと殺意を剥き出しにする。対してロイドは、もう諦めてしまったのか、やはりその場から動こうとはしない。

「祖国に反逆した罰だ! 死ぬがいい!!」
「死ぬのはアナタ達よ、お馬鹿さん」

 ロイドは夕陽を見つめたまま動かなかった。背後から隊員の刃が振り下ろされるはずだったが、その刃が彼を斬る事はなかった。そして、背後から彼に向けられていた四人分の殺気は、綺麗になくなっていた。

「終わりました、軍団長」
「ご苦労様」

 ようやく振り返ったロイドの瞳に映った光景は、地面に倒れ伏す軍警察四人の死体と、彼の副官と剣を握る兵達の姿だった。兵が持つ剣の切っ先には、四人を始末した際に付着した血痕が残っている。四人を殺した兵士達は剣を収めると、速やかに死体をこの場から運んでいった。
 隊員の始末を確認したロイドに、彼の副官が傍に寄って報告を始めた。

「残りの軍警察隊員も、既に兵達に処理させています。誰もここから逃がしてはいません。これで軍団長を縛る枷はなくなりました」
「ありがとう、シリウス。アナタの仕事はいつも満点よ」

 副官の名前はシリウスという。歳はロイドより少し上だが、まだまだ若い将来有望な将である。
 シリウスの事を気に入っているロイドは、優秀な彼を副官としてずっと傍に置いていた。そしてもし、軍警察の者達が自分に刃を向けた際は、彼らを処理するよう秘かに命令を下していたのである。
 
「ところで、一体どうして軍警察に逆らうような真似、二つ返事で了承してくれたのかしら? これでアナタもアタシも、国に逆らった反逆者の仲間入りよ?」
「そう言えば、まだお話していませんでしたね。実は自分、以前ルヒテンドルク将軍の指揮下で戦った事がありまして、危うく戦死するところを将軍に助けられたんです」
「へえー、初耳ね」
「将軍は共に戦った兵の顔と名前は忘れない方でしたから、軍団長の副官が自分だと知ると密書を送り、何かあったら貴方を守って欲しいと」
「命を救われた恩を返すために、国を裏切ってまでアタシを助けてくれたわけね。アナタ、思ってたよりずっといい男じゃないの」

 急にロイドが色目を使いだすと、シリウスはその目から逃げるように顔を逸らし、少し距離を置くべく離れようとした。だがそれを許さないロイドは、獲物を逃がすまいと彼の腕に抱き付いて、しっかりと拘束する。

「仕事ができるから元々気に入ってたんだけど、今ので完全に惚れちゃったわ。助けてくれたご褒美に、今度デートしてあげるわよ」
「丁重にお断りさせて頂きます」
「何よ、アタシが相手じゃ不服だっていうの? どうせ付き合ってる彼女もいない素人童貞なんでしょ? アタシと付き合えば寂しい人生を送らずに済むわよ?」
「人を見かけで判断して決めつけないで頂けますか。別に寂しくなんてありませんから」
「何でよ?」
「故郷に結婚を誓い合った恋人がいますので」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯ああ、そう」

 肩を落として落ち込んだロイドが拘束を解き、シリウスは彼の魔の手から解放された。どうやら割と本気で落ち込んでいるらしく、獲物を逃したロイドの目には、シリウスへと向けられた嫉妬の炎が燃え上がるのだった。
 話が脱線し過ぎたため、空気と気持ちを切り替えるべく咳払いしたシリウスは、自分達の今後を決めるためにロイドの命令を待つ。それに応えるべくロイドも気持ちを切り替え、腰に手を当てシリウスを真っ直ぐ見つめる。

「アタシ達軍人の仕事は国と民を守ること。それはアナタも理解してるわね?」
「勿論です」
「ならアタシ達の為すべきは、国と民を脅かす危ない独裁者と拷問好きな異常者を始末することよ。アタシ達が現ジエーデルの支配体制に最初の反撃を行なうの、いいわね?」
「はい、喜んで」

 後戻りはできない。軍警察の隊員を殺した事実は、国家反逆罪に問われて極刑となる。このまま国へ帰っても、二人の待つ未来には死しかない。
 だったらどうするか。二人の答えは、生きるために戦う事だった。国を守り救う戦い事こそが、亡きドレビンが若きロイド達に託した、未来を手に入れるための戦争なのである。
 そしてこの戦争は、まず自国の人間達が始めなければならない。何故ならこれは、彼らの国の、彼らの問題であるからだ。自分達が解決すべき問題であるからこそ、誰にも先を越させてはならないのである。

「全軍に命じなさい。我らはこれより、総統バルザックを討つとね」

 英雄たる名将が残した、この世でただ一人の最愛の息子。
 亡き父と母の想いと願いを胸に、ロイド・ルヒテンドルクの真の戦争が幕を開けた。









 それから五日後、事態は大陸中央のみに止まらず、南ローミリアでもまたジエーデル国に対する、大規模な軍事作戦行動が勃発していた。
 秘かに戦力を結集していたヴァスティナ帝国国防軍は、南ローミリアへの備えとして展開するジエーデル軍に察知される事なく、電撃的な奇襲作戦を行なった。
 陸空との共同作戦で帝国国防軍が進軍した地は、かつてヴァスティナ帝国と二度にわたる戦争を行ない、今はジエーデル国の占領地となっている亡国、オーデル王国であった。

 オーデル王国を占領していたジエーデルの戦力は、突如として旧オーデル王国領に侵攻を開始したヴァスティナ帝国に対して、有効な対応はできず混乱状態に陥った。
 侵攻を想定した防御陣地は構築されていたが、帝国国防軍第一戦闘団の装甲戦闘車両と砲兵隊、更には航空戦力による爆撃の前には、前時代的な防御陣地など、まるで役には立たなかったのである。
 集中的な砲爆撃の後、戦車を始めとした装甲車両は瞬く間に陣地を突破した。抵抗するジエーデル兵は砲と機関銃で薙ぎ払い、先行した第一戦闘団は作戦計画通り、攻略目標である旧オーデル王国に到達したのである。
 オーデル王国を防衛するジエーデル軍は、この地の戦略的重要性は十分理解していた。故に彼らに撤退という選択肢はなく、援軍の到着までここを死守せんと戦ったが、ヴァスティナ帝国の軍事力の前には、城壁も大砲も魔法攻撃も通用せず、悪魔のような兵器群の前に殲滅されたのである。
 帝国国防軍によるオーデル王国攻略戦は、僅か半日足らずで終了した。城門を戦車砲で粉砕し、銃火器武装の歩兵と共に雪崩れ込んだ精鋭達によって、王国内のジエーデル軍は容易く蹴散らされた。
 オーデル王国攻略戦は、ヴァスティナ帝国の圧勝に終わった。そしてこの瞬間、滅亡したオーデル王国はジエーデル国の支配から解放され、長きにわたり苦しめられた多くの民は自由を得たのである。

「ようやくオーデル王国を陥落させられたな」
「ああ⋯⋯⋯、そうだね。私達はようやくここまで進むことができた」
 
 陥落したオーデル王国を占領するため、後続の帝国国防軍部隊も、続々と王国内へ足を踏み入れる。既に展開中の第一戦闘団は、指揮官セリーヌ・アングハルトの指揮のもと、現在は残敵の掃討と捕虜の確保を行なっている。
 王国へ入る帝国国防軍部隊の中には、最高司令官リクトビア・フローレンスと、参謀長エミリオ・メンフィスの姿があった。二人は車輌に乗ったまま、自分達が占領した王国の街並みを見回し、感慨深く勝利の喜びを分かち合っていた。

「ライオネス隊長が果たせなかった王国奪還の夢。やっと叶えられた」
「元オーデル王国の兵達は皆歓喜しているよ。彼らは皆、君に付き従って本当に良かったと思っているさ」
「でも、ここへ来るまでに戦死した兵は大勢いる。オーデル王国を解放したこの瞬間を、死んだ兵士達にも見せてやりたかった⋯⋯⋯」

 リックとエミリオが見たものは、今は帝国国防軍の兵士として戦う元オーデル王国の兵達が、家族や友人と再会を果たし、互いの無事を喜んで涙している光景だった。
 オーデル王国がジエーデル国の侵攻を受け、王都が陥落した後、生き残った王国軍の残党は南ローミリアへと辿り着き、ヴァスティナ帝国と共にジエーデル軍と戦った。残党軍を指揮していた王都防衛隊長ライオネスは、その戦いで仲間を庇い戦死したが、死の間際に生き残った兵士達をリックへ託したのである。
 ジエーデル国との戦争を生き残り、数々の激戦を経て今日に至るまで、元オーデル王国の兵は半分も生き残ってはいない。それでも彼らは、ジエーデルから祖国を奪還する日を夢見て、今日という日を迎えたのだ。
 宿敵たるジエーデル軍を蹴散らし、失った祖国をその手に取り戻した彼らの感動は、リック達の比ではないだろう。兵達に気を遣ったリックの計らいで、休息を与えられた元王国兵達は愛する者達のもとに駆け付け、再会を喜び合っている。しかし中には、再会を願った家族や友人の死を知って、その場で膝を付き涙を流す兵も少なくはなかった。

「リック。君は彼らの願いを十分過ぎる程に叶えた。生き残っている者達も、戦死した者達も、皆同じ思いのはずだ」
「⋯⋯⋯」
「そうやって悔やむのが君の悪い癖だ。それに君の真の目的はオーデルの奪還ではないだろ?」

 エミリオの言う通りだと感じたリックは、迷いと後悔を振り払って前を向いた。自身の真の目的を思い出し、リックは次なる戦いへと思考を切り替える。
 一方エミリオは、悔やむリックの思いを悪い癖と言って諭したが、それが彼の良いところだとよく知っている。だからそれ以上は何も言わず、微笑を浮かべて彼の言葉を待っていた。

「⋯⋯⋯お前の言う通りだ。オーデルの解放は前哨戦に過ぎない。俺達の真の目的はただ一つ、ジエーデル国の陥落だ」
「帝国が侵攻を開始したと知れ渡れば、ジエーデルの支配に対して各国の反撃が始まる。これもまた、亡きルヒテンドルク将軍の計画通りさ」
「南ローミリア決戦の時に将軍と交わした約束が、やっと果たせるってわけだな」
「約束通り銃火器で完全武装された大部隊を用意したはいいが、肝心の約束を交わした相手は先に逝ってしまったけれどね」

 亡きドレビン・ルヒテンドルクは、自分にもしもの時があった際への備えとして、ロイドの命を助ける用意だけでなく、バルザックを倒させる用意も整えていた。
 ドレビンは秘かにヴァスティナ帝国と繋がり、参謀長エミリオ・メンフィスと連絡を取り合っていた。そして南ローミリア決戦での約束を果たすべく、本国で大規模なクーデター計画が動いている事を伝えていたのだ。
 その際は互いに協力し、帝国国防軍が陽動作戦を行ない、その隙にドレビン達が行動を起こす予定だった。但し、ドレビンにもしもの時があった場合は、ドレビンが流した各地の戦力配備と防衛状況の情報をもとに、ジエーデル国へ侵攻を開始して欲しいという事にもなっていた。
 結果としては後者の計画となり、ヴァスティナ帝国の軍事侵攻は開始された。計画の第一段階は完了し、この先はオーデル王国を侵攻の拠点とした作戦が展開されていく。ただ、作戦指揮中は見せなかったが、計画が順調に進行しているにもかかわらず、エミリオはリックの傍で浮かない表情を見せてしまった。

「⋯⋯⋯将軍とちゃんとした決着、付けたかったよな」
「⋯⋯⋯すまない。気を抜いて将軍のことを思い出すと、惜しい人を失ったと思うだけじゃなく、いつの日か雌雄を決したかった気持ちが溢れてしまうんだ」
「気にするな。俺だって同じ気持ちだ」

 軍人として、軍を指揮する者として、名将と謳われたドレビン・ルヒテンドルクという存在は、エミリオにとっては越えたい壁だった。だがドレビンを越える機会は、彼の死と共に永久に失われてしまったのである。
 無念のその思いが顔に出たのだと思ったリックは、エミリオを慰めようと声をかけた。しかし彼が表情を曇らせていた原因は、それだけではなかったのである。

「それよりリック。親衛隊の作戦計画についてだけど⋯⋯⋯」
「心配なのか?」
「彼女ではなく君が心配なんだ。親衛隊が例の作戦を実行すれば、君を敵視する者が必ず増える。彼女の言う通りにしなくても、私に任せてくれさえすればより安全な作戦にできる。違うかい?」

 エミリオの言う彼女とは、帝国国防軍親衛隊隊長ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼを差している。
 親衛隊は独立した組織であり、参謀長であるエミリオの命令にすら従わない。親衛隊が従う指揮命令系統の頂点は、国防軍の最高司令官たるリックだけだ。
 親衛隊隊長のヴィヴィアンヌはリックに、ジエーデル国侵攻計画における障害排除のため、謀略を駆使した効率的な作戦を立案した。これにエミリオは猛反対したのだが、最終的にはリックがヴィヴィアンヌの作戦を承認し、親衛隊の作戦は実行に移されたのである。

「責任は俺が取る。ヴィヴィアンヌの作戦に中止はない」
「リック⋯⋯⋯!」
「決定は変わらない。この話はもう終わりだ」

 ヴィヴィアンヌの作戦がどんな結果に終わろうと、その全ての責はリック自身が負う覚悟だ。彼がいつもそうなのはエミリオもよく知っているが、今回は何かがおかしいと感じている。
 エミリオはリックの覚悟の中に、今までになかった焦りを感じたのだ。焦るあまりに彼は、時間を優先した強引な手段に打って出ようとしている。一体何が彼を焦らせているのか、その原因はエミリオにも分からなかった。
 
(君が目指す大陸全土の武力統一は、焦らずとも順調に進んでいる。君は一体、本当は何と戦っているんだい⋯⋯⋯?)

 これだけ直ぐ傍で彼を支え続けているのに、未だにエミリオは、リックが目指す未来の先にあるものを知らない。リックと、そして彼が愛したかけがえのない少女が望んだ、大陸全土の武力統一による真の目的。それが彼を焦らせ、血と憎しみしか生まない過酷な未来を歩ませようとしている。
 この先に待つ最悪の未来だけは、どんな事をしてでも阻止しなければならない。例えそれが、大切な彼から愛する者を奪い去る事になったとしても⋯⋯⋯。









 そして、彼らが待ち望んだこの戦争の先に、避けられぬ悲劇と試練がリックを待ち受けている事を、この時はまだ誰一人として想像もしていなかった。
 
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